RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『エッフェル塔の潜水夫』ピエール=アンリ・カミ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

セーヌの川底からお化け潜水夫に水死体が運び去られた。それを目撃したヴァランタン・ムーフラールも水死体となって、所もあろうにエッフェル塔の上に現われ、おまけに幽霊船『飛び行くオランダ人』号船長の契約書までも添えてあった。血の気の多いパリっ子を巻き込んで次々おこる怪事件、登場する怪人物、深まる謎……。エッフェル塔の構造の秘密という奇抜な着想から繰り出される奇想天外な物語。

 


ピエール=アンリ・カミ(1884-1958)はスペインとの国境に程近い南フランスのポーにてブルジョワ階級に生まれました。闘牛士を夢見ていましたが弱視のために家族に反対され、それならばと本来愛していた詩を書くために詩人を志します。すでに名を馳せていた偉大な詩人フレデリックミストラル、フランソワ・コペーの両人に自身の試作を送り意見を乞いました。カミ自身が後年振り返ると「不出来な詩」を受けると、二人とも懇切丁寧な手紙を送り返してくれます。しかしながら、詩人では食べていくことは困難であるということから、俳優になる決心をして家族を説得し、1903年にパリの国立技芸院(Conservatoire)へ入りました。コメディ俳優としても一定の成功を収めていましたが、その傍ら執筆をして短篇を雑誌に送ると、見事に受け入れられて誌面に掲載されます。これを切っ掛けとしてユーモア作家として開花し、1914年から絶大な人気を博しました。


一躍、時の人として世間に受け入れられたカミは、創作活動の最中に運命的な作品に出会います。それは、近年フランスへ流入してきたチャールズ・チャップリンの短篇映画でした。熱狂的にのめり込んだカミは、居ても立っても居られないとばかりに自身の名刺にイラストを添えて、自分の感動を伝えるために書簡をチャップリンに送付します。互いにフランス語と英語と言う垣根に苦心しながらも、なんとか思いを伝え合おうと文通を続けます。そしてチャップリンもカミの持つユーモア的才能に感銘を受け、カミの作品を愛し、カミを敬愛するに至ります。この互いに崇拝し合うユーモリストは、1921年についに出会いを果たします。二人で食事中に語らうなかでは、涙さえも見られたと言います。


1923年にユーモア・アカデミー(Académie de l'Humour Français)がフランス作家たちによって設立されました。劇作家で初代筆頭のジョルジュ・ドコワ、芸術批評に長けたアンドレ・ワルノーに並び、カミもこの設立者の一人です。また、会員には芸術のデパートと言われるジャン・コクトー、実験的な作家として有名なレイモン・クノーなどが挙げられます。

彼らが追求した「ユーモア」とは、不完全な人間を肯定的に受け入れる態度を必要とするものです。人間が持つおかしみを、愛情を持った細かな観察から作品へ描写します。これに反して「諷刺」には批判する心が根底にあり、対象への愛は存在しません。社会に対する辛辣な批評を皮肉の表現で作品へ描写します。このユーモアの追求は、人間同士の意思疎通にも関わり、他者を貶めるような印象を与えるものではなく、互いに愉快に感じられる描写を生み出す才能が必要です。対象的に、諷刺は社会観察を中心としてそこで利己主義に走る権力者、または権力者優位社会を被害的観点から一石を投じようとする批判の実行が描写に含まれます。このように相反する二つの要素、「ユーモア」と「諷刺」をカミは圧倒的な才能を持って一つの作品へ併せて込めて、破綻なく創り上げることを成し遂げています。この才能は彼の筆致から感じ取ることができる「軽妙さ」にあります。溺死体、幽霊船、海賊、時化、重く伸し掛かる印象を持った要素を幾つも詰め込んでいながら、本作『エッフェル塔の潜水夫』は小気味良い語り口と、流れるような速い展開に、少し惚けたような台詞が合わさり、読後感を軽妙にしてくれます。


当初カミが執筆したものは世間に大衆文芸として短篇作品が大いに受け入れられましたが、作風はナンセンスユーモアから徐々に緻密さと社会諷刺が含められて文芸色の強いものとなっていきました。彼の持つ際限のない空想力と細やかに配慮された均衡の取れた構成は、前述の「軽妙さ」が見事に不和の感情を打ち消して心良い読後感と強い意志を突き付けます。合理主義的とも言える幾多の要素の紡ぎ合わせは、破綻なく綴り上げる強靭な手腕が成し得ています。

1929年に出版された本作は、長篇でありながら随所にユーモアを、要所に風刺を込めて、ミステリーの形式で楽しませてくれます。地上三百メートルに達するエッフェル塔と、深海に潜む恐るべき幽霊船が、両極端から徐々に距離を縮めて一つに重なる様は見事としか言いようがありません。また、当時のアメリカの資本主義的経済成長とその瓦解も見事に物語のエッセンスとなり、皮肉的結末をエピローグに添えています。

「やがて新しい法律ができたら、君は自由に国籍を選ぶことができるのだ。それでもやっぱりアメリカ人でいたいかね?」
「あたしフランスの女になりたいわ」と新妻は、誇らしげに答えた。
やがてふり向くと、彼女は愛情をこめた青いまなざしで、パリの市街をあちらこちら眺め渡した。夕闇せまるパリーーそこにはフランス国民の信仰、天才、武勲を象徴するかずかずの記念物がハッキリ見分けられた。ノートル・ダーム・ド・パリ、モンマルトルのサクレ・クール、ヴィクトル・ユゴーの憩うパンテオン、ナポレオンの眠るオテル・デザンヴァリード、最後に凱旋門。その下の無名戦士の墓の上には回想の炎がゆらめいている。

謎を解くことよりも、要素の紡ぎ方と謎の解かれ方に身を委ねさせられる感覚の方が「おかしみ」をより強調して、物語を楽しむことができます。

 

読者はこの小説を読みながら、フランスのシャンソンを連想それなかっただろうか。シャンソンのあの風味をもし文学化するとしたら、カミの小説、とりわけ、この「エッフェル塔」は《シャンソン文学》だといってもいいかも知れない。

吉村正一郎「あとがき」

ルーツが吟遊詩人の詩にあり、フランスの世俗的な歌詞を妖艶な明暗を明確に力強く歌い上げるシャンソン。身を委ねるように美しい楽曲を聴くのと同じく、本作もカミの手腕に身を委ねながら読むことが、より一層の「ユーモア」を堪能できるのだと思います。非常に読みやすく、三島由紀夫も愛読したという『エッフェル塔の潜水夫』、未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

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