RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ロボット』カレル・チャペック 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

チェコの作家、ジャーナリストとして活躍したカレル・チャペックの『ロボット(R.U.R)』です。激動の時代、激動の国を生き、幅広い文学作品を世に発表しました。

ロボットという言葉はこの戯曲で生まれて世界中に広まった。舞台は人造人間の製造販売を一手にまかなっている工場。人間の労働を肩代わりしていたロボットたちが団結して反乱を起こし、人類抹殺を開始する。機械文明の発達がはたして人間に幸福をもたらすか否かを問うたチャペック(1890ー1938)の予言的作品。

 

1800年代のチェコは、オーストリアハンガリーの属国でごく小さな国でした。使用されていた独自の言語である「チェコ語」も徐々にドイツ語に侵略され、貴族や一般市民など、誰もがこの言語を使わなくなっていました。

チェコという国の存在自体が消え行く中、ボヘミアの炭田を景気にドイツ資本家たちが起こした「産業革命」で工業が発展します。この潤いはチェコの国民の生活だけではなく、芸術性にも変化をもたらします。この時期に生まれたのが、アールヌーボーを代表する画家ミュシャ、『新世界』の作曲家ドヴォルザーク、『変身』の作家カフカなどです。そしてカレル・チャペックも生まれました。

 

1914年、第一次世界大戦争が勃発します。怪我や病気によりチャペックは兵役を免れます。チャペックには兄があり、二人で「チャペック兄弟」として文学の道を歩んでいきます。最初は詩の翻訳を中心に活動していましたが、新聞への寄稿、そこからチャペックは哲学や劇作家の道、兄ヨゼフは画家の道をそれぞれ進みます。

第一次世界大戦争が終結した際、オーストリアハンガリーが敗戦国となり、チェコスロバキアが独立し、今までの支配から逃れることとなりました。しかしながら、第二次世界大戦争へ繋ぐ「ナショナリズムの波」が「独裁者たち」により引き起こされます。これは産業革命により世界有数の工業地域となっていたチェコに、恐ろしい影響を与えます。戦争にまつわる兵器、おぞましい毒ガスなど、「人が人を殺す」工業に発展させられます。産業革命が起こった当時、誰もが抱いた「科学の幸福」は不幸な発展へと向かったのです。

チャペックは『ロボット(R.U.R)』で多くのことを読者に問うています。

 

「人間と労働」に関して

ロボットの語源である「robota(賦役)」どおり、ロボットに労働をさせるという考え方が正しいのかどうか。人が楽になることは、人を怠惰にすることです。これを進歩と言えるのでしょうか。労働は不幸なのでしょうか。労働により得られる「幸福」は存在する筈です。進歩の方向性を、利益や自己満足で決めるべきではありません。世界の自然を破壊するのではなく、守る進歩を。懐ではなく心が豊かになる進歩を。怠惰ではなく、相乗効果で双方が豊かになる進歩を。人間の労働に「価値」を存在させることが重要であると考えます。

私は科学を弾劾する!技術を弾劾する!ドミンを!自分を!自分たち全員を!われわれ、われわれに罪がある。自分たちの誇大妄想のために、誰かの利益のために、進歩のために、いったいどんな偉大なことのためにわれわれは人類を亡ぼしたのであろうか!さあ、その偉大さのために破滅するがよい!人間の骨でできたこんなにも巨大な墳墓はいかなるジンギスカンといえどもたててやしない!

 

「生命の倫理」に関して

クローン等の遺伝子操作研究にも言えることですが、「人間に似たもの、或いは人間そのもの」を創造することは正しい行いなのでしょうか。神が人間を創造し、神の意思に従い、「自然に繁殖」を続けることが正しいのではないでしょうか。チャペックがキリスト教徒であったことも関係しますが、「生命」の冒涜ではないかと問うています。
また、「生命」と「魂」についても考えさせられます。

われわれは機械でした、先生、でも恐怖と痛みから別なものになったのですーー魂になったのです。

これはロボットの言葉です。「恐怖」と「痛み」が、「魂」を作り上げるのです。魂が宿り、意思があり、肉体があれば「生命」と言えるのでしょうか。つまり、人間が「不自然に創造」していることに他ならないのです。

 

「生命」と「魂」、これらを「肉体」と「心」と言い換えることができないでしょうか。ヴィリエ・ド・リラダン未來のイヴ』では「ハダリー」というアンドロイドをエディソンが恩人のために創造します。

私はこのまぼろしの女に於て、「理想」それ自體が、初めて、あなたの感覺にとつて、觸知し得るもの、聽取し得るもの、物質化されたものとして姿を現すやう、是が非でもしてみるつもりです。あの魂を奪ふ蜃気樓のやうな最初の時間を、あなたは追憶の中にむなしく追ひ求めていらつしゃいますが、どんなに遠くまで飛び去つてゐても、私はそれを止めて御覧に入れます。そして、それを殆ど不朽不滅なものとして、よろしうございますか、あなたのかいま見られた唯一の眞の形體の中に固定せしめ、あなたのお望み通りに姿を變へた、あの女の生寫しとも謂ふべき第二の女を作つて差上げます!

肉体と心があれば「愛」が生まれます。人工的に「愛」を生み出すことこそが「神への冒涜」だと考えると、ロボットの創造が罪な行為であるという考えにも得心がいくように感じます。

 

ロボットとの生殖行為は不可能であり、「生殖から切り離されそれ自体の快楽を追求する」行為となるならば、七つの大罪「色欲」に該当します。そして人間が労働を放棄する行為は「怠惰」に該当します。クローンであればどうか、これはローマ教皇が定めた「新しい七つの大罪」の「遺伝子改造」「人体実験」に該当します。

チャペックは作品内で、産業の発展は「進歩の方向性」が重要であると説いています。人間の「罪に値する欲望」を原動力とした研究や進歩は「不幸」を招くと危惧していたのではないでしょうか。
しかし、世に出した「ロボット」という言葉は図らずも独り歩きし、金属製人型ロボットを空想させていきます。これに嘆き、チャペックは以下のように述べます。

歯車、光電池、その他諸々の怪しげな機械の部品を体内に詰め込んだブリキ人形を、世界に送り出すつもりは作者にはなかった。

ロボットのヘレナも、ハダリーも「罪のない愛」を持っています。創造する側に罪があるならば、罪を犯さなければよいだけのことです。「人間と人間の自然な愛」をより安泰にする技術の進歩を望むばかりです。

 

舞台が固定で非常に読みやすい戯曲です。未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

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