RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

いつか、どこかで、また会おう。
大地に根ざして年を重ねたインディアンたちの大らかで、重みのある言葉──心の糧として、あなたに何度も噛みしめてほしい。
本書は、1974年にアメリカで出版されて以来、世界中のあらゆる世代の人々に読みつがれてきている。愛する人の死に際して、人々の心の支えとなったり、追悼式や結婚式、ユダヤ教の成人式、キリスト教のミサなどにおいても朗読されてきた。その詩は、無数の名詩選や教科書に転載されている。


1492年、クリストファー・コロンブスによる新大陸発見は、大西洋の向こう側に豊かな土地があることを証明しました。これを受けて、スペイン・ポルトガルは支配地を増やそうという魂胆で競うように冒険的な航海を次々と進め、当然のように領土争いが幾つも発生しました。解決を見せないスペインとポルトガルの諍いは、両国の国教がローマカトリックであることから、判断をローマ教皇の采配に委ねることになりました。そして、キリスト教世界における支配地の境界を「教皇子午線」として定め、まだ訪れぬ世界の土地までもスペインとポルトガルの「支配可能な土地」として取り決めてしまいます。しかし、この裁定に納得のいかないポルトガルは、スペインとの直談判を望み、教皇子午線を修正するかたちで改めて新分界線を定め、両国は「トルデリシャス条約」を結びました。


このトルデリシャス条約は「支配可能な土地」において、スペインによる制圧者(コンキスタドール)が先住民と対峙した場合、そこは「ローマ教皇による支配許可を得た土地」であるため、「先住民は制圧されるという選択肢」しか存在しないというものでした。アメリカの先住民である「ネイティブ・アメリカン」(アメリカ・インディアン)たちは、生まれた土地に住み、自然と共生し、独自の信仰と文化を保って生活をしていたなか、突如として、見知らぬ土地の、見知らぬ人々の、見知らぬ宗教の、見知らぬ国々の取り決めによって、住んでいた土地を制圧されることになりました。この扱いにネイティブ・アメリカンは当然の如く反抗しますが、武装したスペイン制圧者たちに抗い続けることはできず、結果、植民地としての支配を受けることになりました。


スペインは1598年、アメリカ大陸の中心から南部に位置するニューメキシコ州に「ヌエバエスパーニャ副王領サンタフェ」を創設しました。これはスペイン帝国の支配地という意味で、この地を中心としてスペイン人の入植が加速していきます。この都市サンタフェ近郊にはネイティブ・アメリカンの「プエブロ」が幾つも存在し、独自の文化のなかを生きていました。「プエブロ」とは「村落」のような意味で、土地に根付いた信仰と風習によって形成され、独自の特色を維持していました。精神と身体の恵みである「ブルー湖」とともに生きるタオス、砂岩のメサ台地に根付いた「天空都市」アコマ、数多の精霊と共に暮らす「平和の民」ホピ、同様に神々と精霊の信仰を重んじ、工芸品のインディアン・ジュエリーで知られるズニなど、特色豊かなプエブロが多く暮らしていました。これらのプエブロをスペイン帝国は武力により弾圧し、表面上の提携というかたちで「実質的な労働者」として扱い、サンタフェ近郊のプエブロを制圧します。


過酷な弾圧下のなかでプエブロは耐え忍びながら、スペイン帝国への反感感情を募らせながら、それでも誇りと文化を守るように食い繋いでいきました。しかし1670年代に入ると、干ばつによる不作とこれによる飢饉、そして更には疫病までが蔓延し、生活自体が困難となっていきます。押し付けられたキリスト教という信仰は何も救ってくれず、被害だけが拡大していきました。この苦しい状況はプエブロ内でのスペイン帝国への反発感情を暴発させ、遂には大きな反乱を起こします。この1680年に起こったプエブロの反乱は、スペイン側が準備不足であったことで勝利し、過酷な弾圧から一時的に解放されました。こうして、十二年という僅かな期間でしたが、プエブロたちは本来の自由な自然と精霊との生活へと立ち戻り、幸福な暮らしを営むことができました。


スペイン帝国は当然ながらこのような事態を看過することはなく、再度、武力による制圧を試みました。プエブロ側も対抗しましたが、際限の無い武力衝突の不毛さを嫌い、プエブロは致し方なく、スペイン帝国との共存を選択することにしました。その約百年後にはヨーロッパ諸国による植民地戦争が各地で起こり、アメリカ大陸でも激しい衝突と土地の奪い合いが繰り広げられました。スペインに対して、イギリス、フランスが参戦し、アメリカ大陸は「ヨーロッパ側の身勝手な理屈と武力行使」で切り取られ、陣取り合戦の様相を呈します。数年後には、イギリス領が「国家としての独立」を掲げ、共和政国家アメリカ合衆国を誕生させました。さらにその後のメキシコ独立、アメリ南北戦争などによって、白人はプエブロに混乱を与え続け、土地を荒らし続けます。そしてアメリカが合衆国として改めて統一されると、今度は民族の統一(精査)を図り、白人至上の考えのもと、奴隷やアメリカ・インディアンに対する締め付けが一層に厳しくなっていきました。こうして現在では、各プエブロは「居留地」へと追いやられ、過去の自由な暮らしとは掛け離れた生活を送っています。


十六世紀にスペイン帝国が侵略するはるか以前から、ネイティブ・アメリカンは「自然と精霊との共存」によって、独自の信仰と文化を大切に生きてきました。雄大な大地と恵みの水、そして自由の空は、プエブロたちに多くの幸福を齎しました。侵略によって苦しみ続けた現代に繋がる何世代もの先祖たちは、誇りと文化を守り続けようと奮闘しました。それは武力ではなく、精神の戦いであったと言えます。被害を受け続けた「進歩という名の暴力」は、ネイティブ・アメリカンのあらゆるものを奪い、あらゆるものを冒涜しました。しかし「プエブロの反乱」という誇りの勝利は、ネイティブ・アメリカンの魂の強さを世に示し、プエブロがその信仰と文化を根強く後世に伝えるという熱量の根源となりました。プエブロの伝統文化は、世界のどのような文化と比べてみても、最も古くからのかたちを維持し続けているのだと言われています。


作者のナンシー・ウッド(1936-2013)は、自然愛護者であり、写真家であり、民俗学者であり、詩人でもある人です。比較的に裕福な家庭で生まれ育ちましたが、向こう見ずな性格と激しい情熱の持ち主であったことから「奔放な」人生を送りました。しかし、彼女の幼少期に培った信仰の根源と、自然愛護の感性が、アメリカ南西部の歴史と文化に接したことで大きな感銘を受け、プエブロの一つであるタオスに傾倒し、その精神性との一体化を目指すようになりました。彼女はタオス・プエブロに関する著作や写真を多く出版しましたが、本作『今日は死ぬのにもってこいの日』は「その精神性を詩へと昇華」させた作品です。

 

彼女の観察眼は正鵠を射ており、非常に鋭いものだ。或る時は自身の驚きを表現し、或る時は称賛や尊敬を語るが、何よりも彼女は常に真実の支柱を見出そうとしている。この支柱によって、タオス・プエブロでは何が起こっているのかという真実の物語を、村の人々が生まれ持つ尊厳を表現するかたちで語ることができる。

ヴァイン・デロリア『タオス・プエブロ』序文


前述のように、タオス・プエブロはブルー湖に面した土地に住み、広大な大地と覆う空を愛し、自然に宿る精霊と生命の恵みに感謝を捧げながら暮らしました。その精神性は侵略や制圧にも屈することなく、「精神の戦い」によって守り継がれました。ウッドは、彼らの土地に住み、信仰に触れ、文化に触れ、彼らとの共生によって「彼女の内にある自然愛」と共鳴し、タオスの根底的な強さへと辿り着きます。

原題『Many Winters』から理解できるように、本作では「冬」の表現が多く見られます。これは「生命の死」を表していますが、決して陰鬱な意味合いではなく、ネイティブ・アメリカンの持つ「偉大な死生観」によるものです。春夏秋冬と巡る季節は、やはり再び春へとつながります。生命も同様にして考えられるものであり、そこには前向きな輪廻転生の意識が備わっています。そして、神や精霊に守られた「誇りある魂」は、恐怖などは一切なく、死を穏やかな安堵の気持ちで迎え、新たな生命へと繋ぐことを幸福に感じるという感覚です。この力強い死生観を、サンタフェの自宅からプエブロの元へと、何度も通い続けたウッドの共感と理解によって昇華させた詩篇には、ネイティブ・アメリカンの根源的な魂が宿っています。

 

たとえそれが、一握りの土くれであっても
良いものは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえそれが、野原の一本の木であっても
信じるものは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえそれが、地平の果てにあっても
君がなすべきことは、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえ手放すほうがやさしいときでも
人生は、しっかりつかんで離してはいけない。
たとえわたしが、君から去っていったあとでも
わたしの手をしっかりつかんで離してはいけない。


「信仰のために存在した神」を崇める侵略者は、「すでに自然のなかに存在していた神」を抱くネイティブ・アメリカンを、真の意味で征服することはできませんでした。彼らの持つ誇りとは、競争心とは比べ物にならない、生命を強く保つ尊いものであり、人間が持ち得る最も美しいものであるのだと感じました。

 

詩篇自体は読みやすく、理解のしやすい作品となっています。ナンシー・ウッド『今日は死ぬのにもってこいの日』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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