RIYO BOOKS

RIYO BOOKS

主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『かもめ・ワーニャ伯父さん』アントン・チェーホフ 感想

f:id:riyo0806:20210405231728p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

アントン・チェーホフ『かもめ』『ワーニャ伯父さん』です。チェーホフ四大劇に数えられるニ作品。戯曲です。

恋と名声にあこがれる女優志望の娘ニーナに、芸術の革新を夢見る若手劇作家と、中年の流行作家を配し、純粋なものが世の凡俗なものの前に滅んでゆく姿を描いた『かもめ』。失意と絶望に陥りながら、自殺もならず、悲劇は死ぬことにではなく、生きることにあるという作者独自のテーマを示す『ワーニャ伯父さん』。チェーホフ晩年の二大名作を、故神西清の名訳で収録する。

 

19世紀を代表するロシア劇作家のチェーホフ。しかし、短編小説家としても優れた作品を数多く発表しています。その面で名を聞きづらいのは同時代の二大巨頭「トルストイ」と「ドストエフスキー」が存在していたことが理由として挙げられます。

 

チェーホフは生涯医師として働き、多くの人間に接してきました。そして彼の観察眼は多くの人間から「人間の本質」を捉え、時には繊細に、或いは皮肉りながら短編を生み出していきます。しかし、彼が捉える苦悶や下卑、卑屈さなどに彼自身も影響され、やがて「人生の意義」を見失い始めます。この頃、いわゆるチェーホフ中期小説にはこの思想が溢れており、主に小さな社会の醜さや滑稽さを描いています。この滑稽さの表現もチェーホフの特徴であり、どの作品にも「ユーモア」が散りばめられています。

 

当時すでに、彼の身体は結核に侵されていました。いよいよ「人生の意義」を考え、それを見出すために長い旅に出ます。目的地はサハリン島。囚人が流されるシベリアよりも条件の悪い地。その地に住む人々の生活を知る、そこで何かを得られる、その思いで行動します。(ルポルタージュ:『サハリン島』1895年)
その土地の印象は「地獄のようだ」と述べており、彼自身の見解は多方面に広がります。そして、この旅がチェーホフの目を社会的に向けさせ、四大劇を作り上げていきます。

 

チェーホフの戯曲は特徴として「静劇」であると言えます。特に大きな事件や、感動的なストーリーをなぞるのではなく、ごくありふれた「小さな社会」で起こる会話や感情の動きを描きます。だからこそ、物静かでありながら、人間の持つ陰鬱さが滲み出る言動が多く見られます。この芸術性を高めるのが「間」です。台詞後の行動までの間、何かを問われて答えるまでの間、話をそらす際の間。この「間」が抒情的な対話や行動を印象強く、そして現実的に表現しています。

 

彼が社会的に訴えようとしたものは何か。この収録作2篇で対比的に描かれています。

 

かもめ

若手劇作家のトレープレフは、役者であった父を亡くしています。そこから受け継いだのは健在の有名女優である母親より低い「町人という身分」。また、女優志望のニーナは、資産家であった母親を亡くしており、健在の父の策謀で遺産を譲り受けることができません。この主軸である二人はそれぞれ「亡くした親から不利益を受け継いでいる」という共通点があります。彼らはこの不利益を覆す、或いは不満を覆すための「人生の意義」を探します。
トレープレフの大切な存在は「母」です。そして「作家」であり、「男性」です。

あの人は僕を愛していない、僕はもう書く気がしない……希望がみんな消えちまったんだ……

この台詞は「作家」「男性」として絶望し、残された「人生の意義」である「息子」として母に縋るシーンです。しかしこの後、母に受け入れられず、「息子」として生きる意義も見失ってしまいます。
女優のニーナも同様に「母親」「女優」「女性」として「人生の意義」を見出します。そして「母親」「女性」の意義を無くし、三流女優としてしがみついている中、二人は再会します。

 

ワーニャ伯父さん

このワーニャ伯父さんも同様に生きる意義を見失っています。妹を亡くし、その夫である学者に資産を握られ、その娘である姪と苦労を共にしながらも報われない現実。これを受け入れることができず、日々悪態つくのみ。
「人生の意義」であった「兄」「伯父」「男性」のそれぞれが崩れていく中で、彼と姪がたどり着いた答えは「忍耐」でした。

でも、仕方がないわ、生きていかなければ!

姪のソーニャの台詞が心の奥にズンと響きます。

 

この2篇で「人生の意義」の必要性、そしてそれを崩された者に残された「生きる糧」を、対比的に描いています。

 

チェーホフ四大劇の残り2作『三人姉妹』『桜の園』もいずれ紹介したいと思います。
戯曲の良さを鮮明に感じられる「チェーホフの静劇」、まだ未体験の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

 

『ガラスの動物園』テネシー・ウィリアムズ 感想

f:id:riyo0806:20210405231806p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

テネシー・ウィリアムズガラスの動物園』。戯曲です。1945年3月、第二次世界大戦の終焉間近にブロードウェイで上演されました。

不況時代のセント・ルイスの裏街を舞台に、生活に疲れ果てて、昔の夢を追い、はかない幸せを夢見る母親、脚が悪く、極度に内気な、婚期の遅れた姉、青年らしい夢とみじめな現実に追われて家出する文学青年の弟の三人が展開する抒情的な追憶の劇。作者の激しいヒューマニズムが全編に脈うつ名編で、この戯曲によって、ウィリアムズは、戦後アメリカ劇壇第一の有望な新人と認められた。

 

テネシー・ウィリアムズアメリカの劇作家です。元々は南部の上流階級でありながら、父親の仕事が影響し工業都市へ移り、突如として激しい貧困の生活に陥ります。世界大恐慌時代の真っ只中ということもあり、小さなアパートで満足のいかない日々を過ごします。父親は大変粗暴で、母親はヒステリー持ち。暖かい家庭の環境はありませんでしたが、姉のローズとは仲がよく、互いに心を支えあっていました。

姉のローズ、テネシーともに、父親の強行で学校を中退させられ社会に出されます。病弱で内気だったテネシーを思うローズは、彼の文学を追う姿勢を見守り、支えます。しかし、テネシーが過労で倒れるとローズは「父のために家族みんなが殺される」と怯え、ノイローゼになります。姉の高まった被害妄想は悪化し、精神病院へ入ることになり、ついにロボトミー手術(脳葉切除手術)を受けさせられます。そしてローズはこの手術の副作用である、「感情を無くし、意志を無くす」ことになり、廃人同様となってしまいました。

 

ガラスの動物園』は自叙伝的作品として知られています。テネシーの本名はトマス・ラニア・ウィリアムズ、この主人公同様で通称トムです。そしてヒステリックでいながらも家族思いの母親に、誰よりも繊細な心を持つ姉のローラで構成され、実際のテネシーの家族のように描かれています。このローラが社会人としての独り立ちが困難な状況になってきた為、家庭の中に入る道を進めていこうという、母とトムの行動がストーリーです。

手品師は真実と見せかけた幻想を作り出しますが、ぼくは楽しい幻想に装われた真実をお見せします。

冒頭、主人公トムの語りから始まります。この物語はトムの過去。思い出語りです。しかし、彼の詩的表現で演出された劇は普遍性を持っていて、誰もがもつ郷愁や憂いに接触してきます。家族を想う、家族への感情は普遍的なものだからです。

 

父親の存在

この作品で見られる大きなテネシーの心理として、父親の不在が言えます。大きな写真が貼られているだけで、劇中に登場しません。物語の中心にあるローラの人生、これに必要なものは母親アマンダとトムのみである、と表現しています。あるいは父親さえいなければという、どうにもならない現実の不可能なことを、この作品でなし得ています。

 

ローズへの想い

「ガラスの動物たち」を大切に扱う優しさや神経質さを、姉の印象に重ねて性格として描いています。また、弱さや脆さも同時に表現し、現実の姉の病状も訴えているようです。しかし、ガラスの動物を表現する時の輝きや美しさは細かく装飾され、姉の存在を美しいままに留めているテネシーの心情がうかがえます。
ローラが過去に呼ばれていた「ブルー・ローズ」のあだ名は、実存の姉ローズの意味でもあり、可憐で不可能なことという比喩の表現でもあります。

 

これらから、この物語は「過去」であり、「不可能」で装飾されたものと考えられます。彼は過去に数々の後悔を持っていました。家族を捨て家を出たこと、姉を廃人にしてしまったこと。この作品は姉ローズが廃人同様となってから、7年後に発表された作品です。彼は作品の中で「楽しい幻想」で過去を装飾したかったのだと思います。

 

1983年、テネシー・ウィリアムズはホテルの一室で亡くなります。事故とも殺害とも判明できていません。

現在、青い薔薇は日本の研究者たちにより生み出されました。そして花言葉は「不可能」から「夢 かなう」と変化しました。
彼の生前にこのニュースが届いたなら、「希望」が生まれていたのかも知れません。

 

現在でも盛んに演じられる『ガラスの動物園』、家族との関係を見直すきっかけをくれる、とても良い作品です。
未読の方はぜひ。

では。

 

『人形の家』ヘンリック・イプセン 感想

f:id:riyo0806:20210405231835p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ヘンリック・イプセン『人形の家』。戯曲です。

「あたしは、何よりもまず人間よ」ノルウェーの戯曲家イプセン(1828-1906)は、この愛と結婚についての物語のなかで、自分自身が何者なのかをまず確かめるのが人間の務めなのだ、と言う。清新な台詞と緻密な舞台構成が原点からの新訳でいきいきと再現される。

 

1879年に世に発表され、今なお全世界で、もちろん日本においても盛んに演じられる『人形の家』。いわゆる「女性蔑視からの解放」をテーマに描かれています。
19世紀末、ヨーロッパでは世紀転換期とされる激しい時代の動きがありました。その中でも「思想の転換」が現代にも響いており、過去の社会が刷り込んだ風習や思想を、「人間」を根源とした見直しが世界的に行われました。これらを先導したのが芸術家たちです。戯曲家イプセンも、その一人でした。

 

彼が生きた時代のノルウェーデンマーク支配下にあり、言語もデンマーク語の社会でした。裕福な商家に生まれながらも、7歳のときに家が没落し、16歳で貧しい自活の生活を送ります。彼は元来詩人であり、苦しい生活の中でも書き上げ、世に少しづつ発表していきます。
時が経ち、1851年に「ノルウェー劇場」創設に併せて劇作家の仲間入りを果たします。この創設までのノルウェー演劇は、すべてデンマーク語で行われていたため、本質的なノルウェー演劇は初めてとなります。演劇における真のノルウェー奪還は、自由主義国民主義の熱が止まぬ社会に向け、ロマン主義で訴えようと試みました。しかしその思いはうまく実らず、経済的にも立ち行かなくなり、わずか6年で閉鎖されました。

 

その経験は無駄ではなく、シェイクスピアをはじめ偉大な作家たちを研究し、彼の持つ詩的散文能力を併せた作品が徐々に書き上げられていきます。そして彼の演劇に「詩」と共に「リアリズム」が混ざりあい、エネルギーを更に帯び始めます。そして「女性解放」の思想に至り、『人形の家』を書き上げます。しかし発表当初は当時の「不道徳」であり「非常識」であるという批判も多数あり、大きな論争を呼びました。

 

この作品の主人公ノーラは当時中流貴族の云わば一般的な妻としての扱われ方をされています。夫は優しく紳士的で朗らかで大らか。「ヒバリちゃん」と呼び、大層かわいがります。しかし、彼女が過去に犯した「文書偽造」の罪を握るクロクスタが、夫であるヘルメルの新たな職場の部下にあたり、且つ解雇を予定していると恐れ、ノーラに救いという形で脅しにかかります。また、ノーラの友人であるリンデ夫人も、同じタイミングで現れ、職の斡旋を依頼しに訪れます。

 

ノーラは、彼女なりの正義に生き、幸福を得ていました。しかし、いざ明るみになり状況を理解すると、夫の「本質的な人間性」が現れます。それは彼に自覚はなく、何に幻滅されたのかさえ理解できません。

人間が自分の人間性を理解していない、つまり「自分自身が何者なのか」を理解していない事の典型であり、ノーラ自身はそうでありたくはなく、「自分自身が何者なのか」を理解するためにラストの行動をとります。

 

「愛と結婚」がテーマのこの作品は、典型的な二組の男女で描かれます。労苦を耐え、そして苦痛を自身で乗り越えたものが幸福になる。自身の正義を貫き、愛するものを真に愛す、だからこそ幸福を得る。そのような教訓で描かれています。
最後のノーラの行動は賛否ありますが、当時の「妻としてのシンボル」で描かれており、この戯曲全体が社会へ皮肉っぽく表現した芸術であったのだと思います。

 

イプセンの作品はしばしば「あいまい」で、読者や観客を迷わせる。だが、その「あいまい」さが即ち彼のリアリズムで、主題的にも、文体的にも、イプセン劇が特徴とする重層性は、人間存在のアイロニカルな条件と彼の人間観察の深さに由来するのを知れば、なぜその作品が面白く、彼が偉大なる「演劇の詩人」たり得たかがよくわかるはずである。

訳者の原千代海さんの言葉です。

 

『人形の家』という作品名も秀逸で、その戯曲演出も見事です。最後の家庭の象徴である「鍵」の存在や演出が、読後に深い余韻を与えます。

戯曲に不慣れな方でも大変読みやすい作品ですので、ぜひ読んでみてください。

では。

 

『スペードの女王/ベールキン物語』アレクサンドル・プーシキン 感想

f:id:riyo0806:20210405231902p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ロシアの国民的詩人アレクサンドル・プーシキンの『スペードの女王』と短篇5作をまとめた『ベールキン物語』です。手元には旧装丁の赤帯がありますので、こちらの紹介文を記載します。

トランプの秘密に憑かれて錯乱する青年の鬼気迫る姿。「スペードの女王」の人をゾッとさせるような魅力を何と呼んだらよかろうか。

 

プーシキンが書いたロシア初の小説である『ベールキン物語』。彼は「生命と死」「現実と幻想」の対照的な関係性を融合させた物語を描く「写実的浪漫主義」の人でした。この現実か夢かわからぬ錯覚を覚えさせる世界観は現実以上のリアリズムを感じさせ、生から見た生死を考えさえられます。

 

また、彼はロシア文学に政治色を強く織り込み始めた一人です。世に対して徐々に文学で先導するようになり「ロシア文学の急進派」、つまりロシア文学の政治に対する意見を強める活動の第一人者となりました。もちろん政府は目をつけ、秘密警察による監視を指示し、自由に作品の発表が出来ない状態に陥りました。彼は十二月党事件(デカブリストの乱)に関わる友人を持っていたことにより、束縛は厳しく保守派の貴族からは疎ましく思われるようになります。この十二月党事件は、農奴制を根源とした「ロシアの後進性」から、自由主義への転換を求めた青年将校たちによる蜂起で、農奴解放を起こす発端となります。


しかしこの段階では、国による物理的、そして精神的な弾圧が圧倒的に強く、十二月党員の首謀者たちは次々に処刑されます。第一次ロシア革命まで80年もの歳月をここから必要としました。

プーシキンはこれらの処遇、あるいは監視にも屈せず「自由な啓蒙」を求め続けます。言論への弾圧に抵抗を続け、ロシア文学の急進を望み文壇活動を継続します。これを嫌った保守派貴族は、彼の妻を巻き込み彼の命を奪う策謀を企てそれを為し、ついにプーシキンの啓蒙活動を止めることになりました。

 

スペードの女王』の主人公であるゲルマンにはモデルがあります。十二月党の中心人物の一人であるパーヴェル・ペステリです。農奴制廃止と皇帝専制廃止を強く求めていました。彼も絞首刑により亡くなりました。
ゲルマンは、慇懃で神経質で自尊心の高い人物として描かれています。この人物像は後の巨匠であるドストエフスキーの代表作『罪と罰』の主人公「ラスコーリニコフ」のモデルとなっています。

プーシキンはロシア近代文学の基礎を築きました。批評家のメレシコフスキーは「霊と肉を調和した者」と表現しています。そして、ドストエフスキーは「霊」を、トルストイは「肉」をそれぞれ受け継いだ洞察者としています。

 

スペードの女王』は、「生命と死」「現実と幻想」を短篇の中で見事に表現しています。人間の恐怖は加害者にも被害者にも存在し、それらが引き起こす悲劇からも恐怖とわずかな滑稽さが滲み出されています。

『ベールキン物語』は、喜劇も悲劇も文体装飾はさほど無く、リアリズムを軸として人間の情欲の陰陽があっさりと、ですが濃厚に描かれており、読み応えがあります。人物の感情が言動に現れ、当時の階級やしがらみによる苦悩が、くっきりと伝わります。


プーシキンが描いた、当時の貴族的な慇懃さや滑稽さ、可憐さを、新しいロシア文学の進歩として当時発表されたこれらの作品を、ぜひ読んでみてください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

 

『トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す』トーマス・マン 感想

f:id:riyo0806:20210405231926p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちら。

トーマス・マン『トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す』です。魔の山』で名を知られているドイツの小説家です。彼の初期中篇二作です。

精神と肉体、芸術と生活の相対立する二つの力の間を彷徨しつつ、そのどちらにも完全に屈服することなく創作活動を続けていた初期のマンの代表作2編。憂鬱で思索型の一面と、優美で感性的な一面をもつ青年を主人公に、孤立ゆえの苦悩とそれに耐えつつ芸術性をたよりに生をささえてゆく姿を描いた『トニオ・クレーゲル』。死に魅惑されて没落する初老の芸術家の悲劇『ヴェニスに死す』。

 

マンは第一次世界大戦をまたぐ時代に活躍しました。戦争勃発前までは浪漫主義であり政権においては保守主義として文壇に立ち、作品を世に出しています。しかし戦後は新たに成った「ドイツ共和国」を支持し社会主義の立場で文壇へ臨みます。
時が経ち1933年にファシズムの傾向が国内で高まり、ナチス党のヒトラーが政権を掌握します。この事でマンはドイツの文化的な側面の危機を強く感じ、国外へ講演の旅に出ます。もちろんナチス側の反感を買うことになり、国外追放に加え財産の没収を受け、ドイツに戻ることは出来なくなりました。
彼はその後も対ナチスに抗戦の構えで活動し、主にアメリカで活躍しました。

 

今回紹介する作品の二つは共に初期の時代、つまりドイツ浪漫主義に該当します。その中でもマンの特に顕著な傾向と挙げられるのは「観念主義」です。自身の中で構築している哲学、価値観、道徳などを元に、思考を繰り返して結論へ導く主義です。

この二作は対照的なものとなっており、「明」と「暗」のように描かれています。明暗の軸は「理性と感性」です。これを「中心となる観念」に置き、二人の文学者たちの苦悩が繰り広げられます。

 

芸術家が芸術より受け取る衝撃は、より一層に複雑であり、感情の揺さぶりが過大であるように表現されています。しかし、これは確かに一理あり、バリスタが他店の珈琲で味わう感動と同様、ソムリエが多種のワインから感動を得るのと同様、それぞれ汎人間的な感覚の持ち主とは違った、および深い衝撃を見出すものと近しい現象であると言えます。

 

この二人の文学者たちは、それぞれ得る芸術的感動で「理性が勝る者」と「感性が勝る者」に分けられます。この対照的な、対比的な物語は読む人に「なぜか両方の結末を納得させる」ことになります。つまり、自分の思考において「理性」「感性」のどちらにも傾く可能性があり、どちらの文学者の道を辿るかもわからない納得をさせられます。

 

ただ、ひとつだけ大きな違いがあるとすれば「孤独か否か」です。マンが真に訴えたかったのはこの点であると、そう感じます。

われわれは深淵を否定したい。人間の品位を保っていたいのだが、われわれがどうじたばたしようと、深淵はわれわれを引寄せるのだ。

孤独な文学者の言葉です。

 

マンは1929年に「主に現代の古典としての認識を広く得た傑作『ブッデンローク家の人々』に対して」ノーベル文学賞を受賞しています。

 

ナチス党に勇敢に立ち向かった文士の数々の著書がありますが、まずは根源のこちらの作品を読んで、彼の芸術性の底の「観念主義」をぜひ体感してください。

では。

 

 

『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック 感想

f:id:riyo0806:20210405231950p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ジョン・スタインベックはドイツ系移民の父とアイルランド系移民の母を持ちます。
彼は、世界大恐慌時代のアメリカ社会を告発した『怒りの葡萄』を発表し、1940年にピューリッツァー賞を受賞しました。
今回紹介する『ハツカネズミと人間』は同時代における社会的弱者を主体として描いた中篇です。

一軒の小さな家と農場を持ち、土地のくれるいちばんいいものを食い、ウサギを飼って暮らすーーからだも知恵も対照的なジョージとレニーという二人の渡り労働者の楽園への夢。カリフォルニアの農場を転々とする男たちの友情、たくましい生命力、そして過酷な現実に裏切られて起こる悲劇を、温かいヒューマニズムの眼差しで描く。戯曲の形式を小説に取り入れたスタインベック出世作

 

1930年代に起こった世界大恐慌において農作物価格が60%以上も下落し、農場主さえも安定を脅かされる時代でした。労働者においては更に過酷な環境下にあり、安定的な雇用がされず「季節雇い」の形で渡り労働者が入れ替わり立ち代りしていました。この渡り労働者たち、農場の者たちを通して、当時の社会的弱者が置かれた状況をリアリズムで描かれています。

 

レニーは軽度の知的障碍者です、そしてそれを支えるジョージ。また農場では、老人、身体障碍者、人種差別を受ける黒人、性差別を受ける農場主息子の妻。彼らの生活を社会的現実のシンボルとして読者へ訴えてきます。

例えば、当時の精神病院や老人介護施設は「牢獄同様」でした。彼らはそこに入ることを恐れ、逃れるために貧しい環境下でも労働を望んでいました。こういった社会的弱者は「個人としての自由意志」を剥奪された処遇にあり、半奴隷的な生活を送っていた人々もありました。しかし、最低限の権利と僅かな自尊心を大切に日々を過ごし、夢を抱きます。いわばこの空想に近い夢を生きる糧として日々を生き抜くことが、彼らの人生のすべてであり、社会が与えた僅かな幸せでした。

人間は、経済状況や社会の環境、また生まれ持っての容姿や遺伝子に大きく左右されるという「自然主義文学」、この作品は正にその代表的な作品と言えます。
悲劇を悲劇として描き、しかしその中でも自己意思を尊重し、救いを求めようとする感情は今の時代にも必要な要素であると思います。

 

「まぁ聞け、キャンディ。この老いぼれイヌはいつもただ苦しい思いをしているだけだ。こいつを外へ連れ出して、頭の後ろのここをーーちょうどここのところを撃ちゃ、こいつはなんで撃たれたかもわかんねえよ」

ジョージの頭にこの言葉が残っていたのはなぜか、そんな風に考えると彼ら二人の人生の苦しさが深く伝わってきます。

 

この小説は戯曲の要素を持っています。舞台は河畔と農場のみ、木曜日から日曜日までの四日間、そして登場人物の対話が中心となっています。だからこそ、彼らの意思や行動が直接的に読者へ伝わり、その時代の悲哀や怒りを感じさせます。

この「自然主義文学」の王道とも言える作品はアメリカ古典文学として教科書などにも使用されているそうです。多民族であり貧富の差が大きな国だからこそ、社会が生む悪環境があり、そこで生きる困難さと生きる希望の見出し方を考えさせられます。

 

1962年にスタインベックは「優れた思いやりのあるユーモアと鋭い社会観察を結びつけた、現実的で想像力のある著作に対して 」ノーベル文学賞を受賞しています。
作品内の情景に浸り、その当時の社会を感じることができるこの作品、ぜひ読んでみてください。

では。

 

 

『閨房哲学』マルキ・ド・サド 感想

f:id:riyo0806:20210405232015p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ドナチアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド『閨房哲学』。通称「サド公」の思想にフォーカスされた、対話体作品です。

快楽の法則の信奉者、遊び好きなサン・タンジェ夫人と、彼女に教えを受ける情熱的な若き女性ウージェニー。そして夫人の弟ミルヴェル騎士や、遊蕩児ドルマンセたちがたがいにかわす“性と革命”に関する対話を通して、サドがみずからの哲学を直截に表明した異色作。過激で反社会的なサドの思想が鮮明に表現され、読む者を慄然とさせる危険な書物!!

 

サド公はフランス革命期における貴族でした。幼少より敬虔にカトリックを学びましたが、七年戦争へ自ら従軍し騎馬連隊大佐として活躍しました。戦争後に良家の娘と婚姻し爵位を上げ「侯爵」となり資産を含め裕福な階層へ身を置きます。

しかし、彼は誰もが知る「サディズム」を自分の中で制御できず反社会的な遊蕩と犯罪により身を滅ぼしていきます。1778年から1814年に没するまでの殆どを獄中か精神病院内で過ごします。彼の執筆の多くはこの期間に行われました。

彼が生み出した作品の特性は、「異常に攻撃的なエロティシズム」、「キリスト教を徹底的に否定した無神論」が挙げられます。彼の持つ「サディズム」を肯定的に、或いは詭弁を、或いは屁理屈を、しかし現実を引き合いに出した論理的な哲学が、彼の中で構築されています。

 

この「閨房哲学」は数ある作品の中で「サド公の思想」をより濃く描かれているものと言えます。
「閨房」は「婦人の寝屋」という意味です。舞台は終始サン・タンジェ夫人の寝室で繰り広げられます。登場人物はみなガウン一枚を裸に羽織り、対話と乱交を繰り返します。この作品内では乱交の詳細描写は割愛されていますが、それにより「サド公の思想」がより明確に伝わる効果を与えています。無垢な少女であるウージェニーへ「悪徳を説く」ドルマンセが、サド公の代弁者となり、この哲学を論考調で教鞭を振るいます。

 

無神論における軸となるのは「自然」の存在です。自然と人間が対照とされ、宗教とは「ある人間たちが作り出した、ある人間たちにのみ利益を及ぼすための道具」とみなし、徹底的に批判しています。
また、国と法律においても同様に、「国が都合よく民衆を管理するがために作られた、ある一定の国家側の人間にのみ利益を及ぼすための決まり」という表現で書かれています。

そして快楽を追求する為に妨げるこれらの「宗教」や「法律」などは、実に不要なものであり、あくまで快楽に忠実に行動することが「自然」における人間の在り方であると豪語しています。

淫蕩によって動かされるということは、同時に自然によって動かされるということでもあるからだ。この上もなく異常な、この上もなく奇怪な行為だって、また人間のつくったあらゆる法律、あらゆる制度(天国の法律や制度は論外である)に明らかに抵触するように見える行為だって、けっして恐ろしいものではないよ。自然界で説明のつかないような行為は、一つだってないのだからね。

ドルマンセ

 

また作中に朗読という形で一冊のパンフレットが挿し込まれます。「フランス人よ、共和主義者たらんとするならもう一息だ」と題される、作品の約四分の一を占める読み物で哲学論考が表現されています。主題は「道徳」と「宗教」です。
この突然的な朗読は物語を中断しながらも、読むものの思考には沿っており今までの説教を裏付ける論考となっています。

しかし、違った角度から見ますとこれが書かれた時勢、つまりフランス革命期にサド公が世に訴えたかった思想と捉えることができます。この君主制、もっといえば恐怖政治の絶対王政の崩壊を望み、来る新たな共和政体に求める無神論による救世を、自らが抱える「サディズム」を潜ませ訴えるという芸当をやってのけているわけです。

劃一主義と教権主義に対する嫌悪がこれほど激烈にぶちまけられた例はなく、このパンフレットが、一八四八年の二月革命の際、匿名のプロパガンダとして再販されたのも故なしとしない。

訳者の澁澤龍彦さんは、このように話されています。

 

この作品の核にあるものは「個人の幸福と社会の幸福が相反している」という点です。社会の幸福を守る為の法律は、個人の快楽が及ぼす幸福を妨げるという解釈は、「サディズムの祖」サド公ならではの思考ではないかと感じます。

 

戦争と殺人のくだりは、先日の記事に書いたマキアヴェッリ君主論』でも出てきましたが、永遠の論争テーマといえます。
19世紀には禁書になっていたサド公の作品、この哲学をぜひ体感してください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

『予告された殺人の記録』ガブリエル・ガルシア=マルケス 感想

f:id:riyo0806:20210405232040p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

ガブリエル・ガルシア=マルケス予告された殺人の記録』です。コロンビアのジャーナリストであり、マジックリアリズム文学の先駆者です。1982年にノーベル文学賞を受賞しています。

町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか?閉鎖的な田舎町でほぼ三十年前に起きた、幻想とも見紛う殺人事件。凝縮されたその時空間に、差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉えつつ、モザイクの如く入り組んだ過去の重層を、哀しみと滑稽、郷愁をこめて録す、熟成の中篇。

この作品は彼の言う「ジャーナリズム作品」のひとつです。1951年に起きた事件を元にマジックリアリズムを纏わせ、フィクションとして書き上げました。しかし発表されたのは1981年。本書に書かれているとおり、30年の歳月を経て世に出ました。これは本来「ルポルタージュ」として発表を予定していましたが、彼の身近な人が関わりすぎていた為、発表できませんでした。関係者が故人となってようやく「小説」として完成しました。

 

この作品はカフカの『変身』に影響を受けています。全てが過去を語りながらも、その時系列は都度組み替えられ、あらかじめ希望を抱かせないことで悲劇を紐解くことにフォーカスされていきます。そしてこの記録は5つの章で分けられています。

  1. 事件の概要
  2. 事件以前の町
  3. 事件当日
  4. 事件のその後
  5. 事件の詳細描写

時系列が分解されますが、悲劇を紐解く「推理小説的要素」の観点からは理解しやすい順序となっています。これは正に「ルポルタージュ的構成」で、まさに「記録」と言えます。

 

物語は、国の英雄の息子が、町娘に一目惚れし婚姻を申し込む。そしてその婚礼直後に処女で無いと判明し実家へ戻され白紙となる。この相手が移民のハンサムな息子であると町娘が証言し、町娘の家族である双子の兄弟が名誉の為殺害を決意する。この決意を町中に表明しながら移民の息子を探しだし犯行に及ぶ。

 

■物語的解釈

双子の兄弟が町中を歩き、移民の息子の行方を尋ねる際、かならず犯行を表明しているにもかかわらず、つまり町中が犯行が行われることを知りつつ誰も止めませんでした。言い分としては「双子が酩酊状態にあったから」「人柄からして本気と思えなかった」など。ですが、他の要素を組み合わせて考えると少し違ったものが見えてきます。

この町には「司教」が度々船で訪れます。町人は歓迎モードで迎えますが、司教は決して船を降りません。これは「この町が清らかであると思われていない」ことの表現で、いわば見放された町であると言えます。そんな町に、息子と言えども国の英雄に関わる人物が訪問し、ましてや婚姻を申し込むという事件は町にとって「ある種の栄誉」であったように感じられたのではないでしょうか。それが結果、恥をかかせて町の栄誉を頓挫させてしまったことに「何らかの体裁を保つ手段」を町は欲していたように思います。これの犠牲となったのが犠牲者の移民の息子だったのです。

 

ルポルタージュ的解釈

ですが、大事な要素として「この事件は事実を元に」描かれているということです。ガルシア=マルケス自身の身内や知人が関係したこの事件、彼はどう感じたのでしょう。もっと言えば、この事件をどう伝えたかったのでしょうか。

様々な偶然が重なった悲劇として描かれていますが、様々な偶然を重ならないようにすることは、双子に出会った町人たちは幾分か防ぐことが出来たのではないでしょうか。彼はこの点を訴えたかったのではないでしょうか。「犠牲となっても仕方が無い」という感情への怒り、「さほど気にしない無関心」への恐怖、小さな社会であるからこそ浮き彫りになる人間性を描写しているようです。

「あの子はあたしのいのちでした」

犠牲者である移民の息子の母親の台詞です。

 

以前紹介した『紙の民』にて、マジックリアリズムに少し触れました。ラテンアメリカで栄えたこの技法は滑稽さが滲み、本来的に重い雰囲気を和らげてくれています。また、ルポルタージュを否定するための手法とも捉えることが出来ます。

この作品はガルシア=マルケス自身が「最高作」と自負するものです。百年の孤独』だけでなく、こちらの作品もぜひ読んでみてください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

riyoriyo.hatenablog.com

 

『君主論』ニッコロ・マキアヴェッリ 感想

f:id:riyo0806:20210405232122p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ニッコロ・マキアヴェッリ君主論』です。

ルネサンス期イタリアの政治的混乱を辛くも生きたマキアヴェッリ(1469-1527)は外交軍事の実経験と思索のすべてを傾けて、君主たるものが権力をいかに維持・伸長すべきかを説いた。人間と組織に切りこむその犀利な観察と分析は今日なお恐るべき有効性を保っている。カゼッラ版を基に諸本を参照し、厳しい原典批判をへた画期的な新訳。

 

ルネサンス期における外交・軍事に生きたマキアヴェッリ。現代における国家統治や政権維持にも影響を与えた彼の政治思想は「マキアヴェリズム」と称され、今まで崇高にされてきた宗教的・信仰的な考えから逸脱し、現実主義的な思想をもって執政することが必要であると説いています。


理想は信念に抱き、実政はリアリズムで行う。よく勘違いをされ、現代でも辛辣な評価が度々なされる「マキアヴェリズム」ですが、多くは「目的を遂行する為には冷酷で道徳に背いても謀を苦なく行う」というニュアンスが影響しています。

国を背負う君主は、治める国を安全に保持する事に、全ての責任があり失敗を許されない。つまり、何があっても、どのような手段を使ってでも、不運が続いても、災難が起こっても、「安全な国の保持」に対する責任を負うことになる。だからこそ、冷酷で非道徳な行動であっても「それが安全な国の保持のため」であるなら遂行するべきであるという思想が「マキアヴェリズム」です。この思想を言い換えるならば「極めて重い責任論」です。

 

彼はフィレンツェ共和国(イタリア北部に位置)にて敏腕外交官として抜群の活躍を果たしました。戦況把握・状況分析・多国間交渉・内政統治と、視野が広く情報収集に長けており、何度となく戦禍から国を守り続けました。しかし、ドイツ・スペイン連合軍により共和制は崩壊します。

この崩壊により、共和国最大の功労者であるマキアヴェッリは外交官から一転し失職、さらに街から追放されます。追い払われた彼は山奥でひっそりと暮らします。そこで彼が外交により培った政治思想をまとめ、執筆したものが『君主論』です。これを新たなフィレンツェ公に自分を売り込むため献上しましたが、実らず、外交の立場に戻ることはありませんでした。この『君主論』は発表後に全世界へ広がり500年経った今でも議論と研究が続けられています。

 

500年前と現在では、国の在り方やテクノロジーの進歩、情報の速さや組織の多様性など、当時から変化したものは多くあります。ですが、国(組織)が人で構築されている事は変わらず、君主(組織長)における責任は、国(組織)の安全な保持である事に変わりない事から、『君主論』は現代における組織維持論、あるいは政体論として研究が続けられていると言えます。

 

現在の書店には夥しい量のビジネス書が並んでいます。書店によっては文芸書を上回る量を店頭で誇っています。具体的で専門的なもの、ピンポイントなもの、小手先のもの、良し悪しありますが、この『君主論』もまたビジネス書としての効力も多分に備えています。マネジメントに必要な概念、経営者に必要な決断力や信念など、「組織を守る側」の人にはぜひとも一読いただきたい内容です。

 

すなわち、他者が強大になる原因を作った者は、みずからを亡ぼす。

第3章 p.31

なぜならば、人間が危害を加えるのは、恐怖のためか憎悪のためであるから。

第7章 p.62

自分の同朋である市民を殺害し、友人を裏切り、信義を欠き、慈悲心を欠き、宗教心を欠いた行動を力量と呼ぶわけにはいかない。そのような方法によって権力を獲得することはできても、栄光は獲得できない。

第8章 p.67

(政体の防衛において)傭兵軍と援軍は役に立たず危険である。

第12章 p.92

自己の戦力に基礎を置かない権力の名声ほど不確かで不安定なものはない。

第13章 p.106

軍隊に理解を持たない君主に降りかかる他の不幸は別にしても、先に述べたように、配下の兵士たちに尊敬されるはずはないし、彼らを信頼することもあり得ない。

第14章 p.110

だがしかし、君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない。

第17章 p.127

君主たる者は、それゆえ、つねに助言を求めなければならない。が、それは、自分が望むときであって、他人が望むときではない。

第21章 p.168

 

君主が「臣下にどう思われるか」が組織の力を左右します。
外部から招き入れるコンサルタント(傭兵軍)や、それが連れて来る人員(援軍)は、君主とは別の雇用主の意向(たとえば株主等)を重視し、「本質的に国の役に立たない行動」を起こし、国(会社)の破滅へ繋げることがあります。

君主に信頼と敬いと畏怖を持ち、国の安全を真に望む臣下こそ重要な戦力であり、堅い基盤や防壁となります。彼らに「演技をしてでも」慕われる事こそが、君主が国を守る責任を果たす重要な行動に値します。

 

現代社会における組織も「人」で構築されています。人の感情は心を大きく支配します。信仰心や道徳観よりも「現実的な満足」を求めます。君主は、あるいは組織は、どうあることが健全で強固であるのか、一考するのにとてもよい作品です。

興味のある方はぜひ。
では。

 

『水いらず』ジャン=ポール・サルトル 感想

f:id:riyo0806:20220709081244p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

ジャン=ポール・サルトル『水いらず』です。
短篇・中篇集です。

性の問題をはなはだ不気味な粘液的なものとして描いて、実存主義文学の出発点に位する表題作、スペイン内乱を舞台に実存哲学のいわゆる限界状況を捉えた『壁』、実存を真正面から眺めようとしない人々の悲喜劇をテーマにした『部屋』、犯罪による人間的条件の拒否を扱った『エロストラート』、無限の可能性を秘めて生れた人間の宿命を描いた『一指導者の幼年時代』を収録。

 

サルトルはフランスの思想家です。実存主義の第一人者。彼は講演で「実存は本質の先に立つ」と主張しています。

 

万年筆を作る職人は、製造方法や使用目的などを理解していなければ、万年筆を作ることができない。この方法や目的の理解が「本質」であり、本質を理解したうえで実物「実存」を作り上げる。この点から見ると「本質が実存の先に立って」いるわけです。

しかし人間の場合は「実存」が先である、と唱えています。人間はまず世界に生まれ「実存」、人間はあとになってその人間になる「本質」。したがって人間は自分自身で各人間の本性を作り上げることになる。この考えから「主体性」が生まれ、「自由」と「選択」という自分で自分を作り上げる要素があらわれてきます。

 

この書はサルトルの初期小説として世に出されており、収録作それぞれ「実験的要素」で溢れています。特に最後の『一指導者の幼年時代』は長編小説の下書きのような、文芸表現をかなり抑えて淡白に時系列で事柄を綴っている印象です。
サルトルの書く小説には「絶対的な観察者」は出てきません。登場人物それぞれの心境・心情が逐次描かれ特定者に感情移入するというより、物語に描かれる小さな社会を通じて「実存主義の思想」を伝えてきます。

 

肉体および「性」の描写が大変多いのですが、実存主義=エロティシズムでは決してありません。「性」が心にもたらす影響で精神が不安定になり、「自由」と「選択」が訪れます。この判断を各個人の「本質」でもって受ける、あるいは創造することを描いています。

けっして煽情の文学でなく、むしろ肉体厭悪の書であるといってよい。

『水いらず』の訳者である伊吹武彦さんはこう論じています。肉体の不能者、狂人、エディプスコンプレックス、男色家、「精神に影響する性」といってもさまざまな種類や強弱があり、これらを受ける精神にも性以外の影響(思春期・社会情勢・経済状況・思想など)が元々あり、ない交ぜになって混乱した心で「選択」をする、この難しさや苦しさを各篇で訴えています。

 

人間は自由の刑に処されている

人間は自分の意思で自分を世界に作り上げたわけではなく、しかも目の前はあらゆる選択の自由を持っている。この世界に足を踏み入れた以上、すべての行動や判断は自分で責任を負わねばならない。

サルトルは全能の神を否定し、生まれ持った宿命など無いとして考えます。そして自分がどのように生きるも、何を選択するも、すべて自由で、だからこそ自分自身を創造する必要があるとしています。

 

「水いらず」という言葉は「仲良し」という意味です。実存主義として、あるいはリアリズムとして、表題作を読み返すと深い印象を覚えることができます。

すべての収録作品、それぞれに湿度をもった文学として大変読み応えがありました。未読の方はぜひ。

では。

 

privacy policy