RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『蠅の王』ウィリアム・ゴールディング 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

疎開する少年たちを乗せた飛行機が、南太平洋の無人島に不時着した。生き残った少年たちは、リーダーを選び、助けを待つことに決める。大人のいない島での暮らしは、当初はきままで楽しく感じられた。しかし、なかなか来ない救援やのろしの管理をめぐり、次第に苛立ちが広がっていく。そして暗闇に潜むという〈獣〉に対する恐怖がつのるなか、ついに彼らは互いに牙をむいたーー。ノーベル文学賞作家の代表作が新訳で登場

第二次世界大戦争が1939年のドイツによるポーランド侵攻を発端として勃発しました。枢軸国(ドイツ/イタリア/日本)と連合国(イギリス/フランス/中国/ソビエト連邦アメリカ)で分かれた世界規模の争いは舞台をヨーロッパに留めず、太平洋海域各地にまで広がり甚大な人的被害を生みました。

代々教師の家庭に生まれたウィリアム・ゴールディング(1911-1993)は、オックスフォード大学在籍中に叙情詩集を出版するなど、人文主義に傾倒した思想を膨らませていきました。先代の例に漏れず英語と哲学の教鞭をとることになります。その後1941年に、激しくなる戦争を憂いながら、海軍へ志願して戦地へ向かいます。

ドイツは戦力差を鑑みてイギリスと真っ向勝負を行うのではなく、海洋補給ラインを断つ奇襲作戦を実行して形勢を有利に運ぼうと試みます。鉄血宰相の名を冠した巨大戦艦ビスマルクが突き進みましたが、この作戦はイギリスに漏れており結果的に撃沈されます。この海洋戦にゴールディングは参戦していました。そこから約三年後、戦争末期に行われた海と空から砲火された決定的作戦「オーバーロード作戦」(ノルマンディー上陸戦)の連合国海軍としても従軍しました。壮絶な攻撃は一年ほど続き、両軍五十万人を超える死者を出しました。


第二次世界大戦争における人的死者は銃撃、砲撃だけではありませんでした。アドルフ・ヒトラーによってドイツ国団結のために行われたユダヤ人排斥の民族主義は、「水晶の夜」(クリスタル・ナハト)に始まり、戦時中のアウシュビッツ収容所に至るまで夥しいホロコーストの被害を生み出します。この戦争による被害総数は数千万人にものぼり、終局後も米ソ冷戦が燻りながら蟠りが残ることとなりました。


多くの実戦から多数の人間の死を見続けたゴールディングは、人文主義的思想から「普遍的な人間性の在り方」を突き詰めていきます。「なぜ人間が人間に向けて悪意を向けることができるのか」という視点からの追究は彼の著作に現れていきました。本作『蠅の王』(蝿の王)や、『後継者たち』はその考えの代表的な作品です。


先の見えない苦境のなかで理性と知恵を保ち続けるラルフとピギー、環境に侵され野蛮人へと変化していくジャックやロジャーが対比的に描かれています。ジャックは「豚を殺す」ことがきっかけとなり、彼の理性が徐々に削られていきます。初めての首を切る機会は焦燥と躊躇いで失敗に終わりました。この躊躇いは文明に生き、理性を保っていたからこそのものです。しかし自尊心を煽られ、使命感に駆られ、彼は豚の生命を奪うに至ります。一度外れた箍は自らの意思では元に戻せません。「生命を奪う側の恐怖」を失ったジャックの心は野生化し、冷静に物事を考える脳を無くします。生命を奪うことは〝理性を無くさなければ出来ないこと〟と言えます。

ジャックやロジャーが狩る「食糧としての豚」は何度もラルフとピギーの理知を奪おうとします。空腹と戦いながらも自分たちは文明人であるという誇りと、恵まれたそれぞれの理知を護り続けます。

ついに衝突する二つの派閥は絶望的な悲劇を次々に生み出します。歯止めの効かない野蛮人たちの部隊は人間の生命と豚の生命の判断さえつかなくなります。後先を考えない行動は、理知を保ち続けようと努力するラルフの心を圧倒し、精神的苦痛を繰り返し与えます。ラルフを支えるものは貫かれた意志のみでした。


「蠅の王」とは聖書における悪霊の頭「ベルゼブル」を指しています。作中では前述の四人以外の重要人物にサイモンという少年が登場します。心根優しく自己主張の苦手な人物です。彼は二つの派閥抗争を常に嘆き、和平の道は無いかと一人で黙々と考えます。一人で山へ向かったときに、誰もいないところで「蠅の王」の声を聞きます。そして悪霊が覆い続けた恐ろしい謎を解消しました。この発見こそ、和平の道に至る鍵となる情報であると心に留めて、皆に伝えようと山を駆け下ります。この行為は新約聖書ベルゼブル論争にある「悪霊が仲間同士で争うはずはない、わたしは聖霊によって悪霊を追い出している」と反論したキリストの言葉に通ずるものです。聖霊は愛によって人々を造り、そして幸せへと招いていく役割があるとされており、サイモンの行為は聖霊と重なっているように思えます。しかしこのサイモンの行為は二つの派閥を幸せには導きません。悪霊は、取り憑かれた人間から聖霊が振り払うことはできますが、悪霊と変わらぬ非人間になってしまった者へは何も伝えることはできないのでした。

内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。

新約聖書ルカによる福音書第十一章


『蠅の王』では、遺伝子の中に含まれる原始的悪意、もしくは人間が理知を得たときに生まれてしまった対極の悪意は、文明が作り上げた箍が外れてしまうと年齢に関わらず噴出してしまう恐怖を描いています。文明社会でどのように理性と知恵を授け、悪意を抑えるように教育するのか、という道徳性を人文主義的目線で問いかけているように感じられました。理性を失い悪意が噴出したものへは聖霊の声が届きません。それは「心」が無いから理知の声は聞こえないとも言えます。

闇のなかに横たわっていると、自分が追放者であることがよくわかる。「なぜならぼくにはいくらか分別があるからだ」


物語自体は確かに寓意に満ちています。しかし非常に根源的で普遍的なゴールディングの訴えが込められています。人間の悪意とは、理知とは、文明とは、社会とは、改めて考え直させられる作品です。

未読の方はぜひ。では。

 

『C神父』(蠱惑の夜)ジョルジュ・バタイユ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

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つねに鋭い人間探求をめざしつつエロスと死の深淵にさまよい、特異な文学世界を創りあげた奇才バタイユの全貌をここに集大成。バタイユは燃え上がる。この彗星は、今夜もまた、ヘーゲルニーチェの傍をよぎって異様な輝きを放つ。二人の巨人の間で微妙な振動をくりかえすその軌跡をたどることから、現代思想のすべてが始まるだろう。エロティシズムを通して次第に知的なものを失い、ついにその極点で聖なるものに到達するC神父の物語!バタイユ文学の内核にせまる問題の長篇小説!

1880年よりフランス第三共和政ではジュール・フェリーによる教育制度の改革が行われました。政府は教育において宗教的中立を保たねばならないという思想のもと、初等教育の「無償・義務・世俗化」を図ります。政府は信仰、信教の自由を保ち、公平な立場であるべきだとする主張でした。これにより国家における宗教予算(主にカトリック)が廃止され、ローマ教皇の怒りを買います。信仰心の強い教徒をはじめとした民衆は各地で暴動を起こし、軍が騒動を抑えなければならないほどでした。暴動の繰り返しにも国は姿勢を変えず、政府無認可の修道会や教育機関などを徹底的に排除します。そして1905年にモーリス・ルーヴィエによって政教分離法が制定されました。ナポレオン一世の統治より続いた政教協力体制は瓦解し、政府とローマ教皇のあいだに大きな溝を作り出すことになりました。


ジョルジュ・バタイユ(1897-1962)は無神教であった家庭に生まれましたが、自ら望んでカトリックへ入信します。本来的に持っていたミスティシズム(神秘主義)の資質がさらに培われて敬虔な信者として成長します。しかし、哲学者フリードリヒ・ニーチェによる反カトリシズム「永劫回帰」を受けて精神に衝撃が走ります。カトリックの持つ彼岸的、或いは来世的な思考の無責任さを理解し、遂には棄教者となります。


強いミスティシズムを持った無神論者は「神の不在」を認めつつ、神的存在を求めます。1937年に聖なるものの社会学を求めて、ミシェル・レリス、ロジェ・カイヨワと共に「コレージュ・ド・ソシオロジー」(社会学研究会)を立ち上げます。「新しい神は、夜の暗い混沌の中で、死に直面することによって現前する」という思想は信仰と実存の整合性を追い求めます。この組織に加入していた岡本太郎バタイユの強烈な個性による思想に強く惹かれていました。

彼は三十代、ちょうど十歳若い私は二十代のなかば頃であった。私は強烈な個性によって貫かれた彼の実存哲学、その魅力に引きずられた。

『蠱惑の夜』序文


第二次世界大戦争が勃発する1939年までコレージュ・ド・ソシオロジーは活動を続けます。政治、宗教、学問、芸術を実存主義に基づいて多角的に見定め、「信仰と生死」について考えを突き詰めていきます。

何も愛さずにいるということが人間には許されている。というのも、人間を誕生させたこの原因も目的もない宇宙は、必ずしも、人間が受け入れることができるような運命を人間に与えていたわけではないからだ。

魔法使いの弟子


戦後のバタイユは時代の潮流に逆らうかのように、最盛期がすでに過ぎていたシュルレアリスム運動に関心を抱きます。知的から詩的へと移行しようとする運動は「知の放棄」とも言えます。この詩的感情、詩的表現を「実存主義」と「シュルレアリスム」の差異として認め、そこに直接的な実存から離れた抽象的な裸の信仰心を見出します。では「信仰の対象」とは何か、という生来付き纏い続けるこの疑問はやがて「non-savoir」《無-知》という概念を生み出します。


1950年に出版された本作『C神父』(蠱惑の夜)は《無-知》への羨望が込められています。世に根付いていたカトリック信仰社会では正しくあろうとする姿勢を求められます。それは「神」の存在を絶対条件とした生き方で「生きる理由」を強制されます。この考えは精神を固くさせ、精神の自由からかけ離れていきます。バタイユダダイズムシュルレアリスムなどの根本である《知》の破壊、《知》の脱出を用いて、「強制された生きる理由」からの脱却を図ります。ニーチェツァラトゥストラ』に含まれる逆転論は、普遍的な人間の「生きる理由」を明示していました。


神父ロベールの行動は「信仰力の強い神の否定者」と言え、神の不在を理解しながらも神に仕えなければならないという矛盾を孕んでいます。聖職を全うしながらも職務の不毛さを感じる虚無感に、戒律を重んじ欲を抑える力が減退していきます。双子のシャルルは正反対とも言える欲望に忠実な生き方をしながらも、不道徳による苦しみから死を渇望するに至ります。二人の苦悩は発端こそ対照的な位置にあるものの、同種の「生きる苦悩」を抱きます。バタイユ作品に頻繁に現れる語「angoisse」(苦悩、苦悶)は神の不在から沸き起こる感情として表され、《知》の崩壊による解放を次第に望み始めます。

ロベールはこの解放を「神との同一化」により心を保とうと試みます。神が存在した場合に神が感ずるであろう感覚を得んがために、自身を神と重ね合わせ、自身の不道徳な行動を正当化します。この歪んだミスティシズムがシャルルを更なる苦悩へ導きます。

ロベールの不幸はね、自分の行為を自分で非難できなかったところにあるんだろうな。世間が悪と呼んでるようなことをしてる場合でも、善に向かう情熱にもひとしい情熱をもってやってたんだね。言うにいわれぬ弱さとみえるものも、ある場合には、異議のない道徳への嫌悪にすぎないんだろうな


「死はある意味ではひとつの瞞着である」と『内的体験』で語るバタイユは、他者の死さえも演劇的な自身の死の擬似体験に過ぎないと考えを述べます。死を悼む感情は、自身が決して遭遇することのできない代替の感動として心を打つという思考です。

「神の死」を理解した神父ロベールが、「神との同一化」を図ったことにより、苦悩から逃れようとした結果、明確な「死」を前にするという悲劇に至ります。

ぼくは坊主だ、いや、昔は坊主だった。いまぼくは死のうとしている。そのために死ぬほど苦しんでいる悪、この身に耐えてきた虐待、自分の犯した罪を思うときの精神的苦痛、それらのことがよってたかって、ぼくみたいに善を渇望してる人間さえも、残骸にしたんだよ。ほんとだよ、ぼくは一度だって神を忘れたことはなかった、これからだって、ただの一瞬も忘れはしない。ぼくは自分から逃れられないだろう……


「神の死」は「人の死」の意味を変えました。現世、来世という概念は逃避的思考として区分けされ、現在を生きる重要さを教えました。しかし「神のため」を生きる理由としていた人々は苦悩を強く抱きます。

私の使命は人類の最高の自覚の瞬間を準備すること、すなわち人類が過ぎ来し方を振り返り、行くべき先を見通して、偶然と僧侶たちの支配から脱し、「何故?」「何のために?」という問いをはじめて全体として発する大いなる正午を準備することにほかならない

ニーチェ『この人を見よ』


バタイユは「生きる理由」を妻ロールの遺稿から読み取ります。初めて出会った日から彼女の美しさ、透明感にのめり込み「愛の存在」を感じます。瞬きとともに消えてしまいかねない強い輝きを、彼は消えてなくなる気がする恐怖と表します。その予感は的中し、ロールは四日間にわたる苦しみとともに先立って亡くなりました。

詩作品は聖なるものである。というのも詩作品は核心的な出来事の創造、すなわち裸体のように感じられる交流の創造であるからだ。詩作品は自らを強姦する。裸体にする。生きる理由になっているものを他の人々に伝達する。ところでこの生きる理由は《移動》していくのだ。

魔法使いの弟子』訳者あとがき


「生きる理由」は「愛の存在」に結びつきます。それは神への愛ではなく、自身の「裸体の心」です。飾りを取り去り、虚栄を取り去り、信仰を取り去り、純粋な自身の「愛」に正直であること。ここにニーチェの問い掛けに対する答えが浮かび上がります。

死を恐れて尻込みしていても、それは意味がない。〝死〟と〝生〟とはいつでも対面しているものなんだ。むしろ、恐怖と面と向かい、〝死〟と対決しなければ、強烈な生命感はわきおこってこない。

岡本太郎『強く生きる言葉』


自身の人生は自分のためにあり、死から目を背けず、だからこそ強い意志で生を全うする。心と愛と生の繋がりを改めて考えさせられました。

『C神父』は少し入手が困難かもしれませんが、機会があればぜひ読んでみてください。

では。

 

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『モモ』ミヒャエル・エンデ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語。時間に追われ、人間本来の生き方を忘れてしまっている現代の人々に、風変りな少女モモが時間の真の意味を気づかせます。町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります……。「時間」とは何かを問う、エンデの名作。小学5・6年以上。

ミヒャエル・エンデ(1929-1995)はバイエルン州のガルミッシュで画家の父の元に生まれます。父のエドガー・エンデは「暗闇の画家」と呼ばれています。彼は部屋を暗くして視界を閉じ、心の奥の奥から浮かび上がる幻想を描きました。「ロマンティック・シュルレアリスム」と称され、現代でも戦後のドイツ美術復興に尽力した一人として認められています。彼は思想家ルドルフ・シュタイナーに傾倒して、ロマン派自然主義を中心に人智学運動に賛同します。この頃から戦間期ドイツで台頭するナチスによる文化政策の締め付けが厳しくなります。これに反抗したエドガーは政府より「退廃芸術家」の烙印を受けて創作支援を断ち切られ、苦しい生活を余儀なくされます。

第二次世界大戦争は、ドイツ東方ドレスデンへの甚大な空爆被害が戦争終結を決定的にしましたが、南方ミュンヘンでも同様に大型空襲が行われて復興困難な被害を与えました。この時、エドガーのアトリエも破壊され、実に七割もの作品が世から消えました。

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エドガー・エンデ「窓の十字架」


ミヒャエルも徴兵の招集を受けましたが、これを拒否して反ナチス抵抗組織「バイエルン自由行動」に加担します。戦後は父の傾倒したシュタイナー教育(ヴァルドルフシューレ)を受けますが、ベルトルト・ブレヒトの戯曲をきっかけに演劇へ心を惹かれて、友人たちと「屋根裏劇場」を立ち上げます。その後、演劇学校に入った彼は俳優として、作家として戯曲の世界に没入していきます。しかし彼の創作においてリアリズム表現には限界が感じられたため、ブレヒトから離れた自由な幻想表現に希望を見出し始めます。


戦争終結直後のドイツは、敗戦国ならではの貧困、インフレ、貨幣価値崩壊による経済破綻が起きていました。ナチス統治時に流通したライヒスマルクは信用を失い、民衆はタバコを尺として物々交換を行っていました。連合軍はドイツに通貨改革を起こす必要があるとして、アメリカが造幣してドイツへばら撒くなどの強引な手法を用いて改革を起こします。しかし、ミヒャエルは国際基軸としての通貨価値に疑問を抱きます。謂わば通貨価値とは社会主義、資本主義の争いの種となっており、通貨そのものを売買するに至る現状に不審を抱きます。彼の考えの根幹にはシュタイナーが説いた「社会有機体三層論」(フランス革命思想「自由、平等、友愛」の発展理論)に基づいています。「精神生活における自由」「法律上の平等」「経済生活における友愛」、これらが相互に自律して支え合い「生の領域」を構築しているというものです。特に、経済生活の共同作業が友愛に基づかざるをえないという点を、「労働に対する報酬」という資本主義的概念が乱していると感じ始めます。資本とは、貨幣とは、労働とは、消費とは、という疑問は、戦後の高度経済成長に半ば無意識的に労働へ没頭している民衆が抱くことはありません。ミヒャエルはこの世の現状に対して、警鐘を鳴らす必要があると感じ始めます。


友人の誘いにより執筆した絵本『ジムボタンの機関車大冒険』は出版まで時間は掛かりましたが、ドイツ児童文学賞を受賞したことにより作家として歩み始めます。ミヒャエルの作風は、幻想的童話形式であるクンスト・メルヘンを礎とした上で、ドイツ初期ロマン派を源流とした「メルヘン・ロマン」と自身で名付け、その後も一貫します。詩的幻想世界を舞台に現代の社会問題を風刺し、児童文学でありながら大人にも感銘を受けさせる作品を生み出していきます。


1973年に出版された『モモ』は発売当初、ドイツ文化人にノンポリティカル文学であると批判されました。この批判は、戦後の復興が落ち着き、世界に追いつけ追い越せと高度経済成長を支えた実直な労働者的思想から出たものです。彼らは、真摯に働き、対価を得て、社会が潤うことに問題は見出せません。科学と合理化による生産活動は無駄な作業や時間を無くし、より効率的な成長が得られると考えたのです。


灰色の男たちは作業を滞らせる行動の全てを排除するように主張します。社会の歯車となり、ゆとりの時間を持つことを許しません。一秒でも無駄を無くして、日々を働くことに専念させようとします。灰色の男たちが記号で呼ばれて管理されているところも踏まえると、ナチス時代の共同体主義管理社会を連想させられます。また、エヴゲーニイ・ザミャーチン『われら』の世界も思い起こさせられます。


ミヒャエルは当時の高度経済成長による産業社会を徹底して批判します。それは、主体を「仕事」ではなく「生活」に置くべきだという「人生」の見直しを訴えています。時間を貨幣に換算し、資本主義と貨幣価値の危険性を説きながら効率至上主義を否定します。産業効果による身の回りの潤いは「心の潤い」に繋がっているのか、本当に自分が望んでいるものか、心の幸福を問いかけます。そして、どのような社会であっても最も重視すべき大切なことは「幸福な生活」を守ることであるという理念が伝わってきます。また、心を守るために必要なものは「時間」であると言えます。

時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。ちょうど虹の七色が目の見えない人にはないもおなじで、鳥の声が耳の聞こえない人にはないもおなじようにね。でもかなしいことに、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、なにも感じとれない心を持った人がいるのだ。


1981年にポーランドヤヌシュ・コルチャック賞を受賞します。子どもの権利や福祉のための活動を認められた作家に贈られるものです。これによる褒賞は全て児童施設へ寄附しました。コルチャックはナチスによるユダヤ人迫害を強く受けた一人で、孤児の救済に尽力した人物です。未来を支える子どもと、彼らが生きる社会を思う気持ちは重なるところが多かったのだと思います。


児童文学の為に敬遠されている方もいらっしゃるかと思いますが、現代社会に生きる大人にこそ響くことが多い内容です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

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『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

32歳になっても、幼児の知能しかないチャーリイ・ゴードンの人生は、罵詈雑言と嘲笑に満ちていた。昼間はパン屋でこき使われ、夜は精薄者センターで頭の痛くなる勉強の毎日。それでも、人のいいチャーリイは少しも挫けず、陽気に生きていた。そんなある日、彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の偉い先生が、頭をよくしてくれるというのだ。願ってもないこの申し出に飛びついたチャーリイを待っていた連日の苛酷な検査。検査の競争相手は、アルジャーノンと呼ばれる白ネズミだ。脳外科手術で超知能をもつようになったアルジャーノンに、チャーリイは奇妙な親近感を抱きはじめる。やがて、脳外科手術を受けたチャーリイに新しい世界が開かれた。だが、その世界は、何も知らなかった以前の状態より決してすばらしいとは言えなかった。今や超知能をもつ天才に変貌したチャーリイにも解決しがたいさまざまな問題が待ちうけていたのだ。友情と愛情、悲しみと憎しみ、性、科学とヒューマニズム、人生の哀歓を、繊細な感性で描きだす感動の1966年度ネビュラ賞長篇部門受賞作。

1950年代のアメリカは第二次世界大戦争における無傷の戦勝国として、経済面を中心に世界を牽引していきます。大統領のハリー・S・トルーマンは燻るソビエト連邦を冷戦で封じ込める政策と同時並行して、国内の安定と成長を見据えます。世界の指導者としての裏付けにもなる爆発的な経済効果は、公共支出の特需が後押しした形で豊かな国を作り上げました。国民の大多数が中流階級となり、自動車、テレビ、家など文化や娯楽に満たされた生活を送ります。しかし、そのような恩恵を受けることなく人権を排除され続けたアフリカ系アメリカン達は蜂起し、公民権運動を起こします。この運動にトルーマンは理解を示し、国政でできることはないかと模索します。彼の主な政治理念はフェアディール政策に織り込まれました。これに提示した二十一ヶ条は、経済の発展と社会福祉に関する行動に重点を置かれました。トルーマンが演説で述べた有名な言葉です。

まともな住宅を持つ権利、教育を受ける権利、満足な治療を受ける権利、価値ある仕事に就く権利、投票を通じた公的な意思決定に対する平等な機会を持つ権利、公正な法廷で公正な裁判を受ける権利を、あらゆる人が持たねばならない


1950年に改正された社会保障法は、戦争に起因する身体障害者を中心に幅広い保障を受けることができるようになり、デンマークより広まったノーマライゼーションの理念がアメリカ国内でも浸透し始めます。しかし精神疾患においては、精神衛生法の制定により医学研究の幅は広がったものの、福祉の直接的な恩恵は少なく、施設運営も限られた予算にて行われている状況にあり、満たされた保障とは言えませんでした。第二次世界大戦争が終わっても、抱えた精神疾患は癒されることはありません。50万人を超える精神疾患者を収容する国立の精神病院の数は、わずか350箇所程度でした。

作中で「ワレン」と訳されているウォレン養護学校も保健教育福祉省に帰属する施設のひとつでしたが、実態として、当時の養護学校とは「障害者コロニー」と言われる隔離施設でした。そこに一度入れば出てくることはなく、最期までここで生涯を過ごします。いわゆる「墓場」のような扱いで、障害を持った家族を入所させるのでした。


1930年代の医学研究において精神疾患の改善手術が開発されます。神経学者ウォルター・フリーマンと神経外科医ジェイムズ・ワッツによる前頭葉切除術「ロボトミー手術」です。二人はこれを「フリーマン・ワッツ術」と名付けます。

一定の精神安定が見られたこの手術は、戦後に増加した精神疾患者たちに比例して症例が積み重なり、世界へと広がっていきます。しかし失敗の症例も多く、早い段階で危険性を訴える声が上げられましたが医学会内では黙殺されることとなります。


その後、1961年にジョン・F・ケネディが大統領に就任しますが、彼の妹であるローズマリーケネディロボトミー手術による失敗で脳機能障害をおこしていました。ウィスコンシンの修道校セント・コレッタで隔離されながら暮らしました。妹のユーニス・ケネディ・シュライバーは十年間ものあいだ、ローズマリーの居場所や生死を知ることができませんでした。

この事実が公になるとケネディ大統領は「妹を墓場へ放り込んだ」と糾弾されます。国民の支持を維持するため、大々的に精神障害者施設を支援することを表明します。そして、1963年に「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書」いわゆる「ケネディ教書」を発表し、福祉政策を具体的に実現させました。この効果は、精神障害者をコロニーに隔離するといった隔離政策から、脱施設化へと方針が転換されることになりました。


ダニエル・キイス(1927-2014)が執筆した本作『アルジャーノンに花束を』はサイエンスフィクションですが、環境がどこまでも現実的で実世界との境界線を見失うほどのリアリティです。そして繰り広げられる作中世界も現実世界と状況がリンクします。神経学者ウォルター・フリーマンと神経外科医ジェイムズ・ワッツの二人組は、作中のニーマー教授とストラウス博士、そしてユーニスがローズマリーの生死を知らされない点は、チャーリイの妹ノーマと結びつけてしまいます。

作中で提起、あるいは想起される問題は現実でも問題視されている事柄であり、サイエンスフィクションであるからこそ、問題として仮定された恐怖を読者に与えることができる秀逸さを持っています。そして読後に抱く感動は、恐怖と問題意識を蘇らせ、自己、自我、自立、自意識などを改めて考えさせられます。


1960年代にエド・ロバーツが牽引した「自立生活運動」は障害者の主体性を尊重するもので、介助や温情を受けて責任や義務から解放される生活を良しとせず、人間として自立し、個人を尊重することを目指す目的とした運動です。ここで掲げられる理念「自立とは自己決定である」は、チャーリイの最後の決断からも感じ取ることができます。自分で判断出来なかった彼は、最後に自立できたと言えるのではないでしょうか。


本作では、社会に適応する「利口さ」を身につける教育ではなく、適応が困難な精薄者へ「歩み寄る社会」を構築することが必要であると感じさせます。そしてその社会が精神障害者に生き甲斐を見出させ、社会における役割を果たすような生き方を可能にすることをこそ重要視するべきであると思います。

また、知識を得る教育とともに、道徳を育ませる教育の必要性を訴えているように感じられます。

知能だけではなんの意味もないことをぼくは学んだ。あんたがたの大学では、知能や教育や知識が、偉大な偶像になっている。でもぼくは知ったんです、あんたがたが見逃しているものを。人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもないってことをです


名作であり、今もなお色褪せない鮮やかさを保ったサイエンスフィクション作品は、未だ解決に至らない福祉的な問題、精神自立的問題、コンプレックス的問題を問い続けています。

未読の方はぜひ読んで、考えさせられてみてください。

では。

 

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『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア=マルケス 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

蜃気楼の村マコンド。その草創、隆盛、衰退、ついには廃墟と化すまでのめくるめく百年を通じて、村の開拓者一族ブエンディア家の、一人からまた一人へと受け継がれる運命にあった底なしの孤独は、絶望と野望、苦悶と悦楽、現実と幻想、死と生、すなわち人間であることの葛藤をことごとく呑み尽しながら……。20世紀が生んだ、物語の豊潤な奇蹟。1967年発表。


1930年に世界恐慌の煽りを受けたコロンビア経済の安定を図るため、貧困に苦しむ労働者の支持により自由党が政権を握りました。コロンビア・ペルー戦争を経て、土地の改革を行った自由党は政権継続と思われましたが、政治の失策により保守党へと政権を移します。

1946年に保守党政権が誕生しますが、ここからコロンビアはLa Violencia(暴力)の時代に包まれます。保守党はあらゆる権力を用いて自由党を抹殺しようと試みます。政治的排除はいずれ暴力へと変化してテロ行為を繰り返します。抗争が激化している中で行われる選挙では自由党のカリスマ党首ホルヘ・エリエセル・ガイタンが当選確実となりました。しかし保守党にガイタンは暗殺されます。この事件を切っ掛けに押さえつけられていた市民感情は爆発し、両党の市民同士で大規模抗争を起こします。これがボゴタ騒動です。


カリスマを失ったコロンビアは争いを収める力を失くし、暴力の時代が十数年と続くことになりました。政権を握り続けた保守党はラウレアーノ・ゴメスという保守的思想の強い人物を大統領に就任し、情勢の収拾を図ります。しかしゴメスの激しい独裁政権と暴力の助長は、保守党、自由党ともに危険を覚えて不満を抱き、軍の介入に至ります。軍の英雄グスタボ・ロハス・ピニージャ将軍が軍事政権を発足し、統治を試みます。市民への武装解除を強制することで民間同士の「暴力」は抑えられました。しかし軍人気質が災いし、民衆を軽んじる考え方に不満が募り、市民が蜂起しました。ロハスへの敬意が失しているとしてこれらの民衆を虐殺します。これを機に国民、保守党、自由党、それぞれが反ロハス派となり、遂にはロハスを亡命させるに至ります。その後、両党で持ち回りの「国民戦線」体制が構築され、1974年まで継続します。この間に二十万人以上もの人が亡くなります。


ガブリエル・ガルシア=マルケス(1928-2014)は、退役軍人の祖父と伝承話に精通した祖母の元で幼年を過ごします。祖父母が語る戦争や伝説は、真偽のほどがわからないままに驚きと感動をガルシア=マルケスに与え続けます。本作『百年の孤独』に登場するアウレリャノ・ブエンディア大佐は祖父の気質を要素に取り入れて描かれています。また、信仰、政治、軍事、文化、発明、商業、歓楽などの幅広い題材は、聞かされ続けた話から想起されたものや、ユナイテッド・フルーツ社、ボゴタ騒動、寡頭支配政治体制、牛の首輪虐殺事件、など想像に易い関係付けられた出来事も多く含まれています。


ボゴタ騒動の影響により、学業から強制的に社会へ出ることになった彼はジャーナリストとして働きます。貧困に苦しみながらも文学を愛し続け、ジェイムズ・ジョイスフランツ・カフカウィリアム・フォークナーなどの作品に影響を受けます。特にフォークナーにおいては、アメリカ南部の紛争、政治と庶民の苦悩、そして文学作品の構成そのものなどに感銘を受けます。読み終えた時に、作品の全体像と含ませた問題提起が現れる描き方は『百年の孤独』でも活かされています。


本作『百年の孤独』は1967年に発表されました。幻の村マコンドの共同体であるブエンディア一族の興亡が百年に渡って描かれます。感情を含まない筆致は読者以上に第三者的立場で語りかけてきます。目に留まった出来事を淡々と書き記したかのように描かれる文章は、現実的あるいは非現実的という問い以前に「そうである」という説得性を持って脳内に入り、読み進めさせられます。この描写方法が神話的印象を強め、俯瞰的視野による「物語に含めた問題提起」を浮き上がらせます。

この作品に対する批評家の絶賛と大衆の熱狂は、一部は『百年の孤独」がひとつの神話、失われた楽園の神話をみごとに再解釈してみせ、古い原型を破壊する傾きのあるわれわれの社会にそれを受け容れさせたことで説明される。

ジャック・ジョゼ『ラテンアメリカ文学史』


百年間を駆け巡る事象の羅列には、一貫した主題が背景に据えられています。それは「愛憎」と「孤独」です。

家族の愛に満たされなければ孤独となり、家族を愛すれば一族が破滅する。


紡がれた物語を読み終えた時、表紙を閉じると同時に、物語や記憶、本そのものまで消失してしまうのではないかとの想像をしてしまいます。しかし、手元に残り続ける本は記憶を留めさせ、「愛と孤独」を問い続けます。

本作では家族愛と恋愛の境界が不明瞭であり、近親相姦や私生児、もっと言えば性交と道徳が繋がっていないと思える程の情欲に任せた行為が散見されます。「本能的な愛」と「衝動的な愛」、そして「道徳的な愛」と「献身的な愛」など、多種多様な「愛」は、さまざまな登場人物がそれぞれ持った価値観と言動で描かれています。これらの「愛」を原動力とした行動を本作は「愛すること」と定義しません。そして孤独が付き纏い、幸福感を得ることができず、生命を終えていきます。


百年のあいだに孤独と不幸を積み重ねた一族は遂に「愛し合うこと」へとたどり着きます。末裔の男女は「愛」によって結ばれます。そしてこの愛は、一族を終末へと導きます。

日常的でしかも永久的な唯一の現実が愛でしかない空虚な世界を、彼らはふたりしてさまようことになった。


登場人物の言動や「愛と孤独」は、全てマジックリアリズムの表現で描かれ、感覚的な印象をより濃く記憶へ残していきます。この感覚印象の蓄積は、現実と非現実の融合、合理と非合理の混在、時間軸の撓みや循環、これらの不可解を違和感なく受け入れる事ができ、作中の世界へと没頭させられてしまいます。

また、激しい情熱の気性を帯びているからこその陥る深い孤独は、より一層に寂しさ、虚しさを感じさせます。「孤独」は愛に反して普遍的に描かれています。心の内の内へ、中へ中へと深く広がる孤独は「愛の衝動」と対比的に、鮮やかさを無くしたモノクロームで静止した印象を与えます。


暴れる「愛」の感情は、本能的な執念や衝動的な欲求にあり、因襲的な束縛を暴力で振り払う気質が見られます。それと同時に執念を抱く対象や振り払う束縛の無い、心の虚無とも言える「孤独」は現実的に、そして普遍的に描かれます。この逃げることのできない、避けることのできない事実は「死」と重ね合わせて読者の目の前に突きつけてきます。

しかし百年の間に一族以外の「死」は随所に多数の犠牲として描写されています。その死を特別視せずに通り過ぎる一族、そして作者は淡々とした一行で済ませています。

 

誰にでも付き纏う死の影は、自身に忍び寄ると何倍もの恐怖として受け止められます。他者への無関心を生命の平等性で糾弾しているようにも受け取る事ができます。


本作は、結末をもって清々しい読後感を与えるとともに、「愛と孤独」についての主題が鮮明に残り、本を閉じた後も考えさせられる不思議な作品です。未読の方はぜひ体感してみてください。

では。

 

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『悲しみよ こんにちは』フランソワーズ・サガン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

太陽がきらめく、美しい南仏の海岸を舞台に、青春期特有の残酷さをもつ少女の感傷にみちた好奇心、愛情の独占欲、完璧なものへの反撥などの微妙な心理を描く。発表と同時に全世界でベストセラーとなり、文壇に輝かしいデビューを飾ったサガンの処女作である。

1944年、第二次世界大戦争において連合軍のオーバーロード作戦(ノルマンディー上陸作戦)によりドイツ占領下にあったフランスを解放し、親独政権ヴィシー・フランスは終わりを迎えました。国内では小党の覇権争いが繰り広げられましたが、人民共和派と社会党の連立内閣が成立します。しかしこの内閣は対立を生み、戦後の復興に遅れを生じさせて国民に不信感を抱かせます。フランス外相ロベール=シューマンは戦後経済の主導権をアメリカに握らせないため、そしてフランス経済の回復のため、ヨーロッパ統合を見据えます。発表されたシューマン・プランを元に「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体」(ECSC)を発足しました。絶えることのなかった独仏国境紛争を抑え、各諸国で資源管理をし、隣接する国同士で協力して運営を行うものでした。ルール、ザール両地方での工業は安定、発展して経済効果を両国にもたらします。この流れがのちのEC、EUへと繋がっていきます。


こうして戦後数年でフランスの復興と経済安定は進み、国民の感情は落ち着きを取り戻し始めます。生活力を取り戻した国民は過去の政治における過ちを許容し始めます。親独政権ヴィシー・フランスを恥ずべきものだとしていた風潮は、戦後直後に比べて緩和し見方を変え始めます。現実として保たれている生活はドイツとの協力関係がある事が裏づけとされているからでした。大きな声での主張こそ見られませんでしたが、大衆に向けた文化(文学、映画など)で描写されるようになります。戦争批判の内容から恋愛やエンターテイメントな内容へと変化し、「個人感情の自由」を感じられる作品が現れていきます。戦争の絶えなかった時代がようやく収束を見せ始め、国民は「自らの人生」をようやく見つめられるに至りました。


フランソワーズ・サガン(1935-2004)は、電気会社重役の父と地主の母という大変に裕福な家柄で育ちます。学校生活には馴染めず退学と転校を繰り返しながらも、その間に処女作の執筆を始めていました。「自分にできることは書くことしかない」そう自分に得心しながら書き上げた作品が本作『悲しみよ こんにちは』です。当時、サガンは十八歳でした。


ヒロインであるセシルは当時のサガンと重なる年ごろで十七歳。やもめの父は若々しい身体、若々しい精神を持った美形の男性。そして父と良い仲である若い女性エルザの三人で夏の別荘暮らしを謳歌する場面から物語は始まります。父とセシルは大変に仲が良く、親子を超えた個人の理解者として存在し、互いに心安らぐ大切な人として描かれます。二人の共通した主義は「刹那的快楽を愛する」という点にあります。いま、この瞬間を最高に過ごす、その想いを叶える為に全力で行動します。セシルは別荘付近で年上の男性シリルと良い仲になります。父はこれを歓迎し、暖かい目で見守りながら応援します。期間の限られた夏休みを存分に楽しむ生活に、身も心も開放されていたセシルを驚かせる出来事が起こります。母の友人であった女性アンヌが別荘に休息に来るという父の告白でした。規律を重んじ、世間体を重んじ、仕事もできる頭の良い「自立した女性」であるアンヌ。セシルは彼女と生活を共にした経験があり、とても窮屈に感じます。父の手前、反対することは全くありませんが、本心は拒絶したい思いでした。


父が徐々にアンヌへ心が傾いていることをセシルは悟ります。「このままでは夏休みだけではなく、この後の人生すべてが窮屈になってしまう」そのような不安に駆られたセシルは、エルザとシリル、二人がそれぞれ父とセシルに結ばれた未来を叶えるため、アンヌを追い出そうと画策します。

考える自由、常識はずれなことを考える自由、少なく考えることの自由、自分の人生を選ぶ自由、自分自身を選ぶ自由。私は「自分自身で在る」と言うことはできない。なぜなら私はこねることのできる粘土でしかなかったが、鋳型を拒否する粘土だった。


本作で描かれる十七歳セシルの観察眼は凄まじいものです。父の性格を完全に把握し、自尊心を煽り、感情を操作します。エルザ、シリルも同様に心の底を覗き込み、自身の思惑へと誘導します。彼女の計画は遂行され、大きな悲劇へと物語は疾走します。


そのような中でセシルは幾つかの矛盾した感情を抱きます。「アンヌを愛している」「アンヌにそばにいて欲しい」「計画が成功しなければいい」など、行動と逆の感情が渦巻きます。しかし、読者も経験したことのあるような矛盾であり、むしろ人間らしく共感を覚えずにはいられません。この心情描写の筆致がとても見事で、次々と頁を捲らされてしまいます。また男女の精神の交流を類を見ない表現で、そして現実主義的な不安定さを持って鋭く描かれる点は、サガンの観察眼とその表現力がもたらした賜物と言えます。

そしてこの物語を覆う「先を見据えない無計画さ」はセシルの、或いはサガンの「若さ故の無頓着な無責任さ」によるものと思われます。だからこそ、顛末として想像でき得る悲劇に頭を働かせることができず、苦しい最後を迎えることになりました。


作中の最後にセシルに訪れる罪の意識は、作品名『悲しみよ こんにちは』から「苛まれる」というよりは「受け入れる」という印象を受けます。これはセシル自身が罪から逃れようとするのではなく、自己の中に責任を理解して心の中で罪を背負うという描写に感じることができます。


サガンはこの処女作で一気にベストセラー作家となり、巨万の富を僅か十代にして手に入れました。社会に対する理解や恐怖を抱く前に金銭的不自由から解放されました。ここに社会の悪意が寄り集い、アルコールからギャンブル、ドラッグに至るまで、教え込まれたあげくに抜け出すことができなくなりました。金銭感覚を構築する間もなく感情と衝動のみで快楽を追求し続けたために、富、名声、栄誉を坂道を転がるように溢れ落とし、遂には貧困の末にドラッグ後遺症と共に別荘でひっそりと息を引き取りました。


渇望した自由は本当に幸せになることができるのか、世に問うているように思われます。しかし、サガン自身の人生の末路が結果を示していることは、皮肉的であるとも言えます。セシルもサガンも「快楽や衝動」に重きを置いています。その瞬間のみを自由に生きたいという欲望が強すぎたためです。せめてサガンの身近に「アンヌ」が居ればと思わずにはいられません。


「個人感情の自由」は誰もが欲しています。しかし、誰もが社会に身を置いていることも事実です。本当に大切なものを、自分を幸せにする愛し方を見つけることが「快楽や衝動」に振り回されず、本来的な「幸福」を手に入れることができるのではないかと感じました。


自身の感情を振り返り、行動を改める切っ掛けになるよい作品です。
未読の方はぜひ。

では。

 

『若き詩人への手紙/若き女性への手紙』ライナー・マリア・リルケ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

『若き詩人への手紙』は、一人の青年が直面した生死、孤独、恋愛などの精神的な苦痛に対して、孤独の詩人リルケが深い共感にみちた助言を書き送ったもの。『若き女性への手紙』は、教養に富む若き女性が長い過酷な生活に臆することなく大地を踏みしめて立つ日まで書き送った手紙の数々。その交響楽にも似た美しい人間性への共同作業は、我々にひそかな励ましと力を与えてくれる。

 

現在のチェコ共和国プラハで生まれたライナー・マリア・リルケ(1875-1926)は、オーストリア・ハンガリー帝国の激動に翻弄されながらも、自己を曲げず、自己と向き合い、心を豊かでいようと努めた偉大な詩人です。


十九世紀後半にイギリスで起こった産業革命プロイセンオーストリアを含むドイツ連邦へ大きな危機感を与えます。農業を中心に経済を支えていた連邦は、世界の大きな工業化の流れに乗り遅れることを恐れ、ドイツ連邦を一つの統一国として形成して対抗しようと試みます。しかし、オーストリアの持つ国力が大きく、他の連邦国が属国となり得る危険性がありました。また民族主義の観点から異民族を統一ドイツへ含むことを反対する主義者も多くあり、本来は融和的な関係であったものが徐々に亀裂を含み始めます。そして「鉄血宰相」オットー・フォン・ビスマルクプロイセンの首相となり、1867年に普墺戦争プロイセンオーストリア)を勃発させて勝利します。その後、1871年には普仏戦争プロイセン・フランス)で勝利し、統一ドイツ国家を作り上げました。

軍事力で弾圧的に統一されたドイツ国は過去の権力者を排除します。オーストリア・ハンガリー帝国を保ち続けてきたハプスブルク家は凋落し悲惨な最期を迎えました。立て続けに変革のために流される血を見つめ続けた民衆は鬱屈し、民衆同士でさえ民族主義的な嫌悪を覚え、一向に豊かな生活を得ることができませんでした。


リルケは元軍人の家に生まれます。戦争に貢献した軍人には国からある程度の恵まれた暮らしを与えられていました。また伯父が貴族であったことで、財力的には豊かな生活の元で過ごします。父はリルケに軍人を目指すよう諭し、陸軍幼年学校、士官学校へ通わせますがリルケの内向的な性格が校内の環境に合わず中途退学します。その後、商業学校に通い、そこで書いた詩が発端となり執筆を始めていきます。プラハ大学、ミュンヘン大学で学びますが、ここでイワン・ツルゲーネフの作品と出会いロシアに惹かれ始めます。二度のロシア旅行で見た、大地と苦悩に生きる大衆の姿に強く影響を受け、本腰を入れて自身の詩作の執筆に励みます。彼らの過酷な環境における信心の強さ、深さはリルケの精神の見方を変化させました。


この頃、ロシアへ行く前年のイタリア旅行で親交を持った若い芸術家の一人である彫刻家のクララと結婚します。リルケは、クララの師匠であるオーギュスト・ロダンの芸術に感銘を受け、1902年にリルケは意を決して『ロダン論』という評論の執筆に取り掛かります。取材のため近くなった彼らの距離は、互いの心を徐々に親しくさせて秘書として雇われるに至ります。間近で触れるロダンの芸術観、或いは芸術作品は「事物の芸術性」を放ちます。事物が内に持つ「もの」を真っ直ぐに「表現」させることを学び、自身の詩作へ活かさなければならないと努力します。


『若き詩人への手紙』は1903-1908年の間で交わされました。ロダンの作品から事物の正確性、真実の厳密性に大きく影響を受けたリルケは、自身の詩作にも「事物の芸術性」を求めます。

必然から生れる時に、芸術作品はよいのです。こういう起源のあり方の中にこそ、芸術作品に対する判断はあるのであって、それ以外の判断は存在しないのです。だから私があなたにお勧めできることはこれだけです、自らの内へおはいりなさい。そしてあなたの生命が湧き出てくるところの深い底をおさぐりなさい。


近代芸術からモダンへと変遷を辿る最中、リルケロダンだけでなくセザンヌピカソボードレールなどの作品に出会うたび、彼の中にある芸術性を深いものへと形成していきます。

その後、再びイタリアへ赴いたリルケは、貴族の伝でアンドレ・ジイドと知り合います。互いに内に孤独を抱え、芸術性を追求していた彼らは惹かれあい、友情を育みます。執筆の意見や助言をそれぞれ手紙で交わし、支え合いながら高め合っていきます。しかし間もなく、第一次世界大戦争が勃発します。彼らはそれぞれ敵国の者となりますが、友情で繋がり続けます。リルケの財産を取り上げられた際、ジイドは憤慨し、友人のロマン・ロランと共に自国へ解放するよう駆け回ります。ですが、尽力虚しくリルケの保管してあった草稿は、財産と共に失われてしまいました。


『若き女性への手紙』は1919-1924年の間で交わされました。戦争により周囲のものが失われたリルケは、自然と内在の自己を強く見つめていきます。本当に大切なものは何か、自分は何者か、何を求めているのか。このような自問は、彼の意識を心の内へ内へと追求させていきます。そこでたどり着く境地は、とても優しく強い信念と、穏やかな意識でした。

今やあなたは日常のうちに、あなたのこれまでの三つのエレメント、空と樹と耕された大地ーー、その寡黙さと、その打ち明けの激しさとを経験されているわけですね。しかし内面世界のために、今やまた海の大四次元があなたにとって体験し得るものとなったこと、このことこそ、ほとんど名匠の手腕による存在の均整を生み出すものではないでしょうか。


生活に苦しみ、病に苦しみ、孤独に苦しんだリルケは、それでも豊かな心を感じさせてくれます。感情や記憶、経験や自己を自身の財産として大切に扱っているからこそ生まれる言葉があります。

人生をしてそのなすがままになさしめて下さい。どうか私の言うことを信じて下さい、人生は正しいのです、どんな場合にも。


リルケの詩作の方向性が定められた時期に書かれた『若き詩人への手紙』、最晩年にたどり着いた人生の価値観で書かれた『若き女性への手紙』。どちらも心響かされる言葉を多く含んだ書簡です。彼の真摯的な言葉は翳った心を暖かくしてくれます。

未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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『オイディプス王』ソポクレス 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

オイディプスが先王殺害犯人の探索を烈しい呪いの言葉とともに命ずる発端から恐るべき真相発見の破局へとすべてを集中させてゆく緊密な劇的構成。発端の自信に満ちた誇り高い王オイディプスと運命の逆転に打ちひしがれた弱い人間オイディプスとの鮮やかな対比。数多いギリシア悲劇中でも、古来傑作の誉れ高い作品である。

紀元前五世紀、ギリシャアテネでは毎年ディオニュソス神を祝う大ディオニュシア祭が行われ、ギリシャ神話を元にした演目を神に捧げるため、民衆参加で悲劇の競演が繰り広げられていました。

現代まで伝えられる当時に活躍した三大悲劇詩人と呼ばれる人物がいます。悲劇を確立したアイスキュロス、世相を取り入れて世に問うたエウリピデス、人間がどのようにあるべきかを訴えたソポクレス(ソフォクレス)です。

本作『オイディプス王』はギリシャ悲劇において最高傑作と名高い作品です。


この時代のギリシャは「知」が結集され、ヨーロッパの知的文化の礎を固めていきます。文化が深まるにつれ「知」が万人の人生にとって重要なものと認識され研究も進んでいきます。哲学者ソクラテスプラトンが活躍し、世の中は「知」に信頼を寄せ、追求し、多くの研究を世に残しました。

その風潮にあった世の中へソポクレスは『オイディプス王』で「知の恐怖」を描きます。


「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か。」

スフィンクスの有名な謎により苦しめられていた国はオイディプスにより解放されます。その功績で国王となりましたが、国は病と飢饉に襲われます。ご神託に救いを求めると「国にある穢れを払え」と命ぜられます。穢れとは「前王を殺害した犯人」のことでした。

前王ライオスは「自身の子に殺害される」と神託を受けていたため、妃ともうけた子を従者へ指示して始末するよう申し付けていました。しかしこの従者は生まれて間もない子供を憐れに思い、隣国の子を持たない王へと託します。やがて青年となった子は奇しくもライオスが治める国へと向かうのでした。


あらすじから察せられる悲劇がこの作品の主題です。民の代表者が、オイディプス王に世を救うための助力を乞う謁見の場面から始まります。「前王の殺害者は誰か」の問いにオイディプスは清廉な心で追求し、怒りを覚え、解決しようと尽力します。しかし真実が徐々に明るみに出て、占師による告白で状況が一変します。


オイディプスが直面する悲劇は壮絶なものです。これをどのように受け止め、どのように振る舞い、どのように行動へ移すか、人間が「どうであるべきか」を真に訴えています。

悲劇は神話を元にして描かれています。当時の人間が「生きるうえで抱える問題」を、神的情景に委ねて語られます。ここにソポクレスは心の美醜を描き、それでも運命を受け入れることを求めます。知ることにより襲われる怖さ「知の恐怖」を作品で示し、世に広まっていた「知」への絶対的な信頼へ警鐘を鳴らしたのでした。

ああ!知っているということは、なんというおそろしいことであろうかーー知っても何の益もないときには。

神々の名にかけてたのむ、知っていることがあるのならば、どうかそっぽを向かないでくれ。われらみな歎願者となって、おんみの前にこうしてひざまずいているものを。


本作の戯曲構成は、当時の常識的なアイスキュロスが構築した三部作形式から脱却し、一部単作で仕上げられています。また演じる役者を二名から三名に人数を増加させ、物語の核を詳細に描くとともに濃密な臨場感を演出しました。そしてこの戯曲内では「肝心な出来事そのもの」は描かれません。ご神託や過去に起こったものなど、伝え聞くことだけで構成されています。「知の探究」は神から告げられる、或いは人伝に聞く、という行為を表現して当時の世相を表しています。その技法だからこそ、最期のオイディプス自傷する行為が鮮明な印象を与え、世に問う力を強めます。まさに当時の悲劇形式を改革したと言えます。

たしかにアリストテレースは、オイディプースのような人物が、本来「不幸に値しない」にもかかわらず不幸におちいることを認めている点に、神(偶然)が入り込むわずかのすき間(悲劇的不安定の世界)を残している(もしすべての出来事がありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で起こるなら、「不幸に値しない者」が不幸におちいるはずはない)。しかしながら、神(偶然)のような不合理な要素を「劇の外」におくのでなければ、悲劇は人間の行為を統一的に再現するものではなくなる、との考えがアリストテレースの悲劇理論の根幹にある。

詩学』解説 岡道男


オイディプス王』に盛り込まれた「憐みと恐れ」は、読む者の心を掴み、安堵と恐怖を繰り返します。告げられる神託と明るみになる事実が演目が進むにつれ激しく交差していきます。真実を前にしたオイディプス王がどのように運命を受け止め、どのような感情を表すのか、未読の方はぜひ体感してください。

では。

 

『ユートピアだより』ウィリアム・モリス 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

目覚めるとそこは二十二世紀のロンドンーー緑かがやき、水は澄み、「仕事が喜びで、喜びが仕事になっているくらし」。社会主義者・美術工芸家モリスの実践と批判、理想と希望が紡ぐ物語。ユートピアの風を伝える清新な訳文に充実した訳注を付す。

19世紀のイギリスで最も優れたデザイナーとして知られるウィリアム・モリス(1834-1896)。現在でも多くのデザインに影響を与え続け、装飾芸術家としての名声を確固たるものにしています。壁紙やテキスタイル、そして家具に至るまで幅広く手掛けます。このような装飾芸術は裕福な貴族階級だけの愉しみでしたが、モリスはプロレタリアートの生活にも溶け込ませて民衆の文化を変化させました。また「ケルムスコット・プレス」という私家版印刷工房を設立し、装丁や書体に美しさを求めた「理想の書物」を数多く製作します。

 

1830年代のイギリスはヴィクトリア女王が治め、スティーブンソンによる交通革命以後、「世界の工場」として世界市場を開拓し、国家が資本主義に傾注して特需的な収益を得ていました。しかしこの好調な経済力は長続きせず、1880年代には他のヨーロッパ諸国との植民地争いにより徐々に独占力を失います。そうした資本の弱まりとは無関係に貧富の差は引き続き広がり、利益を少しでも継続させるため工場生産は更に激化します。販売相手もままならない生産された不要な製品を作るために、工場の排煙や排水は更に激しく排出され、これにより周囲の空気や川はどこまでも汚され続けます。このような環境はプロレタリアートの心をも荒ませます。報われない労働と苦しくなる生活に追い込まれ、生活水準の改善を目的として各地でストライキを起こします。


1882年、マルクス主義を掲げた社会主義グループ「民主主義連盟」が創立されます。これは資本主義によるマイナス効果(貧困、スラム化、環境汚染など)を改善するために組織され、革命主義的活動を主としていました。モリスはこの組織の中心人物でした。当時は稀有な才能を持った素晴らしい詩人として認知されていた彼は、その名声による影響力を存分に活かして啓蒙活動に励みます。講演はもちろんのこと、啓蒙機関紙を自ら売り広め、各地に点在する同組織の支部へ渡り歩き、先陣を切ってデモ演説を行います。そして、このような運動に大きな影響を及ぼす事件が起こります。


1887年にロシア帝国において、ニコライ二世に対して労働者の権利または待遇の改善に対する要求と、立憲政治の実現を主とした政治的要求を掲げたデモが行われました。参加者として家族を含む労働者が十万人を超えるほど集まり、冬宮を各々目指します。しかしロシア軍は武器を持たない参加者たちへ発砲し千人以上の犠牲者を出します。

この「血の日曜日事件」はイギリスの社会主義者たちへ大きな衝撃を与えます。そして労働運動を含む社会主義運動はデモという手段では解決に至らない、議会政治から変革させねばならない、という風潮へと変化します。これに対してモリスは異を唱えます。彼が見据える根本的問題は生活環境や労働賃金の改善ではなく「労働観と社会性」であったからです。

 

モリスが持つ社会に向けた思想は、彼の持つ「労働観」を根源としています。詩人として詩を生み出すこと、デザイナーとして作品を生み出すこと、社会主義者として世に訴えること、全ては一貫された価値観のもとで行動されています。そしてこの価値観により生み出された主義主張はマルクス概念に基づいており、理想的で現実可能な「社会性」であると訴えています。

 

また「血の日曜日」事件はアメリカにも伝わり社会主義者に影響を与えます。1888年に一冊の本が出版されます。未来のユートピアを描いたエドワード・ベラミーの『顧みれば』です。この作品では国家による全国民の一元管理が行われており、豊かで争いのない社会が描かれています。貨幣に代わる「クレジットカード」の存在や、二十四時間体制で楽しむことができる音楽、家事代行サービスの充実など、現代で当然となっている環境が民衆の幸福とともに描かれています。そしてこの変革は、血が流されずに成ったことも大きな要素です。

この作品は大衆へ大きく感銘を与えて支持されます。皆が抱く貧困や労苦、そして政治への不満を払拭する未来図と夢想されました。ついにはこの社会こそ理想であるとした者たちが寄り集まり「ベラミー・クラブ」という団体を組織し、アメリカ各地へと展開されます。


ここで描かれた未来の姿は、モリスにとって受け入れられない内容でした。特に国家による一元管理が呼び起こす危険性に対して不快を覚えます。ファシズム、信仰の不自由化、個人の没個性化、そして最も反する価値観である「機械化により失われる芸術性」などを指摘し、強く批判した評文を書きます。ですが、彼の不満とは裏腹に『顧みれば』の影響は世界へと広がり続けます。不安を募らせたモリスはこの流れを変化させるべく一念発起してひとつの作品の執筆に取り掛かります。これが本作『ユートピアだより』です。

 

社会主義者組織に属するモリスの分身は、激しい討論のあとに帰宅して理想的な社会を思い描きながら眠りにつきます。目覚めると寒い冬から暖かな初夏に変わり、景色に違和感を覚えながらひとりの青年と出会います。大変好意的で親切な彼は、会話の中から徐々に生活模様を教えてくれます。彼らの価値観は寛大で自由です。貨幣の存在は無く、私有財産もありません。隣人や自然を愛する豊かな世界でした。そしてここは未来であることを知らされ、ある老人から社会の変革について説かれます。

 

資本主義は無為な生産労働を加速させ資本のみを目的としながらも誰もが不要とする製品を生み出し続けました。そうした生産労働自体は、意味だけではなく芸術性も失われ労働は純粋な苦役と変化します。また、過去において生産に含まれていた芸術性が失われたことにより、芸術作品や芸術そのものが世界から失われるに至りました。

作中の1952年から成ったプロレタリアート革命は、資本主義、経済概念、貨幣価値、財産所有権などが消滅し、「富の観念」が変化します。心を満たし合う豊かな交流をこそ目的とした行動理念が共通して持たれ、政府を持たない社会主義的で共産主義的な生活に順応していきます。

私有財産を持たない価値観が浸透し、物品の奪い合いによる争いは消滅してはいるものの、異性の恋愛感情においては完璧とは言えません。もちろん当時あるいは現在に比べて感情を共有する概念は広まっており、婚姻の束縛力や規律性は緩やかにはなっています。しかし、感情を抑えきれない者による暴力は皆無ではありません。これは人間の本能的な感情による衝動であり、理性だけでは抑圧しきれないことが記されています。

この世界の印象は「庭園」と称される14世紀の中世イギリスを思い起こさせます。

 

モリスが描いた「ユートピア」は、彼が資本主義からどのような価値観を持った社会主義的社会を実現したいのかを具体的に提示しています。経済成長が主軸となり動いている社会から脱却する目線で、資本の在り方、もしくは必要性を見つめ直し、理想を描いていると受け取ることができます。

また、その理想を実現する手法は国家の一元管理ではなく民衆による共生が必要であり、個性を多様に持ち、多彩な才能を各々が発揮し、皆で問題を解決する社会を構築することを訴えています。

そして重きを置いて描かれている主張は「労働観」であり、ベラミーが描いた機械製造制の進化による恩恵で労苦や貧困から脱却したとする表現に対して、モリスは「幸福かつ有益な労働に対する真の動機が、労働それじたいのなかにある喜びに存することは、あらためて言うまでもないだろう」と批判しています。


ユートピアにおける無償の仕事に関する労働観を、作中で老人は以下のように説きます。

報酬ならたっぷりとあります。創造という報酬が。昔の人なら、神が得たもう賃金とでも言ったでしょう。

仕事そのもののなかにそれと意識できる感覚的な喜びがあるためです。つまり、芸術家として仕事をしているということですね。


モリスは産業革命が生み出した過剰な大量生産で溢れた不要で粗悪な商品に嫌悪し、改めて伝統的な手仕事が持つ芸術性を尊び世に広めようと志します。この思想を広ようとする活動を「アーツ・アンド・クラフト運動」と称して行われ、教会のステンドグラスデザインを筆頭に二十世紀初頭まで継続されます。この啓蒙は二十世紀におけるモダン・デザインを生み出す根本思想として貢献し、今なおデザイン産業に影響を与え続けています。

 

本書『ユートピアだより』はベラミーの思想に対抗した形で執筆を始められましたが、モリス自身が大切にしていた手仕事に含まれる芸術性や、それに付随する労働から得られる喜びを皆が持つ理想社会を描くことができています。

物語の締めくくりを、理想を否定する皮肉的な終わり方と捉えることは容易ですが、「友愛とやすらぎと幸福の新しい時代を少しずつでも建設してゆくために奮闘しながら、命あるかぎり生きつづけてください」という半空想の言葉を受け、まさしく命のかぎりに社会主義者として活動を続けた姿勢を思うと書に込められた本意は「叶えようとした願い」であると感じることができます。


現在でも展覧会などが催され、デザイナーとして一級の評価を受け続けているウィリアム・モリス。彼が死の間際まで描き続けた理想郷をぜひ体感してみてください。

では。

 

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『法王庁の抜け穴』アンドレ・ジイド 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

無償の行為を実践して意味なき殺人をするラフカディオ、奇蹟により改宗したアンティムの破綻、地下室に幽閉されている法王を救い出すためと称して詐欺を働くプロトス……。複雑多岐な事件の発展の中に、人間の行為の底にひそむ偶然と必然の問題が明快に描き出される。近代小説に新たな展開をもたらした作品。一九一四年作。

1947年に「人間の問題や状況を、真の大胆不敵な愛と鋭い心理洞察力で表現した、包括的で芸術的に重要な著作に対して」ノーベル文学賞を受賞したアンドレ・ジイド(1869-1951)。

フランス第二帝政期のルイ・ナポレオン統治下に生まれます。1852年の帝政発足当初、言論・出版の自由などを規制し、権威主義的手法による統治を行いました。しかし1860年ごろから、貿易外交に対する資本家からの反発が、政権の権威を失墜させ民衆暴動を扇動しかねない状況に陥ります。これを避けるために自由主義的手法の統治へと切り替えます。ちょうどこの言論・出版の規制緩和がなされ始めたときにジイドは世に生まれます。


大学の法学部教授であった父親は十一歳のときに亡くなり、母親の以前の家庭教師が同居するという奇異な環境で育てられます。両親と家庭教師は、厳格なプロテスタントで克己主義を基盤とした精神教育を行います。ジイドは極端に臆病者であり、学業で良い成績を残すことができず優柔不断な人物で周囲の期待を裏切りながらさらに過剰な精神教育を受ける悪循環に陥っていました。父親が亡くなってから数年後、書斎の出入りを許可されテオフィル・ゴーティエハインリヒ・ハイネギリシャ古詩などを読み耽ります。二十三歳で兵役に向かいますが肺結核の診断により一週間で除隊させられます。そこから彼は文学の世界に沈み込み、自ら執筆を行う志を抱いていきます。


彼は当時のヨーロッパ全土を実質支配していたキリスト教による道徳観や倫理観から民衆の意識を解放する目的で自由小説を執筆し世に訴えかけました。しかし、これはローマ教皇庁に対する挑戦的な行為と見做され、彼の著作は長きにわたり禁書に指定されてしまいました。このような批判的・諧謔的な作品をジイドは「ソチ」(茶番劇)と分類しています。


フランスにおいてカトリックに対抗する勢力を持った組織がありました。フランス革命時の中心人物が属していた「フリーメイソン」です。ヨーロッパ全土で見ると圧倒的なキリスト教支配でしたが、フランス人権宣言の根本思想と共通する友愛団体に変貌したフリーメイソンは国民の支持を強く得ていました。会員であれば相互に助け合うという考えは心身共に生きづらい人々の救いにもなり得たのでした。この組織活動を良しとしないカトリックは、フリーメイソンを「旧体制からの脱却を図り国家転覆を狙う危険な組織」という印象を流布して警戒します。反対にフリーメイソンは「政教分離」を訴え国務に就いている教職者たちを追放し、対立は激化して二十世紀後半まで続きます。


ジイドは、真実の相対性を主張し、その考えに沿い『法王庁の抜け穴』を執筆しました。ヌーヴォー・ロマンの作家たちは理解同調し、その思考に傾倒していきます。真実は個人の価値観を通して見つめる事になるという思考の作品を生み出していきます。


詩人であり外交官であるポール・クローデルは友人でした。彼は信仰厚いカトリックでした。しかし、信仰による民衆の救済を目指す彼には、ジイドの作品に引っ掛かりを持つことがしばしばあり苦言を呈します。

1909年にジイドが出版し作家として世間に認められた『狭き門』では、「神の在り方における解釈」に対して批判します。「神は与えるものであり、取り上げる存在ではない」と強く悟します。それを受けてもなお、ジイドは本作『法王庁の抜け穴』にて「宗教界やその在り方」を痛烈に揶揄した事にクローデルは憤慨し、2人の不仲は決定的となりました。


本作の中核を成す主題「無償の行為」。ラフカディオという青年の言動で描写され、今なお哲学や精神医学までを巻き込んで研究され続けているテーマです。

ラフカディオは、街で偶然に遭遇した火事で燃え盛る火の中へ飛び込み、子供を救出して名乗りもせずに立ち去ります。しかし一方、汽車に乗り合わせただけの男をさほど強く不快を感じたわけでも無く突き落として殺してしまいます。

後者の「動機なき殺人」にはラフカディオの心中描写もありますが、「実際に出来るのか、自分にできるのか、いやできる」という自己特別視に通じるあまりに身勝手な切っ掛けでした。彼にとって、偶然に殺人を犯す絶好の機会が巡ってきたというだけでした。

この被害者であるフルーリッソアルは法王救出のために編成された「(詐欺の)十字軍」に心身を投げ出しコメディとも思えるほどの滑稽さに塗れ、挙句にラフカディオによる救いのない最期を遂げます。ここに信仰により与えられる不遇が強く揶揄されています。


また、坐骨神経痛を患うアンティムが所属する結社はフリーメイソンであると示唆されており、奇跡の治癒でカトリック信仰へと鞍替えした描写がなされています。実際に苦痛の中にあるものはカトリックの教えに耳を傾けること自体が困難であり、健常なものだからこそ受け入れることができる信仰であると揶揄されています。また深い信心をもったカトリックであるジュリウスはカトリックへ寝返ったアンティムに対し批判的な言葉を投げかけます。

あなたがこの鼠たちに対してしておいでのことを、あなたに対してするのがやはり当然だと、教会にも認めさせたいものです。ともかく、あなたを盲にしてしまったのですから。


上記のような、神や信仰を冒涜した描写がクローデルの琴線に触れ、関係修復不可能な溝を作り生涯不仲となってしまいました。ですがジイド自身は神への信仰に否定的であったわけではなく、「本来的な神の信仰を怠る教会組織の腐敗」に対する嫌悪感を抱いていたように感じ取ることができます。何よりキリスト教が持つ本来の「愛の哲学」は常に描写され続けていたことからも裏付けられます。


本書は夷斎と称される石川淳さんの訳本です。石川淳さんはカトリックではありませんが深い関心を持っていました。その大きな要因のひとつにクローデルの存在があります。

クローデルは駐日大使として来日し石川淳さんと親交を持ちます。クローデルの訪日は第一次世界大戦での勝利に浮かれ世界への視野が広がっていた当時の日本にとって歓迎するものでした。在京フランス研究団体の主催による歓迎会が行われた際、石川淳さんはこれに出席し「フランス文学について」の講演を聴きました。「民衆の為」ではなく「民衆それ自身の立場に」在ってものを言う文学者としての言葉を受け、大きく感銘を受けました。石川淳さんは当時、社会主義思想に強く関心を持っていたため、カトリック思想に含まれる社会主義的側面から徐々にキリスト教へと造詣を深めていきます。


1925年に日本国内で治安維持法が成立し、文部省による社会主義思想に対する圧力が強くなりました。石川淳さんが教鞭を振るっていた高等学校の社会主義研究会も例に漏れず押し潰され、生徒たちを教唆したとの理由で学校側から職を辞するよう強要されます。同時に東京のクローデルも、この時期の文部省の抑圧的な政策について、「共産主義の研究は禁じられるべきものではない」と批判的な姿勢を見せましたが結果は変わりませんでした。左翼活動が叶わず、徐々にカトリックへの探究心は削がれていきます。そして暫くの間、信仰や思想を見つめ直す放浪生活を送ります。その間に手掛けた翻訳作品が本作でした。


この訳本はカトリック精神から距離を置いたからこそジイドの描いた風刺を鮮明に理解して訳すことができたと考えられます。信仰は大切なものですが、深い信心を持つ人ほど信仰における人への影響を俯瞰することは困難であるのかもしれません。


深刻な題材でありながら滑稽な描写が度々あり、読み進ませる筆致は見事と言えます。

機会があればぜひ、読んでみてください。

では。

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