RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『スペードの女王/ベールキン物語』アレクサンドル・プーシキン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ロシアの国民的詩人アレクサンドル・プーシキンの『スペードの女王』と短篇5作をまとめた『ベールキン物語』です。手元には旧装丁の赤帯がありますので、こちらの紹介文を記載します。

トランプの秘密に憑かれて錯乱する青年の鬼気迫る姿。「スペードの女王」の人をゾッとさせるような魅力を何と呼んだらよかろうか。

 

プーシキンが書いたロシア初の小説である『ベールキン物語』。彼は「生命と死」「現実と幻想」の対照的な関係性を融合させた物語を描く「写実的浪漫主義」の人でした。この現実か夢かわからぬ錯覚を覚えさせる世界観は現実以上のリアリズムを感じさせ、生から見た生死を考えさえられます。

 

また、彼はロシア文学に政治色を強く織り込み始めた一人です。世に対して徐々に文学で先導するようになり「ロシア文学の急進派」、つまりロシア文学の政治に対する意見を強める活動の第一人者となりました。もちろん政府は目をつけ、秘密警察による監視を指示し、自由に作品の発表が出来ない状態に陥りました。彼は十二月党事件(デカブリストの乱)に関わる友人を持っていたことにより、束縛は厳しく保守派の貴族からは疎ましく思われるようになります。この十二月党事件は、農奴制を根源とした「ロシアの後進性」から、自由主義への転換を求めた青年将校たちによる蜂起で、農奴解放を起こす発端となります。


しかしこの段階では、国による物理的、そして精神的な弾圧が圧倒的に強く、十二月党員の首謀者たちは次々に処刑されます。第一次ロシア革命まで80年もの歳月をここから必要としました。

プーシキンはこれらの処遇、あるいは監視にも屈せず「自由な啓蒙」を求め続けます。言論への弾圧に抵抗を続け、ロシア文学の急進を望み文壇活動を継続します。これを嫌った保守派貴族は、彼の妻を巻き込み彼の命を奪う策謀を企てそれを為し、ついにプーシキンの啓蒙活動を止めることになりました。

 

スペードの女王』の主人公であるゲルマンにはモデルがあります。十二月党の中心人物の一人であるパーヴェル・ペステリです。農奴制廃止と皇帝専制廃止を強く求めていました。彼も絞首刑により亡くなりました。
ゲルマンは、慇懃で神経質で自尊心の高い人物として描かれています。この人物像は後の巨匠であるドストエフスキーの代表作『罪と罰』の主人公「ラスコーリニコフ」のモデルとなっています。

プーシキンはロシア近代文学の基礎を築きました。批評家のメレシコフスキーは「霊と肉を調和した者」と表現しています。そして、ドストエフスキーは「霊」を、トルストイは「肉」をそれぞれ受け継いだ洞察者としています。

 

スペードの女王』は、「生命と死」「現実と幻想」を短篇の中で見事に表現しています。人間の恐怖は加害者にも被害者にも存在し、それらが引き起こす悲劇からも恐怖とわずかな滑稽さが滲み出されています。

『ベールキン物語』は、喜劇も悲劇も文体装飾はさほど無く、リアリズムを軸として人間の情欲の陰陽があっさりと、ですが濃厚に描かれており、読み応えがあります。人物の感情が言動に現れ、当時の階級やしがらみによる苦悩が、くっきりと伝わります。


プーシキンが描いた、当時の貴族的な慇懃さや滑稽さ、可憐さを、新しいロシア文学の進歩として当時発表されたこれらの作品を、ぜひ読んでみてください。

では。

 

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『トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す』トーマス・マン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちら。

トーマス・マン『トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す』です。魔の山』で名を知られているドイツの小説家です。彼の初期中篇二作です。

精神と肉体、芸術と生活の相対立する二つの力の間を彷徨しつつ、そのどちらにも完全に屈服することなく創作活動を続けていた初期のマンの代表作2編。憂鬱で思索型の一面と、優美で感性的な一面をもつ青年を主人公に、孤立ゆえの苦悩とそれに耐えつつ芸術性をたよりに生をささえてゆく姿を描いた『トニオ・クレーゲル』。死に魅惑されて没落する初老の芸術家の悲劇『ヴェニスに死す』。

 

マンは第一次世界大戦をまたぐ時代に活躍しました。戦争勃発前までは浪漫主義であり政権においては保守主義として文壇に立ち、作品を世に出しています。しかし戦後は新たに成った「ドイツ共和国」を支持し社会主義の立場で文壇へ臨みます。
時が経ち1933年にファシズムの傾向が国内で高まり、ナチス党のヒトラーが政権を掌握します。この事でマンはドイツの文化的な側面の危機を強く感じ、国外へ講演の旅に出ます。もちろんナチス側の反感を買うことになり、国外追放に加え財産の没収を受け、ドイツに戻ることは出来なくなりました。
彼はその後も対ナチスに抗戦の構えで活動し、主にアメリカで活躍しました。

 

今回紹介する作品の二つは共に初期の時代、つまりドイツ浪漫主義に該当します。その中でもマンの特に顕著な傾向と挙げられるのは「観念主義」です。自身の中で構築している哲学、価値観、道徳などを元に、思考を繰り返して結論へ導く主義です。

この二作は対照的なものとなっており、「明」と「暗」のように描かれています。明暗の軸は「理性と感性」です。これを「中心となる観念」に置き、二人の文学者たちの苦悩が繰り広げられます。

 

芸術家が芸術より受け取る衝撃は、より一層に複雑であり、感情の揺さぶりが過大であるように表現されています。しかし、これは確かに一理あり、バリスタが他店の珈琲で味わう感動と同様、ソムリエが多種のワインから感動を得るのと同様、それぞれ汎人間的な感覚の持ち主とは違った、および深い衝撃を見出すものと近しい現象であると言えます。

 

この二人の文学者たちは、それぞれ得る芸術的感動で「理性が勝る者」と「感性が勝る者」に分けられます。この対照的な、対比的な物語は読む人に「なぜか両方の結末を納得させる」ことになります。つまり、自分の思考において「理性」「感性」のどちらにも傾く可能性があり、どちらの文学者の道を辿るかもわからない納得をさせられます。

 

ただ、ひとつだけ大きな違いがあるとすれば「孤独か否か」です。マンが真に訴えたかったのはこの点であると、そう感じます。

われわれは深淵を否定したい。人間の品位を保っていたいのだが、われわれがどうじたばたしようと、深淵はわれわれを引寄せるのだ。

孤独な文学者の言葉です。

 

マンは1929年に「主に現代の古典としての認識を広く得た傑作『ブッデンローク家の人々』に対して」ノーベル文学賞を受賞しています。

 

ナチス党に勇敢に立ち向かった文士の数々の著書がありますが、まずは根源のこちらの作品を読んで、彼の芸術性の底の「観念主義」をぜひ体感してください。

では。

 

 

『ハツカネズミと人間』ジョン・スタインベック 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ジョン・スタインベックはドイツ系移民の父とアイルランド系移民の母を持ちます。
彼は、世界大恐慌時代のアメリカ社会を告発した『怒りの葡萄』を発表し、1940年にピューリッツァー賞を受賞しました。
今回紹介する『ハツカネズミと人間』は同時代における社会的弱者を主体として描いた中篇です。

一軒の小さな家と農場を持ち、土地のくれるいちばんいいものを食い、ウサギを飼って暮らすーーからだも知恵も対照的なジョージとレニーという二人の渡り労働者の楽園への夢。カリフォルニアの農場を転々とする男たちの友情、たくましい生命力、そして過酷な現実に裏切られて起こる悲劇を、温かいヒューマニズムの眼差しで描く。戯曲の形式を小説に取り入れたスタインベック出世作

 

1930年代に起こった世界大恐慌において農作物価格が60%以上も下落し、農場主さえも安定を脅かされる時代でした。労働者においては更に過酷な環境下にあり、安定的な雇用がされず「季節雇い」の形で渡り労働者が入れ替わり立ち代りしていました。この渡り労働者たち、農場の者たちを通して、当時の社会的弱者が置かれた状況をリアリズムで描かれています。

 

レニーは軽度の知的障碍者です、そしてそれを支えるジョージ。また農場では、老人、身体障碍者、人種差別を受ける黒人、性差別を受ける農場主息子の妻。彼らの生活を社会的現実のシンボルとして読者へ訴えてきます。

例えば、当時の精神病院や老人介護施設は「牢獄同様」でした。彼らはそこに入ることを恐れ、逃れるために貧しい環境下でも労働を望んでいました。こういった社会的弱者は「個人としての自由意志」を剥奪された処遇にあり、半奴隷的な生活を送っていた人々もありました。しかし、最低限の権利と僅かな自尊心を大切に日々を過ごし、夢を抱きます。いわばこの空想に近い夢を生きる糧として日々を生き抜くことが、彼らの人生のすべてであり、社会が与えた僅かな幸せでした。

人間は、経済状況や社会の環境、また生まれ持っての容姿や遺伝子に大きく左右されるという「自然主義文学」、この作品は正にその代表的な作品と言えます。
悲劇を悲劇として描き、しかしその中でも自己意思を尊重し、救いを求めようとする感情は今の時代にも必要な要素であると思います。

 

「まぁ聞け、キャンディ。この老いぼれイヌはいつもただ苦しい思いをしているだけだ。こいつを外へ連れ出して、頭の後ろのここをーーちょうどここのところを撃ちゃ、こいつはなんで撃たれたかもわかんねえよ」

ジョージの頭にこの言葉が残っていたのはなぜか、そんな風に考えると彼ら二人の人生の苦しさが深く伝わってきます。

 

この小説は戯曲の要素を持っています。舞台は河畔と農場のみ、木曜日から日曜日までの四日間、そして登場人物の対話が中心となっています。だからこそ、彼らの意思や行動が直接的に読者へ伝わり、その時代の悲哀や怒りを感じさせます。

この「自然主義文学」の王道とも言える作品はアメリカ古典文学として教科書などにも使用されているそうです。多民族であり貧富の差が大きな国だからこそ、社会が生む悪環境があり、そこで生きる困難さと生きる希望の見出し方を考えさせられます。

 

1962年にスタインベックは「優れた思いやりのあるユーモアと鋭い社会観察を結びつけた、現実的で想像力のある著作に対して 」ノーベル文学賞を受賞しています。
作品内の情景に浸り、その当時の社会を感じることができるこの作品、ぜひ読んでみてください。

では。

 

 

『閨房哲学』マルキ・ド・サド 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ドナチアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド『閨房哲学』。通称「サド公」の思想にフォーカスされた、対話体作品です。

快楽の法則の信奉者、遊び好きなサン・タンジェ夫人と、彼女に教えを受ける情熱的な若き女性ウージェニー。そして夫人の弟ミルヴェル騎士や、遊蕩児ドルマンセたちがたがいにかわす“性と革命”に関する対話を通して、サドがみずからの哲学を直截に表明した異色作。過激で反社会的なサドの思想が鮮明に表現され、読む者を慄然とさせる危険な書物!!

 

サド公はフランス革命期における貴族でした。幼少より敬虔にカトリックを学びましたが、七年戦争へ自ら従軍し騎馬連隊大佐として活躍しました。戦争後に良家の娘と婚姻し爵位を上げ「侯爵」となり資産を含め裕福な階層へ身を置きます。

しかし、彼は誰もが知る「サディズム」を自分の中で制御できず反社会的な遊蕩と犯罪により身を滅ぼしていきます。1778年から1814年に没するまでの殆どを獄中か精神病院内で過ごします。彼の執筆の多くはこの期間に行われました。

彼が生み出した作品の特性は、「異常に攻撃的なエロティシズム」、「キリスト教を徹底的に否定した無神論」が挙げられます。彼の持つ「サディズム」を肯定的に、或いは詭弁を、或いは屁理屈を、しかし現実を引き合いに出した論理的な哲学が、彼の中で構築されています。

 

この「閨房哲学」は数ある作品の中で「サド公の思想」をより濃く描かれているものと言えます。
「閨房」は「婦人の寝屋」という意味です。舞台は終始サン・タンジェ夫人の寝室で繰り広げられます。登場人物はみなガウン一枚を裸に羽織り、対話と乱交を繰り返します。この作品内では乱交の詳細描写は割愛されていますが、それにより「サド公の思想」がより明確に伝わる効果を与えています。無垢な少女であるウージェニーへ「悪徳を説く」ドルマンセが、サド公の代弁者となり、この哲学を論考調で教鞭を振るいます。

 

無神論における軸となるのは「自然」の存在です。自然と人間が対照とされ、宗教とは「ある人間たちが作り出した、ある人間たちにのみ利益を及ぼすための道具」とみなし、徹底的に批判しています。
また、国と法律においても同様に、「国が都合よく民衆を管理するがために作られた、ある一定の国家側の人間にのみ利益を及ぼすための決まり」という表現で書かれています。

そして快楽を追求する為に妨げるこれらの「宗教」や「法律」などは、実に不要なものであり、あくまで快楽に忠実に行動することが「自然」における人間の在り方であると豪語しています。

淫蕩によって動かされるということは、同時に自然によって動かされるということでもあるからだ。この上もなく異常な、この上もなく奇怪な行為だって、また人間のつくったあらゆる法律、あらゆる制度(天国の法律や制度は論外である)に明らかに抵触するように見える行為だって、けっして恐ろしいものではないよ。自然界で説明のつかないような行為は、一つだってないのだからね。

ドルマンセ

 

また作中に朗読という形で一冊のパンフレットが挿し込まれます。「フランス人よ、共和主義者たらんとするならもう一息だ」と題される、作品の約四分の一を占める読み物で哲学論考が表現されています。主題は「道徳」と「宗教」です。
この突然的な朗読は物語を中断しながらも、読むものの思考には沿っており今までの説教を裏付ける論考となっています。

しかし、違った角度から見ますとこれが書かれた時勢、つまりフランス革命期にサド公が世に訴えたかった思想と捉えることができます。この君主制、もっといえば恐怖政治の絶対王政の崩壊を望み、来る新たな共和政体に求める無神論による救世を、自らが抱える「サディズム」を潜ませ訴えるという芸当をやってのけているわけです。

劃一主義と教権主義に対する嫌悪がこれほど激烈にぶちまけられた例はなく、このパンフレットが、一八四八年の二月革命の際、匿名のプロパガンダとして再販されたのも故なしとしない。

訳者の澁澤龍彦さんは、このように話されています。

 

この作品の核にあるものは「個人の幸福と社会の幸福が相反している」という点です。社会の幸福を守る為の法律は、個人の快楽が及ぼす幸福を妨げるという解釈は、「サディズムの祖」サド公ならではの思考ではないかと感じます。

 

戦争と殺人のくだりは、先日の記事に書いたマキアヴェッリ君主論』でも出てきましたが、永遠の論争テーマといえます。
19世紀には禁書になっていたサド公の作品、この哲学をぜひ体感してください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

『予告された殺人の記録』ガブリエル・ガルシア=マルケス 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

ガブリエル・ガルシア=マルケス予告された殺人の記録』です。コロンビアのジャーナリストであり、マジックリアリズム文学の先駆者です。1982年にノーベル文学賞を受賞しています。

町をあげての婚礼騒ぎの翌朝、充分すぎる犯行予告にもかかわらず、なぜ彼は滅多切りにされねばならなかったのか?閉鎖的な田舎町でほぼ三十年前に起きた、幻想とも見紛う殺人事件。凝縮されたその時空間に、差別や妬み、憎悪といった民衆感情、崩壊寸前の共同体のメカニズムを複眼的に捉えつつ、モザイクの如く入り組んだ過去の重層を、哀しみと滑稽、郷愁をこめて録す、熟成の中篇。

この作品は彼の言う「ジャーナリズム作品」のひとつです。1951年に起きた事件を元にマジックリアリズムを纏わせ、フィクションとして書き上げました。しかし発表されたのは1981年。本書に書かれているとおり、30年の歳月を経て世に出ました。これは本来「ルポルタージュ」として発表を予定していましたが、彼の身近な人が関わりすぎていた為、発表できませんでした。関係者が故人となってようやく「小説」として完成しました。

 

この作品はカフカの『変身』に影響を受けています。全てが過去を語りながらも、その時系列は都度組み替えられ、あらかじめ希望を抱かせないことで悲劇を紐解くことにフォーカスされていきます。そしてこの記録は5つの章で分けられています。

  1. 事件の概要
  2. 事件以前の町
  3. 事件当日
  4. 事件のその後
  5. 事件の詳細描写

時系列が分解されますが、悲劇を紐解く「推理小説的要素」の観点からは理解しやすい順序となっています。これは正に「ルポルタージュ的構成」で、まさに「記録」と言えます。

 

物語は、国の英雄の息子が、町娘に一目惚れし婚姻を申し込む。そしてその婚礼直後に処女で無いと判明し実家へ戻され白紙となる。この相手が移民のハンサムな息子であると町娘が証言し、町娘の家族である双子の兄弟が名誉の為殺害を決意する。この決意を町中に表明しながら移民の息子を探しだし犯行に及ぶ。

 

■物語的解釈

双子の兄弟が町中を歩き、移民の息子の行方を尋ねる際、かならず犯行を表明しているにもかかわらず、つまり町中が犯行が行われることを知りつつ誰も止めませんでした。言い分としては「双子が酩酊状態にあったから」「人柄からして本気と思えなかった」など。ですが、他の要素を組み合わせて考えると少し違ったものが見えてきます。

この町には「司教」が度々船で訪れます。町人は歓迎モードで迎えますが、司教は決して船を降りません。これは「この町が清らかであると思われていない」ことの表現で、いわば見放された町であると言えます。そんな町に、息子と言えども国の英雄に関わる人物が訪問し、ましてや婚姻を申し込むという事件は町にとって「ある種の栄誉」であったように感じられたのではないでしょうか。それが結果、恥をかかせて町の栄誉を頓挫させてしまったことに「何らかの体裁を保つ手段」を町は欲していたように思います。これの犠牲となったのが犠牲者の移民の息子だったのです。

 

ルポルタージュ的解釈

ですが、大事な要素として「この事件は事実を元に」描かれているということです。ガルシア=マルケス自身の身内や知人が関係したこの事件、彼はどう感じたのでしょう。もっと言えば、この事件をどう伝えたかったのでしょうか。

様々な偶然が重なった悲劇として描かれていますが、様々な偶然を重ならないようにすることは、双子に出会った町人たちは幾分か防ぐことが出来たのではないでしょうか。彼はこの点を訴えたかったのではないでしょうか。「犠牲となっても仕方が無い」という感情への怒り、「さほど気にしない無関心」への恐怖、小さな社会であるからこそ浮き彫りになる人間性を描写しているようです。

「あの子はあたしのいのちでした」

犠牲者である移民の息子の母親の台詞です。

 

以前紹介した『紙の民』にて、マジックリアリズムに少し触れました。ラテンアメリカで栄えたこの技法は滑稽さが滲み、本来的に重い雰囲気を和らげてくれています。また、ルポルタージュを否定するための手法とも捉えることが出来ます。

この作品はガルシア=マルケス自身が「最高作」と自負するものです。百年の孤独』だけでなく、こちらの作品もぜひ読んでみてください。

では。

 

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『君主論』ニッコロ・マキアヴェッリ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ニッコロ・マキアヴェッリ君主論』です。

ルネサンス期イタリアの政治的混乱を辛くも生きたマキアヴェッリ(1469-1527)は外交軍事の実経験と思索のすべてを傾けて、君主たるものが権力をいかに維持・伸長すべきかを説いた。人間と組織に切りこむその犀利な観察と分析は今日なお恐るべき有効性を保っている。カゼッラ版を基に諸本を参照し、厳しい原典批判をへた画期的な新訳。

 

ルネサンス期における外交・軍事に生きたマキアヴェッリ。現代における国家統治や政権維持にも影響を与えた彼の政治思想は「マキアヴェリズム」と称され、今まで崇高にされてきた宗教的・信仰的な考えから逸脱し、現実主義的な思想をもって執政することが必要であると説いています。


理想は信念に抱き、実政はリアリズムで行う。よく勘違いをされ、現代でも辛辣な評価が度々なされる「マキアヴェリズム」ですが、多くは「目的を遂行する為には冷酷で道徳に背いても謀を苦なく行う」というニュアンスが影響しています。

国を背負う君主は、治める国を安全に保持する事に、全ての責任があり失敗を許されない。つまり、何があっても、どのような手段を使ってでも、不運が続いても、災難が起こっても、「安全な国の保持」に対する責任を負うことになる。だからこそ、冷酷で非道徳な行動であっても「それが安全な国の保持のため」であるなら遂行するべきであるという思想が「マキアヴェリズム」です。この思想を言い換えるならば「極めて重い責任論」です。

 

彼はフィレンツェ共和国(イタリア北部に位置)にて敏腕外交官として抜群の活躍を果たしました。戦況把握・状況分析・多国間交渉・内政統治と、視野が広く情報収集に長けており、何度となく戦禍から国を守り続けました。しかし、ドイツ・スペイン連合軍により共和制は崩壊します。

この崩壊により、共和国最大の功労者であるマキアヴェッリは外交官から一転し失職、さらに街から追放されます。追い払われた彼は山奥でひっそりと暮らします。そこで彼が外交により培った政治思想をまとめ、執筆したものが『君主論』です。これを新たなフィレンツェ公に自分を売り込むため献上しましたが、実らず、外交の立場に戻ることはありませんでした。この『君主論』は発表後に全世界へ広がり500年経った今でも議論と研究が続けられています。

 

500年前と現在では、国の在り方やテクノロジーの進歩、情報の速さや組織の多様性など、当時から変化したものは多くあります。ですが、国(組織)が人で構築されている事は変わらず、君主(組織長)における責任は、国(組織)の安全な保持である事に変わりない事から、『君主論』は現代における組織維持論、あるいは政体論として研究が続けられていると言えます。

 

現在の書店には夥しい量のビジネス書が並んでいます。書店によっては文芸書を上回る量を店頭で誇っています。具体的で専門的なもの、ピンポイントなもの、小手先のもの、良し悪しありますが、この『君主論』もまたビジネス書としての効力も多分に備えています。マネジメントに必要な概念、経営者に必要な決断力や信念など、「組織を守る側」の人にはぜひとも一読いただきたい内容です。

 

すなわち、他者が強大になる原因を作った者は、みずからを亡ぼす。

第3章 p.31

なぜならば、人間が危害を加えるのは、恐怖のためか憎悪のためであるから。

第7章 p.62

自分の同朋である市民を殺害し、友人を裏切り、信義を欠き、慈悲心を欠き、宗教心を欠いた行動を力量と呼ぶわけにはいかない。そのような方法によって権力を獲得することはできても、栄光は獲得できない。

第8章 p.67

(政体の防衛において)傭兵軍と援軍は役に立たず危険である。

第12章 p.92

自己の戦力に基礎を置かない権力の名声ほど不確かで不安定なものはない。

第13章 p.106

軍隊に理解を持たない君主に降りかかる他の不幸は別にしても、先に述べたように、配下の兵士たちに尊敬されるはずはないし、彼らを信頼することもあり得ない。

第14章 p.110

だがしかし、君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならねばならない。

第17章 p.127

君主たる者は、それゆえ、つねに助言を求めなければならない。が、それは、自分が望むときであって、他人が望むときではない。

第21章 p.168

 

君主が「臣下にどう思われるか」が組織の力を左右します。
外部から招き入れるコンサルタント(傭兵軍)や、それが連れて来る人員(援軍)は、君主とは別の雇用主の意向(たとえば株主等)を重視し、「本質的に国の役に立たない行動」を起こし、国(会社)の破滅へ繋げることがあります。

君主に信頼と敬いと畏怖を持ち、国の安全を真に望む臣下こそ重要な戦力であり、堅い基盤や防壁となります。彼らに「演技をしてでも」慕われる事こそが、君主が国を守る責任を果たす重要な行動に値します。

 

現代社会における組織も「人」で構築されています。人の感情は心を大きく支配します。信仰心や道徳観よりも「現実的な満足」を求めます。君主は、あるいは組織は、どうあることが健全で強固であるのか、一考するのにとてもよい作品です。

興味のある方はぜひ。
では。

 

『水いらず』ジャン=ポール・サルトル 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

ジャン=ポール・サルトル『水いらず』です。
短篇・中篇集です。

性の問題をはなはだ不気味な粘液的なものとして描いて、実存主義文学の出発点に位する表題作、スペイン内乱を舞台に実存哲学のいわゆる限界状況を捉えた『壁』、実存を真正面から眺めようとしない人々の悲喜劇をテーマにした『部屋』、犯罪による人間的条件の拒否を扱った『エロストラート』、無限の可能性を秘めて生れた人間の宿命を描いた『一指導者の幼年時代』を収録。

 

サルトルはフランスの思想家です。実存主義の第一人者。彼は講演で「実存は本質の先に立つ」と主張しています。

 

万年筆を作る職人は、製造方法や使用目的などを理解していなければ、万年筆を作ることができない。この方法や目的の理解が「本質」であり、本質を理解したうえで実物「実存」を作り上げる。この点から見ると「本質が実存の先に立って」いるわけです。

しかし人間の場合は「実存」が先である、と唱えています。人間はまず世界に生まれ「実存」、人間はあとになってその人間になる「本質」。したがって人間は自分自身で各人間の本性を作り上げることになる。この考えから「主体性」が生まれ、「自由」と「選択」という自分で自分を作り上げる要素があらわれてきます。

 

この書はサルトルの初期小説として世に出されており、収録作それぞれ「実験的要素」で溢れています。特に最後の『一指導者の幼年時代』は長編小説の下書きのような、文芸表現をかなり抑えて淡白に時系列で事柄を綴っている印象です。
サルトルの書く小説には「絶対的な観察者」は出てきません。登場人物それぞれの心境・心情が逐次描かれ特定者に感情移入するというより、物語に描かれる小さな社会を通じて「実存主義の思想」を伝えてきます。

 

肉体および「性」の描写が大変多いのですが、実存主義=エロティシズムでは決してありません。「性」が心にもたらす影響で精神が不安定になり、「自由」と「選択」が訪れます。この判断を各個人の「本質」でもって受ける、あるいは創造することを描いています。

けっして煽情の文学でなく、むしろ肉体厭悪の書であるといってよい。

『水いらず』の訳者である伊吹武彦さんはこう論じています。肉体の不能者、狂人、エディプスコンプレックス、男色家、「精神に影響する性」といってもさまざまな種類や強弱があり、これらを受ける精神にも性以外の影響(思春期・社会情勢・経済状況・思想など)が元々あり、ない交ぜになって混乱した心で「選択」をする、この難しさや苦しさを各篇で訴えています。

 

人間は自由の刑に処されている

人間は自分の意思で自分を世界に作り上げたわけではなく、しかも目の前はあらゆる選択の自由を持っている。この世界に足を踏み入れた以上、すべての行動や判断は自分で責任を負わねばならない。

サルトルは全能の神を否定し、生まれ持った宿命など無いとして考えます。そして自分がどのように生きるも、何を選択するも、すべて自由で、だからこそ自分自身を創造する必要があるとしています。

 

「水いらず」という言葉は「仲良し」という意味です。実存主義として、あるいはリアリズムとして、表題作を読み返すと深い印象を覚えることができます。

すべての収録作品、それぞれに湿度をもった文学として大変読み応えがありました。未読の方はぜひ。

では。

 

『死刑囚最後の日』ヴィクトル=マリー・ユーゴー 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ヴィクトル・ユーゴー『死刑囚最後の日』です。
フランスのロマン主義第一人者で、『レ・ミゼラブル』を著しています。

自然から享けた生命を人為的に奪い去る社会制度=死刑。その撤廃をめざし、若き日のユーゴー(1802-85)が情熱をもやして書きあげたこの作品は、判決をうけてから断頭台にたたされる最後の一瞬にいたるまでの一死刑囚の苦悶をまざまざと描きだし、読む者の心をも焦燥と絶望の狂気へとひきずりこむ。

 

1829年に世に出されたこの作品は「著者の名前なし」で出版されました。ノンフィクションかフィクションか、その見極めは読者に委ねるとして冒頭に数行記載されたのみでした。死刑囚が裁判で判決を言い渡され、投獄され、執行されるまでの六週間が描かれています。心理描写の細かさが、刻一刻と迫る執行時間を恐れさせ、心情の生々しい焦燥感を表現するため、読後に手がじっとりするほどの感情移入をさせられます。

 

人はみな不定期の猶予つきで死刑に処せられている。

判決後は比較的冷静に状況を理解し、「終身懲役より死刑のほうがましだ」とさえ考えていた主人公が、日を追うごとに「生への執着による焦燥」と「死への恐怖」が徐々に、ですがしっかりとした速さで増していきます。ページを捲る手が止まらなくなります。また罪状は明らかにされず、先入観を持つことなく「死刑を待つ心情」に集中して読まされることになります。

 

ユーゴーは当時ロマン派の詩人として徐々に名声を上げており、フランスにおけるロマンチック運動の先頭に立ち、戯曲でも受け入れられるようになっていました。そして1830年、フランス七月革命においてロマンチック運動の勝利へと導きました。

彼のロマンチシズムは詩・小説・戯曲に盛り込まれ、社会のあり方を世に訴えています。彼は理想主義者でもあります。特に人道的・正義的な側面で熱が高く、この『死刑囚最後の日』は顕著な例と言えます。

 

その後、1832年に『死刑囚最後の日』の序文を発表しました(こちらも本書に収録されています)。これが政治的・道徳的な見地で大きく議論されることになりました。
彼は人道的正義の人であったので、「死刑制度」を「司法的執行といわれるそれら公の罪悪の一つ」と言い放ち、またこれを目の当たりにする事で大変苦悶しました。
当時の死刑執行は「見世物のようだ」と描写しています。民衆が見やすい席を買い、罪状概要を1スーで売りさばき、婦人達が罪人の乗る馬車を覗き見る。「死刑執行」は誰のための何のためか。そこに苦悩し、死刑制度そのものの撤廃の意思を固めていきます。

 

社会共同体からすでにその害となりなお将来害となりうる一員を除くことは大事なことだと。--しかしそれだけのことであったら、終身懲役で十分だろう。死が何の役にたつか。

「罰すること」と「処刑すること」は別であり、「処刑」は「社会の復讐」であると述べています。罪を罰するのに「死の意味」がどこにあるのか、強い疑問符で世に問うています。

 

また併せて、罪を犯す動機の質にも言及しています。

「被告は情熱によって行動したかまたは私欲によって行動したか」

この「情熱による行動」がこの当時における政治犯・思想犯に該当し、この論は七月革命で成った「自由思想」をより活性化させる意図であると見られます。革命前の王政復古により怯えきった民衆の思想を、多く解き放ちたかったのです。

ユーゴー磔刑台ではなく十字架で罪を罰することができないか、そのように問い、締めくくっています。

 

死刑の不道徳性や不要性を、当時の社会と照らし出したこの作品。一気に読み進んでしまう筆致をぜひ体感してください。

では。

 

『シーシュポスの神話』アルベール・カミュ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』です。
2005年改版です。

神々がシーシュポスに科した刑罰は大岩を山頂に押しあげる仕事だった。だが、やっと難所を越したと思うと大岩は突然はね返り、まっさかさまに転がり落ちてしまう。--本書はこのギリシャ神話に寓してその根本思想である“不条理の哲学”を理論的に展開追求したもので、カミュの他の作品ならびに彼の自由の証人としてのさまざまな発言を根底的に支えている立場が明らかにされている。

『異邦人』『ペスト』『カリギュラ』などで知られるアルベール・カミュの哲学論考エッセイです。表題のシーシュポスの神話における論考は8ページ程度ですが、そこにいたるまでに「不条理の哲学論考」が200ページにわたります。また、カフカ文学に関する論考も付録として添えられています。

 

カミュと不条理について

カミュの幼少期に父が戦死し、大変苦しい環境下で育つことになりました。彼は新聞記者となり、第二次世界大戦時に「反戦記事」を書き注目され、原発投下における非難を行った第一人者でした。これは自身が受けた不条理、またその不条理が繰り返されていることに対する非難であり警告でした。彼は博愛の人であり、自由を尊重する平和主義者であったのです。
その彼だからこそ、「不条理が引き起こす自殺」に悲しみを覚えます。これを乗り越える哲学を確立すること、論証することが、彼にとっての使命となり情熱を注ぎます。

人生が生きるに値しないからひとは自殺する、なるほどこれは真理かもしれない、--だが、これは自明の理というかたちの論理なのだから、真理とはいっても不毛な真理である。

彼はこの真理の否定からスタートします。

 

不条理な論証

不条理の定義としてまず語られます。形而上学的な意味での世界と、精神面における個人を結ぶ、筋道の通らない理を「不条理」と位置づけます。
この世を作り上げる要素(万物)のあらゆる全てを人間は理解することはできない。
人間は、生まれて理性が発達するとあらゆる全てを理解しようと試みる。
これが叶わないことであり、それを知ることによる絶望状態を「不条理」と呼ぶ。


この状態で人間は二つの選択を迫られます。
不条理な世界より逃避する(自死
不条理な世界を受け入れる(生きる)


この「生きる」を選択する必要性、あるいは手段を説いていきます。全能の神を存在させ、そこに生命を委ねる宗教的な解決や、世界を理解することは不可能だと断定し諦める選択は、すべて「哲学上の自殺」であると断じ、強く否定します。人間はもっと強いものであると。

不条理に反抗しつづける意思
ーー理解できないことであっても理解しようと意識を継続する
死を理解することで得る自由
ーーかならず訪れる「死」を受け入れ、だからこそ「生」を自由にする
生存中の経験を吸収する熱情
ーー得た経験から少しでも多くを理解しようと熱情をかける
これらの三つの帰結で、「不条理が誘った死」から「不条理が存在するからこその生」へと転換させました。

ーーそうしてぼくは自殺を拒否する。

 

不条理な人間

この章ではドン・ファンの社会における在り方、ドストエフスキー『悪霊』スタヴローギンの信仰と、それぞれにおける不条理性について書かれています。

ドン・ファンが行為として現実化するのは、量の倫理学であり、質に向かって努める聖者とはまさに正反対である。物事の深い意味を信じない、これが不条理な人間の特性だ。

 

不条理な創造

「哲学と小説」における不条理の創造をかなり強烈な主観と口調で書かれています。主としてドストエフスキーの作品における不条理性と潜む哲学、そして芸術性に関してです。

ドストエフスキーの小説では、人生の意義如何という問いは、極限的な解答、--人間の生存は虚妄であるか、しからずんば永遠であるか、そのどちらかだという極限的な解答しかありえぬほど激烈な調子で提起される。

 

シーシュポスの神話

あらすじは冒頭の紹介文どおりです。ここではシーシュポスの心情を読み解いていきます。与えられた不条理で彼は何を見出すのか。
彼は、自分こそが自分の日々を支配している。つまり彼の目に見えるもの、感じるもの、これらを元に彼の運命を自分自身でまた作り上げていく。現在置かれている状況を理解して受け入れ、そこから自身の継続された生を運命として創造していく。カミュは最後にこう締めくくっています。

頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに充分たりるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ。

 

カミュは「不条理による自死」を少しでも無くしたかった、そのように感じる論考です。叙情的な表現でさえも断定的に強く訴える論調は、何が何でも生きるべきだと聞こえてきます。
与えられた不条理から逃避せずに受け入れることで、そこから人生が自由になり、世界を主観で捉えられるようになる。自分が個として存在し、世界の事象を自分の解釈で得ることが自分の意識の幸福に繋がっていく。「生」が「幸福」に繋がる。

 

彼は生涯、災禍やテロ、そして戦争など「多くの不条理」と戦い続けていました。
1957年に「この時代における人類の道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要な文学的創作活動に関して」ノーベル文学賞を受賞しています。

1960年、彼は友人の運転する車の助手席でパリに向かう途中、事故死します。この事故にはさまざまな説が交わされています。

 

現代でも自死は増加しています。人生観を見つめ直すきっかけとして本書をぜひ読んでみてください。

では。

 

『カフカ寓話集』フランツ・カフカ 感想

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こんにちは。
RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

フランツ・カフカカフカ寓話集』です。
30の短篇・中篇集です。

カフカ伝説」といったものがある。世の名声を願わず、常に謙虚で、死が近づいたとき友人に作品一切の焼却を依頼したカフカーー。だが、くわしく生涯をみていくと、べつの肖像が浮かんでくる。一見、謙虚な人物とつかずはなれず、いずれ自分の時代がくると、固く心に期していたもの書きであって、いわば野心家カフカである。

前回に引き続きカフカです。その記事でも触れましたが、彼は執筆と仕事の両立を果たしていました。健康を損なうほど。執筆自体は生前は泣かず飛ばず、といった程度。しかし仕事においては大変優秀で、さらに上司部下にも好意的に思われ、そして細やかな気遣いをまで見せていたようです。これは彼のデリケートな気質が影響します。この気質は母親譲りのものでした。父との確執がありましたが、喧々諤々ではなく、間に母親が入り父の思惑を彼に諭していました。この神経質さと、ある意味不健全な父との関係が、彼の作品に影響したように思えます。

 

寝る間を惜しんで執筆に励んでいたカフカですが、彼の作品には常に「不条理」が付きまといます。周囲からの迫害、自己の内に湧き上がる不道徳、突然迫る恐怖、理由のない迫害、など。こういったものを「書く動機」になりうる感情の元は何か。仕事は上手くいっていたようですので、そこで生まれる程度のストレスが寝る間を惜しんで執筆するほどの感情には至らないはずです。当時の時代や土地を考えますと、やはり「ユダヤ人の子孫である」ことに起因するように思えてなりません。

 

当時のチェコスロヴァキアは、元々住んでいたチェコ人、侵略したドイツ人、そして故郷をなくしたユダヤ人で構成されていたと、カフカの伝記作者であるパーベル・アイスナーは表現しています。ユダヤ人は双方から疎まれていました。チェコ人からは「よそ者」として、ドイツ人からは「成り上がり者」として。民族としての迫害は年齢性別を問いません。カフカの幼い頃の友人は迫害により失明までしています。
このような「民族としての迫害」を幼少より肌で感じながら、その土地で生きていくことには多くの「自意識への抑圧」をかけなければなりません。この抑圧によるストレスが社会人になり多感になり、それらを晴らす手段が執筆であったのです。

 

では、何の為に「執筆」をしたか。もちろん鬱憤晴らしの側面もあったと思います。それよりも、世に伝えたいという思い、他者に理解されたいという思いが多分にあったはずです。しかし、ノンフィクションのような表現方法では迫害を助長させるばかりか、家族にまで迷惑を掛ける恐れがあるため、「文学」という芸術表現で執筆を続けたのだと考えられます。
神経質であった彼は日々刻々、「不条理」を感じていたはずです。その感じた不条理をいかに抽象的表現、間接的表現で表し、且つ、物語として成り立たせるか。このような執筆手法であったからこそ、短篇、中篇、長篇、入り混じった作品が出来上がり、その全てが「不条理文学」として形を成したのであると思います。

 

この数々生み出した作品群を、彼は死の間際に友人へ「すべて焼却」するように依頼しました。これは謙虚さ、羞恥、或いは後悔からと受け取ることもできますが、別の見方をすべきだと考えます。依頼した友人は詩人マックス・ブロートで、当時すでに文名が知れ渡っており出版業界に顔が利く存在でした。カフカはブロートが「自分の死後に出版することを確信」していたと思われます。
ホルヘ・ルイス・ボルヘスが自身の『バベルの図書館』にカフカの『変身』を盛り込む一冊の序文にこう記しています。

「ほんとうに自分の著作の消滅を望む者であれば、その仕事を他人に依頼したりはしない」

 

この寓話集は30のうち28が人間以外を主に描いています。「寓話」と名付けられたのはこのあたりが理由であると思います。その為、強制的に表現は比喩的には感じますが、物語中の社会や主人公の描写は「より現実的」で、「より直接的」に描かれています。30の作品それぞれに存在する「不条理」から得られる教訓は「寓話でありながらさほど無く」、社会への「民族としての迫害」を感じさせる訴えが随所に現れ、また苦悩として細やかに描かれています。

われわれの生活にあっては、少し走りまわったりしだして世の中の識別をはじめるやいなや、子供はすでに一丁前の大人としてことを処していかねばならぬ。

『歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族』の中の一文です。この作品は特に上記の要素が顕著です。二十日鼠族の置かれた状況が、まるでユダヤ人に当てはめているかのように。

 

『異邦人』や『ペスト』を世に出したアルベール・カミュが「不条理文学作家」としてのカフカを以下のように述べています。

カフカが宇宙全体に対して行う激烈な訴訟〔審判〕の果てにぼくが見いだすのは、まさにこのごまかしの道なのだ。そして、かれの下す信じがたい判決とは、もぐらまでが鼻をつっこんできて彼岸への希望をいだきたがるこの醜態で衝撃的な世界なのだ。

 

この寓話集には『歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族』以外にも、『巣穴』『ある学会報告』という中篇や、有名な『断食芸人』も収録されており読み応えも充分な一冊です。
カフカの「不条理文学」を多面的に感じることができますので、興味のある方はぜひ。

では。

 

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