こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。
十一世紀に生まれた「聖アレクシス伝」「ロランの歌」などから始まるフランス詩史は、やがて厳格な規則性を持ちフランス韻文詩が形成されていきます。道徳的思想と芸術性を併せ持った美しい詩が数百年ものあいだ生み出され続け、堅固たる伝統的文化としてフランス文学に定着します。心身の美を追求した幾つもの作品は、読者の心を清浄にし、身の穢れを削ぎ落とす、美しい文体と韻律で絵画のように描かれていきました。
十九世紀に入るとナポレオン・ボナパルトの戴冠に始まり、ヴァグラム、ドレスデン、ライプツィヒ、ワーテルローでの激しい戦争、フランス七月市民革命と、民衆が心を落ち着かせることが困難な世情が続きます。そして市民感情の激しさに合わせて芸術や文化もその属性に変化を齎しました。フランス文学に与えた刺激は多様な作品を生み出すことになりました。革命が生んだ自由と無秩序を包含したロマン主義、目の前の現実を善悪双方に映し出す現実主義(リアリズム)、エミール・ゾラに見られる全ての美化を排除した自然主義など、多くの新しい文学主義が生まれました。
フランス詩においても大きな変革が齎されます。韻文詩の持つ規則的で美しい形式を破壊し、反道徳的表現を存分に発揮した散文詩が発表されました。この詩は賛否の両極端な批評を受け、罰金刑に処されるに至りました。しかしこの詩に出会い、心に影響を受けて共感した多くの人物が偉大な詩人となっていきました。近代詩の祖と言われるこの作家こそシャルル=ピエール・ボードレール(1821-1867)であり、変革を起こした詩篇が本作『悪の華』です。
この散文詩が与えた驚きは文学におけるロマン主義から自然主義、現実主義、象徴主義、さらには文学に留まらず、エドゥアール・マネやオーギュスト・ロダンなど芸術全般にまでも影響を及ぼすこととなりました。
ボードレールは芸術に造詣の深い父と早くに死別し、母の深い愛情の中で育ちました。同じように母を深く愛した彼は、母の早い再婚に失望し、やがてはエディプス・コンプレックスを抱くに至ります。二十歳になり先父の遺産を相続し放蕩を続けながら文学探究に勤しみます。散財に見兼ねた義父は、彼を強引に商船に乗せて旅立たせます。義父に対する見栄か、捻くれた態度か、ボードレールは腐らずに堂々と船内で振る舞い、水夫と度々揉め事を起こしながらも順調に旅を続けました。カルカッタ航路を往く船は大嵐に見舞われて遭難の憂き目に合いましたが、運良くアメリカの船に救われて開拓中の植民地へと導かれます。しかし、たどり着いた開放的な開拓地はボードレールの肌に合わず、暗く陰鬱でせせこましいパリの街に改めて想いを馳せ、彼は「美」を再認識します。
フランス韻文詩に与えられる雁字搦めに束縛された道徳観は、ボードレールにとっての本質的な「美の表現」にとって不自由でしかなく、苦悩した末に生まれた詩こそが散文詩でした。『悪の華』は、悪と美を主軸に表現されています。抱いた「死の思想」、道徳に照らした悪、その先に見える美こそに真実を見出していました。これらは十八世紀後半に生まれたマルキ・ド・サド、ピエール・ショデルロ・ド・ラクロ、ジャック・カゾットたちの悪魔的思想小説群に受けた影響も多分にあると見られます。キリスト教による堅固な美徳価値観の支配から脱却する、そして個の価値を尊重し、道徳的悪魔主義、象徴主義における二つの事物で想起させる「死の思想」は読者に強い印象を与えます。
かくて今、天空の深さわれを自失せしめ、その清新われを愁傷たらしむ。無覚なる海、不感なる外景、いずれもわれを傷つくるのみ……。さらばわれ永劫に悩むべきさだめの者か、知らず永劫に美より逃れて生くべきか?汝、自然、無惨なる妖婦、常に勝つ敵手よ、われを放せ!わが制作欲とわが自負心を試すを休めよ!美の研鑽こそわれら芸術の使徒が敗るる先立ちて、おののいて音をあぐる決闘なりと知らざるや。
『芸術家の告白の祈』堀口大學訳
ボードレールはただ一途に、心の底に確かに存在する「真の美」の感覚を作品に込めようと追究し、辿り着いた表現方法が「照応(コレスポンダンス)」でした。彼にとっての技法としての「照応」は、客観的な事物の照らし合わせではなく、主観として、自身そのものを事物と照らし合わせるものであり、だからこそ心の底から「真の美」を引き摺り上げ、吐き出すことができました。
心を映す鏡となってゐる心、
何といふ暗くて澄んだ 差し向かひ。
鉛色の星一つ 顫えてゐる、
明るくて黑い、眞理を映す井戶、惡魔的な恩寵の炬火、
「どうにもならぬもの」
唯一無二の 慰安で同時に光榮の、
地獄の、皮肉な 一つの燈臺、
ーー惡の中に在る 意識こそは。
道徳の啓蒙に用いられていた詩を個にとって自由にし、美のみを追求することを目指して生まれた本作は、美を語るための醜を表現し、悪魔主義的表現に善悪の基準が明確にあります。しかし、この涜神的価値観はキリスト教に準拠しており、敬虔な信者として構築された背景が見られます。そこからの解放と、「真の美」の表現を目指した結果が本作を生み出す原動力となりました。
言葉の上ばかりではなく、精神に於て眞摯な本物の涜神は、一面的信仰から生ずるものであつて、全くキリスト教で固めた者にあり得ないと同じく、すつかり無神論者になりきつた者にもあり得ないのである。
T.S.エリオット『心の日記』序文
ボードレールは、隆盛を始めていたフランスロマン主義が掲げた自由主義(個人主義)の中に、彼ら各々の心が構築した価値観と理想とに囚われ、真の自由を表現できていないことを指摘し、結果的に懐古的で理想的な美化を成していると批評します。これに賛同した、真っ先に彼から献辞を送られたフランスの詩人であるテオフィル・ゴーティエを筆頭に、誇大な感傷表現や政治的思想、社会的偏見を込めるロマン派の風潮に対して、詩の自由を求めてフランス詩の改革的運動(パルナシアン運動)を起こします。1866年にルメール書店から刊行された『現代高踏詩集』に準えて彼らは「高踏派」と呼ばれ、ボードレール、ステファヌ・マラルメ、ポール・ヴェルレーヌらが一つの詩派としてまとめられました。そして自由詩運動は継続され、昨今の散文詩として認められるに至りました。これが、ボードレールが近代詩の祖と言われる所以です。
「数多の芸術家、真の芸術家、真の詩人は、自分が見て感じた感覚に従ってのみ作品を生み出すべきである。我々は自分自身の内性に真に忠実でなければならない。」
ボードレール サロンにて
真に感じた心情を、美を持って正確に芸術作品に込める、その単一の想いを貫き続けたからこそ洗練された素晴らしい詩篇が生まれました。悪魔主義的で、耽美で、退廃的で、醜悪な表現の内奥に込められた「神秘の美」が存分に込められている作品です。未読の方はぜひ、体感してみてください。
では。