RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

「グラース・サーガ」J・D・サリンジャー 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品群です。

 

ニューヨークに生まれたユダヤ人作家ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(1919-2010)が『ライ麦畑でつかまえて』の後に世に放った、連作短中篇で描く物語「グラース・サーガ」と呼ばれる作品群です。(以下表記はグラースで統一)

 

サリンジャーの父はユダヤ人、母はスコッチ・アイリッシュという家系で生まれ、父の食肉貿易で裕福な暮らしに恵まれていました。1939年にはコロンビア大学にて非正規の聴講生として授業を受ける傍ら、執筆に専念して雑誌掲載されるにいたります。

文壇の道を歩み始めた彼は社交界で人脈を拡げ、作家として活動を本格化していきます。そして1941年、ノーベル文学賞を受賞した劇作家ジェームズ・オニールの娘であるウーナ・オニールと出逢い、恋に落ちます。サリンジャーは夢中になり、軍に入ってからも文通を続け関係を続けます。しかし1943年、ウーナ・オニールはチャールズ・チャップリンと結婚し、唐突に関係を一方的に断ち切ります。

 

サリンジャーの心は失意の底にありましたが、駐屯地での軍務訓練は継続され、ついに1944年、ノルマンディー上陸作戦に駆り出されます。このドイツに占領された北西ヨーロッパ奪還を目的とした正式名「ネプチューン作戦」は激しい前線となり、志願したとは言え、想像以上の凄惨さを味わうことになりました。

ドイツが降伏し、実質的に戦争が終局を迎えた際、サリンジャーは神経衰弱でニュルンベルクの病院で療養します。ここで出逢ったドイツ人女性医師と結婚することになります。

 

療養し帰国すると1951年に『ライ麦畑でつかまえて』を発表し、賛否両論を巻き起こしながら大ヒットを記録します。そして1953年、過去の発表作品を中心に自選短篇集『ナイン・ストーリーズ』を出版。この中の『バナナフィッシュにうってつけの日』を皮切りに「グラース・サーガ」を執筆していくライフワークが始まります。

 

グラース・サーガ

『バナナフィッシュにうってつけの日
コネティカットのひょこひょこおじさん
『小舟のほとりで』
『フラニー』
『ゾーイー』
『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』
シーモア ー序章ー』
『ハプワース16、一九二四』

 

長兄シーモアの自殺により幕を開ける「グラース・サーガ」は、シーモアを含む9人の家族それぞれの視点や角度で描かれます。時系列が前後し、各小篇が少しずつ重要な要素を含み、読み進めることによって蓄積する抽象的な印象が徐々に輪郭を捉えるようになり、やがて自殺に至ったシーモアの思考や思想に「触れる」ことができるように描写されています。

この「触れる」という意味は、全てのテクストを読んでも、シーモアの明確な動機が描かれていないため、解釈は各々で汲み取るよりほかありません。汲み取る時に背景として理解しておきたい要素がいくつかあります。

 

シーモアの自殺が描かれる『バナナフィッシュにうってつけの日』を一見すると、戦争の前線を経験し、神経が衰弱したシーモアが、帰国しても社会に馴染むことができず、不意の不快感から絶望にまで精神が揺らぎ、命を絶つ物語と受け取ることができます。

しかし、以後の小品で語られるシーモアの過去(幼少期から天才として有名になってしまった息苦しさやプレッシャー)や、シーモアの思想(禅や仏教による教え)、シーモアが確信している「輪廻転生」、そしてシーモアの愛(ミュリエルに対する)を含めて読み直すと、全く違う動機が浮かび上がります。

 

『ハプワース16、一九二四』では、七歳のシーモアが、ベシーとレス(母と父)へ現世の義務についてこのように記述しています。

ぼくらが現世の、興味ある、滑稽な肉体をもってわれわれの機会と義務を全うするまでは、そこかしこでの、いくらかの痛みを経験するのをやめる方法はないんだ。

また、将来におけるシーモア自身についての予言も記しています。

ぼく個人は少なくとも手入れの行き届いた電信柱ぐらい、つまり三十年も生きることになるだろう。これは別に笑いの種になることじゃないよ。あなたの息子バディはもっと長生きするから、大いに喜んでほしい。

 

また、ミュリエルへの愛は『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』のシーモアの日記の随所から読み取ることができます。

今日は一晩じゅう、とても堪えられないほどに幸福であった。みんなで居間に坐っていたとき、ミュリエルと彼女の母との間の親愛感を、ぼくはとても美しいと思って感動した。

 

真言密教に「入定」という修行があります。精神統一を図り「無我の境地」にたどり着くための瞑想のことを言います。高野山奥之院にて、今なお弘法大師空海が生き続けていると信仰されています。そして永遠の中での祈りは、世の救いを求める祈りへ届き、人々を救うとされています。

シーモアもこのような瞑想を常日頃から行っていました。しかし、この永遠の瞑想は「即身仏」を経て永遠の覚りにいたることであり、またシーモア自身もこの境地に向かおうとしたのではないかと考えられます。だからこそ、『バナナフィッシュにうってつけの日』の自殺の描写に「迷い」や「躊躇い」がなかったのではないのでしょうか。更に、輪廻転生という考え方が後押しし、現世における自分の大切な者達の幸せを祈って自殺したようにも考えられます。

 

解釈が多種多様にあるこれらの作品群「グラース・サーガ」。サリンジャーの死後、大量の未発表原稿を、遺族の方々が出版する準備を進めています。彼の思想に、また触れられることを期待しています。

少し読解が困難な描写も多くありますが、通して読むと理解しやすいかと思います。

未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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