RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『明るい部屋 写真についての覚書』ロラン・バルト 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

フランスの哲学者であり記号学者、そしてポスト構造主義として理論を進化させ続け、ミシェル・フーコーに多大な影響を与えた探求者ロラン・バルトの「写真」について論考した『明るい部屋』です。

本書は、現象学的な方法によって、写真の本質・ノエマ(《それはかつてあった》)を明証しようとした写真論である。細部=プンクトゥムを注視しつつ、写真の核心に迫ってゆくバルトの追究にはまことにスリリングなものがある。

 

ロラン・バルト(1915-1980)は、主にジャン=ポール・サルトルの影響を受けた哲学者で、プロテスタントでした。また、彼の哲学や文体にはロマネスクが含まれており、修道院美術を感じさせる聖性や真摯さがあらわれています。

バルトは「文学」を愛しました。『文学の記号学』という講義からも伝わるように、哲学から小説まで深く探求します。物語を出版することはありませんでしたが、論考からは書こうとする欲を垣間見ることができます。

彼が愛したもう一つの芸術は「音楽」です。二十台の頃、フランスを中心に活動したスイス人バリトン歌手のシャルル・パンゼラに師事し、日々ピアノを弾き続けるほどでした。

私は間違いなしには何ひとつ決して弾けないことになる。その理由は明らかに、私が今すぐ音の享楽を欲して、退屈な修行を拒絶する、という点にある。なぜなら修行は享楽をさまたげるからだ。

あくまで自己の芸術愛に純粋であろうとする素直さが、より愛情を深めるということを教えてくれます。

 

その芸術探求者が「写真」という存在を論考する本書『明るい部屋』。これは一般的な「写真論」ではありません。「撮影の準備」や「ドラマチックに仕上げる撮影方法」などは一切書かれていません。「写真存在論」とも言える表象文化論です。写真には二つ概念が存在すると定義しています。「ストゥディウム」と「プンクトゥム」です。

 

「ストゥディウム」とは写真(被写体に限らず)から抱くことができる、見る者の道徳的・社会的・経験的に解釈できる概念。

プンクトゥム」とは写真に存在するストゥディウムを破壊する印象的概念。

 

1979年の中央アメリカで起こった、サンディーノ主義によるニカラグア革命時の一枚を、一例として引用させていただきます。

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サンディニスタ解放軍の兵士を捉えた写真です。兵士はひどく汚れ、貧しさが現れています。街路は道とも呼べないほどに砕かれ、全体に荒廃が漂う風景です。これが「ストゥディウム」です。

そして中央左寄りに通りかかる二人の修道女、これが写真の一般的概念を乱す概念「プンクトゥム」です。

 

ニカラグアは、世界遺産であるカトリックのレオン大聖堂をはじめ、教会が多く存在する国です。そして修道女は看護師として扱われ、道路を渡っていると考えられます。しかし、この事実の理解がある上で写真を見た場合、二人の修道女は「プンクトゥム」としてなり得ません。この知識がある人がこの写真を見た場合、一般的概念に修道女は含まれ、「ストゥディウム」を乱さないからです。

 

バルトは写真を「かつてあったもの」を告げると訴えます。このノエマ(写真の意識)は暴力的な事実性として見る者に突きつけます。この写真があらわす確実な現実性は、見る者の実存的想像を否定します。つまり、強制的に受け入れなければならない「かつてあったもの」を認識させられます。本書ではこの暴力的な強制認識を「狂気」と表現しています。そして、第7芸術と言われる映画等とは決定的に違い、「写真は芸術になり得ない」と定義しています。

映画は人為的に狂気をよそおい、狂気の文化的記号を提示することはできるが、その本性からして(その映像の本質規定からして)、決して狂気となることはない。

 

この論考の軸に「母親」が存在します。彼女を亡くしたバルトの深い悲しみと美しい愛が随所に滲みます。そして、この書そのものが彼女への鎮魂歌のように、美しく描かれていきます。

 

元来彼は、写真について論考を行なってきていましたが、彼女を失ってから喪に服す心情になれず、悲しみと共にアルバムを繰り続けていた中で、改めて考えるに至ります。それは、何枚繰っても彼女に出会えないからです。「かつてそこにあった」彼女を見ても、バルトの心が彼女であると認識出来ませんでした。それは彼が抱いていた「母親に対する印象性」の結果でした。ここで写真の持つ暴力的な強制認識に苦しみますが、ようやく「これだ!ここにあった!」という写真を見つけます。ある温室で撮られた少し輪郭がボヤけた写真でした。この写真に見られる母親の印象性が合致したのです。そしてプロテスタントであるはずの彼が、聖母のように母親を慕う様は、まさしく偶像崇拝であると見られ、信仰以上の愛として受け止められます。

 

この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。

ドイツ・ロマン派を代表する音楽家ロベルト・シューマン。「音楽新報」の編集者であり、文学にも精通していた彼とは、ロマネスクを帯びた音楽愛好家の哲学者バルトと共鳴する点は多く、救いの手を差し伸べられたようにも見受けられます。

どんな時代にも、親しい精神の間には秘かな結盟がある。到るところ、喜びと祝福を拡げつつ、芸術の真理の光をいよいよ明かならしめるために、この結盟の盟友は、ますます提携を堅くせよ。

『音楽と音楽家

 

時代を超えて、二人の精神が親交を深めているような夢想をしてしまいます。愛に溢れた写真の哲学、ぜひ読んでみてください。

では。

 

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