RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『チャリング・クロス街84番地』ヘレーン・ハンフ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

ニューヨークに住む本好きの女性がロンドンのチャリング・クロス街84番地にある古書店マーク社にあてた一通の手紙からはじまった二十年にわたる心暖まる交流。ここで紹介される〝本好き〟の書物を愛する心、書物を読む愉しみ、待望の書物を手にする喜び、書物への限りない愛情は、「手紙」の世界をこえて、読む者を魅惑の物語のなかに誘いこむ。

第二次世界大戦争により硬く結ばれた英国とアメリカの関係性は「特別な関係」と言われます。共通言語、血族の起源、軍事協力、貿易交渉、文化交流など、他国と一線を置く緊密な関係を継続しています。この雄々しい外交的側面からは見えづらい各国民が支える経済状況は印象と異なる部分が多くありました。


戦後ロンドンの経済状況は、食糧難に陥るほど落ち込んでいました。当時のイギリス経済政策で印象的なものは、「揺りかごから墓場まで」といわれる福祉政策であると言えます。

この政策基礎に置かれたものは1942年に発表された「ベヴァリッジ報告」です。概要は、「五つの悪」(窮乏、疾病、無知、不潔、怠惰)に対抗するため、イギリス国民全員に最低限の生活水準を保障すること、そしてその財源を労働者と雇用者が保険料によって負担するというものです。

しかし側面では、産業国有化政策が進められていました。国の主要となる大きな利益を生む産業の優良企業を全て国有化し、国益の維持を図ろうとします。ところが、国営企業同士では資本主義的競争は行われず、設備の進歩も見込めず、貿易業が赤字へ転落してしまいました。ポンドの価値は見る影も無く、国民の大きな税負担と相まって所得は非常に少ないものとなってしまいました。また労働組合の激しい気質が原因となりストが横行。資本家は国内には投資せず海外へ目を向け、国内資本は消え去りました。

こうして当時のイギリス経済は「イギリス病」「老大国」と揶揄され、1970年代に行われる「サッチャー革命」まで、この苦しい貧困経済の時代は続きました。


一方、第二次世界大戦争後の約二十年間で米国は爆発的な経済成長を遂げます。世界中で最も豊かな国として見られ、国内では中流階級と自認する国民が増加しました。国土を戦場とすることが少なかったことが国民へ与える凄惨な印象を弱めたことも原因です。

この成長のきっかけは、戦争特需とも言える大規模な公共支出が経済に影響したことです。そして成長を維持させた原因の一つが復員軍人向け低金利住宅ローンが住宅ブームを起こし、建設に連なる家具、水回り、鉄鋼などの産業が湧き上がります。また、国民の所得が潤うことで自動車生産台数は伸張し、大きな利益をこの産業にも与えました。

アメリカの産業変化は国民全体の生活を変化させ、工場労働者や農作業者が減り、サービスを提供する「ホワイトカラー」労働者が増えました。この環境下では当然のことながら、労働組合の活動はおとなしいものとなり、国民所得による階級差は薄れ始めました。


当時のアメリカに住むヘレーン・ハンフは、台本校正の仕事の傍ら、自身で執筆して文筆家を目指していました。砂壁が剥がれ落ち、中古のソファにくつろぎ読書するという、まさに下積み生活の中に居ました。参考資料としてだけではなく、愛する書物を手元に置きたいという想いと裏腹に、広大なアメリカでは彼女の求めるような優れた古書店は近くに無く、悩みと不満を抱えていました。そんな中のある日、新聞広告で英国の絶版専門古書店を見つけます。求めてやまない愛する書物を手にできるかもしれない、そんな思いで注文書とともに一筆を添えて送付しました。

私は貧乏作家で、古本好きなのですが、ほしい書物を当地で求めようといたしますと、非常に高価な稀覯本か、あるいは学生さんたちの書込みのある、バーンズ・アンド・ノーブル社版の手あかにまみれた古本しか手にはいらないのです。

書籍リストを同封し、条件を「一冊につき五ドルを越えないもの」で「よごれていない古書」としました。


それに対してマークス社の顧客窓口フランク・ドエルは丁寧な返事と注文の本を幾冊か送ります。ここからやり取りが始まり、実際に交わされた手紙が往復書簡形式で綴られます。

ヘレーンのアメリカン・ユーモアと嫌味を含んだ冗談で溢れた手紙に、フランクの慇懃で愉快な皮肉を混じえた手紙が返され、徐々に互いの壁を崩していきます。そして書物に関して大変に博識な二人の文通は、版の違い、訳者の違い、言語の違い、出版社の違いなどの溢れ出る知識が、やがて名作文学案内の様相を呈し始めます。


彼女の書物に対する愛は大変強く、時に強い表現で記されます。

毎年春になると書棚の大そうじをし、着なくなった洋服を捨てちゃうように、二度とふたたび読むことのない本は捨ててしまうことにしています。みんなこれにはあきれていますが、本に関しては友人たちのほうが変なのです。彼らはベストセラーというと全部読んでみますし、しかもできるだけ早く読み通してしまうのです。ずいぶん飛ばし読みをしているのだと思います。そしてどの本もけっして読み返すということがないので、一年もたてばひと言だって覚えていません。それなのに、友人たちはわたしが紙くずかごに本を捨てたり、人にあげたりするのを見ると、あきれかえります。それを見守る彼らの目付きときたら、本というものは買って、読んだら、書棚にしまって、生涯二度とひもとかなくていいの、でも、捨てたりなんかしちゃだめよ!まして、ペーパー・バックでない本はだめ!と言ってるようなの。なぜいけないのかしら。世の中に、悪書や二流の書物ほど軽蔑すべきものはないというのがわたしの意見です。

また、訳者の江藤淳さんはこのように述べています。

ここにはまたヘレーンの現代文学や新刊書への嫌悪が根強く暗示されていて、私は共感をそそられる。つまり、新しく、単に消費されるためにのみ存在してうたかたのように消えて行く書物や仕事に対する、絶望と嫌悪である。


彼女は「イギリス文学のイギリス」に憧れる英国崇拝家(アングロファイル)です。ジェーン・オースティンの著作を特別視する辺りからも親英家である事を窺うことができます。

友人から前述のような英国の経済状況を伝えられ、驚き、少しでも力になろうと「新たな友人たち」へできる限りの支援(主に食糧)を施します。アメリカドルが強い時期とは言え、彼女自身がさほど豊かではない経済状況を踏まえると、その真心の強さは一層強く伝わります。


ヘレーンの執筆努力は実を結び始め、台本校正の仕事から脚本家へと日の目を見始めます。彼女は豊かになるにつれ、淡く抱いていた「新たな友人たちの元へ訪れる」という夢が色濃くなり、具体的に計画を立てていきます。その旨を伝える手紙は大変に歓迎され、読者の心をも昂らせます。しかし、時期が、巡り合わせが、仕事が、距離が、何度も夢の視界を遮ってしまいます。

そして、この二十年に渡る往復書簡は「フランクの死」によって突然に終わりを告げます。遠く離れた心のみを通わせた親友は出会うことなく天へと旅立っていきました。


1970年、アメリカで出版された本作は爆発的な成功を収め、英国でも出版されます。勢いは止まらずにドラマ化、ブロードウェイ、そして映画化されます。この大成功を引っ提げ、ヘレーンはついに英国チャリング・クロス街へと赴きます。街の全ての書店は示し合わせ、ショーウィンドウに『チャリング・クロス街84番地』を掲げ、彼女の訪問を歓迎しました。


顔の見えない顧客の注文書と添えられた手紙に真摯に向き合い、心を込めて誠実に接したからこその美しい繋がりは特殊な価値を持った変え難い財産となったと受け取ることができます。

同じ英語圏ながら育った国や環境による気質の違いがある交流は、英米ならではであると羨ましくすら思います。

 

It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say

紳士は笑って無知を受け流すんだ
誰が何と言っても、自分らしくいよう

Sting「Englishman In New York」


フランクの慇懃で穏健な態度には、顧客に対する姿勢だけでなく、本質的に心に根付いていた紳士の心が感じられます。

また、受け取ったヘレーンも英国らしさを彼から常に感じていたからこそ、フランクの死後に彼が届けてくれた書物に囲まれ、「イギリス文学はここにある」と言えたのだと考えられます。

 

読書が好きな方にはぜひ読んでいただきたいこの作品。
未読の方はぜひ。

では。

 

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