こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。
モーリス・ルブラン(1864-1941)は海運通商で成功を収めた父親と、染色業で成功した家庭の娘である母親とのあいだに生まれました。幼いころより非常に裕福な生活にあり、不自由なく学業を進めて成長していきます。彼が生まれる分娩に立ち会ったのがルブラン家のかかりつけ医であるアシール・フローベールで、あの写実主義作家ギュスターヴ・フローベールの兄でした。また、彼には姉と妹がいましたが、妹はオペラ歌手のジョルジェット・ルブランで、スターソプラノとして活躍し、詩人モーリス・メーテルリンクと長い愛人関係にありました。ブルジョワとしての生活環境にあったルブランは、優秀な成績を学業で収めながら、フローベールはもちろんのこと、ギ・ド・モーパッサンやオノレ・ド・バルザックなどの文芸作品に傾倒していきます。
学業を収めたのち、彼は兵役につきますが、ブルジョワ特権の条件付きで配属され、本来五年のところを実質一年で解放されます。しかしこの僅かな期間が、ブルジョワとしての緩い生活と持ち前の神経質な性格が影響して、彼にとっては非常な苦しみの期間となり、帰郷後には鬱憤を爆発させるように放蕩な生活を繰り広げます。まさに「酒と女」に溺れる生活でしたが、彼は当時では大変高価であった自転車と出会い、只管に乗り回してフランスの全土を踏破するなど、実に活発に、自由気ままな生活を送っていました。しかし、愛する母親の死によって、遺産相続のため(親権を解除して自立する必要があるため)に、職に就く必要が出てきました。父親の伝手で工場勤務を始めましたが、気持ちの乗らない仕事はただ苦痛であり、そこから逃避する手段を考えて、ルブランは作家の道を歩んでいきます。
ジャーナリストを経て職業作家となったルブランは、戯曲なども手掛けて精力的に活動しますが、すぐには日目を見ることはなく、悶々とした気持ちを抱えながら執筆を続ける日々が続きます。文芸に魅せられた彼は、自分もその文壇に立ち、その世界の一人として認められたいという気持ちだけが原動力となって、熱心に執筆を続けます。しかしながら、ルブランは経済的な面で背に腹はかえられないという状況に陥り、自身が拘り続けた「文芸作品」から娯楽を目的とした「大衆小説」へと足を踏み入れ、作品を生み出すことになりました。彼の持ち前の洞察力と観察力によって描かれた心理小説は、忽ち世の読者に認められてその地位を確立します。そして「冒険短篇小説」(のちに長篇も書きます)の依頼が続くなか、生まれた絶対的な主人公が「アルセーヌ・ルパン」です。
神出鬼没にして比類なき名変装、女性や子供には優しさを振り撒き、どのような場面でも毅然とした紳士の態度を見せる、完全無欠で快刀乱麻、鮮やかな推理と奇術のような退場、誰もが憧れる怪盗紳士の要素を詰め込んだ人物こそ「アルセーヌ・ルパン」です。実に五十六もの作品に登場し、その活躍を存分に見せつけて、現代でも根強い人気を誇る、誰もが惚れ惚れする天下無双の義賊として知られています。
と、このように紹介しましたが、本書に収められた「ルパンの告白」では、その印象が少し揺らぎます。見誤り、阻まれ、窮地に陥り、なんとか九死に一生を得るといったエピソードを、ルパン自身が饒舌に語るという手法で、本書は進められていきます。どの作品でも、あの完全無欠で快刀乱麻なルパン像とは異なり、実に人間味のある「真の姿」を告白してくれます。そこには、ルパンが愛される根本的な魅力が潜んでいると言えます。
また、本書では鮮やかに推理を見せる「探偵的」な表情が色濃く描かれています。素晴らしい洞察力と「直観」が、事件を暴き、窮地を救い、獲物を懐へと導き、ルパン独自の爽やかな読後感を齎してくれます。「直観」は本来、事件を捜査する警察や依頼を受けた探偵は「重視しない」要素です。地道な検証や物証などを熱心に探すといったことは置き去りに、自らの推測と直観を重視して、実際に鮮やかに問題を解決してみせる手腕は、怪盗という「悪の立場」であるからこそ許容されるのであるとともに、反対の立場にある警察や探偵を否定的に見せるという効果も担っています。事実、ルパンの人気が隆盛していた当時、探偵シャーロック・ホームズなどが人気を博していたことから、それらへの対抗意識が見えていたということも認められます。作中でルパンを追い詰めるガニマール警部を含む警察たちを、いとも鮮やかに煙に巻いてしまうところも、こういった意識の表れであるとも考えられます。
本作『白鳥の首のエディス』は、ルパンの長年の宿敵として、その姿と関係性に大きな人気を得ていたガニマール警部との戦いが描かれた最後の作品です。
1066年、ノルマンディー公ウィリアムがイングランド王国へと上陸し、サセックス州のヘイスティングズでイングランド王を自称していたハロルド王を打ち破り、全土を征服しました。それまで治めていたエドワード王が後継者を示さずに死去したために起こった混乱に、ウィリアムが乗じて征服を成功させた戦いです。この「ヘイスティングズの戦い」は、1851年にドイツ詩人ハインリヒ・ハイネによって詩性をもって描かれ(「Schlachtfeld bei Hastings」)、現代にまで語り継がれています。「白鳥の首のエディス」(Édith au Col de cygne)は、ハロルド王の抱えた長年の愛人で、その美しさを形容するようにこのような名で呼ばれています。
彼女の首は、とても滑らかな真珠のようだった
ハインリヒ・ハイネ『ヘイスティングズの戦場』
白鳥のように弓なりであった
そしてハロルド王は、その美しい娘を愛した。
また、ウィリアム王の異父弟であったバイユー司教のオドンが、「ヘイスティングズの戦い」を讃えるように、絵巻物としてタペストリーを描かせて大聖堂に飾らせました。このバイユー=タペストリーは五十八の場面で構成され、現代では当時の服装や文化を伝える貴重な品となっています。
本作では、十六世紀にアラスの織師ジュアン=ゴッセという人物が、バイユー=タペストリーを模して生み出した十二枚のタペストリーに大きな価値が与えられており、それを手に入れたブラジルの富豪スパルミエントのもとへ、ルパンが怪盗として参上するという物語です。スパルミエントが待ち構える屋敷では、十二枚のタペストリーを厳重に保管し、多くの警官や警備員を動員して配備していました。多くの客人も細かな検査を受けて屋敷に入り、そこで盛大な宴を催します。誰もが見守り、盗難など不可能と思われていたなか、ルパンは姿も見せずに瞬間的な混乱を起こし、全てのタペストリーを持ち帰ってしまいました。スパルミエントは激しい怒りと衝撃のあまり、自殺をしてしまいます。「白鳥の首のエディス」と呼ばれる妻は落胆の淵に立たされ、一層に青ざめた表情となって打ちひしがれます。結果的に生命を奪うという卑劣な行動に、義賊として認めていた一部の大衆も怒りを覚え、世間ではルパンを強く非難するようになりました。そこへ、インドへ出掛けていたガニマールが帰国して捜査に加わると、ルパンの流儀を信じる彼は、見事な捜査と推理によって真相へと辿り着きます。
毎度のように揶揄われ、辛酸を舐め続けていたガニマールは、実は非常に優秀な人間であるというルパンの語りからも窺えるように、ガニマールとルパンには宿敵であるからこその「信用」があります。生命を奪う筈がない、女性を悲しませる筈がない、それらの不幸な結果を予測できない筈がないという信用から、ガニマールは不可能と思われる犯罪を紐解いていきます。否定されない可能性を削ぎ残すように捜査を続け、驚くべき事実に辿り着きます。遂にルパンを追い詰めると、ルパンが獲物を諦める筈がないという信用を一部裏切るかたちで、ルパンは一味とともに一足先に退散します。しかし、残された手紙にはガニマールへの大きな賛辞が添えられていました。
おおいに感嘆もしているさ。警視庁の諸君の特質である不屈の勇気に加えて、ガニマールはきわめて重要な資質をそなえている。すなわち、決断力、洞察力、判断力を。ぼくは彼の仕事ぶりを見たことがある。ひとかどの人物だよ、彼は。
どんなにチャンスに恵まれようと、この世のなにに代えても、たとえ何百万、何千万の大金のためであろうと、決してルパンは殺しはやらないし、死の原因となることすら望みません。
宿敵同士の二人が、熟知し合い、信用を互いに得ているという構図は、読む者を実に爽やかに感じさせ、読後を清々しいものへと導いてくれます。ガニマールが掲げる徹底的な正義に対して、ルパンは悪の矜持をもって対抗します。「怪盗紳士」という言葉は、ルブランがルパンを連作化させると決めた時に、すぐに頭に浮かんだようです。これほどアルセーヌ・ルパンを表現する言葉は無いように思われます。世界で探偵ものが受け入れられていたなか、ルブランはルパンのように、チクリと皮肉を効かすように「怪盗紳士」の活躍を明快に描きました。現代でも変わらずに愛され続ける魅力が、アルセーヌ・ルパンから溢れているように感じられました。
本書収録の他の作品も傑作揃いですので、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。