RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ギルガメシュ叙事詩』(古代オリエント文学作品) 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

初期楔形文字で記されたシュメールの断片的な神話に登場する実在の王ギルガメシュの波乱万丈の物語。分身エンキドゥとの友情、杉の森の怪物フンババ退治、永遠の生命をめぐる冒険、大洪水などのエピソードを含み持ち、他の神話との関係も論じられている最古の世界文学。本叙事詩はシュメールの断片的な物語をアッカド語で編集しアッシリア語で記されたニネベ語版のうち現存する2000行により知られている。文庫化に伴い「イシュタルの冥界下り」等を併録。

 

西アジアからエジプト、東地中海岸からインダス川周辺で、紀元前7000年ごろから農耕や牧畜を主に古代オリエントの文明が栄えました。紀元前4000年にはメソポタミアと呼ばれるティグリス・ユーフラテス川周辺で、シュメール人によって灌漑農業を元にした都市国家が構築され、青銅器文明を起こし、楔形文字が生み出されました。最も栄えたとされるユーフラテス川下流に位置した都市ウルク(現ワルカ)では、当時の文明を裏付ける多くの遺産が出土しています。他にも、ウル、ラガシュなど幾つかの都市が栄え、多神教の信仰や思想が生まれます。これらのシュメール国家をアッカド王国が領域支配を始め、メソポタミアの統一を行いました。本作『ギルガメシュ叙事詩』は、紀元前約1300年頃に残された世界最古の文学作品の一つに挙げられます。


この物語は合計約3,000行からなり、11の書板で綴られています。神と人間が交わりを持つ時代、実在したウルク王国五代目の王ギルガメシュの生き様が神話的に描かれます。ギルガメシュウルクに住む小女神ニンスンを母に持つ、三分の二は神、三分の一は人間の半神半人で、ウルク都城を統べる暴君であり強固な英雄として民衆に畏怖の念を与えていました。なかでも色欲が激しく、民衆の若い娘はみな、ギルガメシュへ身を捧げなければなりませんでした。最愛の娘、妻、母などの貞操を奪われた民衆は、この横暴で残虐な行為を神々へ訴えます。これを受けて、大地の女神アルルはエンキドゥというギルガメシュに並ぶ強靭な人物を創造して対抗させようと試みます。野生の保護神としての属性を持つエンキドゥは、身に衣服を纏わず、毛髪は伸ばしたまま、野の動物たちとともに過ごしました。

ギルガメシュは、エンキドゥが己のもとへやってくる夢を見ます。それを促すため、聖化された娼婦をエンキドゥの元へ誘惑するように送り出しました。出会った娼婦に衣服の着付け、食事や酒の嗜み、肉欲の果てを教わったエンキドゥはギルガメシュの元へ訪れます。対峙した二人は激しい決闘の末、互いを認め合って強い友情が芽生えました。

武業を打ち立てたいとするギルガメシュの望みを叶えるため、魔が潜むと言われる「杉の森」を制覇しようと語ります。森を縄張りとする怪神フンババの存在を告げるエンキドゥを笑い飛ばすと、ギルガメシュは彼を諭してともに征伐へと乗り出しました。この森は、生に限りある者(人間)の立ち入りを禁じられていた土地でした。ですが、屈強な二人は困難な道程をものともせず突き進み、フンババの元へと到達します。太陽神シャマシュの力を借り、ギルガメシュとエンキドゥはフンババを打ち倒しました。

英雄としての強さ、風貌、そして武業に惚れた愛の女神イシュタルは帰国したギルガメシュへ愛を告げます。しかし、その求愛をギルガメシュが突き放したことで、イシュタルは激昂しました。父である天の神アヌに頼み、ウルク都城を襲うため「天の牛」を送り込ませます。大勢の兵士や民衆が生命を落としましたが、天の裁きとも言えるこれらをも、二人の英雄は打ち破り、勝利を手にしました。

怪神フンババと天の牛を殺害したことにより、天の神々は憤慨し、天罰を与えます。神々は、エンキドゥに夢の中で死の宣告を言い渡しました。その呪いはすぐさま効果を示し、悲しむギルガメシュの傍でエンキドゥは息絶えます。

ギルガメシュは民衆を脅かす暴君から、エンキドゥとの友情で武業を打ち立てる英雄となりました。そしてエンキドゥの死によって「不死」を求めるようになります。望みの変化したギルガメシュは、不死を得た者として知られる聖王ウトナピシュティム(生命を見た者)に会いに行きます。しかしそこで知らされる事実は、過去の大洪水による被害からの救出と建国譚であり、不死を手にすることはできないという話でした。ですが、代わりに永遠の若さを保つ海底の植物の存在を告げられると、ウトナピシュティムとともに気を取り直して採取へと向かいます。苦心の末、ようやく手に入れた帰路での水浴びの最中、フンババと天の牛を殺害されて憤慨する神々が天罰を下します。その植物を神々が仕向けた蛇が飲み込んでしまい、ギルガメシュは永遠の若さを手に入れることはできませんでした。悲嘆に暮れたギルガメシュはウトナピシュティムとともにウルク都城へと戻り、王の勤めへと戻ります。そこには一つの大きな心境の変化がありました。


登場する「聖化された娼婦」とは、当時の文明における信仰に携わる位置付けの女性でした。男性の野生性を女性の性的な接触で抑え込み、文明世界の維持に貢献できると考えられていました。古代メソポタミア人は、性行為が神秘的かつ物理的に、人々を生命の源である女神と結びつけると信じていたからです。この「聖化された娼婦」をギルガメシュがエンキドゥへ派遣したことは、エンキドゥが文明を理解することで内なる人間性を表すことになるとギルガメシュが考えたからと読み取ることができます。つまり文明を支配するウルクの王ギルガメシュは、エンキドゥを自分の領域に引き込もうと画策したゆえの行為と判断できます。


ギルガメシュやエンキドゥが見る近未来の予言的な夢は、当時の信仰に基づいた神託占いの存在と、その強い信用性が感じられます。神々は人間からの接触は拒みませんが、仇をなすものには容赦なく「天罰」を与えます。主題の「不死」にも通ずる「生に限りある者」という人間の呼び名は、作中を常に神との明確な隔たりを見せ、ギルガメシュの中にある半分以上の神としての存在が、彼の体内を蟠りとなって迸っています。最後に出会い、行動をともにする聖王ウトナピシュティム(生命を見た者)はギルガメシュと対比的な存在として描かれています。部分的に神であるギルガメシュの「限りある生」と、人間でありながら「不死」という神的な力を手にしたウトナピシュティム。ギルガメシュの望みは衰えず情熱的に、ウトナピシュティムへ訴えます。


ウトナピシュティムは過去の「大洪水」の話をします。神々は人間を滅ぼすために洪水を起こしました。しかし、アヌの子である水の男神エアが適切な船の作り方を教えます。ウトナピシュティムはこのエアの言葉を聞き、すべての生命を救いました。洪水は六日七晩にわたって地上に起こりました。ここでの生命の救出を見た神々が、ウトナピシュティムに「不死」を与えたのでした。

この大洪水は、聖書「ノアの方舟」にも繋がります。しかし、神が契約者であり、人間にとって愛情深い親でもあるというユダヤキリスト教の性質とは著しく異なります。この契約は、人々の善行によって、もしくは道徳性によって天より恵みが与えられます。ですが、古代オリエントにおいては共存にあり、神に対する反逆は「天罰」として与えられます。ギルガメシュは神々を憤慨させたことで、天の恵みを受けられる状態ではありませんでした。


ギルガメシュウルク都城へ戻ったとき、彼には「永遠の若さ」は備わっていませんでした。しかし、ウトナピシュティムの話によって、彼には一つの理解が芽生えていました。自分は永遠に生きることはできないが、人類は生き続けることができる。彼が暴君として跋扈していたウルク都城は、人類と文明を維持する偉大な存在であると認めることができました。そして、文明の永続性こそが、「限りある生」の者が欲する「不死」に最も近しいものとして受け止め、ウルクの王としてギルガメシュは人間を統べることを決意します。ギルガメッシュが「不死」の探求から得たものは、死の否定ではなく、人生の謳歌であったと言えます。

ギルガメシュよ、
あなたはどこまでさまよい行くのです
あなたの求める生命は見つかることがないでしょう
神々が人間を創られたとき
人間には死を割りふられたのです
生命は自分たちの手のうちに留めおいて
ギルガメシュよ、
あなたはあなたの腹を満たしなさい
昼も夜もあなたは楽しむがよい
日ごとに饗宴を開きなさい
あなたの衣服をきれいになさい
あなたの頭を洗い、水を浴びなさい
あなたの手につかまる子供たちをかわいがり
あなたの胸に抱かれた妻を喜ばせなさい
それが〔人間の〕なすべきことだからです


本作の主題である「不死の探究」、或いは「免れられぬ死」は、全篇を通して実にペシミスティック(悲観的、厭世的)に描かれています。古代オリエントにこれほどの文芸性が存在していたことに驚かされます。単調な英雄譚ではなく、寓話的な幻想譚でもありません。ギルガメシュという人物を軸に感情の揺れ、当惑、悲嘆、野心を緻密に描き、一つの結末へ美しく導きます。


本作『ギルガメシュ叙事詩』の本文は欠損も多く、想像で補完する場面が多く存在します。しかし、それでも充分に伝わる文芸性と文明の発展は、現代の我々からすれば脅威的なものと感じさせられます。非常に興味深く読み進めることができる本作。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

 

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