RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『虐殺器官』伊藤計劃 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

9・11以降の、〝テロとの戦い〟は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう……彼の目的とはいったいなにか?大量殺戮を引き起こず〝虐殺の器官〟とは?


1921年に人類学者であり言語学者エドワード・サピアが、「言語は用いる人間の思考に影響する」という言説を発表しました。その後、サピアの下で言語学を研究していたベンジャミン・ウォーフは、この言説をさらに発展させ「言語は用いる人間の世界観の形成に関与する」と効果の範囲を広げ、地域性も踏まえたかたちで、言語の構造が世界の認識に影響を与えることを唱えました。彼らの言説は「サピア=ウォーフの仮説」と呼ばれ、「言語は人間に対して認識や経験を規定し、人間の思考は言語によって形式を定められる」とする主張として「言語的相対論(linguistic relativity)」と呼ばれています。この主張は「言語が思考を決定づける」という観点も持つことから、人間個人の経験や文化などの影響が考慮されていないといった批判も存在していますが、言語が人間の思考に影響を与えるという考え方は概ね支持されています。


本作、『虐殺器官』は「言語的相対論」をさらに発展させた「虐殺の文法」といったものを存在させています。これは、人間が良心によって抑えている虐殺欲を、地域の言語に「良心をマスキングする文法」を広めることによって、その地の人間たちの虐殺欲を煽り、地域の内紛や虐殺を及ぼすといったものです。


物語は、9.11以降のアメリカを舞台としています。国民はテロを未然に防ぐための「管理社会」を受容しています。個人の行動には数多くの「認証」を求められ、全ては個人IDに紐付けられています。公共機関の利用、飲食店、物品の購買、あらゆる決済など、すべての履歴はIDによって追跡することができます。そして不穏な行動があれば国によって把握され、犯罪を未然に防いでいます。実際にテロは無くなり、国民は「管理」を対価として「安心」を得ています。このような管理社会の発展は先進国に「安心」を与えていますが、発展途上国や貧困国では内戦や紛争が絶え間なく起こっています。そして紛争地域には、謎の人物ジョン・ポールが必ず存在を見せていました。暗殺特殊部隊に所属するクラヴィス・シェパードは、この人物を暗殺する任務を与えられます。内戦や紛争の起こっている地域では、争いの首謀者を排除することで事態を収めることができていましたが、ジョン・ポールは逃走を繰り返し、また別の紛争地域に現れます。前述の「虐殺の文法」を用いているなど想像にも及ばないクラヴィスは、謎を抱いたまま危険な指令に応えていきます。

ラヴィスたちの暗殺特殊部隊は、最新の科学技術を用いて仕事に取り掛かります。衝撃吸収用人工筋肉や超高性能迷彩などの物理的装備もさることながら、「感情調整」というPTSDなどを回避するための精神的ケアをセラピーとして施されます。これは倫理観や道徳観を鈍化させるもので、幼い兵士や非戦闘者に対峙した際に「躊躇することなく」排除するということが目的で、クラヴィスたちが暗殺指令を遂行することは誤りではないと強く自覚できるためのものです。併せて、痛覚も極端に麻痺させられ、痛みを得たことは認識できるものの痛みを感じることはできない、つまり腕を切り落とされても戦い続けることができる戦闘兵として仕上げられます。

そのような特殊装備で向かってもジョン・ポールには逃走されてしまうことから、暗殺特殊部隊は彼と繋がりがあると考えられるルツィア・シュクロウプという女性に、正体を偽って接触する作戦に切り替えるよう指示されます。クラヴィスはルツィアの語学教室へと通うことになり、カフカなどの文学話に花を咲かせながら、徐々に心を近付けていきます。やがてルツィアの行きつけのバーに連れて行かれることになったクラヴィスは、店主ルーシャスが語る「自由」に驚きながらも、その不法的な問題に対して理解を示します。その帰路、クラヴィスは尾行されていることに気付き、物語は急展開していきます。


作中はクラヴィスによる一人称で語られていきますが、感情調整の影響からか、暗殺指令を淡々と遂行していくだけでなく、その心の内も非常に渇いた語り口であり、彼の感情を読み取ることができません。思考を辿る、といったような印象で、喜怒哀楽が見えてこない感じが不気味な世界を表現しているとも言えます。また、感情調整によって倫理観や道徳観の感知が鈍くなっていることから、そのような感情そのものが揺さぶられないのだとも言え、クラヴィスは人間に必要なものが欠落している状態にあると考えられます。


宗教、マスメディア、指導者、政治家、紛争地域によって最も発言の影響力を持つ人は変わります。ジョン・ポールが生み出した「虐殺の文法」はさまざまな立場の人間の口から広められ、紛争を呼び起こしていきます。良心を「マスキング」するという表現が用いられますが、民衆は会話を重ねるごとに良心を失い、利他的な思考は利己的に変化していきます。まるでプロパガンダのような効果を見せますが、ジョン・ポールの目的は意外なものでした。この「虐殺の文法」と対を成すのが、暗殺特殊部隊の「感情調整」で、こちらもやはり良心を「マスキング」するものです。双方ともに言えることは倫理観や道徳観を欠如させるといったもので、これらを安心や自由の「代償」として良いものか、といった問いが本作から投げ掛けられているように思います。


作者の伊藤計劃(1974-2009)は、癌により早逝したサイエンス・フィクション作家です。僅か三十四歳での夭折は、多くの読者に大きな悲しみを与えました。作家としての短い活動時間は闘病とともにあり、世に出ないまま失われた発想は数多くあったと思われます。

 

「入院した際、最初は死ぬかもしれないと怖かったんですが、精神安定剤を飲まされたら、そういう感情が綺麗になくなってしまったんです。テレビドラマを見れば普通に悲しく思えるのに、自分の将来に関する不安だけがさっぱり消えてしまった。人間はこんなに簡単に自分の感情から切り離されてしまうんだな、と思った。そうした経験から『虐殺器官』の物語は生まれていきました。」

伊藤計劃インタビュー『小説現代


作中のルーシャスの台詞に「自分が見たいものだけ見る。自分が信じたいことだけ信じる」というものがありますが、この事実は「虐殺の文法」や「感情調整」を助長させる効果を持っています。また、良心を抑え込まれることによって倫理や道徳を抑え込まれることで、自身の行動に対する「動機の喪失」が確認できます。紛争を起こした動機、虐殺した動機、暗殺した動機など、自身の人生に強く影響を与える行為に「自我が存在しない」という信じられない恐怖が生まれています。言い換えれば、生命に対する価値観が欠落していると言えます。


本作では進化する世界において「倫理観はどのように変化するのか」を模索しているように見えます。しかし、守る側も壊す側も、双方ともに良心を「マスキング」しており、その試みは退廃的な結果を示しているようにしか見えません。核が戦争兵器として認知された世界ですから、退廃的な空気が世界に漂っていることは、ある種で自然なこととも言えます。そのような世界において、管理社会が徹底され、感情を調整され、倫理観と道徳観を歪められた人間は、どのような自我を確立できるのか、といった疑問さえ湧いてきます。

 

ジャーナリズムからスルーされた虐殺の悲鳴は、ネットの海に埋もれてしまっていた。取り上げられる主要な残虐行為以外は、さして注目もされないウェブページとしてアーカイヴされているにすぎない。情報を発信するのは容易だが、注目を集めるのはより難しくなっている。世界は自分の欲する情報にしか興味がなく、それはつまり情報そのものは普通に資本主義の商品にすぎないということだった。


現在の社会でも倫理や道徳が欠如するような情報が溢れています。マスメディアが信用できなくなり、インターネットも信憑性がありません。ソーシャルネットワークで情報を収集したつもりでも、結果的に何も頭には残らず、時間を浪費するだけといった結果で溢れています。一方で発信者側は資本主義に基づき、倫理や道徳を鈍麻させる過激な情報を溢れさせ、広告までもが過激になり、情報収集の自由という名目で大衆は倫理を欠如していきます。まして、政府や企業までもが資本主義の名のもとに、主導で無責任な訴求を行い、真偽は二の次となっています。今は情報収集から情報精査の時代に突入していると言え、個人が与えられる情報と戦わなければならない事態に陥っています。

「虐殺の文法」という明確な目的を持っていなくても、世界は情報によって退廃へと向かっています。そのような世界で個人は「人間」である以上、倫理と道徳を維持しなければならないと思います。倫理と道徳を失った社会に「希望」は見出せません。

本作を読んで、このような情報社会の危機的状況を改めて思い返すことになりました。伊藤計劃虐殺器官』、未読の方はぜひ読んで、何かしらを感じ取ってほしいと思います。

では。

 

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