RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『壊れた風景』別役実 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

食べ物からパラソルに蓄音機まで用意された素敵なピクニックの場に通りがかった他人同士。不在の主に遠慮していたはずが、ついひとつまみから大宴会へ。無責任な集団心理を衝いて笑いを誘う快作。

1930年の日本では、数年前の関東大震災から復興しきれぬ中、畳み掛けられるように世界恐慌の煽りを受け、経済は壊滅的な状況に陥ります。震災手形は支払不能となり、多くの企業が倒産して、国内は失業者で溢れます。日本は自国内での経済回復は困難と見て、大陸へ進出して領土を拡大し、そこを植民地とすることで利潤を得て、大規模な不景気から脱却しようと試みます。侵略対象は日露戦争で譲渡された南満州鉄道のある中国華北でした。

同時期、中華民国では北京政府と国民革命軍が激しい衝突を繰り返していました。奉天軍閥の指導者であり北京政府の政治家であった張作霖満州において強い力を持っていました。北京より進軍する国民革命軍への対抗を関東軍(駐屯している日本軍)が助力する形で恩義を売り、満州侵略の足掛かりにしようと目論みます。しかし敢え無く敗れた北京政府と張作霖に対して、日本は利用価値なしと判断します。国民革命軍の起こしたものと見せかけて、張作霖の乗る南満州鉄道車両を爆破します。


その後、国民革命軍は中国国民党となり国家の実権を握り、行政に着手し始めます。張作霖の子である張学良は関東軍からの脅迫を受け続けながらも、中国国民党へ属して軍を率いるようになります。そして、日本への利潤を政治的に減少させようとする意図を含んだ新鉄道建設計画を打ち立てます。関東軍はその意図を崩すために一計を案じます。南満州鉄道が通る柳条湖付近で、自作自演の鉄道爆破を行いました。これを張学良率いる中国国民党の仕業であると断定し、関東軍武力行使を開始します。この満州事変で一帯を占拠した日本は傀儡国である満州国を建国します。

この不当な侵略を中国国民党国際連盟へ提訴します。リットン調査団の報告に関する審議を終えぬまま、関東軍は侵略を継続していきます。いつまでも対抗する形で応戦していた中国国民党でしたが、1937年に北京郊外で起こった盧溝橋での発砲事件により、いよいよ日中での全面戦争がはじまります。そしてこの日中戦争は1941年に太平洋戦争へと統合拡大し、第二次世界大戦争における日本の敗北まで争いは続きます。


別役実は1937年に満州国で生まれます。満州国事務官であった父は動乱の満州において1943年に亡くなります。日本が敗戦国となって満州国から引き揚げることになった一家は、高知県にある父方の親族である寺田寅彦の旧宅へと引っ越しました。その後、母方の実家のある静岡県で一定期間を過ごして、長野県で高校卒業までを過ごしました。

上京してからは浪人期間を経て早稲田大学へと入学します。学生劇団「自由舞台」へと入団して、彼の人生を大きく変化させる鈴木忠志と出会います。


この頃は小劇場運動とも言われる「政治と演劇」が密接に交わった演目が幾度も演じられてきました。その背景には安保闘争が大きく影響しています。1960年初頭から激化したこの学生運動は社会現象となり、日本国民の期待と鬱憤が一度に吐き出されたような激しい嵐でした。街頭演説からストライキ武力行使に至るまで、政府と国民の溝が大きく刻まれていた時代でした。この国民の主張の一つとして小劇場演劇が挙げられます。1961年に「新劇団自由舞台」(のちの早稲田小劇場)を創設した鈴木忠志別役実は、小劇場演劇の第一人者と言えます。数年後には追随する寺山修司唐十郎蜷川幸雄などといった小劇場第一世代たちにより、この主張は大きな文化的効力を持つようになります。

小劇場生活を維持するため、別役実は書記事務員として働きながら時間を見つけては戯曲の執筆を続けます。そして1968年に岸田國士戯曲賞を受け、事務員を退職して作家として執筆に専念していきます。


彼が最も感銘を受けた戯曲は『ゴドーを待ちながら』でした。満州国、太平洋戦争、安保闘争において民衆が国家より受ける不条理を強く感じていた中で、サミュエル・ベケットが描く戯曲に心は共鳴し、この影響が執筆作品に盛り込まれていきます。

本作『壊れた風景』は最も強く思想の表れている作品と言えます。「いえ、ちょっとあれしただけです」「だって、しょうがないでしょう、この場合」「いや、よくわからないんですけどね」「いえ、だから、あんまりもう、あれしない方が」など、一見コメディのような不明確な台詞が続き、登場人物たちは「責任を負わないように」言明を避けながら会話が進んでいきます。しかし行動は欲望に正直に、大胆に、取り返しが付かない方向へと突き進んでしまいます。態度は徐々に開き直り、全員で等分に責任を負えば良いではないかという体系論へと摺り替えて、個人の罪悪を感じさせない心情が垣間見えてきます。


これは日本の国家体系に当てはめることができ、責任不在の意思決定を放つ民主主義体系を批判していると言えます。責任を負うことのないように立ち回り、体系としての決定を相互に求めて、罪悪感を持たないように決定のみを前に出す。このような責任不在決定は、満州国関東軍が行った行為を現地での自発的行為と断じて、体裁を守るためのみの内閣総辞職で「個の責任」から逃れた当時の中枢人物たちの言動と照合します。また同様に、安保闘争における民衆の声を武力で押しつぶした政府の責任追求回避行動は、「個の責任」から逃れるための体系決定であったと言えます。これらの「弾圧の果ての虚無」を生んだ責任は、負う者のない罪悪として残り、国家は擦り続け、体系の結果としてのみ国民に押し付ける格好となりました。


本作では大団円や絶望を超えた結果が待っています。読後、或いは観劇後に得られる、もしくは失う虚無感は、体系の在り方を考えさせられるきっかけとなります。


作品自体は然程長くなく、非常に読みやすい作品ですので未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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