RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ゴドーを待ちながら』サミュエル・ベケット 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

パリで初演された1953年より数多の議論と論考が行われてきた、アイルランド出身の劇作家サミュエル・ベケットの代表戯曲『ゴドーを待ちながら』です。世界的な「不条理演劇」の代名詞として語られる作品です。

田舎道。1本の木。夕暮れ。エストラゴンとヴラジーミルという2人組のホームレスが、救済者ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている。そこにやってきたのは……。不条理演劇の代名詞でもあるベケットの傑作戯曲。

 

1906年アイルランドのダブリンに生まれ、フランスを中心に活躍したベケット。1939年に第二次世界大戦争が勃発。ナチスに抵抗するレジスタンス運動に参加し、情報収集や状況分析を中心に活動します。しかしドイツ秘密警察部隊「ゲシュタポ」に命を狙われ始めたことを期にパリを離れます。そして南フランスの田舎町でコミューンに匿われながら執筆活動を行います。戦争が終結しパリへ戻ると小説三部作と言われる『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』を1951年から1953年にかけて立て続けに発表します。この三部作執筆中の「息抜き」として書かれた戯曲が『ゴドーを待ちながら』です。

ベケットは母国語「アイルランド語」をはじめ、「フランス語」「英語」「イタリア語」と多言語を扱います。そして彼が執筆する作品は、英語で書いたものをフランス語に、逆にフランス語で書いたものを英語に、自身で翻訳してそれぞれ出版します。

少なくともベケット自身にとっては、最小限に切り詰められて繰り出される言葉には、つねにひとつの筋道だけがあり、英語とフランス語という二つの国語は、それぞれのやりかたで、たんにそれをなぞろうとしているにすぎない。

引用元:訳者 長島確『いざ最悪の方へ』(書肆山田)p.120

諸国語には表現に限界があり、伝えたい芸術性を十全に表現することは不可能。それを近似値的な抽象表現で芸術性を伝えることが「二重の翻訳出版」であるという考えから、この手法を取っています。

また、彼の作品には「対照性」「反復性」「共存性」が随所に現れます。これも「二重の翻訳出版」を手法とさせた「正確に抽象表現を伝えようとする几帳面性」が生み出しています。

 
1950年代初めのパリで、これまでの「実存主義的な演劇」を否定し、言語や個性やアイデンティティを否定した新しい演劇が広まります。当時の演劇評論家マーティン・エスリンにより「不条理演劇」と命名されたこれらは、アルベール・カミュフランツ・カフカが小説で表現していた「不条理」を演劇に取り入れたものです。しかし、演劇上での「不条理表現」はテクスト上だけで表現する小説と違い、「役者」「舞台」「間」「運動」「音」「照明」など、さまざまなものを否定表現として使用されます。

ベケットの登場人物はだんだん動かなくなっていく。そもそも『ゴドーを待ちながら』が、ただ待つこと、それだけからなっている。主人公二人がゴドーを待っている。これはまず運動の否定である。待つといっても、何を待つわけでもなく、ときどき待っているということさえ忘れてしまう。それはまた物語の否定ということでもある。

引用元:宇野邦一『知の劇場、演劇の知』「演劇、言葉との抗争」(ぺりかん社)p.198

 

このような革新的手法の構築、そして世に新たに問う「初演」は賛否が大きく分かれます。パリの初演においては、九割が否定的な評価で、一割が熱狂的賞賛でした。これらの反発した意見は互いに殴りあう暴動を起こすほど興奮し、結果的にゴシップ的な話題を呼び幾度も上演されることとなりました。
しかし、それ以上にアメリカ初演はひどいもので、幕間の最後まで残っていた観客は数組のみ。宣伝文句がひどかったこともあり、結果は散々でした。しかし、その数組の中には、テネシー・ウィリアムズウィリアム・サローヤンが含まれていたのです。彼らは確実に「ベケットの不条理表現」に影響を受けたと言ってよいでしょう。

 

これらの作家たち以外にも「ベケットの不条理表現」を理解した人々が存在します。パリでの初演後、ドイツやアメリカの刑務所で『ゴドーを待ちながら』は演じられます。演目に採用された理由は非常に明確で「女性が登場しない」つまり、囚人たちへ性的な刺激が与えられないようにと考えられたのでした。しかし、思わぬ結果を招きます。

 

有名な事例として挙げられるのはアメリカのサン・クエンティン州立刑務所で上演された時のことです。ここに収容される囚人はアメリカにおいて「最も重い罪人」たちであり、ガス室と死刑囚を抱えた男性刑務所です。1957年当時、1,400人もの前で外部の劇団が『ゴドーを待ちながら』を演じました。
退屈な演劇で性的な刺激がない演劇を「この囚人たち」は大人しく芝居を見続けることができるのだろうか、抜け出すだけならまだしも暴れだしたりしないだろうか。このような心配を抱えていたのは、パリの初演を思い返すと至極当然のことでした。ところが上演中、場内は静まり返り、立つ者もなく、最後まで誰もが演劇を見届けたのでした。

サン・クエンティン州立刑務所の内部を伝える「サン・クエンティン・ニュース」という新聞があり、この日のことが『ある初日客のメモ』という題のコラムで書かれました。

三人の屈強な囚人は身体を通路に投げ出し、女の子やおもしろい連中の登場を待っていた。彼らは、そういったものが登場しないと分かると「照明が弱くなったら逃げ出すことにき一めた」と、聞こえるように息巻いた。でも、彼らはひとつ間違いを犯したのだった。彼らは、二分間だけよけいに舞台に耳をそばだて、観てしまった。そして動かなかった。最後に立ち去るときには、 三人とも震えていた。

なぜ彼らは演劇に引き込まれ、幕後に震えていたのでしょうか。それは彼らが『ゴドーを待ちながら』という演劇を「即座に理解」したからです。囚人たちはこの演劇を「リアル」に感じます。言い換えるならば「自己投影」します。

 

ヴラジーミルとエストラゴンは「待ち続けて」います。劇中常に「待っている状態」で演じられます。囚人は日々「待って」います。生活においては食事、睡眠の時間を。状況においては懲役期間を。外部からの小包や手紙も、同じように待っています。囚人の世界は「待つこと」に包まれています。そして「待つ」ということは、自分の意思や行動で変化を起こすことができない状態であり、「囚われている状態」とも言えます。だからこそ、「待つ」ということの本質を囚人たちが体感し、理解しているから『ゴドーを待ちながら』という演劇を即座に理解できたのです。

 

では、囚人が震えていたのはなぜか。これを考えるには、演劇の終盤から見出す必要があります。

なんだい、ありゃあ?
木さ。
いや、だからさ、なんの?
知らない。柳かな。
ちょっと来てごらん。
首をつったらどうだろう?

「ゴドー」を待ちくたびれた二人は共に首を吊って死のう(待つことをやめよう)とします。

二人は、おのおの紐の端を持って引っ張る。紐は切れる。二人は転びかかる。

しかし、目論見は失敗に終わります。

それより、あした首をつろう。ゴドーが来れば別だが。
もし来たら?
わたしたちは救われる。

ヴラジーミルとエストラゴンは、すっぽかすことも、死ぬこともできません。自分の意思で「待つこと」を終わらせることができません。また新しい「待つこと」に溢れた日々がやってきます。この救いを待つ救いの無い日々の繰り返しを、理解し、そして自分たちに重ね、受け入れなければならないことを改めて提示されたことに、囚人たちは震えていたのです。

 

「ゴドー」とは何か。言葉としては原題『Waiting for Godot』より、「Godot」は「God(英語で神)」と「-ot(フランス語の愛称的縮小辞)」を組み合わせてできています。「神さん」くらいのニュアンスです。

「神」という存在、あるいは表現をベケットは重要視しています。聖書とダンテを愛読し影響を受けています。(ベケットキリスト教徒ではありません。)

 

「ゴドー」を神とするなら、ヴラジーミルとエストラゴンは現れない神を待つ、そして待ちきれず会いに行く為に自殺を図り、失敗する。しかし、それは死を防いだ神の所業とも言え、生きていく事になる。このように捉えることができます。
また、ラッキー「幸福」と名付けられた奴隷はシンボルとして存在し、売ろうとするもの(手放そうとするもの)は立つ事もできなくなる。生きていくことができなくなる。ポッツォは盲となり、大切なものを見ることが出来ないと描写されているように思えます。

彼によって創り出された絶望的なものは、真実を証し立てようとする願望の荒々しさの証拠にほかならないのだ。ベケットは満足げに<否(ノー)>と言っているのではない。<しかり(イエス)>への憧れから彼の仮借ない<否(ノー)>を鍛えあげるのだ。だから彼の絶望はいわば鋳型(ネガティヴ)であって、その逆のものの形をそこから引き出すことができるのである。

引用元:ピーター・ブルック『なにもない空間』(晶文社)p.82

 

ベケット大戦争直後のノルマンディにて街が壊滅しているのを直に見ています。彼の価値観・死生観に大きなインパクトを与えた「不条理の爪痕」は、執筆作品に影響を及ぼします。『ゴドーを待ちながら』はト書きでは「A country road. A tree. Evening.」とだけ書かれて舞台を表現します。この「不条理の時代」に執筆された作品には、見えない背景に瓦礫の山があるのかもしれません。

 

不条理に耐えられなくなった人はそれぞれの信仰に合わせた「神」に縋ります。しかし、神が現れず「待つこと」に耐えられなくなった人々は、「待つこと」を終わらせようとします。この生を終わらせようとする悪魔の囁きを退ける言葉が聖書にあります。

なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。

引用元:『旧約聖書』「詩編-43-5」(日本聖書協会

 

囚人たちが自分の意思で「待つこと」を終わらせることができないと受け止めた「自殺の失敗」は、不条理な世界に神が訪れ「与えられた救い」であったのではないかと考えられます。

不条理に耐えられなくなり悪魔の声に耳を傾けてしまう時に必要な事、それは「主を待つこと」であると捉えると、この作品の不条理性から、不条理からの開放への物語へ姿を変えるように思います。

 

この戯曲は現代演劇に革命を起こした非常に重要な作品です。人によって受け取り方が変わる不思議な戯曲。まだ読んでいない方はぜひ。

では。

 

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