RIYO BOOKS

RIYO BOOKS

主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『室温〜夜の音楽〜』ケラリーノ・サンドロヴィッチ 感想

f:id:riyo0806:20210710224536p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

劇団「ナイロン100℃」主宰者で、俳優であり、音楽家でもある多彩な奇才、ケラリーノ・サンドロヴィッチの戯曲『室温~夜の音楽~』です。

ホラーとコメディは、果たしてひとつの舞台の上に同居できるものなのか。2001年7月青山円形劇場で初演された、人間の奥底に潜む欲望をバロックなタッチで描くサイコ・ホラー。第5回鶴屋南北戯曲賞受賞作品。

 

ケラリーノ・サンドロヴィッチは演劇活動時の名前で、音楽活動時はKERAとなる多彩な芸術家です。1993年にナイロン100℃を旗揚げし、1999年に『フローズン・ビーチ』で第43回岸田國士戯曲賞を受賞します。その後、読売演劇大賞・最優秀作品賞、菊田一夫演劇賞をはじめ、次々と受賞し、現代日本演劇で目覚しい活躍を見せています。

 

『室温〜夜の音楽〜』は2001年に青山円形劇場で公演されました。「たま」の楽曲を詩的に活用し、劇そのものに融合させ「この作品のために作られた曲」かとさえ思われるほど効果的な作用を持っています。

劇の内容は、筋を追うのがはばかられるほど深刻である。ホラー作家海老沢が娘のキオリとふたりですむ家に、制服姿の巡査があがりこんでいる。十二年前、キオリの双子の妹サオリは、少年たちに監禁され、集団暴行を受けて殺された。そこへ海老沢のファンだという女、赤井が、著書にサインを求めるために訪れてくる。そこへタクシーの運転手が腹痛を訴えて唐突に侵入し、さらに刑務所から出所してきた少年のひとり、間宮が訪れてくる。一見してバラバラな組み合わせが、怪奇な物語を組み上げていく。

 

死者と生者

劇中においては、屋内と屋外の区切りがない一幕劇で繰り広げられます。死者と生者は共に交わって演じますが、死者は屋内外問わず動き回ります。
生者は陰気に、死者は陽気に描かれます。生者は生きるからこその苦悩、生きるための苦悩、遺されたものとしての苦悩が根底にあり、重い言動で語られます。それに対し死者は、生前に抱えた種々の苦悩から開放され、或いは諦めを悟り快活に、笑顔と共に語られます。
この明確な陰陽の差が、死者の舞台中での区切りがない行動により、読者の判別を鈍らせて曖昧な印象に感じさせます。陽を生と無意識に結び付ける読者を錯覚的に混乱させます。それを増幅させる効果を出しているのが「死」というテーマであり、「死」が物語の背骨として存在し、鬱蒼とした空気を充満させています。

 

実際の凄惨さを元にした描写

物語の軸となる作家海老沢の娘サオリ殺害の描写は、実際に起こった事件を元に書かれています。「凄惨な死は非現実ではない」という点を強調すると共に、この演劇が含む「実在性」を暗に表現します。そしてこの劇中に登場する怠惰で腐食した警官の下平は、演劇を盛り上げる作られた架空の人物というだけでなく、実存している人物像として描かれ、人間の悪意を浮き彫りにしています。そしてこれは端的に警官を、もしくは警察組織を批判するものでもなく、その為に真っ当な警官をも登場させ「個の人的悪意」を糾弾します。

 

作家海老沢の「寛大さ」

娘サオリを陵辱され、暴虐に奴隷化され、挙句に生きたまま焼かれる悲しみによる憎悪が、12年経つと変化したと言います。そして、拉致監禁を行った犯人集団の一人である間宮が尋ねた際、寛大に受け入れて酒まで酌み交わします。
しかし、海老沢の犯した罪はサオリの双子の妹であるキオリにより読者に知らされます。海老沢は自身の娘サオリの身体を自由に扱っていました。この事実が明かされた事により、この「寛大さ」の印象はガラリと変わります。12年前に抱いた憎悪は、「自由にしていた愛玩」を奪われたことであり、現在の寛大さは「全ての自身の罪」を他者が隠し去ったことであったのです。まさに、人間の悪魔的な、起こりうる負の感情を表現しています。

 

憎悪と笑い

海老沢にしても、下平にしても、悪意や憎悪が溢れています。しかし、彼らに限らず物語の主となる人物全員にも同様のそれら、「悪意と憎悪」が抱かれています。物語の筋を作る内容は、「悪意と憎悪」の連鎖で紡がれており、陰惨な印象になるべき作品です。
ところが、ケラリーノ・サンドロヴィッチはコメディと両立させます。台詞においても、行動においても、そして演出全般においても、どこかで「笑い」へ導きます。この憎悪と笑いの両立、笑いへの導きを、長谷部浩さんが解説しています。

せりふの意味内容は、憎悪に振れているにもかかわらず、笑いへと自在に脱線していく。この手法は、KERAの『室温』におけるもくろみをよく表している。それは凍り付くようなホラーのなかに封じ込められた笑いであった。観客の意識のなかで自己規制が行われて、笑い声は起こらないが、笑いの衝動がからだを突き上げてくる。出口をふさがれた笑いは、解放へと向かわず、気味の悪い後味が観客に蓄積されていく。

 

重く陰鬱な物語に違いはありませんが、事実、笑いがそこに含まれていて読む者の感情を困惑させます。随所に散りばめられた「暗い中の笑いの種」は読者の苦笑いとなって表情から漏れてきます。
タイトルの秀逸さに気付かされる終幕を、ぜひ体感してみてください。

では。

 

sillywalk.com

privacy policy