こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

十八世紀後半のイギリスでは産業革命が国全体の特色となり、営利追求の姿勢が民衆に根付いたことで代々続く各家庭の階級にも大きく変化を見せるようになりました。土地の有無が重要であった当時の階級社会では、地主貴族が最も権力と資産を有しており、確固たる地位を示していました。また、それに次ぐジェントリー階級は、軍人、聖職者、弁護士などが挙げられ、国からの恩恵を受けながら貴族社会に参加していました。どれほどの財力を持ってしても土地を持っていない商人は、これらの貴族層からは見下されていましたが、産業革命によって国全体が営利追求姿勢を持ったことから、貴族との関係性も徐々に緩和されて互いの交友が密となっていきます。貴族やジェントリーでない民衆はこのような営利追求による「立場の脱却」を目指し、産業革命の波に乗って一代で財を築こうと躍起になります。こうした考えはそれまでの生活様式を変え、各家庭での男女の在り方を新しく位置づけていきました。仕事に精を出すあまりに男性は家に居る時間が少なくなり、自然に女性が家庭を守るという家族様式が構築され、世間一般の常識的な認識にまで変化します。このようにして産業革命の恩恵を受けることができる綿工業や商業全般の間口はどんどん広がりましたが、女性が就く職業は殆ど皆無となり、世の認識は女性は家に居る者という考えが定着しました。
地主貴族、ジェントリー階級、そして財を持った商人たちは、新たな貴族社会を過ごすことになりますが、代々続く貴族たちからはそのような「成り上がり者」を快く思う者は少なく、大きな偏見の軋轢を生みました。また、社会に出ることが困難となった女性たちは、自らの力で階級に変化を与えることはできず、脱却するには「より上の層の男性と結婚すること」しか道は無くなりました。当時の女性には結婚相手を選ぶことはできず、申し出を受ければそれに応えるという行為しか示すことはできませんでした。また女性側も、良い夫に恵まれずに独身で歳を重ねる「オールドミス」という立場は世間からも良い目で見られないことから、これを避けようと満足しない相手の結婚申し込みでも、その後の人生を過ごすために必要な財産を目当てに受け入れることを率先して行っていました。情愛の幸福ではなく、生活の維持を目的としていたとも言えます。
また、本作でも言及される「限嗣相続」は当時のイギリス情勢が影響した制度で、当時はフランスとの長く激しい戦いが収まったことでイギリス国民の死亡率が下がり(戦死が激減した)、財産分与による財産の小規模化を防ぐため、男子のみに相続を認めるといったような「限定的な相続方法」が用いられるようになりました。概ね、孫の成人までを縛り付ける相続法でしたが、男子に恵まれなかった家庭は財産保持者が亡くなると「親族の他の男子」に該当財産を相続しなければならないという取り決めでした。
ジェイン・オースティン(1775-1817)による本作『高慢と偏見』は、このような社会に生きる貴族たちの愛憎や偏見を、中心人物たちの恋愛感情を軸に群像として描き出している作品です。
ロングボーンに住むベネット家には五人の姉妹がありました。いずれも年頃で結婚を意識し始めていたころでしたが、そこへ資産家の独身青年ビングリーが近隣に引っ越してくることになり、地主であるベネット家は当然ながら交際を持つことができると喜びます。初めての交際でビングリーは清廉潔白な美しいベネット家の長女ジェインと互いに惹かれ合う関係になっていきます。ビングリーには親友ダーシーがおり、今回も共に旅をしてきました。ベネット家次女のエリザベスは、持ち前の観察眼からダーシーの持つ「高慢さ」を察し、彼に対して好ましくない印象を持ちます。一方で、同時期に近隣のメリトンという街に駐屯する軍の連隊に所属する好青年ウィカムに、偶然に出会ったエリザベスはその感じの良さから好意を抱くようになりました。ウィカムは過去にダーシーに酷い扱いを受けたと告白し、エリザベスのダーシーに対する印象はより一層に嫌悪なものとなっていきます。
賑やかさを見せるロングボーンですが、新たな訪問者が現れます。ベネット家は限嗣相続によって男子にしか財産を贈与できない取り決めにありますが、実際には女子が五人しかいないため、ベネット家の縁戚の男子に財産を与えることになっています。この男子に該当する人物こそ今回の訪問者コリンズ牧師でした。彼はベネット家の女子のひとりを妻として迎えるつもりでした。初めはジェインを求めましたがビングリーと恋仲にあることをベネット夫人より耳打ちされることですぐさま取りやめ、エリザベスを結婚相手に求めました。エリザベスはこの申し出を素気無く断り、コリンズは困惑しながらも傍で慰めてくれた(話を聞いてくれた)彼女の友人シャーロットを気に入り、結婚の申し入れをして結ばれました。このような一件があったのち、突如ビングリーはロンドンへと転居してしまい、ジェインは恋が実らずに悲しみをいだくことになりました。
コリンズとシャーロットの家庭に招待を受けたエリザベスは、その好奇心から喜んで向かいました。そこでコリンズが懇意にしている領主ド・バーグ夫人を紹介されましたが、彼女の甥ダーシーとも、その地で再会することになりました。ダーシーは秘め続けたエリザベスへの想いを伝え、立場などを超えて正式に求婚しましたが、立場や権力を見せつけるようなダーシーの態度に立腹したエリザベスは、ウィカムから聞いた悪評やビングリーを姉と引き離したことを理由に激しく罵ります。それを受けたダーシーは面喰らいつつも気持ちを堪え、激昂することなく引き下がりました。そして翌朝に、ダーシーは自身の弁解と想いを改めて綴った手紙をエリザベスへと手渡し、彼女の意思に委ねました。エリザベスは早速ひとりになって内容を確認すると驚くべき事実が明かされていました。そしてふたりの関係は急速に変化していきます。
前述のように、限嗣相続によって先の見通しが暗いベネット家の五姉妹は、裕福な家庭へと嫁ぐことが唯一とも言える幸せへの道のりでした。このことを誰よりも重要に考えていたのはベネット夫人であり、だからこそ滑稽とも思えるほどに必死に娘を売り込み、蔑まれながらもそれでも熱心に嫁がせようとしていた姿勢からは、切羽詰まった状況を窺わせます。ベネット氏が男子が生まれるだろうと考えていたことは致し方ありませんが、一番下の娘が十六になっているにも関わらず、自分の死後に財産を取り上げられる家庭を省みずに蓄えを残していないという点は、実に無責任であると言えます。また、滑稽なほどに娘を売り込むベネット夫人を嘲笑する様子も、人格者とはとても言えない人間性として描かれています。一方で、コリンズ氏と結ばれる覚悟を決めたシャーロットは、実に社会的立場や家庭における自身の責任を理解していた人物であると言えます。歳も三十を前にしていながら「オールドミス」を回避するだけでなく、十二分な財力を手に入れることができた結果は、彼女の強い覚悟の賜物です。情愛の幸福とは言えませんが、当時の女性が手にでき得る幸福のなかでは、上々のものであると見ることができるでしょう。
作中で見られるような上流階級社会において、婚姻問題だけでなく、女性は世間的な風評に左右される社会に身を投じていました。シャーロットの選択はたしかに経済面での要素が強く見られますが、暮らしの階級が上にある立場の人物から結婚の申し込みを受けたならば、それに応えるのが「常識的判断」であることは考慮が必要です。ド・バーグ夫人がエリザベスに説くように、上流階級に身を置く女性はいかに風評を重視しなければならないのか、そして風評はどれほど生活に影響を及ぼすのかということを、当時の女性たちは理解していました。文中でオースティンは概ねこのような上流社会の風習を揶揄するような表現を見せていますが、ウィカムとリディアが起こした「駆け落ち」に対しては、大きな批判を示しています。リディアは僅か十六歳であったことから親の承諾無くして英国内で婚姻を認められることはありませんでしたが、スコットランドではそれが可能であったため二人は婚前旅行をしながら向かいました。この行為は上流社会の評判として瞬く間に広まり、リディアの破廉恥な行為は醜聞となって地主階級ベネット家そのものの評判を下げることになりました。つまり、ジェインやエリザベスなどの未婚の姉妹たちの婚姻をさらに困難なものとし、ベネット夫妻に対する周囲への評判を地に落とす行為であったと言えます。物語では見事に解決されましたが、評判に対する重要性をオースティンは作中で厳しく示しています。
社会的な階級において、ダーシーは広大な土地と資産を持つ階級の高い人物ですが、ビングリーは作中の説明にもあるように商業的に成り上がった所謂「擬似ジェントリー」です。これに対し、ベネット氏は小規模ではありますが歴とした土地を持つ地主階級であるため、ビングリーよりも高い位置に存在しています。ベネット夫人が滑稽なまでに熱心にビングリーへ言い寄っていた動機は「立場よりも資産」を欲していたためであり、上流階級の慣わしとしては誤ったものと言えます。つまり、ビングリー嬢がベネット家を卑しい家柄と非難することは同義的に誤りとなりますが、これはビングリー嬢が自分の家柄の立場の不確実性による不安からきている虚勢であると考えられます。このような理由を鑑みると、ダーシーがジェインとビングリーの結び付きを否定した真の理由が見えてきます。ダーシーがエリザベスと結ばれるとベネット家は上の階級へ引き上げられますが、擬似ジェントリーのビングリーがジェインと結ばれるとベネット家の属性に引き下げられ、現在のビングリーの「擬似的な高い階級」を失うことに繋がるため、ダーシーは婚姻を否定したのだと読み取ることができます。
ダーシーは幼いころから立場上「持たなければならない誇り」を身に付ける教育を受けていました。そして必要な階級意識、上流階級社会で紳士として振る舞うことができる知恵と思考を宿しています。自身の欲や感情だけに左右されず「適切な判断」を常に求められながら、立場と資産に群がる他の上流階級の人々と接し、近付くために真意を無視した女性の求愛を受け続ける立場でした。彼が持つ「誇り」と「偏見」は身を投じる社会では必需のものであったと言えます。一方でエリザベスはその才気煥発な性格から「自己を重んじる」という性質を持っており、当時の女性のなかでは稀有な自主性を秘めていました。また、独特の情報収集と観察眼によって「自分の解釈を重視する」という考えを持っていました。彼女もやはり「誇り」と「偏見」を持っており、この性質の相違がダーシーとの関係を複雑にさせていきます。
エリザベスとダーシーによる大きな衝突のあと、紳士としての振る舞いを見せて気持ちを抑えたダーシーは、エリザベスへ真実と真意を明かす手紙を渡しました。この衝突から手紙を渡すまでのダーシーは精神に大きく変化を見せ、「人間としての成長」を果たします。このダーシーの変化に、エリザベスはゆっくりと気付いていきます。彼女は自身の持つ偏見がいかに誤ったものかを、その誇りに邪魔されながらもひとつひとつ飲み込んでいきます。そして偏見を飲み込むごとにダーシーの「真の心」を理解するにいたります。ダーシーもやはり自身の偏見から脱却し、本当に愛したいと思うエリザベスのために「自分のでき得るエリザベスのためになること」を規模に際限無く熱心に取り組んでいきます。真相と真意を理解したダーシーとエリザベスは、本当の心を近付けていきます。
兄として、地主として、主人としての彼の保護に、どれだけ多くの人の幸福がかかっていることか、と彼女は思うのだった!どれだけのよろこびや苦痛を、彼は与える力をもっていることか!どれだけの善や悪が、彼によってなされるのだろうか!家政婦が述べた意見はすべて、彼の人格を高くするものだった。彼の姿が描かれ、その目を自分にそそいでいる画布のまえに立ちながら、彼女は、いままでにおぼえなかった深い感謝の気持ちで、彼の自分への思いを考えた。
本作は当時の上流社会を如実に描いていながらも、多くの出来事を時系列的に進めながら、ダーシーとエリザベスの成長を劇的に描いています。非常に読み進めやすい作品ですが、予め当時の社会を理解しておくと、より登場人物の言動から意図が理解できて楽しみが大きくなると思います。ジェイン・オースティン『高慢と偏見』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。