こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
サルバドール・プラセンシア『紙の民』。これは奇書と呼んで差し支えないと思われます。メタフィクションは数多の表現で、数多の作品が世に出ていますが、ここまでメタ表現を〈体感〉できる作品はあまりありません。
作中の表現は隅から隅までが〈マジックリアリズム〉です。このマジックリアリズムは、もともとは美術の表現技法でありましたが、1940年ごろよりラテンアメリカで大流行し、そこから文学の一手法として根付きました。ですが当初、この地域でのみ発展していたのは、第二次世界大戦争で文学創作の障壁が大きかったこと、多様性が文化の礎であるラテンアメリカの人種にこの表現方法がマッチしたこと、が理由として考えられます。
この表現は端的にいえば、「幻想的・非日常的なものを、ごく日常的なものであるように表現する」技法です。SFやファンタジーと大きく違うのは、〈世界〉或いは〈舞台〉が「日常」であることです。ファンタジー世界で魔法が繰り広げられても、それはマジックリアリズムではありません。
この表現で最も有名な作品は、ガルシア=マルケス『百年の孤独』です。作中、非現実的なことが「さも当たり前なように」描かれています。絶妙な筆致で、怒涛の「非現実」が自分の現実に溶け込んでくる奇妙な感覚を覚えます。プラセンシアはこの作品を3年間繰り返し読み続け影響され、今作『紙の民』を作り上げました。
内容を要約することは大変困難です。作中でも以下の言葉が出てきます。
要約というテロリズム。
作者と作中登場人物との戦争、このきっかけは作者と登場人物の女性との失恋です。この不思議な世界観でマジックリアリズムを織り込み、物語は進みます。
また、プロットは第一部、第二部、第三部とありますが、第一部は紙の民の個々の生活や模様、第二部で土星(作者)が登場し女性との決別、第三部で戦いが起こりますが、段落や文章の向きまで入り乱れ、相手を余白へ追いやる大戦争で描かれます。
作品冒頭に件の女性への謝辞があったものの、第三部冒頭にはまたタイトルに戻り、その女性への謝辞は消されているなど、奇を衒っているだけではなく緻密に考えられたプロットに好感を抱きます。
個人的に印象的であったのは第24章245ページのベビー・ノストラダムスの土星に強く感銘を受けました。表現方法もさまざまで、文章全てが黒塗りであったり、文字が徐々にフェイドアウトしていたりするなど、読む随所で楽しませてくれます。また、最後の結末は見事でした。
「悲しみに続編は存在しないのである」
この後に紙の民が歩いていく姿が描かれており、本の外へ進んでいく……。
移民文化(作者はメキシコからアメリカへ移住)としても興味深い作品。そして聖的なもの、信仰的なもの、愛憎、性癖、病など、文化により形や価値を変えるものが見事にエッセンスとして盛り込まれており、読み応えに深みを持たせています。
品性の無い表現が多く、メタフィクション、マジックリアリズムに抵抗の無い方は、必ず楽しむことが出来ますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
では。
ちなみにですが、先日書いたゴーゴリ「外套」もマジックリアリズムであるという見方もあるようです。よかったら併せて読んでみてください。