RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『じゃじゃ馬ならし』ウィリアム・シェイクスピア 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

美人だが、手におえないじゃじゃ馬むすめカタリーナが、男らしいペトルーキオーの機知と勇気にかかって、ついに可愛い世話女房に変身ーー。陽気な恋のかけひきを展開する『じゃじゃ馬ならし』。


執筆時期は修行時代末期に該当する1590年頃、ロンドンにおいてエリザベス朝演劇が隆盛する時期で、演劇の大きな波が押し寄せ、多くの劇団が組織され、多くの劇場が建てられていました。ウィリアム・シェイクスピアはこの波の中にあり、俳優として活動する傍らで演劇台本の執筆も多く書き上げていました。『ヘンリー六世三部作』を始めとして、悲劇も喜劇も書き上げる才は、すでに同業者に煙たがられるほどの支持を聴衆から得ており、本作『じゃじゃ馬ならし』も、何度となく上演された人気作となりました。


この劇では個人の持つ愛や情熱を内から描くものではなく、社会的観点から男女の関係性、そして婚姻制度の風習などを観察し、シニカルに表現しているものとなっています。当時では男尊女卑が当然に存在しており、女性の意思や感情は汲み取られず、親同士の「契約」が成立するか否かで婚姻を取り結ばれていた時代でした。家柄、資産、役職、人脈、持参金など、政略的な取り交わしが中心で、双方合意となれば当人の意思などお構いなしで嫁ぐことを強要されていました。このような婚姻制度がある前提での若い男女の求愛は、大変に困難であり、相思相愛の恋愛が成就することは非常に珍しかったと言えます。女性はこの世界にあることを受け入れた生き方を求められ、そして幼い頃より刷り込まれながら従って成長していきます。本作のヒロイン「じゃじゃ馬」カタリーナは、そのような制度を跳ね返すような生き様で、世の男性を凌駕するほどの「跳ねっ返り」を見せて求婚する意思を世の男性に抱かせません。そこに現れたのが運命の求婚者「調教師」ペトルーキオーです。口ずく、力ずくで彼女を淑女へと生まれ変わらせようとします。


名家の長女として不自由なく育てられたカタリーナは、おとなしく穏やかな妹ビアンカと対象的に、生まれ持った気性の荒さと貴族的教養を併せた勝ち気な性格を持っていますが、ペトルーキオーによる屁理屈と理不尽の応酬で心の芯は砕かれていきます。他者に迎合するなど以ての外という気概は、生活を共にした途端に崩されてペトルーキオーを主として扱います。現在の社会では大問題になるような食事、睡眠の妨げは彼女の反発心の動力源を断ち、助けを乞うような思いで従順な態度を見せていきます。しかし、ペトルーキオーの発言からは決定的な罵声は見られません。あくまでも「カタリーナのため」を思った発言であり、その底には彼の持つ紳士的性格が僅かに垣間見えます。

また、カタリーナ自身、心根から男性を軽蔑しているわけではなく、当時の社会における女性の幸せは「男性に委譲」することによって大きく得られるという社会的幸福を理解しており、そこに向けて漸進的に歩み寄っていく過程も確認することができます。


特に、カタリーナの晴れ着を持参した仕立て屋に対してペトルーキオーが罵詈雑言を吐く場面では顕著に現れ、理不尽で不可解とも言えるほどの罵りの中には彼女を思うからこその批判が込められており、観客(読者)も強い不快感は覚えません。

ふだん着だが、ちゃんとしたものだ、これでかまわない。財布の中身は立派、貧しいのは着物だけさ。何といっても、肉体を実らせるのは精神だからね。同様に、どんな賤しい身なりをしていても、徳はおのずから姿を現すものだ。そうじゃないか、間抜けのかけすが、いくら羽根が美しいからって、雲雀より尊いとは言えまい?うろこの色が見た目にきれいだからって、まむしがうなぎより好きだという奴がいるかね?いや、そんな奴いるものか。ねえ、ケイト、おなじだよ、着るものが貧弱だろうが、道具が廉物だろうが、それできみの値打がさがるってものではない。


本作では、何かを演じる人物が多く登場します。序劇の飲んだくれスライは領主に、ルーセンショーはラテン語家庭教師に、トラニオーはルーセンショーに、ホーテンショーは音楽家庭教師に、マンテュアの学校教師はヴィンセンショーに、それぞれ変装します。役者が二重に演技をすることで観る側は登場人物の本質から目を離さないように注視させられていき、それぞれの立場と感情がより鮮明に伝わります。言動や衣服を着飾ろうとも、人間の本質を覆うことはできず、実際的な人間性がむしろ露呈されると訴えているように受け止めることができます。浅はかな企みは全て見抜かれ、平和的な大団円を迎える終幕は喜劇として見事な演出であるとともに、当時の世の婚姻制度を鮮やかに冷笑しています。


本作『じゃじゃ馬ならし』は愛の成就による物語だけではなく、婚姻後の男女を描いている点が非常に興味深いと言えます。あれほど劇中で貞淑に印象付けられていたカタリーナの妹ビアンカが、婚姻が成った途端に「じゃじゃ馬」の素質が浮かび上がってきます。そして面食らっているルーセンショーを筆頭とした男性陣に対して、カタリーナが「妻として」長広舌を弁じ立てるさまは、意思の強い貞淑な妻を堂々と印象付けて見事な幕引きを見せてくれます。


非常に激しい会話や、変装による複雑な登場人物に慌ただしさを感じさせられますが、最後には軽やかな読後感を残してくれる作品です。それぞれが持つ人間味が滲み出して本質が見えてくる様子は、我々の実際的な生活にも当てはまるかもしれません。未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

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