こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

1924年、ボリシェヴィキを主権へと導いたレーニンが死去し、ソ連共産党は二極化されました。これは、世界革命論(全世界的な共産主義革命)を掲げるレフ・トロツキーと、一国社会主義論(ソ連における社会主義国家の建設)を提唱するヨシフ・スターリンによる主権争いで、同党内において激しい内部対立が勃発します。ソ連共産党としての政策も定まらぬほどに意見が分かれ、両派は互いを屈服させようと躍起になって争いました。この争いは党員間の策略が交錯し、貶め合おうとする論争が頻繁に行われました。スターリンはこの状況を鑑みて、党内人事を熱心に行い、発言力の高い党員を次々と飲み込んでいきます。とくに、トロツキーに対して発言力のある古参党員のレーニン派たちを優遇して党内に配置していきます。グリゴリー・ジノヴィエフ、ニコライ・ブハーリンといった、党内で発言権を持つ彼らと協力し(利用し)、ついにトロツキー派を排除するに至ります。ここから、スターリンの独裁体制への道が開かれていきます。このようなレーニン讃歌の古参ボリシェヴィキたちを、スターリンは「用済み」と判断します。発言権が強く、スターリンの政策にも意を唱えかねない人々は、彼にとっては寧ろ危険因子でした。そして今度は、彼らのような古参ボリシェヴィキたちを、次々とあらぬ疑いを掛けて排斥していきます。このような独裁体制のための排斥(スターリン曰く「党の浄化」)は、大物から地方の小規模組織の責任者まで幅広く行われ、のちに「大粛清」と呼ばれるようになりました。こうしてスターリンは、党の主要な役職をすべてスターリン派で据え、独裁体制スターリン政権を確立させました。
スターリンの掲げる一国社会主義論は、我々が想像する以上に国民に支持されていました。まず、このような粛清と同時期にニューヨーク株式市場の大暴落「暗黒の木曜日」から派生した世界恐慌は、ソ連の国民を「資本主義は危険である」という認識を与えます。そして、貧困による飢餓(スターリンが仕掛けた罠)によって、国民は、社会主義論こそが魅力的に感じられていきました。つまり、全世界を恐怖に陥れた世界恐慌は、スターリンにとっては追い風となって国民の支持を得る契機になったと言えます。彼が推し進める「都市の工業化」と「農村の集団化」は、抗う党員を粛清し、批判的な意見を持つ人々はシベリアへの強制労働を与え、急速な政策として進められました。この頃から、スターリンは国民に対しても「独裁性」を認めさせるようになり、国民によるスターリンへの個人崇拝を強めさせるような政策を取っていきます。そして、1936年にはスターリン憲法を制定し、彼は名実ともに「一国独裁的な」一国社会主義国家を建設させることになり、スターリン支配が成立しました。
本作『真昼の暗黒』は、古参ボリシェヴィキ排斥のために仕掛けられた「モスクワ裁判」を取り上げています。あらぬ嫌疑を掛けられた革命家たちは、その裁判で別人かと見紛うほどに「理不尽な罪状」を異論もなく認めていきます。特に著者が主人公のモデルとして認めているブハーリンにおいては、レーニンにも可愛がられたほどの思考と理論を持ち合わせていながら、次々と非人道的な「あらぬ罪」を認めていきました。聴衆がどよめくほどの異様な展開に、「一体、党内部で何が行われていたのか」という疑問を、多くの人々が抱きました。この「不可思議な自白」の内実と心理を解き明かそうとする試みが、著者アーサー・ケストラー(1905-1983)が本作で掲げた主題です。
ブハーリンは大粛清の対象となると、党中央委員会より喚問され、捏造された裏切りの悪行が詰まった詳細な資料を提示されました。元々、ブハーリン自身が党中央委員の候補であっただけに、粛清の唐突さは目に見えるようです。その後に逮捕されると、作中のルバショフ同様にブハーリンは執筆を行い、四作もの「党指導に関する著作」を残しています。そして裁判に向けての審問において「(捏造された)罪を自白すれば、ブハーリンと妻子の命は助かる」という取引を持ち掛けられ、ブハーリンはこれを受け入れました。しかしながらこのような約束は守られることがなく、モスクワ裁判での自白後、ブハーリンは売国の罪で銃殺刑に処されました。
私は一度たりとも裏切り者になったことはないし、レーニンの生命を救うためなら、逡巡することなく自分の生命を差し出したであろう。私はキーロフを愛し、スターリンに対して何一つ企てたことはない。党の指導者の新しい、若い、誠実な世代にお願いする。党中央委員会総会で私の手紙を読み上げ、私を無罪と認め、復党させていただきたい。同志たちよ、諸君が共産主義へ向かう勝利の行進においてかかげる赤旗には、私の血の一滴も含まれていることを知っていただきたい。
アンナ・ラーリナ『夫ブハーリンの想い出』
ケストラーはドイツを中心にジャーナリストとして活動していましたが、共産主義革命の余波に当てられ、自らもスパイ嫌疑を掛けられて投獄されるなど、厳しい経験を積んでいました。こうした「社会主義者の活動」は、作中で主人公ルバショフの過去の回想場面にて反映され、生々しい会話や「人を守らずに党を守る」という独特の姿勢を強調して細かに描写されています。また、作中でも言及されるフョードル・ドストエフスキーの作品に見られる「政治における倫理」が文中でも観念的に繰り広げられ、本作の主題を解き明かす一助を担っています。この「政治における倫理」は、全体主義社会においては「正が否、否が正」となるもので、指導者の主観こそが正であるという恐ろしい倫理がその体制下では罷り通り、そして誰もがその倫理から逃れることはできません。しかしながら、ルバショフが「党のために」という考えのもとで下した「非人道的な正義」は、指導者の「理不尽な政治倫理」との相違点を見つけ出すことに苦心します。自身が排斥対象となることによって陥る苦心は、ルバショフの持つ政治倫理を揺るがす脅威へと変化していきます。
ルバショフは党内部において外交的な役職を担っており、また、他国の同党員たちへ啓蒙指導を行う立場にありました。さらに、ナチス・ドイツで政治的工作を行うなど、比較的過激な役割を演じており、それに準じた危険な場面にも遭遇しています。そのような経験や記憶から、ルバショフが官憲に逮捕されるとき、過去にドイツで逮捕された記憶が蘇り、寝台の上に掲げられた肖像画が「どちらの独裁者か」(スターリンとヒトラー)と、混乱するような描写が見られます。この「二つの独裁体制」は、本質的には同質のものであり、全体主義国家のもつ共通の危険性を提示していると言えます。
三回の審問は間を空けて行われ、ルバショフはその度に思索に耽ります。自分が粛清対象となったことは理解していながらも、精神的な屈服には至っていません。彼は自身の党員としての有用性、経歴、発言力など、弁論で如何に主張すべきかを、理論的に掘り下げて思考します。ルバショフは、凄惨な肉体的拷問を与えられません。しかし、与えられる選択肢は「精神的に屈服する」という唯ひとつのものしか存在しません。この全体主義の「指導者の主観」を尊重した方向の定まった選択肢は、ルバショフ自身が他国の同志を「裁いてきた」行為と重なるものでした。党を守るための犠牲という判断を行ってきた彼は、まさに自分が同じ行為を受けていると理解し、何度も自分を納得させてきた「目的は手段を正当化させる」という恐怖を、自分自身で感じさせられていることを痛感します。いわば、革命が齎したものは、権力を指導者へと集中させ、社会を独裁体制へと導き、多くの同胞を破滅へと導いただけなのだと理解できます。そして、このような政治原則は現代でも変わらず通用し、「目的を手段として正当化」させる政治組織は、党員の堕落と社会の墜落を齎しています。実質的な全体主義社会は、現在でも要素として多く存在しています。
話全体がグロテスクな茶番だ、とルバショフは思った。根底で「革命哲学」を使ったこの詐欺は、所詮、独裁体制を固めるための手段にすぎず、気の重くなるような現象ではあったが、歴史の必然性を示すものであった。茶番を真面目に受け取り、舞台上で起こったことしか見ず、舞台裏の仕掛けを見なかったイサコヴィッチには不運だった。以前は、革命の諸政策は会議で決められたものだが、今では舞台裏で決められてしまう。これもまた、大衆の相対的成熟の法則の論理的帰結である……。
パリへと亡命したケストラーは、1940年に本作を書き上げました。二人の独裁者から逃れるようにしながら、危険を顧みずに世に出した本作は、共産党が介入しながらもフランスで大々的に受け入れられました。ケストラー生誕100年を迎え、各国で彼の著作の新版が多く出来されています。ジョージ・オーウェルが『動物農場』や『一九八四年』などで描いた全体主義の恐怖には、本作の影響が色濃く現れています。
ブハーリンや同時的に粛清被害にあったジノヴィエフ、レフ・カーメネフなどは、1988年のミハイル・ゴルバチョフによる「ペレストロイカ」によって「名誉回復」が成されました。しかし、彼らが革命を起こそうと目指した社会はいまだ訪れていません。
ディストピア小説として有名な作品ですが、史実に大きく基づいた作品であり、実際に行われた「全体主義の恐怖」が描かれた作品です。アーサー・ケストラー『真昼の暗黒』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。