RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ジョン・スタインベックはドイツ系移民の父とアイルランド系移民の母を持ちます。
彼は、世界大恐慌時代のアメリカ社会を告発した『怒りの葡萄』を発表し、1940年にピューリッツァー賞を受賞しました。
今回紹介する『ハツカネズミと人間』は同時代における社会的弱者を主体として描いた中篇です。

一軒の小さな家と農場を持ち、土地のくれるいちばんいいものを食い、ウサギを飼って暮らすーーからだも知恵も対照的なジョージとレニーという二人の渡り労働者の楽園への夢。カリフォルニアの農場を転々とする男たちの友情、たくましい生命力、そして過酷な現実に裏切られて起こる悲劇を、温かいヒューマニズムの眼差しで描く。戯曲の形式を小説に取り入れたスタインベック出世作

 

1930年代に起こった世界大恐慌において農作物価格が60%以上も下落し、農場主さえも安定を脅かされる時代でした。労働者においては更に過酷な環境下にあり、安定的な雇用がされず「季節雇い」の形で渡り労働者が入れ替わり立ち代りしていました。この渡り労働者たち、農場の者たちを通して、当時の社会的弱者が置かれた状況をリアリズムで描かれています。

 

レニーは軽度の知的障碍者です、そしてそれを支えるジョージ。また農場では、老人、身体障碍者、人種差別を受ける黒人、性差別を受ける農場主息子の妻。彼らの生活を社会的現実のシンボルとして読者へ訴えてきます。

例えば、当時の精神病院や老人介護施設は「牢獄同様」でした。彼らはそこに入ることを恐れ、逃れるために貧しい環境下でも労働を望んでいました。こういった社会的弱者は「個人としての自由意志」を剥奪された処遇にあり、半奴隷的な生活を送っていた人々もありました。しかし、最低限の権利と僅かな自尊心を大切に日々を過ごし、夢を抱きます。いわばこの空想に近い夢を生きる糧として日々を生き抜くことが、彼らの人生のすべてであり、社会が与えた僅かな幸せでした。

人間は、経済状況や社会の環境、また生まれ持っての容姿や遺伝子に大きく左右されるという「自然主義文学」、この作品は正にその代表的な作品と言えます。
悲劇を悲劇として描き、しかしその中でも自己意思を尊重し、救いを求めようとする感情は今の時代にも必要な要素であると思います。

 

「まぁ聞け、キャンディ。この老いぼれイヌはいつもただ苦しい思いをしているだけだ。こいつを外へ連れ出して、頭の後ろのここをーーちょうどここのところを撃ちゃ、こいつはなんで撃たれたかもわかんねえよ」

ジョージの頭にこの言葉が残っていたのはなぜか、そんな風に考えると彼ら二人の人生の苦しさが深く伝わってきます。

 

この小説は戯曲の要素を持っています。舞台は河畔と農場のみ、木曜日から日曜日までの四日間、そして登場人物の対話が中心となっています。だからこそ、彼らの意思や行動が直接的に読者へ伝わり、その時代の悲哀や怒りを感じさせます。

この「自然主義文学」の王道とも言える作品はアメリカ古典文学として教科書などにも使用されているそうです。多民族であり貧富の差が大きな国だからこそ、社会が生む悪環境があり、そこで生きる困難さと生きる希望の見出し方を考えさせられます。

 

1962年にスタインベックは「優れた思いやりのあるユーモアと鋭い社会観察を結びつけた、現実的で想像力のある著作に対して 」ノーベル文学賞を受賞しています。
作品内の情景に浸り、その当時の社会を感じることができるこの作品、ぜひ読んでみてください。

では。

 

 

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