RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ユモレスク』久生十蘭 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

現役の作家のなかにも熱狂的なファンの少なくない、鬼才、久生十蘭の精粋を、おもに戦後に発表された短篇から厳選。世界短篇小説コンクールで第一席を獲得した「母子像」、幻想性豊かな「黄泉から」、戦争の記憶が鮮明な「蝶の絵」「復活祭」など、巧緻な構成と密度の高さが鮮烈な印象を残す全15篇。


異端作家として名を残す久生十蘭(1902-1957)は北海道の函館で生まれました。母は船問屋(商船取引の積荷管理や船主との契約取次など)を営む家の次女で、父はその番頭頭でしたが、幼少期の殆どを母方の祖父の元で養育されました。荒くれた素行の悪さが目立つ学生で、函館中学校を中退し、上京して聖学院中学校に入るも中退するといった状況でした。帰郷すると函館中学の先輩にあたる長谷川海太郎林不忘牧逸馬、谷譲治の筆名で活躍した作家)の父が経営する函館新聞社で厄介になります。芥川龍之介をはじめ、文学への興味が強かったこともあり、職務はジャーナリストから文芸欄編集へと移行していきました。演劇に関心を持つと、戯曲を書き上げるなど、自らも執筆を進めながら編集業に携わります。そして自身の作品を文芸欄へ掲載し始めると、やがて岸田國士に師事し、「悲劇喜劇」の編集にも携わるようになりました。

十蘭は1929年、フランスへと渡ります。パリ物理学校でレンズ光学を学びました。突然の方向転換ですが、二年後にパリ市立技芸学校で演劇を学んでいることから、内輪である種の取り決めがあり、口実として勉学のために渡って、その後に本来の目的の演劇を研究したと勘繰ることができます。その後、モンマルトルのアトリエ座主催者シャルル・デュランとの縁を繋ぎ、演劇を深く理解することになりました。帰国後、研究の成果を活かして新築地劇団で力を発揮しようとしますが、意見が合わずに間もなく脱退しました。


その当時、函館中学校の後輩である水谷隼総合雑誌新青年」の編集長を務めていました。江戸川乱歩横溝正史などが連載した人気雑誌で、前述の牧逸馬小栗虫太郎夢野久作などを輩出しました。十蘭はフランス文学の翻訳を中心に投稿していましたが、やがて掲載が続き、初小説『黄金遁走曲』を発表します。好調に執筆を続ける最中、師の岸田國士より声が掛かり、文学座へ参加して演劇にも力を振るいます。執筆、演劇と忙しいなかで文壇の地位を固いものとすると、大作『魔都』を書き上げて、久生十蘭の名を世に知らしめました。しかし第二次世界大戦争における国内の戦禍が広がると、十蘭は海軍に招聘され報道班として台湾、フィリピン、インドネシアニューギニアへと派遣されます。過酷な環境下での生活に苦しみ、消息不明の危機にまで侵されますが、翌年には帰国して終戦まで疎開しました。その後も作品を書き続けましたが、1957年に食道癌で亡くなりました。


十蘭は、フランスに渡った実地での経験や、飽くこと無き探究心によって蓄えた膨大な知識、調べに調べた各国の情勢、そして自身の戦争体験と、多面体のようにそれぞれが個性の礎となり、また共鳴し合って生み出される独特の文体を帯びさせて、亡くなるまで幾つもの作品を世に出しました。

他国の言語を自在に操り、他国へ行き来、或いは住み、感覚も日本人離れした登場人物たちが、それぞれに長けた深い知識を披露する、洗練された人物像から滲み出てくる人間味。このような非日常を思わせる演出は、久生十蘭の意識的であり無意識的である意図を持って描かれています。彼の作品は、主に第二次世界大戦争後に書かれています。当時の情景は、比喩的にも現実的にも、見渡す限りの荒廃と虚無に覆われ、飢餓と貧困に背中を突かれるような様相で、町の人々はその互いの苦しい状況下で起こる小さなおかしみ、小さな笑いに、無くは無い希望の種を見出して暮らしていました。そのような、戦後のささやかな微笑ましさを文学に乗せる文壇風潮を全否定して、彼は独自の作風で作品を生み出します。そして込められる非日常感には、荒廃と虚無からの脱却が通底する願望として存在しており、登場人物たちの性格に反映していると言えます。

 

これまでの日本の読書界で喜ばれてきたような、人間的な苦悩の露呈、いかに生くべきかという指針、愛と死の葛藤がもたらす教訓等々の、なにがしか人生論的なものが小説なのではない、その蔭には実は嫌味なうなずき合いが取引されているのだと、エンタテインメントに本能的なうしろめたさを感じる読書傾向こそおかしいのだ

中井英夫久生十蘭論』


文体に独自性が感じられる一つの要因として、改校に改校を重ねて隙の無い作品を作り上げるという手法が挙げられます。本書に収録されている『母子像』はその典型的な作品と言えます。第二十六回直木賞で『鈴木主水』を強く推した大佛次郎の助言もあり、「作家の新聞」と呼ばれるニューヨーク・ヘラルド・トリビューン主催の世界短篇小説コンクールへ参加しました。訳業は吉田健一が請け負い、見事に第一席を獲得しました。作品を書き上げた当初は百枚以上にわたる長篇作品でしたが、校正を重ね、削りに削ってその鋭さを読者に突きつけるという手法に拘り、作品を二十枚に圧縮しました。補足や説明を付け加えていくならば何百枚でも書くことができますが、十蘭は余計なものを排斥し、撓みを無くし、文体を絞り上げました。このようにして、十蘭の矜持によって作り上げられた数々の作品は、冷酷とも言える沈着な視線が感じられ、作家と作品に距離を置いた冷静さが内容をより一層に、突きつける感覚を鋭敏に尖らせています。


不動の作風を貫いた十蘭は、文壇においても特異な立場を維持していました。変格探偵小説作家として、小栗忠太郎や夢野久作と並び称されることもありますが、彼らは文体そのものが特異であった言えます。戦前は、大衆文学作家でさえも独自の文体や構成を持っていたものでしたが、戦後となると、そのような風潮は蔑ろにされ、似たような身の上話や同情話が量産されていきました。当然、戦後を生きる、生き延びるための希望や指針が示された作品は、なるほど当時においては多くの読者の心を救ったかもしれません。しかし、文学の核とも言える作風というものを、前に並べた作家たちは重要視し、突き詰めて追究し続けました。使い捨てのように読まれては薄らいでいった作品群とは明確に区切りを付け、今なお読者に鮮烈な印象を与え続けています。


本作『ユモレスク』は雑誌掲載時の作品名で、単行本化以降は『野萩』と改題されています。しかし、前述の通り、十蘭は改校を繰り返すことで、物語の内容さえ変えてしまいます。本稿では『ユモレスク』について記述していきます。この物語は、生粋の江戸っ子感情がフランスの幻想文学世界に入り込んだような、独特の世界を作り上げています。遊学中の伊作を追って、一人パリへと向かった母やす。豪気さの奥に見える不安も、出会う親切な女性に助けられて、安堵の気持ちを得て調子を取り戻すと、やすの姪にあたる滋子に迎えられ、伊作との再会に臨みます。ふらふらと漂うように過ごす伊作は、なんだかんだと他事に出て、遥々やってきたやすはなかなか会うことができません。伊作から電話が掛かり、先に杜松子(ねずこ)という女性が向かうから自分が行くまで相手をしていてくれ、という旨を話し、彼女がやって来ます。互いの素性を伝え合うように会話をしていると、衝撃の知らせがやってきます。そして全てを予め理解していたかのように一筋の涙を流すやすは、穏やかにある決意をさり気なく吐露します。


幻想的な出会いと、現実的な機縁が入り混じり、一陣の風のように切なさが吹き抜けていくような筆致は、作家と作品の距離を明確に保ち、それ故に読者にも物語としての無念を直截的に伝えてきます。やすの強い再会の望みは、やすが既に心得ていたであろう悲劇的な終幕の予感を考えると、ただただやり切れなく、儚さがとめどなく襲ってきます。

 

十蘭は死ぬまで、ある一筋のことをかたくなに守り通したその態度は、一種壮烈な趣きがあって、文壇的には当然孤立した地位にいたが、その生前から一群の、非常に特殊な読者層を作り出している。それは、ホームズの信徒のシャーロキアンに倣っていえば、ジュラニアンとでもいうべき人たちで、この人々の誇りと訝しみは、こんなにも豊醇な美酒が、ただ自分らだけのために用意されていいものだろうかという点にあった。

中井英夫久生十蘭論』


ジュラニアンは少数派と言われますが、現在にも及ぶこのような文壇風潮を考えると、それは至極当然なことであり、その価値を真に受け止めることができる人間は限られてくると思われます。そして、「ある一筋」について、中井英夫はこのように述べています。

人間の熾烈な願望が激しければ激しいほど却って救いのない荒涼とした地獄へ追い落とされてゆくという、生涯を通じて描き続けたパターン

中井英夫『戦争と久生十蘭

『鈴木主水』の「主水」しかり、『黄泉から』の「おけい」しかり、『母子像』の「和泉太郎」しかり、そして『ユモレスク』の「やす」しかり。物語の中心に据えられる人物は、みな激情とも言える熱意で一点の幸福、一点の使命、一点の欲望を抱きます。他を寄せ付けない一途な感情が、それらを叶えんと熱く静かに動き出します。しかし、思いは遂げられず、多くが生命燃え尽きます。そして、彼らの抱いた種々の愛を昇華させるように生命を落とす様は、憐憫が漂うと同時に、一切を消し去ってしまう虚無感を残します。人間が求めれば求めるほど、期待は高まり、やがて目の前の現実として現れた途端、幻のように霧散してしまい、荒れ果てた一切の破滅へと突き落とされるという事実が、読者に提示されます。そして、読後に吹き抜ける寂謬は、幸福の欠片を纏った哀惜として心を締め付け続けます。

 

人気の確立したひとでありながら、その人気を平気で振払って、いつも新らしい顔を見せている。読者に目移りさせて了って、完成を感じさせないのだ。その実久生君の過去のどの作品を取上げても直木賞に値していたのである。

大佛次郎 第26回直木賞選評

作品を読むたびに新鮮な驚きと変わらない見事な文体を見せて独自の世界を見せる久生十蘭。未読の方はぜひ、体感してみてください。

では。

 

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