こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちら。
トーマス・マン『トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す』です。『魔の山』で名を知られているドイツの小説家です。彼の初期中篇二作です。
マンは第一次世界大戦をまたぐ時代に活躍しました。戦争勃発前までは浪漫主義であり政権においては保守主義として文壇に立ち、作品を世に出しています。しかし戦後は新たに成った「ドイツ共和国」を支持し社会主義の立場で文壇へ臨みます。
時が経ち1933年にファシズムの傾向が国内で高まり、ナチス党のヒトラーが政権を掌握します。この事でマンはドイツの文化的な側面の危機を強く感じ、国外へ講演の旅に出ます。もちろんナチス側の反感を買うことになり、国外追放に加え財産の没収を受け、ドイツに戻ることは出来なくなりました。
彼はその後も対ナチスに抗戦の構えで活動し、主にアメリカで活躍しました。
今回紹介する作品の二つは共に初期の時代、つまりドイツ浪漫主義に該当します。その中でもマンの特に顕著な傾向と挙げられるのは「観念主義」です。自身の中で構築している哲学、価値観、道徳などを元に、思考を繰り返して結論へ導く主義です。
この二作は対照的なものとなっており、「明」と「暗」のように描かれています。明暗の軸は「理性と感性」です。これを「中心となる観念」に置き、二人の文学者たちの苦悩が繰り広げられます。
芸術家が芸術より受け取る衝撃は、より一層に複雑であり、感情の揺さぶりが過大であるように表現されています。しかし、これは確かに一理あり、バリスタが他店の珈琲で味わう感動と同様、ソムリエが多種のワインから感動を得るのと同様、それぞれ汎人間的な感覚の持ち主とは違った、および深い衝撃を見出すものと近しい現象であると言えます。
この二人の文学者たちは、それぞれ得る芸術的感動で「理性が勝る者」と「感性が勝る者」に分けられます。この対照的な、対比的な物語は読む人に「なぜか両方の結末を納得させる」ことになります。つまり、自分の思考において「理性」「感性」のどちらにも傾く可能性があり、どちらの文学者の道を辿るかもわからない納得をさせられます。
ただ、ひとつだけ大きな違いがあるとすれば「孤独か否か」です。マンが真に訴えたかったのはこの点であると、そう感じます。
われわれは深淵を否定したい。人間の品位を保っていたいのだが、われわれがどうじたばたしようと、深淵はわれわれを引寄せるのだ。
孤独な文学者の言葉です。
マンは1929年に「主に現代の古典としての認識を広く得た傑作『ブッデンローク家の人々』に対して」ノーベル文学賞を受賞しています。
ナチス党に勇敢に立ち向かった文士の数々の著書がありますが、まずは根源のこちらの作品を読んで、彼の芸術性の底の「観念主義」をぜひ体感してください。
では。