RIYO BOOKS

RIYO BOOKS

主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『変身』フランツ・カフカ 感想

f:id:riyo0806:20210406231144p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

フランツ・カフカ『変身』です。「不条理文学」としてあまりに有名な作品です。ですが、著者が亡くなってから広まった為、明確な解釈は未だに出ておらず、現在も研究が続けられています。

ある朝目覚めてみると、青年ザムザは1匹のばかでかい毒虫と化していたーー。確たる理由もなく、とつぜん1人の青年に悪夢のような現実が襲いかかる。それにともない、ザムザへの家族の態度にも変化のきざしがあらわれはじめ……。カフカ(1883-1924)はその過程を即物的な筆致でたんたんと描き切った。

カフカチェコプラハで生まれたユダヤ人でした。彼の作品は実存主義を軸として描かれ、比喩を用いて主張する内容が多く存在します。この作品も例に漏れません。

 

家族の為に懸命に働いてきた主人公に突如として不条理が降りかかります。彼の家族は心配と恐怖が入り混じりながらも「彼」として接します。ですが数ヶ月に及ぶこの物語が進むにつれ、徐々に家族側の接し方に変化が起きます。そして「彼」から「これ」に変わり、主人公の尊厳など元々存在しなかったかのような周囲の認識に変化します。

 

チェコで生まれたカフカですが、ドイツ語を使用していました。この「毒虫」は原著では「Ungeziefer」と書かれています。訳は「害虫」です。この物語においてはもちろん「毒虫」の表現が最適です(毒虫の詳細な描写もあります)。ですが、「害虫」を比喩として用いたと考えますと、さまざまな憶測をめぐらせることができます。

 

カフカは労働と執筆を両立させていました。しかし家族、とくに父親にはあまり良くは思われていませんでした。学生時代に哲学を専攻しようとした彼に父親は「失業者になりたいのか」と笑われたほど、思想に違いがありました。もちろん、父親の実働を求める姿勢は「ユダヤ人」としての生きる手段や苦労が背中に掛かっていた為、ある種当然な反応でした。

ですが彼は、ユダヤ人排斥による苦痛、故郷のないユダヤ人の苦悩、理解されない思想における絶望、家族の理解を得ることができない孤独、これらをひとつの心に留めながら執筆を行いました。

 

この「害虫」は彼自身だったのではないでしょうか。普通の人間として扱われない苦痛、行き場の無い苦悩、意思を理解してもらえない絶望、家族に戻ることができない孤独。家族に害虫と思われていると思い込んだとしたのなら、想像もできないほどの息苦しさを感じながら日々を過ごしたと考えられます。

しかしながら「毒虫」になっても彼はなお、仕事に行かなければならないと考えます。それは仕事に行くことは家族の為であるからです。彼は心の奥底では「家族愛」を欲していたのではないでしょうか。

 

主人公は徐々に物語が進むに連れ「毒虫らしく」なっていきます。これは彼自身の心境の変化、行動の変化ではなく、むしろ家族側の変化が原因となっています。つまり周囲が「毒虫」と扱うようになっていくからこそ、彼は「毒虫らしく」なっていくのです。

自己の認識は周囲の行動が大きく影響するのであり、不条理を受けたものに対する周囲の接し方は、これまでのような無償の愛を与えることは困難になります。

 

彼は「家族愛」を欲しましたが、家族は彼の思想を「不条理」と認識し無償の愛で接することが困難になっていたのではないでしょうか。
この状況さえも彼は理解し、体感していながらも世に問いたいという思いでこの作品を執筆したのではないかと感じます。

 

『ロリータ』を書いたナボコフはこの作品で、主人公が天才であり、家族が凡庸であるという芸術家的な見地でこの作品を捉えています。
読む人の境遇や、心境により見え方が変わる作品ですので、どのように見えるか試してみてください。
では。

 

『地下室の手記』フョードル・ドストエフスキー 感想

f:id:riyo0806:20210406231220p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

フョードル・ドストエフスキー地下室の手記』です。

極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通して、理性による社会改造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する。人間の行動と無為を規定する黒い実存の流れを見つめた本書は、初期の人道主義的作品から後期の大作群への転換点をなし、ジッドによって「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と評された。

処女作である『貧しき人びと』からも感じられるような「人道主義的文学」を描いてきた彼の作品は、1864年に発表されたこの作品から「実存主義的文学」へ大きく転換しました。人間への信頼や希望といった表現は消え「希望を見出せぬ生」を描く〈悲劇〉が主テーマとなっていきます。

 

この作品には「共産主義の否定」が含まれています。

人間がしてきたことといえば、ただひとつ、人間がたえず自分に向って、自分は人間であって、たんなるピンではないぞ、と証明しつづけてきたことに尽きるようにも思えるからだ。

ドストエフスキー共産主義を「個人の破壊」「個性の犠牲」と解し、説いています。

この作品が何故こういったテーマになったかは理由があります。

 

前回の感想記事でツルゲーネフの『父と子』に関して書きました。ニヒリズムに関して、また新時代のチカラに関して。これに対抗しチェルヌイシェフスキーが『何をなすべきか?』という作品で、新しい世代(革命を目指す者たち)へ向け「合理的エゴイズム」を掲げました。この作品では「水晶宮」という理想郷が登場します。この理想郷を作り上げるのは、全ての人間が「合理的欲望」を追求することであり、いずれ「調和と幸福」を手に入れることができるという思想の内容です。物事を合理的に考え、調和の取れた利益を追求するという「空想的社会主義」の典型的な思想であるとも言えます。

これが当時、過激派の若者のバイブルとなり、かのレーニンも愛読しました。

 

ドストエフスキーは『何をなすべきか?』に反発した内容を発表しました。それが今回の作品である『地下室の手記』です。この作品は二部構成となっております。一部は現在、二部は過去。この二部が『何をなすべきか?』の内容を大いに皮肉で包んだ内容となっています。端的に言うと『何をなすべきか?』の中で正当化された誠実な人物のことを、一刀両断に否定し思考の足りない傲慢な人物であると描いています。ちなみに一部は「西欧合理主義(合理的エゴイズム)の否定」です。

 

この「合理主義」は「理想主義」であると言えます。人間が合理的に判断し、利益計算し、正確な道を歩むことが幸福に近づく。まさしく理想的であり、誰しもが幸せになることができるように感じられます。実はドストエフスキーは本来「大変な理想主義者」でした。しかし彼の強い観察眼と道徳におけるヒューマニズムが起因し、「人間は欲求や衝動により理想的な行動だけを行うことは不可能である」と結論付けるに至ったのです。この事が彼に大きな苦悩、あるいは失望を与えます。そこで彼の中に生まれたのがシェストフの語る「悲劇の哲学」です。今まで信じてきた「理想主義の崩壊」が人間の絶望のように捉えられ、そしてその絶望の中で生きる「希望を見出せぬ生」を描くようになったのがこの『地下室の手記』であり、ドストエフスキー作品における思想の転換点となったのです。

 

また「人間の欲求や衝動」の影響こそ、人間を人間たらしめている、つまり「個としての人間らしさ」を強く主張するようになります。このチェルヌイシェフスキーへの、合理的エゴイズムへの、水晶宮への否定は、人間の複雑さを説く彼のヒューマニズムによる警告に他ならなかったのです。またその「人間の欲求や衝動」がアイデンティティとして各個人が自覚すべきものであり、共産主義者のような判でついたような人間性を否定する主張に至ったのです。

 

ドストエフスキーは絶望の中の生を描いています。つまり生の否定ではありません。
どのようにして苦悩を抱きながら生きていくか、人間としての誇りを持ちながら生きていくか、そのようなことを描くことを胸に、ここより名作を数々生み出していくのです。

 

チェルヌイシェフスキー『何をなすべきか?』は少し入手し辛いかもしれません。
ですが、ドストエフスキーの「悲劇の哲学」はこの一冊で感じる事ができます。
未読の方は試してみてください。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

『父と子』イワン・ツルゲーネフ 感想

f:id:riyo0806:20210406231246p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ツルゲーネフ『父と子』です。
前回の『はつ恋』の次に世に出された作品です。
テイストは大きく変わります。こちらもツルゲーネフ中期の代表作です。

「ニヒリスト」という言葉はこの作品から広まったーー自然科学以外の一切を信用せず、伝統的な道徳や信仰、芸術、社会制度を徹底的に批判するバザーロフ青年。年寄りは時代遅れで役立たずだと言い切る新世代と、彼の様な若者こそ恥ずべき高慢と冷酷の塊だと嘆く旧世代。新旧世代の白熱する思想対立戦を鮮やかに描き、近代の日本人作家たちに多大なる影響を与えたロシア文学の代表的名作。

1860年代はニコライ一世の弾圧政治を終え、アレクサンドル二世の自由主義的な政治へシフトしたように国民の目には映りました。貴族の夢想家や哲学者が幅を利かせていた世代が没落していく中、その子供世代は彼らの無気力を嘲笑しました。この新世代を大きく支持し、引率したのがディミトリー・ピーサレフという19世紀ロシアの文芸評論家です。

彼は道徳や芸術が持つ威厳を全て否定し、有用性のみを重要視する「レアリスト」いわゆる現実主義者を理想像として訴えた。芸術における感傷主義・ロマン主義などを全て否定し、プーシキンの詩さえ否定しました。
ピーサレフは『父と子』の登場人物バザーロフこそ「考えるレアリスト」であり、若い世代へこの人物の言動を啓蒙し、そして彼らを「ニヒリスト」と呼び、唯物論者であるよう説きました。こうして国家・教会・家庭の一切を否定する「ニヒリズム」が確立したのでした。

バザーロフは、ロシア文学史上はじめて主人公として登場した雑階級出身の知識人で、一八六〇年台に泡のように現れて消えた変種ではなく、純粋なロシア的タイプである。

解説で工藤精一郎さんはバザーロフの特長をこう述べています。
この作品でツルゲーネフが書こうとした主題は「旧世代の貴族文化と新世代のニヒリズム」です。そして彼自身がニヒリズムである事から新世代を支持する、つまりロシア社会の改革には新世代のチカラが必要であると訴えています。そのチカラは家柄ではなく知識と意志と行動力を伴う若い世代であると。

 

この作品にはもう一人の主人公アルカージィという青年が登場します。バザーロフと友人で行動を共にします。彼もまたバザーロフの現実主義に強く共感を抱き、敬います。
舞台は彼らが連れ立ってアルカージィの実家へ帰省するところから始まります。そこで待つのは優しい父と慇懃な叔父。この叔父こそ、バザーロフの対決相手となります。
バザーロフは不遜で無礼な振舞いを高貴な叔父に披露します。やがてフラストレーションは高まって行き、思想の相違における口論が起こります。

バザーロフ側の実家へ二人で向かう場面もあります。この時のバザーロフが非常に情けない甘ったれに思えました。他者の家族には失礼千万な行いを「ニヒリスト然」としているのですが、なんと自身の父母を大切に想うことか。「彼こそ真のニヒリストだ」と言ったピーサレフの言葉は、結局若い世代に文芸を読むことでなら思想も伝わりやすいだろうという啓蒙道具に過ぎなかったのだと、そう思います。

アルカージィの言葉でこのような句があります。

いままでぼくは自分がわからないで、力以上の課題を自分に課してきたんです……ぼくの目はついこのあいだ、ある一つの感情のおかげで開かれました

ニヒリストに憧れていたアルカージィが大切な異性を持ち、家庭を築きたいと感じたその時、ニヒリズムよりも自分に大切なものを見つけました。つまりニヒリストとして国を動かさなければならないという「力以上の課題」から、異性を大切に想う「一つの感情」が彼を解き放ってくれたのです。

 

ツルゲーネフはニヒリストでありますが、作家として登場人物を、物語を、実に公平に描いています。だからこそ、彼らには生命が感じられ、感情が感じられます。このリアリズムな表現だからこそ、思想の対立・思想のあり方が鮮やかに読み手に伝わるのだと思います。

 

思想の対決シーンは緊張感が素晴らしいものです。未読の方はぜひ読んでください。
では。

 

 

『はつ恋』イワン・ツルゲーネフ 感想

f:id:riyo0806:20210406232221p:plain

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です

 

イワン・ツルゲーネフ『はつ恋』です。1800年代のロシア・リアリズム文学におけるドストエフスキーの好敵手です。

16歳のウラジーミルは、別荘で零落した公爵家の年上の令嬢ジナイーダと出会い、初めての恋に気も狂わんばかりの日々を迎えるが……。青春の途上で遭遇した少年の不思議な〝はつ恋〟のいきさつは、作者自身の一生を支配した血統上の呪いに裏づけられて、不気味な美しさを奏でている。恋愛小説の古典に数えられる珠玉の名作。

恋愛小説の古典的名作として有名です。ですが、恐らくイメージと違った内容に驚く方も多いのでは。この作品は終始「憂愁」を帯びています。

 

ツルゲーネフは「最後のロシア貴族」と表現されることがあります。彼は地主貴族の子として1818年に生まれました。農奴解放令が制定されたのは1861年です。つまり、彼は貴族として生まれ、成長に合わせてロシア地主貴族文化が廃頽していったのです。この荘園貴族文化の崩壊に抗いながら、詩的哲学を一貫して生涯を過ごしました。

思想的な立場から言えば、青年時代から晩年に至るまで、終始かわらぬ西ヨーロッパ的知性の確固たる信奉者ーーいわゆる西欧派であったのです。

解説で神西清さんはこう述べています。
この作品では特に悲哀に満ちた憂いが、どこか上品で、そして美しい文章で、内容以上の「淡さ」を持っています。これこそ「貴族の品位」と「西欧の表現」であると考えられます。


『はつ恋』はテーマと相まって「淡い文章」が、それぞれの読者が経験した「青春」を、まだ「恋」を知らぬが「恋」に焦がれる感情を、ノスタルジックな情景と共に思い起こさせ、また主人公の「青春」を覗くこととなります。

 

この物語はツルゲーネフの「半自伝的作品」です。
父親、母親、主人公、初恋相手、経験、背景。
トラウマもののこの物語が、多感な青春のこの時期に、事実として経験してしまったのならば晩年のニヒリストへ成長する事も納得せざるを得ません。

自分が恋を恋ともわからず、恋したと思い込んだのは、「初めて器量の良い異性と接近出来たから」だけだったのです。その相手は父親が浮気相手として掻っ攫ってしまいます。この時、主人公のウラジーミルは「父に憎しみを抱きません」。それを知った後も紳士的に尊敬を続けます。
ここで読者は違和感を抱きます。普通は憎むのが自然です。尊敬の念は薄れます。

 

半自伝的作品ですが、創作が無いわけではありません。つまり実際のツルゲーネフは憤慨したものの「表に出すことが出来なかった」だけなのでは。それをそのまま書くことを「貴族的自負心」が許さず、少し捻じ曲げてしまったのでは。そう感じます。

この場面に限らず、随所にそのような「自負心」が影響されている箇所が見受けられます。特にヒロインであるジナイーダの描写は顕著です。

 

ジナイーダの女王的な振舞い、或いは高慢は、没落前の貴族的生活により培われたもの。彼女は現実を受け入れることを無意識に拒み、美貌により褒めそやされる事を貴族的扱いをされていると紛い、若さと白痴で地に足が着かないところを、年季の入った伊達男に唆される。
散々美しさを描きながら、読後に世間知らずな滑稽さを彼女の印象に残させるのは、ツルゲーネフの受けた心の傷を少しでも癒そうと、持てる文芸力を注いだ結果だと読み取ることが出来ます。

そして、ジナイーダの生の終わりを非常に無味乾燥な表現にしているところは「独りよがりな因果応報論」を押し付けているようにさえ感じます。

 

ツルゲーネフは生涯独身を貫きました。
ですが、子はもうけていました。家族を欲していながら妻を得ることが出来なかったのは、過去の心傷が原因ではないでしょうか。起因したのが自身の父であるならば、時代の流れにおける父親世代、つまり農奴解放へと導いてしまった世代、地主貴族を没落へと導いた世代とシルエットは重なり、彼の中でニヒリズムを構築してしまったのは当然なように思います。

 

中篇で読みやすい文体ですので、未読の方はぜひ読んで苦悩を体感してみてください。

では。

 

『イワン・デニーソヴィチの一日』アレクサンドル・ソルジェニーツィン 感想

f:id:riyo0806:20210406232040p:plain

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

アレクサンドル・ソルジェニーツィンイワン・デニーソヴィチの一日』です。ソビエトの「雪解け」時代、スターリニズム批判、ノーベル文学賞受賞。
真にロシアを思い、強いキリストへの信仰心を持った文学者です。

1962年の暮、全世界は驚きと感動でこの小説に目をみはった。のちにノーベル文学賞を受賞する作者は中学校の田舎教師であったが、その文学的完成度はもちろん、ソ連社会の現実を深く認識させるものであったからだ。スターリン暗黒時代の悲惨きわまる強制収容所の一日をリアルに、時には温もりをこめて描き、酷寒に閉ざされていたソヴェト文学にロシア文学の伝統をよみがえらせた名作。

1941年、ソルジェニーツィン大祖国戦争独ソ戦)の開戦で召集され戦地に向かいます。1945年前線より友人へ送った手紙が検閲にて「スターリン批判にあたる」とされ逮捕、モスクワの収容所に連行され、懲役8年を受けることになります。
イワン・デニーソヴィチの一日』はこの時の収容所経験をモデルにした作品です。

1953年に8年の刑期を終えると、釈放されずにカザフスタン北東部へ永久流刑が決定。
投獄と追放の10年間で彼の思想に変化が起こります。マルクス主義であった彼はこれを放棄し、哲学的クリスチャンへ転向。このあたりはドストエフスキーの投獄中の思想変化と非常に似通っています。

1956年2月に第20回共産党大会においてフルシチョフ首相が「スターリン批判」の演説を行い、「雪解け」の時代に入りました。ここでソルジェニーツィンは流刑から解放されます。
1961年10月、第22回共産党大会の決議によってレーニン廟に眠っていたスターリンの遺骸を廟外へ追放。この事で一般大衆にスターリン批判が広がり始めます。期を見計らったかのように、『イワン・デニーソヴィチの一日』が1962年にフルシチョフの後押しで世に発表。ソビエトの教材に使用されるほど世に広まります。

しかし、順風満帆な作家生命ではありませんでした。
上記が原因のひとつとなり、1964年にフルシチョフ失脚。その後保守派によるソルジェニーツィン迫害が始まります。

1969年にはソビエト連邦作家同盟より「反体制的な皮肉の修正」を求められ、作品の発表を全て発行停止、最終的には反ソ的イデオロギー活動を理由に作家同盟を追放されました。1970年にノーベル文学賞を受賞するも授賞式には出席できる状況ではなく、1974年に国外追放された時に賞を授与。その後長い期間を国外にて過ごすことになります。
1985年にゴルバチョフ政権が誕生し、1990年8月の大統領令によってソ連の市民権が復活しました。

 

イワン・デニーソヴィチの一日』では、収容所内における一日の過ごし方が、とんでもないリアリズムで描かれています。体験を基にしているからこその景色・心理描写・温度など。疲れの取れない寝床、満たされない空腹、マイナス30度の酷寒で行う行軍・作業。
語り手イワン・デニーソヴィチ・シューホフの、皮肉やユーモアを交えながら、また心情を吐露しながらの軽妙な語りは、内容と相反して暗い雰囲気になりません。スムーズにページを捲ってしまいます。
8年間の収容所生活で得た経験・勘・知恵・処世術を、惜しげもなく我々読み手に教えてくれます。

足は靴をはいたまま決して火に近づいてはいけない。これはぜひとも心得ていなければならない。それが編上靴なら皮に割れめができるし、フェルト長靴なら、ジクジクしみてくる。湯気がたちのぼるだけで、ちっともあたたかくならない。そうかといって、もっと火のそばに近づければ、焼けこげができてしまう。そうなったら、春まで孔のあいた靴をはいていなければならない。かわりなんか、どうせ貰えないんだから。

実経験があるからこその描写が、その知恵の存在感に圧倒されます。
また、皮肉も随所に現れます。

「しかしですね。芸術とは、なにをではなくて、いかに、じゃないですか」
「そりゃちがう。あんたのいう『いかに』なんて真っ平ごめんだ。そんなもので私の感情は高められやしませんよ!」

ソルジェニーツィンは「なにを」書くか、「なにを」書いて伝えるかに向き合っていました。

徒刑ラーゲルのいいところはーー言論の自由が「たらふく」あることだ。

 

ドストエフスキーの有名な一文「人間はどんなことにでも慣れる存在」を証明するかのような内容が起床から就寝まで始終続きます。

いつ、どんな不幸が降りかかってもおかしくない状況下で、それを跳ね除ける精神を守っているものは、自分にとっての「幸福」を理解して大切にしている心であると思います。
先日のヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』でもありましたように、「精神を守るための幸福」が生き抜く活力であり、保てないものが排除されていく社会であると改めて感じました。
作中で「家に帰りたい」という願望が垣間見られます。
その願望は心の深層に、或いは表層に常時存在しているものの、その思いを振り払おうとしている様は、「願えば遠のく夢」と確信しているとともに、叶う可能性が薄いため「精神を守るための幸福」にしてはいけないと戒めているようでもあります。

 

訳者の木村浩さんは解説で以下のように述べています。

この『イワン・デニーソヴィチの一日』は、長らくスターリンの個人崇拝という酷寒に閉ざされていたロシア・ソビエト文学の復活を告げる記念すべき作品となった。

ソルジェニーツィンの文学は、スターリニズム批判という面だけではなく、純粋な文学としても充分に愛されるものです。想像を絶する過酷な環境下における「人間性の美」を描いた「人間賛歌」の作品ではないでしょうか。
つまり、スターリニズムとは人間性の否定であって、それに抗う人間の美しさを描いた作品と言えると、そう思います。

 

ソルジェニーツィンはインタビューで以下のように話しています。

「社会が作家に不当な態度をとっても、私は大した間違いだとは思いません。それは作家にとって試練になります。作家をあまやかす必要はないのです。社会が作家に不当な態度をとったにもかかわらず、作家がなおその使命を果たしたケースはいくらでもあります。作家たる者は社会から不当な扱いを受けることを覚悟しなければなりません。これは作家という職業のもつ危険なのです。作家の運命が楽なものになる時代は永久にこないでしょう」

 

同じロシアの作家で不当な扱いを受けたウラジーミル・ソローキンも同様の覚悟を持っていました。社会へ「なにを」伝えるかを真剣に考えた作家が増えることを望むばかりです。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

riyoriyo.hatenablog.com

riyoriyo.hatenablog.com

『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル 感想

f:id:riyo0806:20210406232408p:plain

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』です。

「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大さと悲惨をあますところなく描いた本書は、日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっている。原著の初版は1947年、日本語版の初版は1956年、その後著者は、1977年に新たに加えた改訂版を出版した。
世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれたこの新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したものである。
私とは、私たちの住む社会とは、歴史とは、そして人間とは何か、20世紀を代表する作品、ここに新たにお送りする。

フランクルユダヤ人で、オーストリア精神科医でした。
1941年、ナチス当局軍司令部より出頭命令を受け収容所へ向かうこととなります。
この出頭命令は、アドルフ・ヒトラーより出された「ドイツ国民と国家を保護するための大統領令」における条文「公共秩序を害する違法行為は強制労働をもって処する」に則ったものでした。

この収容所内での体験を余すところ無く、また体験したからこその生々しさを描写し、且つ心理学者としての冷静で正確な分析を、わかりやすく伝えてくれています。

 

なぜ、ユダヤ人が標的になったのでしょうか。
ポーランドアウシュビッツ強制収容所において、ナチスガス室実験を行いユダヤ人を大量虐殺したことは、あまりに有名です。

ヨーロッパにおけるユダヤ人への排斥思想はナチスよりずっと以前から持たれていました。その始まりはキリスト教徒でした。キリスト教の起源はユダヤ教にあります。ですが分離ののち、キリストを救世主と認めないユダヤ人に対し敵意を持ち、迫害を始めます。またキリストを磔にしたのはユダヤ教である、とまでされたのです。

キリスト教の拡大速度はとても速く、ヨーロッパ全土に広がりました。しだいに「ユダヤ教こそが悪」という思想が浸透していきます。この思想が色濃くなるにつれ、ユダヤ人であることから、自由に職へ就くことができなくなりました。

この思想は20世紀に入っても変わらず、人々の心に根付いていました。そんな中、第1次世界大戦に敗れたドイツ国を復興させるため、国と国民をひとつに束ねるため、「反ユダヤ主義」をイデオロギーとして提唱し、利用したのがナチス党首アドルフ・ヒトラーです。

 

1938年にパリのドイツ大使館で書記官が殺害されます。犯人はユダヤ人でした。ナチスによるユダヤ迫害の復讐でしたが、これがドイツ国民の怒りに火をつけました。国民はドイツ国内のユダヤ教徒、およびユダヤ人を90人以上殺害します。これがクリスタル・ナハト(水晶の夜)です。ユダヤ人が経営する商店が破壊され、その窓ガラス片が散乱している様子から、このように呼ばれます。この時に逮捕されたユダヤ人は3万人を超えますが、収容所に送られるも国外へ移住することを条件に数週間で釈放されています。

ですが、この事件こそがきっかけとなり、ドイツにおけるユダヤ人迫害に拍車が掛かっていきます。そして1939年、ドイツがポーランドに進軍し第2次世界大戦が始まります。

 

ポーランドには何百万人もユダヤ人が住んでいました。その為、追放という手段を取ることが困難になり迫害一択となります。自由を剥奪するため、収容所を設け、そこで強制的に労働を行わせる。ここで建てられた巨大な建築物こそ、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所なのです。

その後、収容所における労働力は戦争の人員として目され、待遇が良くなったという論もありましたが、フランクルの告発によるとそれは極々一部の上層のみであったことが見受けられます。

戦争が続き、いよいよ食料難となってきた際、ユダヤ人をソ連へ追放しようという考えに及びましたが、戦線の状況により不可能となりました。そこで決定されたのはユダヤ人を「処理」することでした。この「処理」が目的である「絶滅収容所」は規模の問題もあり、アウシュビッツもそのひとつでした。

戦時中に亡くなったユダヤ人は600万人を超えると言われています。

 

収容所における「体験記」は、凄惨な描写、救いの無い描写、人間の醜さ、存在の不明瞭さ、命の軽さ、命の重さ、生命力の強さ、精神力の弱さ、現実と夢、など想像する事さえ苦しくなる経験を詳細に描いています。ですが、この作品の主テーマは告発ではなく「生きる意味を問う」という内容にあります。

 

フランクルはこれら全てを免れる亡命のチャンスがありました。
ですが、しませんでした。両親と結婚して9ヶ月の妻だけに苦しい思いをさせることができなかったのです。
だからこその、「生きる意味」がより強く彼の心に芯として根付いていたのだと思います。いつかこの地獄から開放され、愛に溢れる時間を過ごす希望こそが「生きる意味」として。

「数え切れないほどの夢の中で願いつづけた、まさにそのとおりだ……しかし、ドアを開けてくれるはずの人は開けてくれない。その人は、もう二度とドアを開けない……。」

フランクルは一人の妹を除き、大切な家族すべてを失いました。

 

心の支え、人生の目的が、精神を保つ大きな要素であり、美しさや愛情が精神を潤す糧となる。どのような環境であっても、むしろ生きる環境の制限が厳しくなればなるほど精神を守るものは、生きる目的であり、存在意義であり、未来の希望である。

実際に、精神を病み、生きる希望をなくして肉体まで諦めかけていた同志を、この思想による精神療法「ロゴセラピー」で、幾人も救った演説のシーンは鳥肌が立ちました。「ロゴセラピー」は、精神を病んでいる人に人生の希望を見つける手助けをして、心そのものを治療する行為のことです。

 

今、塞ぎ込みたくなるこの時代にこそ、精神を健康的に保つ努力が必要ではないでしょうか。
未読の方には、ぜひとも読んでいただきたい作品です。

では。

 

『緋文字』ナサニエル・ホーソーン 感想

f:id:riyo0806:20210406231428p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ナサニエル・ホーソーン『緋文字』です。
1850年に出版されました。

胸に赤いAの文字を付け、罪の子を抱いて処刑のさらし台に立つ女。告白と悔悛を説く青年牧師の苦悩……。厳格な規律に縛られた17世紀ボストンの清教徒社会に起こった姦通事件を題材として人間心理の陰翳に鋭いメスを入れながら、自由とは、罪とは何かを追求した傑作。有名な序文「税関」を加え、待望の新訳で送る完全版。

 

ホーソーンマサチューセッツ州セイラムに生まれました。セイラムは魔女裁判で有名ですが、ホーソーンの先祖はその判事として名を残しているジョン・ホーソーンです。「名門」の出であったホーソーンは、税関務め、作家、領事と経験。紹介分にある序文「税関」はこの経験を語るような切り口で始まっていきます。

 

税関で勤めている風景描写から徐々に「緋文字」の序章へと繋がっていく、リアルからフィクションへ繋がっていくメタフィクションの表現は見事です。限りなくリアルに表現したかったフィクション要素は、ストーリー自体ではなく、当時の宗教と法律がほとんど一体となし、神の存在が確実に存在していた社会であったように思います。

 

また、神への使い・信者が持つ人間としての悪意・欲望などを多く皮肉った描写も散見されます。

他人に危害を加える権力を手中にしたというだけの理由で、残酷になれるという傾向ほど、醜い人間性の特質はめったにない。

「神」という本来的に曖昧な存在が、「確実に存在している」とされている社会において、神の判断が全て正義であると誰もが信じている。だからこそ、神の判断として、魔女裁判などいう恐ろしい所業が聖職者より生まれてしまった。魔女裁判を促した聖職者は、自身の中に沸く嫌悪感に左右されなかったのだろうか。


ではその「神」の使いには、人間としての悪意は存在しているのか、欲望は存在しているのか。これがこの作品「緋文字」の核として存在しています。

物語はひとつの姦通事件で始まります。遠く離れた夫がありながら他者の子を産み落とした女性、遠くからようやくたどり着いたその夫、優しい御心で神への告白を促す青年牧師、謹厳なる偉大な老牧師、日に日に大きくなる罪の子であるその少女。
この物語の登場人物には感情移入が非常にし辛い。それは、彼らはその当時に存在した「愛」「神」「心」「罪」「誇り」「義」などのシンボルとして描かれており、その社会で生きた人々がみな、欠片として持っていたものです。
登場人物をシンボル化させて、思想を伝えようとする手法はドストエフスキーのそれと大変近しいものがあり、読みやすく感じました。

 

ナサニエル・ホーソーンは「アメリカン・ルネサンス」における代表的な作家です。ヨーロッパの伝統を植民地時代にアメリカへ継承し、それらが文化として土地に根付いていきました。文学においては主に、ロマン主義・思想主義とされています。この作品でホーソーンが軸に置いていた思想は「神と悪の存在」ではないでしょうか。
悪を徹底的に排除しようとする清教徒社会(ピューリタニズム)への批判や皮肉、全ての人間に存在し得る悪意と欲望、無垢であるが故の鋭い悪への洞察力。

当時は、われわれが才能と呼ぶものはさほど重んじられず、人格に安定性と威厳を付与する重々しい要素のほうがはるかに重んじられたのである。

いかなる才能よりも、威厳や上品さ、つまり聖職者らしさが神に近い、つまり「そのように見える人こそそうなのだ」と当時を大きく皮肉っています。

 

ホーソーンは、神と人間をどう存在させるか、を問うています。自分の心から神を存在させ、その神に全てを明かし、全ての許しを請い、全てを世に懺悔する。心にどう神を存在させるかということが、本当の信心であると、そう思います。

 

物語自体はさほど複雑ではありませんので、ホーソーンの思想を汲み取りながら読んでみてください。

では。

 

『人間の土地』アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 感想

f:id:riyo0806:20210406231454p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『人間の土地』です。訳は詩人の堀口大學。郵便飛行士としての体験を元にしたエッセイで、アカデミー・フランセーズ賞を受賞しています。

“我慢しろ……ぼくらが駆けつけてやる!……ぼくらのほうから駆けつけてやる!ぼくらこそは救援隊だ!”サハラ砂漠の真っ只中に不時着遭難し、渇きと疲労に打克って、三日後奇跡的な生還を遂げたサン=テグジュペリの勇気の源泉とは……。職業飛行家としての劇的な体験をふまえながら、人間本然の姿を星々や地球のあいだに探し、現代人に生活と行動の指針を与える世紀の名著。

職業としての初飛行から、砂漠へ不時着遭難まで職業飛行家としての体験が8編にわたり描かれている。これらを一貫するテーマは「人間の本然」あるいは「人間の本質」であり、堀口大學さんの美しい文章で綴られていきます。

堀口さんは訳者あとがきにて、「人道的ヒロイズムの探求」が本書の根本想念をなしている、と述べてらっしゃいます。

 

当時の飛行環境は現在のそれとは違い、安全の保証など何処にもなく航空路も不安定で、まさに命懸けの職業でした。飛行目的は「郵便」。世界的な利便性の発達です。船でしか届けることが出来なかった郵便物を飛行機で早く届けることが出来る、そんな目的を持った職業でした。世の為、ひとの為に命を懸けて飛行する。これこそヒロイックな職業と言えます。

 

作中での「生命」「夢」「誇り」「意義」が、実体験による臨場感と興奮で伝えられます。目の当たりにする死、僚友の生命、絆と誇り、そして自らに対する危険。体験したからこその景色や温度は読者へとんでもない説得力を持って語りかけてきます。

 

この職業に誇りと夢を描くことが出来る人物こそ、当時の飛行士としての資質であったのではないでしょうか。テグジュペリも例外ではなく、自己犠牲による名誉的幸福を感じる人であり、空の雲・光・星に浪漫を抱く人でした。

『人間の土地』は、物質的利益や、政治的妄動や、既得権の確保にのみ汲々たる現代から、とかく忘れがちな、地上における人間の威厳に対する再認識の書だ。

堀口さんはこう説いています。眼前の利益や欲望に身を委ね、危機から身を守ることは人間としてのある種「本能」であると思います。ですが、人間として生まれたからこそ出来ること、すべきこと、またこれを探求することが人間の「本然」ではないかと思います。

 

本文中でテグジュペリはこのように述べています。

この本質的なものを引き出してくる試みとして、しばらく、人さまざまな相違を忘れることが必要だ。なぜかというに、これは一度認められるとなると動かしがたい多数の本然を、コーラン一冊分ほども将来し、それに立脚する狂信までも将来するからだ。

相対する思想を持つもの、立場の相反するもの、趣味志向の反するもの、すべてを含め「人間」であり、総括したものを俯瞰して考えることが「本然」として考えることである、このようにして初めて「人間の本然」を見出すことが出来る、そのように考えられます。

たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。

 

テグジュペリは、1944年7月31日、フランス解放戦争に従軍中、偵察目的で搭乗し、行方不明となりました。

 

星の王子さま』で有名な「行動主義文学の作家」の今回の作品。読後に晴れやかな気分にし、脳内を綺麗に片付けてくれます。

 

未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

『阿片常用者の告白』トマス・ド・クインシー 感想

f:id:riyo0806:20210406231517p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

トマス・ド・クインシー『阿片常用者の告白』です。舞台は1800年前半イギリスおよびウェールズ。阿片常用者であるド・クインシーが世に「阿片が与える快楽と苦悩」をそれぞれの編にて告白するという内容。

英国ロマン派屈指の散文家による自伝文学。幼少期の悲哀、放浪の青春から阿片常用の宿命の道程を描く。阿片の魅惑と幻想の牢獄を透徹した知性と感性の言語によって再構築した本書は、ボードレールはじめ多くの詩人や作家たちの美意識を方向づけた。新訳。

 

英国ロマン派詩人のワーズワース、コールリッジなどと親交があり、大変な純文学の才があり、また、批評家として活躍しました。また、紹介文にもあるようにボードレールから大変賞賛され、訃報を聞きつけた際「世界の端から端まで、すべての文学論争において道徳の仰々しい狂気が純文学の地位を簒奪してゆく」と嘆いたほどの傾倒ぶりでした。

 

生来頭脳明晰で多才であった事から「阿片常用者の告白」をしないような生き方であれば、違った人生を歩んでいたのかもしれません。ド・クインシーが「快楽」を求めたきっかけは切々丁寧に記述されていますが、それ以前に心を傷つける出来事が、重なり起こります。生まれてから8年間の間に、父と姉が二人亡くなります。本作ではこれらの生い立ちにはあまり触れていませんが「トラウマ」としては存在していたはずです。

 

まだ年端もいかない少年時代に与えられた古傷は癒えることなく精神に潜んでいたものと考えます。そこに心を砕かれるような大きな悲しみがあったとするならば、また貧困の最中にあり高価な葡萄酒に心身を委ねることができなかったとするならば、「阿片の快楽」を求めたことは極めて自然であったのかもしれません。

 

本作では先に「快楽」が述べられます。葡萄酒による酩酊との比較や、享楽の悦楽が増幅するといった内容です。なるほど阿片はそのように作用するのだろうと読むことが出来るのですが、後にボードレールは「詩的精神の過剰」により阿片が引き起こす快楽であると説いています。あくまで本来的に持っている「精神の具現」を「拡大鏡」によって増幅させうるものであり、個人によってその効果は雲泥に変わる、と。ド・クインシーの「詩的精神の過剰さ」と、「頭脳の明晰さ」と、「幼少期の不幸によるトラウマ」がない交ぜに作り上げた「精神の具現」を「拡大鏡」により増幅させたものが、彼にとてつもない快楽を、逃れられない快楽を与えた。そのように解釈できると思います。

 

後の「苦痛」の記述は、幻視と悪夢と肉体的苦痛を主に描かれています。抽象的な表現が続くかと思えば、現実か幻惑かも曖昧な表現に変化したりと統一性がありません。まさに苦痛の中を「感じたまま」表現したように受け取ることができます。

慇懃なる読者よ、小生がここ諸君の前に捧げるのは、わが生涯の非常なる時期の記録である。

この一文で始まる本作は、1822年までの「告白」です。この後、妻と息子二人を亡くします。阿片の苦痛に起因した貧困も続きます。壮絶です。そして彼は、「トマス・ド・クインシー」は1859年に亡くなります。享年七十四歳。

幻惑の快楽を追い求めたが故の不幸か。
あるいは不幸から救済を願ったからこその快楽か。

「阿片服用者が人類にたいして実際的な奉仕をなにひとつしなかったからといって、それが一体なんだというのか。もし彼の書物が美であるならば、彼に感謝すべきではないか。」

ボードレールの言葉です。この言葉を向けられた者には「幸福」を与えられています。
ド・クインシーが「快楽」ではなく「幸福」を求めていれば、このような「告白」は生まれていなかったかもしれません。

 

テーマは重いですが、素晴らしい文才により軽妙に読み進むことができます。時代背景を想像しながら読むと情景がありありと浮かび上がります。

 

興味のある方はぜひ読んでみてください。
では。

 

 

『バグダードのフランケンシュタイン』アフマド・サアダーウィー 感想

f:id:riyo0806:20210412225129p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

アフマド・サアダーウィー『バグダードフランケンシュタイン』です。著者はイラクの小説家・詩人・映画監督・ジャーナリストです。
作中にもジャーナリストらしい描写や表現があふれています。主要な登場人物にジャーナリストも出てきます。

私は、中東というと『宗教』『戦争』のイメージを色濃く持っています。事実、そしてサイエンスフィクションであるこの作品でもそれらが凝縮されて綴られています。

連日自爆テロの続く二〇〇五年のバグダード
古物商ハーディーは町で拾ってきた遺体の各部位を縫い繋ぎ、一人分の遺体を作り上げた。しかし翌朝遺体は忽然と消え、代わりに奇怪な殺人事件が次々と起こるようになる。
そして恐怖に慄くハーディーのもとへ、ある夜「彼」が現れた。
自らの創造主を殺しにーー

爆破テロの被害者の肉片で作られた魂のない遺体、そこに爆破テロで被害にあった死者の魂が入り込む。

 

日常の中にテロ爆発がいつ起きてもおかしくない状況で過ごすイラクでの日常。ここに住まう人々が当たり前に必要とするのが「神」の存在。宗教色が強いのは当然のことでありながら、宗教には思想が付きまとい、思想が生まれると対立が起こる。スンナ派シーア派をはじめ、民兵同士あるいは沈静化を図るアメリカ軍との衝突。そこでまたテロ爆発が起こる。
想像だけでゾッとする悪循環が実際に現実で起こり、その場で生きた人、被害者として亡くなった人、加害者として亡くなった人が存在している事を改めて考えさせられました。

 

そして被害者の遺族、あるいは関係者の悲しみはそれらの不幸に比例し溢れていました。主要人物の一人である古物商ハーディーは酔狂で遺体の肉片を収集したわけではなく、一番近くの友人をテロ爆発の被害で突如亡くしてしまった衝撃から、このような衝動に走ってしまった訳です。

 

「徒党を組まず、党派を持たない者は、神のみである」

人間の弱さ、あるいは生きるための縋りが神という存在で、神を崇める宗教という団体に属し、群れを成す。つまりこれ等を必要としない存在は神である、という逆説的な答えは正に「バグダードのフランシュタイン」に他ならないと言えます。

 

遺体から造られた「名無しさん」は、メアリー・シェリーによる古典SF『フランケンシュタイン』の怪物のまさに二十一世紀版といえる。しかしかの怪物とは異なり、名無しさんは科学と英知の産物ではない。彼を生み出したのは、理不尽に失われた命に対する、喪失感と怒りである。

訳者である柳谷あゆみさんの訳者あとがきの一文です。恐れるものも人間ならば、恐怖を生むのも人間。また恐怖を払うために戦うのも人間で、巻き込まれるのも人間。発端は思想ではないか、その思想は恐怖から逃れる為に崇めた神の導きを尊んだものではなかったのか。思想の共存が争いを減らす大きな要因になるのではと考えます。

 

物語は大変読みやすく、あまり装飾が多い文章ではないので、主題に比べて抵抗はあまりなく読むことが出来ます。国家と社会を皮肉で訴えるこの作品は「アラブ小説国際賞」を受賞し、多くの当事者である人々も認めた作品です。
30カ国で翻訳されているこの作品、ぜひ読んでみてください。

では。

 

 

privacy policy