RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ゴドーを待ちながら』サミュエル・ベケット 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

パリで初演された1953年より数多の議論と論考が行われてきた、アイルランド出身の劇作家サミュエル・ベケットの代表戯曲『ゴドーを待ちながら』です。世界的な「不条理演劇」の代名詞として語られる作品です。

田舎道。1本の木。夕暮れ。エストラゴンとヴラジーミルという2人組のホームレスが、救済者ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている。そこにやってきたのは……。不条理演劇の代名詞でもあるベケットの傑作戯曲。

 

1906年アイルランドのダブリンに生まれ、フランスを中心に活躍したベケット。1939年に第二次世界大戦争が勃発。ナチスに抵抗するレジスタンス運動に参加し、情報収集や状況分析を中心に活動します。しかしドイツ秘密警察部隊「ゲシュタポ」に命を狙われ始めたことを期にパリを離れます。そして南フランスの田舎町でコミューンに匿われながら執筆活動を行います。戦争が終結しパリへ戻ると小説三部作と言われる『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』を1951年から1953年にかけて立て続けに発表します。この三部作執筆中の「息抜き」として書かれた戯曲が『ゴドーを待ちながら』です。

ベケットは母国語「アイルランド語」をはじめ、「フランス語」「英語」「イタリア語」と多言語を扱います。そして彼が執筆する作品は、英語で書いたものをフランス語に、逆にフランス語で書いたものを英語に、自身で翻訳してそれぞれ出版します。

少なくともベケット自身にとっては、最小限に切り詰められて繰り出される言葉には、つねにひとつの筋道だけがあり、英語とフランス語という二つの国語は、それぞれのやりかたで、たんにそれをなぞろうとしているにすぎない。

引用元:訳者 長島確『いざ最悪の方へ』(書肆山田)p.120

諸国語には表現に限界があり、伝えたい芸術性を十全に表現することは不可能。それを近似値的な抽象表現で芸術性を伝えることが「二重の翻訳出版」であるという考えから、この手法を取っています。

また、彼の作品には「対照性」「反復性」「共存性」が随所に現れます。これも「二重の翻訳出版」を手法とさせた「正確に抽象表現を伝えようとする几帳面性」が生み出しています。

 
1950年代初めのパリで、これまでの「実存主義的な演劇」を否定し、言語や個性やアイデンティティを否定した新しい演劇が広まります。当時の演劇評論家マーティン・エスリンにより「不条理演劇」と命名されたこれらは、アルベール・カミュフランツ・カフカが小説で表現していた「不条理」を演劇に取り入れたものです。しかし、演劇上での「不条理表現」はテクスト上だけで表現する小説と違い、「役者」「舞台」「間」「運動」「音」「照明」など、さまざまなものを否定表現として使用されます。

ベケットの登場人物はだんだん動かなくなっていく。そもそも『ゴドーを待ちながら』が、ただ待つこと、それだけからなっている。主人公二人がゴドーを待っている。これはまず運動の否定である。待つといっても、何を待つわけでもなく、ときどき待っているということさえ忘れてしまう。それはまた物語の否定ということでもある。

引用元:宇野邦一『知の劇場、演劇の知』「演劇、言葉との抗争」(ぺりかん社)p.198

 

このような革新的手法の構築、そして世に新たに問う「初演」は賛否が大きく分かれます。パリの初演においては、九割が否定的な評価で、一割が熱狂的賞賛でした。これらの反発した意見は互いに殴りあう暴動を起こすほど興奮し、結果的にゴシップ的な話題を呼び幾度も上演されることとなりました。
しかし、それ以上にアメリカ初演はひどいもので、幕間の最後まで残っていた観客は数組のみ。宣伝文句がひどかったこともあり、結果は散々でした。しかし、その数組の中には、テネシー・ウィリアムズウィリアム・サローヤンが含まれていたのです。彼らは確実に「ベケットの不条理表現」に影響を受けたと言ってよいでしょう。

 

これらの作家たち以外にも「ベケットの不条理表現」を理解した人々が存在します。パリでの初演後、ドイツやアメリカの刑務所で『ゴドーを待ちながら』は演じられます。演目に採用された理由は非常に明確で「女性が登場しない」つまり、囚人たちへ性的な刺激が与えられないようにと考えられたのでした。しかし、思わぬ結果を招きます。

 

有名な事例として挙げられるのはアメリカのサン・クエンティン州立刑務所で上演された時のことです。ここに収容される囚人はアメリカにおいて「最も重い罪人」たちであり、ガス室と死刑囚を抱えた男性刑務所です。1957年当時、1,400人もの前で外部の劇団が『ゴドーを待ちながら』を演じました。
退屈な演劇で性的な刺激がない演劇を「この囚人たち」は大人しく芝居を見続けることができるのだろうか、抜け出すだけならまだしも暴れだしたりしないだろうか。このような心配を抱えていたのは、パリの初演を思い返すと至極当然のことでした。ところが上演中、場内は静まり返り、立つ者もなく、最後まで誰もが演劇を見届けたのでした。

サン・クエンティン州立刑務所の内部を伝える「サン・クエンティン・ニュース」という新聞があり、この日のことが『ある初日客のメモ』という題のコラムで書かれました。

三人の屈強な囚人は身体を通路に投げ出し、女の子やおもしろい連中の登場を待っていた。彼らは、そういったものが登場しないと分かると「照明が弱くなったら逃げ出すことにき一めた」と、聞こえるように息巻いた。でも、彼らはひとつ間違いを犯したのだった。彼らは、二分間だけよけいに舞台に耳をそばだて、観てしまった。そして動かなかった。最後に立ち去るときには、 三人とも震えていた。

なぜ彼らは演劇に引き込まれ、幕後に震えていたのでしょうか。それは彼らが『ゴドーを待ちながら』という演劇を「即座に理解」したからです。囚人たちはこの演劇を「リアル」に感じます。言い換えるならば「自己投影」します。

 

ヴラジーミルとエストラゴンは「待ち続けて」います。劇中常に「待っている状態」で演じられます。囚人は日々「待って」います。生活においては食事、睡眠の時間を。状況においては懲役期間を。外部からの小包や手紙も、同じように待っています。囚人の世界は「待つこと」に包まれています。そして「待つ」ということは、自分の意思や行動で変化を起こすことができない状態であり、「囚われている状態」とも言えます。だからこそ、「待つ」ということの本質を囚人たちが体感し、理解しているから『ゴドーを待ちながら』という演劇を即座に理解できたのです。

 

では、囚人が震えていたのはなぜか。これを考えるには、演劇の終盤から見出す必要があります。

なんだい、ありゃあ?
木さ。
いや、だからさ、なんの?
知らない。柳かな。
ちょっと来てごらん。
首をつったらどうだろう?

「ゴドー」を待ちくたびれた二人は共に首を吊って死のう(待つことをやめよう)とします。

二人は、おのおの紐の端を持って引っ張る。紐は切れる。二人は転びかかる。

しかし、目論見は失敗に終わります。

それより、あした首をつろう。ゴドーが来れば別だが。
もし来たら?
わたしたちは救われる。

ヴラジーミルとエストラゴンは、すっぽかすことも、死ぬこともできません。自分の意思で「待つこと」を終わらせることができません。また新しい「待つこと」に溢れた日々がやってきます。この救いを待つ救いの無い日々の繰り返しを、理解し、そして自分たちに重ね、受け入れなければならないことを改めて提示されたことに、囚人たちは震えていたのです。

 

「ゴドー」とは何か。言葉としては原題『Waiting for Godot』より、「Godot」は「God(英語で神)」と「-ot(フランス語の愛称的縮小辞)」を組み合わせてできています。「神さん」くらいのニュアンスです。

「神」という存在、あるいは表現をベケットは重要視しています。聖書とダンテを愛読し影響を受けています。(ベケットキリスト教徒ではありません。)

 

「ゴドー」を神とするなら、ヴラジーミルとエストラゴンは現れない神を待つ、そして待ちきれず会いに行く為に自殺を図り、失敗する。しかし、それは死を防いだ神の所業とも言え、生きていく事になる。このように捉えることができます。
また、ラッキー「幸福」と名付けられた奴隷はシンボルとして存在し、売ろうとするもの(手放そうとするもの)は立つ事もできなくなる。生きていくことができなくなる。ポッツォは盲となり、大切なものを見ることが出来ないと描写されているように思えます。

彼によって創り出された絶望的なものは、真実を証し立てようとする願望の荒々しさの証拠にほかならないのだ。ベケットは満足げに<否(ノー)>と言っているのではない。<しかり(イエス)>への憧れから彼の仮借ない<否(ノー)>を鍛えあげるのだ。だから彼の絶望はいわば鋳型(ネガティヴ)であって、その逆のものの形をそこから引き出すことができるのである。

引用元:ピーター・ブルック『なにもない空間』(晶文社)p.82

 

ベケット大戦争直後のノルマンディにて街が壊滅しているのを直に見ています。彼の価値観・死生観に大きなインパクトを与えた「不条理の爪痕」は、執筆作品に影響を及ぼします。『ゴドーを待ちながら』はト書きでは「A country road. A tree. Evening.」とだけ書かれて舞台を表現します。この「不条理の時代」に執筆された作品には、見えない背景に瓦礫の山があるのかもしれません。

 

不条理に耐えられなくなった人はそれぞれの信仰に合わせた「神」に縋ります。しかし、神が現れず「待つこと」に耐えられなくなった人々は、「待つこと」を終わらせようとします。この生を終わらせようとする悪魔の囁きを退ける言葉が聖書にあります。

なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。

引用元:『旧約聖書』「詩編-43-5」(日本聖書協会

 

囚人たちが自分の意思で「待つこと」を終わらせることができないと受け止めた「自殺の失敗」は、不条理な世界に神が訪れ「与えられた救い」であったのではないかと考えられます。

不条理に耐えられなくなり悪魔の声に耳を傾けてしまう時に必要な事、それは「主を待つこと」であると捉えると、この作品の不条理性から、不条理からの開放への物語へ姿を変えるように思います。

 

この戯曲は現代演劇に革命を起こした非常に重要な作品です。人によって受け取り方が変わる不思議な戯曲。まだ読んでいない方はぜひ。

では。

 

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『エウロペアナ』パトリク・オウジェドニーク 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

チェコの現代作家パトリク・オウジェドニークの問題作『エウロペアナ 二〇世紀史概説』です。2015年「第一回日本翻訳大賞」受賞作品です。

二〇世紀ヨーロッパの歴史を、さまざまな数字、スローガン、噂などを重層的に引用するコラージュによって、わずか百数十ページで概観する。虚/実、歴史/物語の境界に揺さぶりをかける、刺激的な二〇世紀ヨーロッパ裏面史。

 

プラハを首都とするチェコ共和国。長い、長い歳月を苦しみ抜いた国です。オウジェドニークはプラハで生まれ育ちますが、共産主義下における苦悩からの解放を求め、フランスへ亡命します。「チェコからの亡命作家」と言えば、「ミラン・クンデラ」「ペトル・クラール」が思い浮かびます。オウジェドニークは亡命先のフランスで、雑誌の編集に携わりながら、フランス語とチェコ語の双方翻訳家として活躍します。この両言語を天性の言語力で辞書を編纂するなど、「バイリンガリズムの申し子」とも言える才を発揮します。その才は徐々に花開きます。

1989年からチェコスロバキアで起こった「ビロード革命」により、共産党体制が崩壊し芸術規制が緩和され、文学作品を自由に出版できるようになりました。オウジェドニークは詩や童話、寓話など、独自の筆致で幅広く次々と出版します。そして全世界にその名が知れ渡るのは、本書『エウロペアナ』が2001年に出版されてからでした。

 

この作品は、ヨーロッパの歴史をチェコから、および迫害された民族の立場から、超次元的俯瞰で事象を捉えて、感情を込めずに列記している印象です。

1914年、第一次世界大戦争勃発。1915年、トルコでアルメニア人虐殺。1919年、アメリカで禁酒法発令。1928年、ソ連による20年にわたる600万人の異民族迫害。1933年、ドイツでラインラントの混血児断種。1938年、ドイツでクリスタル・ナハト(水晶の夜)、ユダヤ人を迫害。1939年、第二次世界大戦争勃発。1944年、ドイツでジプシーの夜、アウシュビッツにてロマ族を大量殺害。1945年、アメリカが原爆を投下。

これらが時系列を無視し、小テーマに連ねて語られていきます。たとえば「ジェノサイド」という大量迫害をテーマにすると、ロマ族やユダヤ人の話題が続き、宗教のテーマになるとプロテスタントカトリックの話になっていきます。そして、共産主義ファシズムの違い、神経症精神分析存在論と進化論にまで話題は広がりを見せます。

 

そして後半にかけて「記念碑」という言葉が多用されます。戦争による死者たちを称えるものとして事実、現在も建てられています。しかし、本質的な「死者が受けた被害」をあらわすことが出来ているのでしょうか。漠然とした抽象的な「可哀想な勇敢な人たち」という程度の、鈍くやわらかい印象しか伝わらないのでは、と感じます。「記念碑」が個人それぞれの記憶を薄め、「集団的記憶」を形成し、ある一つの事象として刷り込まれているのではないでしょうか。

こういった歴史の記憶を、世界的規模で俯瞰して、コンピュータで使用する「RAM(ランダム・アクセス・メモリー)」で表現しています。インターネット社会にある今、どのような事象も「時間軸を無視して検索し、端的に情報を得ることが出来る」ことが、歴史としての時間の流れ、時代の流れが無視され、あるいは消え失せ、非常に薄い印象だけを残し、ある意味で心に残らない、記憶に残らないものとなっている、と表現しています。

 

もはや「実際に起こった歴史は、すでに存在していない」というオウジェドニークの皮肉は、ひたすらに列記した人間の愚行を見ても「過去から人間、或いは世界は何も学んでいない」ことから裏付けられています。

記念碑の前で立ち止まる人たちは、兵士やパルチザン強制収容所の囚人たちと、彼らの生を、そして死を、ほんのわずかではあったが共有しているような気になった。ある歴史家が言うには、記念碑とは、干潮で水が引いたあとに海岸に残された貝のようなもので、記憶が薄れて残されたものだという。まだわずかに生の痕跡をとどめてはいるが、その生は切り刻まれたミミズのようなもので、もはや現実ではなく象徴的なものにすぎない、と。

 

ヨーロッパが経験した歴史は、「事象の羅列」でしかないのか、「物語」として人の心に記憶されているのか、そのように問いかける本書。理解しようとする気持ちと、実際に理解するための行動が必要となります。

非常に奇妙な読書感覚と、最後に虚脱する読後感。ぜひ読んで体感してください。

では。

 

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『ロボット』カレル・チャペック 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

チェコの作家、ジャーナリストとして活躍したカレル・チャペックの『ロボット(R.U.R)』です。激動の時代、激動の国を生き、幅広い文学作品を世に発表しました。

ロボットという言葉はこの戯曲で生まれて世界中に広まった。舞台は人造人間の製造販売を一手にまかなっている工場。人間の労働を肩代わりしていたロボットたちが団結して反乱を起こし、人類抹殺を開始する。機械文明の発達がはたして人間に幸福をもたらすか否かを問うたチャペック(1890ー1938)の予言的作品。

 

1800年代のチェコは、オーストリアハンガリーの属国でごく小さな国でした。使用されていた独自の言語である「チェコ語」も徐々にドイツ語に侵略され、貴族や一般市民など、誰もがこの言語を使わなくなっていました。

チェコという国の存在自体が消え行く中、ボヘミアの炭田を景気にドイツ資本家たちが起こした「産業革命」で工業が発展します。この潤いはチェコの国民の生活だけではなく、芸術性にも変化をもたらします。この時期に生まれたのが、アールヌーボーを代表する画家ミュシャ、『新世界』の作曲家ドヴォルザーク、『変身』の作家カフカなどです。そしてカレル・チャペックも生まれました。

 

1914年、第一次世界大戦争が勃発します。怪我や病気によりチャペックは兵役を免れます。チャペックには兄があり、二人で「チャペック兄弟」として文学の道を歩んでいきます。最初は詩の翻訳を中心に活動していましたが、新聞への寄稿、そこからチャペックは哲学や劇作家の道、兄ヨゼフは画家の道をそれぞれ進みます。

第一次世界大戦争が終結した際、オーストリアハンガリーが敗戦国となり、チェコスロバキアが独立し、今までの支配から逃れることとなりました。しかしながら、第二次世界大戦争へ繋ぐ「ナショナリズムの波」が「独裁者たち」により引き起こされます。これは産業革命により世界有数の工業地域となっていたチェコに、恐ろしい影響を与えます。戦争にまつわる兵器、おぞましい毒ガスなど、「人が人を殺す」工業に発展させられます。産業革命が起こった当時、誰もが抱いた「科学の幸福」は不幸な発展へと向かったのです。

チャペックは『ロボット(R.U.R)』で多くのことを読者に問うています。

 

「人間と労働」に関して

ロボットの語源である「robota(賦役)」どおり、ロボットに労働をさせるという考え方が正しいのかどうか。人が楽になることは、人を怠惰にすることです。これを進歩と言えるのでしょうか。労働は不幸なのでしょうか。労働により得られる「幸福」は存在する筈です。進歩の方向性を、利益や自己満足で決めるべきではありません。世界の自然を破壊するのではなく、守る進歩を。懐ではなく心が豊かになる進歩を。怠惰ではなく、相乗効果で双方が豊かになる進歩を。人間の労働に「価値」を存在させることが重要であると考えます。

私は科学を弾劾する!技術を弾劾する!ドミンを!自分を!自分たち全員を!われわれ、われわれに罪がある。自分たちの誇大妄想のために、誰かの利益のために、進歩のために、いったいどんな偉大なことのためにわれわれは人類を亡ぼしたのであろうか!さあ、その偉大さのために破滅するがよい!人間の骨でできたこんなにも巨大な墳墓はいかなるジンギスカンといえどもたててやしない!

 

「生命の倫理」に関して

クローン等の遺伝子操作研究にも言えることですが、「人間に似たもの、或いは人間そのもの」を創造することは正しい行いなのでしょうか。神が人間を創造し、神の意思に従い、「自然に繁殖」を続けることが正しいのではないでしょうか。チャペックがキリスト教徒であったことも関係しますが、「生命」の冒涜ではないかと問うています。
また、「生命」と「魂」についても考えさせられます。

われわれは機械でした、先生、でも恐怖と痛みから別なものになったのですーー魂になったのです。

これはロボットの言葉です。「恐怖」と「痛み」が、「魂」を作り上げるのです。魂が宿り、意思があり、肉体があれば「生命」と言えるのでしょうか。つまり、人間が「不自然に創造」していることに他ならないのです。

 

「生命」と「魂」、これらを「肉体」と「心」と言い換えることができないでしょうか。ヴィリエ・ド・リラダン未來のイヴ』では「ハダリー」というアンドロイドをエディソンが恩人のために創造します。

私はこのまぼろしの女に於て、「理想」それ自體が、初めて、あなたの感覺にとつて、觸知し得るもの、聽取し得るもの、物質化されたものとして姿を現すやう、是が非でもしてみるつもりです。あの魂を奪ふ蜃気樓のやうな最初の時間を、あなたは追憶の中にむなしく追ひ求めていらつしゃいますが、どんなに遠くまで飛び去つてゐても、私はそれを止めて御覧に入れます。そして、それを殆ど不朽不滅なものとして、よろしうございますか、あなたのかいま見られた唯一の眞の形體の中に固定せしめ、あなたのお望み通りに姿を變へた、あの女の生寫しとも謂ふべき第二の女を作つて差上げます!

肉体と心があれば「愛」が生まれます。人工的に「愛」を生み出すことこそが「神への冒涜」だと考えると、ロボットの創造が罪な行為であるという考えにも得心がいくように感じます。

 

ロボットとの生殖行為は不可能であり、「生殖から切り離されそれ自体の快楽を追求する」行為となるならば、七つの大罪「色欲」に該当します。そして人間が労働を放棄する行為は「怠惰」に該当します。クローンであればどうか、これはローマ教皇が定めた「新しい七つの大罪」の「遺伝子改造」「人体実験」に該当します。

チャペックは作品内で、産業の発展は「進歩の方向性」が重要であると説いています。人間の「罪に値する欲望」を原動力とした研究や進歩は「不幸」を招くと危惧していたのではないでしょうか。
しかし、世に出した「ロボット」という言葉は図らずも独り歩きし、金属製人型ロボットを空想させていきます。これに嘆き、チャペックは以下のように述べます。

歯車、光電池、その他諸々の怪しげな機械の部品を体内に詰め込んだブリキ人形を、世界に送り出すつもりは作者にはなかった。

ロボットのヘレナも、ハダリーも「罪のない愛」を持っています。創造する側に罪があるならば、罪を犯さなければよいだけのことです。「人間と人間の自然な愛」をより安泰にする技術の進歩を望むばかりです。

 

舞台が固定で非常に読みやすい戯曲です。未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

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『ブラック・コメディ』ピーター・シェーファー 感想

 

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

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イギリスの劇作家、ピーター・シェーファーの傑作戯曲『ブラック・コメディ』です。劇団四季でも「ストレートプレイ」で上演され、好評を博しました。

まず舞台は暗闇、しかし、舞台上の人物は何の不自由もなく動きまわっているらしい。そして、突然、明り!それと同時に舞台上の人物たちは暗闇の世界へ……。何とこの芝居では、明と暗が世の常と逆になっているのだ。停電と共に舞台に光が入り、その暗闇での出来事を観客はみる事になるのである。かくして、今までどの劇作家も思いつかなかったこの天才的な設定のもとに、この抱腹絶倒のドタバタ劇は始まるのである。暗闇の中で次々に襲いくる受難の数々、そして、それを打破すべく汗みどろの格闘、一難去って、又一難……。取り違え、感違い、スレ違い、正に手に汗にぎるスリルとサスペンス、世界中で大ヒットした、ピーター・シェーファーの傑作喜劇‼︎

 

ピーター・シェーファー(1926-2016)は、映画化されアカデミー賞を受賞した『アマデウス』、同様にニューヨーク劇作批評家賞を受賞した『エクウス』が有名です。

「人生は多義的で不可解で曖昧なものであるから、演劇がそうなるのは当然だが、ドラマであるためには、はっきりしたイメージと鳴り響くメッセージがなければならない。」

上記二作は共にテーマを含め「シリアス寄り」です。『アマデウス』は、モーツァルトの才能を認めながらも嫉妬して毒殺し、自白する事により、自身も後世に名を残そうとする作曲家サリエーリの話。『エクウス』は馬に狂うほど魅了された少年と、対話により鑑定しようとする精神科医の話。どちらもウィットに富んではいますが、重々しさが中心となる作品です。どちらも「人物の複雑な心理と行動」がテーマとして描かれ、普遍性を持って訴えかけます。

 

しかし、この『ブラック・コメディ』は終始笑いっぱなしの喜劇です。スラップスティックに描かれていて、次々に訪れる「災難」は読み手を「笑顔」にしていきます。主人公である売れない芸術家ブリンズリーの、人生を賭けた今夜の命運を祈った直後に停電(不運)が訪れるシナリオは、読み手の「喜劇的不安」を煽り、これからの展開に対する期待を膨らませます。

 

ブリンズリーは大富豪に自分の作品を売りつけるチャンスを得ます。家に招く際、婚約者キャロルに唆され、見栄を張る為に隣人の高級調度品を無断で拝借します。それはキャロルの父親も同時に招く必要があった為なのでした。しかしタイミング悪く隣人ハロルドが帰宅して、さらに元情婦クレアが縒りを戻そうとやってきます。

 

この悪い想像しか出来ないシナリオが停電の中で行われます。それはもう惨事です。そして、これがシェーファーの天才的な演出法で描かれます。照明の逆転。停電の時は「照明」、電気が点灯する時は「暗闇」、マッチやライターで照らす時は「薄暗く」。この暗闇の中で連鎖的に起こるハプニングが読み手を笑いの渦に引き込みます。同時に、「暗闇だからこその人間らしい醜い言動」が浮き彫りになり、生々しさが鮮明に描かれます。人生を舞台として置き換えた場合、誰もが演じる「喜怒哀楽」を凝縮して描いている作品とも言えます。

題名は、文字どおり、暗闇のなかで演じられる喜劇である。だが同時に、表面はおろかしい紋切型の人物であるが、内にはそれぞれ不幸や悩みを持っているという意味での、人生のブラック・コメディである。

訳者の倉橋健さんはこのように評しています。

 

『エクウス』から『ブラック・コメディ』までの振り幅が大きく、とても同じ作家から執筆されたとは考えにくいほどの才能です。彼の作品にある要素は、物語構成のプロットが非常に緻密に計算されている点です。読み手(或いは観客)はどのように感じるか、受け取るかを考え抜き、場の展開が論理的に構築されています。

 

とにかく終始、笑顔にさせられる秀逸な喜劇です。戯曲が苦手な方でも必ず楽しむことが出来ますので、ぜひ読んでみてください。

では。

(以下に『ブラック・コメディ』の紹介が出来なかったので、ピーター・シェーファーの代表作を紹介しています。)

 

『カルメン』プロスペル・メリメ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

プロスペル・メリメカルメン』です。
数ヶ国語を使いこなす、フランスへ初めてロシア文学を紹介した作家です。

南国スペインの情熱を象徴する美貌の女カルメン。純朴で真面目な青年ドン・ホセは、彼女と出会ったために運命を狂わせられる。嫉妬、決闘、殺人、そしてついにはカルメンをも殺してしまう……冷静簡潔な筆致でそのあやしいまでの美しさを描く表題作。

 

プロスペル・メリメ(1803-1870)は、考古学者です。史跡監督官として現在の修復考古学の礎を築いた人です。また神学、占術史学にも長けており、これらの経験を持ち前の文芸センスで小説を書き上げ、作家としても活躍します。この『カルメン』が代表作です。
この多才な学者は、たいへん情事の多いことでも知られています。そして、関係のあった女性に向けて執筆をしています。

「わたしは生涯、けっして公衆のためなどに書きはしなかった。いつも特定のある人のために書いた。」

メリメ全集 第三巻

彼の関心事が筆を伝って物語に宿っていきます。「情欲」「自由」「愛憎」「誇り」など。

 

メリメはスタンダールらと共に「新鋭の自由主義」を掲げ、多勢であった「保守的ロマン派」と対立した文学の姿勢で活動します。この「新鋭の自由主義」は、「尊ぶべき、美しき、純粋な、フランス文学」が度を越し「書くべき描写」が制限され表現が不自由であるとの考えから旗揚げされました。
メリメの作品、特に本書収録の六篇はいずれも「新鋭の自由主義」らしく、「情欲」「自由」「愛憎」「誇り」で溢れています。

 

フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼーが『カルメン』をオペラ・コミックに作曲しました。今日、誰もが知る曲の数々です。ビゼー自身、『カルメン』という作品の「自由な描写」に魅せられた一人でした。しかし、この大成功はビゼー自身、体感する事なく世を去ります。

メリメの原作とビゼーのオペラを比べると、内容が大きく違います。主要な人物の名前や行く末まで。相違点を挙げるとキリが無いほどです。この理由は、当時のフランス国内の風潮、つまり「保守的ロマン派」的な聴衆の価値観が原因しています。
カルメン』は悲劇です。紹介文にもあるように「血生臭い」描写も多々あります。「情欲」「愛憎」に溢れるこの作品は、いわばキリスト教下では受け入れられない価値観として考えられていました。ビゼーは原作に忠実な『カルメン』の台本を希望しましたが、劇場側がこれを受け入れず、演奏者が拒否します。なんとか初公演にこぎつけるも、観客からは不平の声。その声を受けて改編するも、初公演から三ヶ月、ビゼーは病死します。
しかし、「新鋭の自由主義」が世に広まるように、改編したオペラ『カルメン』も徐々に認められて、現在のオペラ最高峰の評価を受けるに至ります。

 

本編のヒロイン「カルメンシタ」はジプシー(原文に準じてこの語とします)として描かれています。ジプシーは「エジプトから来た人(エジプシャン)」が転じて異民族移民をジプシーと呼びます。当時のフランスでは「ヨーロッパ」か「非ヨーロッパ」で大きく分けて考えられていました。これを優位性として捉えており、極端な差別的考えが国全体で持たれていました。核になる基準が、「キリスト教的価値観」です。この価値観は「情欲」「愛憎」はタブーとされます。これらを持ち合わせた「自由な人」をメリメは異文化ジプシーで表現し、自己の関心事を物語に乗せて表現したのでした。

 

「情欲」「自由」「愛憎」「誇り」、そしてこの悲劇の顛末は、ドストエフスキー『白痴』の「ラゴージン」を思い起こさせます。

貴族からやくざ者に転げたホセ・ナヴァロは、義を重んじ、義を求める。自分を救ったメリメをカルメンから救い、カルメンに自分と同じ価値観を求めます。しかし、カルメンは頑なに拒否し、自由を主張します。全て一人で考え、一人で悩み、一人で行動したホセ・ナヴァロは、去る時も孤独でした。

公爵は床の上にじっとすわって、そば近く寄り添いながら、病人が叫び声やうわごとを発するたびに、大急ぎでふるえる手をさし伸ばし、ちょうど子供をすかしなだめるように、そっと頭や頬をなでていた。

引用元:ドストエフスキー『白痴』

ラゴージンの愛憎の末の崩れた精神を、脆い無意識の優しさで支えようとするムイシュキン公爵の、魂だけでも救おうとするキリスト教徒としての行動が、ホセ・ナヴァロにも与えられていたなら、彼の魂は浮かばれたかもしれません。

 

あまりにも有名なこの作品ですが、読むと印象がきっと変わります。未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

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『キャッツ』T・S・エリオット 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

イギリスの偉大な詩人、トーマス・スターンズ・エリオットの『キャッツ』です。邦題として『ポッサムおじさんの猫とつき合う法』と添えられています。日本では「劇団四季」のミュージカル名が広まっているので、これに合わせて『キャッツ』とされています。

世界中で大評判の超ロングラン・ミュージカル「キャッツ」の原作を新訳で贈る。あまのじゃく猫におちゃめ猫、猫の魔術師に猫の犯罪王……色とりどりの猫たちがくり広げる、奇想天外な猫詩集。
ノーベル賞を受けた、20世紀最大の詩人エリオットが、1939年、51歳のときに出版したこの詩集は、エリオットの猫観察記ならぬ猫交友録とでもいえるもの。ニコラス・ベントリーのカラーさしえ14枚入り。

 

1888年T・S・エリオットアメリカのセントルイスで生まれました。大学創設に貢献したイギリスからの移民の家系で、そして父母ともに文才に恵まれ、生まれてすぐに文学に触れる環境で育ちました。裕福なまま大学へ進み、モダニズムに惹かれ徐々に文学士としての道を歩み始めます。ヨーロッパ留学から帰った後、イギリスへ渡り本格的に活動を始める傍ら、ヴィヴィアンという女性と結婚します。しかし、父親は認めず、エリオットへの一切の支援を打ち切ります。銀行の渉外で働き、ヴィヴィアンの神経症を支えながら執筆を続けます。そして詩集を何作か発表し、英米において認められ、大きな成功を手にします。

 

彼の代表作『荒地』は第一次世界大戦争を終えた新しい世界の捉え方として大きく話題となります。映画『地獄の黙示録』で数多く引用され、若い世代に大きく支持されることになります。この後、1925年に『うつろな人々』を発表し、詩人として専念するため銀行を退職し、「フェイバー・アンド・フェイバー社」で編集者として生きていきます。この頃にイギリス市民権を得ます。その後も活躍を続け1948年、今日の詩文学への卓越した貢献に対して、ノーベル文学賞を受賞しています。

 

『キャッツ』はエリオットが「フェイバー・アンド・フェイバー社」社員の子供向けに書いた作品です。ニコラス・ベントリーの挿絵と、軽妙で躍動感のある猫たちの描写が心を晴れやかにさせます。しかし「ナンセンス性」が強く、瞬間の楽しみとは裏腹に、読後に疑問が多々溢れます。それでも不快ではなく、何故か心が暖かくなる不思議な詩です。この作品は原文で「韻律」を駆使した実験的作風ともなっており、より軽妙さを際立てた読後となって子供たちには受け取られたように思います。

 

この作品をミュージカルに生まれ変わらせたのが、アンドリュー・ロイド・ウェバーです。イギリスの作曲家であるウェバーは、詩集『キャッツ』を幼い頃から読み聞かせられていました。空港で偶然に手に取ったその懐かしい詩集を改めて読み、語られる猫達の軽快な躍動感に、あらためて衝撃を受けます。このインスピレーションがミュージカル化への発端でした。

 

詩集の『キャッツ』は一五篇の詩で成り立ち、それぞれ独立した猫のストーリーが描かれています。一貫した物語にはなっておらず、またそれぞれのストーリーに関係性は殆どありません。全体を捉えた場合にも「ナンセンス性」が目立つのみで、テーマやメッセージが見えてきません。

ミュージカルとして完成させるには「一貫したテーマ」が必要でしたので、ウェバーは行き詰まります。そこに救いの手を差し伸べたのがヴァレリー夫人でした。ヴァレリー夫人はエリオットがヴィヴィアンと別れた後に一緒になった妻です。エリオットが亡くなり、未発表の『キャッツ』の一篇「娼婦猫グリザベラ」を託されていました。

 

イギリスには7つの階級制度が存在します。プレカリアートからエリートまで。『キャッツ』に登場する猫達もよく読むとそれぞれ階級が違うように見受けられます。「娼婦」であるグリザベラはプレカリアートで最下層に該当します。彼女(猫)は過去を背負い、祈りながら歌い続けます。そしてミュージカルの中で「一年に一度、天上に登る唯一匹の猫」に選ばれます。ウェバーは、この「祈りと救い」を普遍的なテーマ性として表現し、そして一貫性を持たせた演劇として完成させる事が出来たのです。

 

ウェバーを救った一篇「娼婦猫グリザベラ」は何故書かれたのでしょうか。子供向けに書こうと念頭に置いていながら「娼婦」が浮かぶのは、どうも不自然で腑に落ちません。ゲーテファウスト』の「メフィストフェレス」のアナグラムで隠喩する程の作者が、考慮せずに書いて未発表とする事は無いと思います。

見えないバックボーンとして、イギリスの階級社会を風刺した作品として執筆し、「娼婦猫グリザベラ」の一篇が鍵となって完成する詩集を、「子供向けの軽快な韻律遊びの詩集」として出版したと考えると、モダニズムに傾倒したエリオットの遊び心と捉える事が出来るのかもしれません。

エリオットの思想はキリスト教的発想を超えている。楽しくて仕方がない作品であると同時に、哲学者が人生を見つめる深い眼差しが隠されている。

劇団四季主催者、浅利慶太さんの『時の光の中で』という自伝的作品での言葉です。

 

秘められたメッセージを勘繰りながら、軽快で楽観的な詩集を読んでみてはいかがでしょうか。楽しい気分になりますので、未読の方はぜひ。

では。

 

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『夜の森』デューナ・バーンズ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

デューナ・バーンズ『夜の森』です。デカダン派女流作家として小説・戯曲などで活躍した作家です。T・S・エリオットが絶賛し、この作品の「序文」を書いています。

両大戦間のベルリン、ウィーン、パリ、ニューヨークーー時間の廃墟を夢遊病者のように彷徨する〈無宿の天使〉ロビン・ヴォート。流浪するロビンを狂おしく恋するレスボスの愛に呪われたノラとジェニー。彼女らの夜の告白の懺悔聴聞僧をつとめるソドムの医者マシュー。ロビンの血をわけた息子で成長の止った白痴のグイードー……〈昼〉の秩序論理を棄て〈夜の森〉をさまよいつづける魔に憑かれた人びとの孤独と失墜と破滅を、T・S・エリオットロレンス・ダレルらの絶賛をあびた幻の傑作。
「私が読者に見出してもらいたいと願っているものは、見事に達成された文体であり、美しい語法であり、絢爛たる才気と人物造型であり、エリザベス朝悲劇のそれに匹敵するといってさしつかえない恐怖と運命感にほかならない」(エリオット)

 

1920年代のパリ。各国の「芸術家」が集結し、モダニズムをはじめとした芸術が多方面へ広がっていった時代、バーンズは雑誌記者としてアメリカより渡仏してきます。彼女の仕事は作家・芸術家(主にアメリカ人)へのインタビューであり、それを記事に起こすことでした。映画『ミッドナイト・イン・パリ』にも登場します。彼女が起こす記事の文学性は早々に認められ、ついには雑誌へ小説を掲載するに至ります。

 

彼女の文章には「頽廃」と「エロス」が含まれます。この特徴は彼女の生い立ち、或いは父親の存在が影響して表れています。父であるウォルド・バーンズは、自称作曲家ですが真っ当に活動することはなく、方々に無心しその日をなんとか暮らしているような人物でした。その言動は醜く、娘である彼女を他人へ売りつけるほどの悪辣ぶりでした。

彼女は満足な教育を受けられず、家計を支え、自身の「本来華やかな価値観が育まれる時期」を犠牲にします。そして彼女は芸術家が属するボヘミアン共同体に参加し、彼女自身もボヘミアニズムに浸り、憧れるようになります。ここから彼女の人生は、前述の記者時代へ向かい、芸術および文学の方面へ漠然と進んでいきます。

 

バーンズの悲劇的な生い立ちは、「頽廃的な価値観」と「歪められた性愛」を生み、彼女の文体に組み込まれます。本書『夜の森』では、これらを存分に感じることができます。

この小説の深層で語られている主題は、普遍的な人間の悲惨と呪縛の主題なのだ。

エリオットは序文でこのように語っています。

バーンズ自身の持つ「頽廃的な価値観」は自身の経験した特別な悲惨さから来るものではなく、普遍的に、つまりは誰しもが持っている「心の頽廃性」として描き、その性質が「性愛」に影響し、そこから生まれる悲惨さは読み手の「心の中の不安」を思い起こさせます。

 

夜になると、神経が高ぶり、本能や欲望が強くなり、不安が募る。昼に存在していた自制心や社交性が薄くなる。確かに夜は集中力が増し、大胆な行動や決断ができることが多くなります。しかしバーンズはこういった自律神経の作用を「頽廃的な価値観」で鬱屈な方向へ導き、恐れや不安を煽るような普遍性を説いていきます。

「本当の自分」を保障しているのは、実は自我が置かれている日常現実の諸関係であり、ひっきょう〈昼〉の秩序論理であるからである。

訳者の野島秀勝さんの言葉です。

 

この〈夜〉に現れる、もしくは生まれる欲望や不安や神経の緊張は「深層意識」より生まれていると考えられます。無意識な脳内の逡巡が突如、「過去のトラウマ」を捉えて現在に同様の不安を一瞬起こすように、〈夜〉になると脳内で「頽廃性」が活性化していきます。この作品でも繰り返し「頽廃的な表現」が出てきます。

人生というのは、死を知るための猶予期間だ。(p.83)
どんな上等な楽器だって、時がたてば故障するーーそれだけの話よ、楽器はこわれる、みんながよそよそしくなったら、そうと知るがいい。(p.161)

自分の人生さえも俯瞰的に捉え、「人生は落ちていくもの」という概念を受け入れ、救いを求めようとする行為さえ否定するような彼女の文章は、「美しさにまで昇華された悲しさ」に感じられます。

 

バーンズの文章は非常に詩的で美しく、しかし優しくない意志の強さが宿っている不思議な文体です。「狂騒の時代」であるパリを背景に描かれたこの作品は、彼女の筆致で耽美的で頽廃的に書かれています。ぜひ、読んでみてください。

では。

 

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『花のノートルダム』ジャン・ジュネ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

多くの犯罪に手を染めたジャン・ジュネ(1910-1986)の最初の小説『花のノートルダム』です。

「ジュネという爆弾。その本はここにある」(コクトー)。「泥棒」として社会の底辺を彷徨していたジュネは、獄中で書いたこの一作で「作家」に変身した。神話的な殺人者・花のノートルダムをはじめ汚辱に塗れた「ごろつき」たちの生と死を燦然たる文体によって奇蹟に変えた希代の名作が全く新しい訳文によって甦る。

 

彼が母親の元を離れたのは生後7ヶ月。親に捨てられ田舎夫婦の養子として育てられます。その養母が亡くなり、別の里親へ引き取られます。どちらの夫婦の元でも窃盗や猥褻を中心とした犯罪を繰り返し、挙句、児童擁護救済院(感化院)へ送られます。その後パリの盲目の作曲家「ルネ・ド・ビュクスイユ」に預けられますが、ここでも盗みを働き精神科治療を受けます。ここから感化院と刑務所の脱走と送還を繰り返し、これらから逃れる為、軍に入ります。兵役の後、パリに訪れたジュネは「アンドレ・ジッド」に出会います。その後、再度軍に入りますが脱走。偽造パスポートを用い、東ヨーロッパを転々とするあいだに、逮捕を繰り返します。パリに戻っても犯罪は止まらず、そして脱走兵である事が露見し、実に13回の有罪判決と禁固刑、懲役刑を受けます。本書『花のノートルダム』はこの受刑獄中に書かれました。

 

ジュネは本作を執筆した年(1942年)、詩作品の『死刑囚』という作品も同時に書き上げ、自費出版していました。この詩作品を「芸術のデパート」こと「ジャン・コクトー」が絶賛します。そして、『花のノートルダム』も読み、文才を認め、本作を世に出す足掛かりとなったのです。

例えば、片手で、二つの品物(札入れ)を同時につかむことができるし、あたかもそこにはひとつしかないようにそれらを持って、長々と吟味し、袖のなかにひとつを滑り込ませ、最後に気に入らない振りをしてもうひとつを元の場所に戻せばいい。

彼の経験を元にした「自伝的童話」です。男娼・ひも・強盗殺人者からなる男性三人の三角関係が主な内容です。ジュネ自身「同性愛者」であり、「男娼」を経験しています。犯罪を含めた数々の描写は、語り手(ジュネ)の独白の体を為していながら、全てが空想のフィクションであると表現されています。童話として描かれたこの作品には「無責任な白状」が散りばめられています。

 

『花のノートルダム』の大きな特徴は、「聖」と「性」が入り混じる、読み手の価値観を眩ませる、危うい説得力です。ピカレスク文学としての性質を帯びながら、読み手の「聖」を刺激し、あたかも品性の欠けた丸裸の感情こそが高尚なものであると語りかけてきます。

「性」を「聖」に昇華させる文体は、二つの要素が考えられます。「生い立ちによる歪んだ価値観」と「強烈な性への執着」です。この執着が顕著に表れているのが「性欲を空想する描写」或いは「欲望を具体的に述べる描写」です。これは自慰行為に等しく、欲望を露わにし、これを正当化する為に「性」を「聖」に昇華し自身の満足へ直結する散文となっているのです。

骨の見える痩せ細った文体をつくり上げようと努力しているとはいえ、私は花や、雪のようなペチコートや、青いリボンの詰まった本を私の監獄の奥からあなたたちに送りたいと思っている。これよりいい暇つぶしは他にはない。

これがトイレットペーパーへの執筆中に抱いていた丸裸のジュネの感情です。

 

モーツァルトを好み、デュ・バリー夫人を憐れみ、ウージェニー・ビュッフェに耳を傾け、エミリエンヌ・ダランソンを仰いだ、ジャン・ジュネの性癖が詰まった『花のノートルダム』。
未読の方にはぜひ、読んでいただきたいです。

では。

 

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『恐るべき子供たち』ジャン・コクトー 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

フランスの多彩な芸術家ジャン・コクトーの代表小説『恐るべき子供たち』です。詩人であり劇作家であり、美術にも秀でている「芸術のデパート」。本書には彼の数十点もの挿絵が挟まれています。

14歳のポールは、憧れの生徒ダルジュロスの投げた雪玉で負傷し、友人のジェラールの部屋まで送られる。そこはポールと姉エリザベートの「ふたりだけの部屋」だった。そしてダルジュロスにそっくりの少女、アガートの登場。愛するがゆえに傷つけ合う4人の交友が始まった。

 

ジャン・コクトー(1889-1963)はパリ郊外の大変裕福な家庭で生まれ育ちます。幼少期より舞台に感銘を受け、感性を磨きます。早くから社交会に出入りし、数々の著名な芸術家と出会い親交を深めます。その中にはプルーストニジンスキーなどがあり、フランス文壇で開花し始めた彼は徐々に名を広げていきます。『薔薇の精』を踊るニジンスキーのポスターを描いた事もあります。

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そして1919年に運命的な出会いが訪れます。まだ幼い、弱冠16歳のレーモン・ラディゲと意気投合し、硬い友情を結びます。しかし、ラディゲはチフスにより享年20歳でこの世を去り、コクトーは恐ろしい悲しみに襲われます。この悲しみから逃れる為、彼は阿片を常用します。ここから彼の人生は阿片服用と阿片解毒治療を繰り返します。彼は生涯、4度の入退院を繰り返しました。

 

この『恐るべき子供たち』は2度目の解毒治療の入院中に、三週間で書き上げました。1929年に出版されましたが、反道徳的で慣習を無視した主人公達の言動は賛否両論を巻き起こします。自由奔放な彼らの行動に憧れる若者達、不道徳であると断ずる教育者達、悪書であるとする先人達など。いずれにしても大きな流行となり、コクトーに成功をもたらします。

 

子供にとっての子供部屋には異次元的な空間イメージがあり、その中での精神は一種の「夢見心地」になる事があります。これは私も経験がありますが、扉を閉めると現実世界から切り離された独自の精神世界のような心地に陥ります。

親を亡くした姉弟はこの世界から抜けられず、呪縛とも言える感覚世界に浸り続け成長します。しかし彼らはその世界に依存している自覚は無く、この空間を捨てて社会に出ようと試みます。その折に出会った少女を巻き込み、物語は加速していきます。

 

彼らの考えはペシミズム的で、反抗期に見られる「恐れを知らない無知」で描かれています。裕福である彼らの怠惰で、不毛で、傲慢で、そして臆病な言動が、異質な精神世界で繰り広げられます。

ラストのシーンで恐ろしい悲劇が巻き起こりますが、『ポールとヴィルジニー』の引用が出てきます。

急に、自分の夢の「丸い山」が『ポールとヴィルジニー』に出てくることを思い出した。あの小説では「丸い山」は丘のことを意味していた。

『ポールとヴィルジニー』はジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエールの作品ですが、この作品のオペラ・コミック台本をコクトーとラディゲは共作しています。

「死は取るに足らないことよ。あなたは死んでいる。私も死んでいる。私たち満足よ。死んだ後には、もう死ぬことはできない。みんなが好きな場所で、いつも一緒に暮らすことができるわ。」

コクトーの死生観は「生死は裏表に存在し、同じ世界で起こる事象」であると表現されています。この死生観はラディゲも持ち合わせていたと考えられます。

 

そして『恐るべき子供たち』という作品は、自分が居ない「死側」に居るラディゲへ向けた餞の、或いは自分自身が「生側」で生きていく為の決意の解釈の意味で作り上げた、と考えられるのではないでしょうか。バイセクシャルであったコクトーは友情以上の感情をラディゲに抱いていたのかもしれません。

 

執筆した背景と同様に激しい悲劇は、読む者の意識を凄まじく引き摺り込みます。
大変読みやすく、しかし魅力を存分に維持して仕上げられた訳ですので、未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

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『バベットの晩餐会』イサク・ディーネセン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

 

デンマークの作家、カレン・ブリクセンの『バベットの晩餐会』です。
イサク・ディーネセンという名前は英語版ペンネームです。

女中バベットは富くじで当てた1万フランをはたいて、祝宴に海亀のスープやブリニのデミドフ風など本格的なフランス料理を準備する。その料理はまさに芸術だった……。
寓話的な語り口で、“美”こそ最高とする芸術観・人生観を表現し、不思議な雰囲気の「バベットの晩餐会」(1987年度アカデミー賞外国語映画賞受賞の原作)。
中年の画家が美しい娘を指一本ふれないで誘惑する、遺作の「エーレンガード」を併録。

 

女流作家カレン・ブリクセン(1885-1962)はデンマーク語と英語、両方で出版しています。英語で出版する時のペンネームがイサク・ディーネセンです。英語で書き上げた作品を自身でデンマーク語に訳す特異な作家です。しかし単純に、忠実に訳すわけではなく、内容に相違がある作品が多数あり、この『バベットの晩餐会』は大きく内容が異なる作品です。
異なる内容としては、第九章「レーヴェンイェルム将軍」からラストにかけて多くの記述が追加されています。そして本書の訳者である枡田啓介さんは「デンマーク語版」で訳しています。

 

カレン・ブリクセンは映画化された『アフリカの日々』でも有名です。これは伝記のようなエッセイですが、彼女が体験した元夫とのコーヒー農園で過ごした経験が含まれた作品です。この後、第二次世界大戦争を終え、世界が落ち着き始めた頃『バベットの晩餐会』は世に発表されました。舞台はノルウェーの北の北、田舎の質素で信仰を重んじる小さな村での話です。

併録の『エーレンガード』にも言えることですが、とにかく多くの「神話の表現」が登場します。

彼女の作品には、旧・新約聖書の世界、ギリシャローマ神話北欧神話、中世ヨーロッパの伝説が自在にとり上げられ、さらに『アフリカの日々』に見られるようなイスラム文化、アフリカ文化への関心と洞察が加わって、渾然として多義的な物語の世界が展開されている。

枡田啓介さんの「あとがき」の一文です。

また、音楽、美術の表現が見事で「芸術を神々しさで紡いだような筆致」がノルウェーの雪景色に灯る光のイメージに溶け込んで、贅沢とも言える芸術性を感じさせてくれます。

 

1870年、プロイセン(ドイツ)とフランスの戦争、「普仏戦争」が起こりました。スペインが九月革命にて王位継承予定者がいなくなり、そこへプロイセンビスマルクが取り入り継承予定者となりました。これを脅威と見てフランスのナポレオン三世が反対したことが発端となり戦争に至りました。結果、フランスは大敗し当時の帝政は崩壊しました。

敗北したフランスは50億フランと土地を渡し、講和。勝利の入城としてプロイセン軍はフランスに入ります。この講和とプロイセンの「パリ入城」に対する抗議を皮切りに、フランスの誇りを黒旗として掲げ労働者政権「パリ=コミューン」を結成しました。このコミューンはプロイセン軍だけでなく、自国の臨時政府軍にも包囲弾圧され、多くの命が失われました。

 

美しくも年をとった二人姉妹に仕える女中バベットは、コミューン支持派でした。

晩餐会には臨時政府軍の将軍も参加します。神の申し子のような二人姉妹、信仰心の深い監督牧師を取り巻いていた老信者たちと一緒に。大金でもてなした芸術的な晩餐は将軍のスピーチを招きます。

「正義と幸福はおたがいに口づけをすることになるのです。」

バベットは晩餐会を終え、二人姉妹との会話でこう話します。

「彼らは自分を守ることのできない貧しい人びとに、不正義を働いたのです。」

バベットが将軍に与えた感動は、「料理芸術家」としてのバベットが与えた感動であり、その感動を自らの手で引き起こすことがバベットにとっての復讐であったのだと考えられます。つまり、将軍の重んじていた芸術性や信仰のたどり着く先が「バベットの作る晩餐」であり、「バベットの芸術性」に跪いていたのだと、そう読み取ることが出来るのではないでしょうか。

 

背景が重く、神話の神々しさで覆いながらも、驚くほど読みやすく流麗な文体は、まさに芸術です。大変美しい作品ですので、ぜひ読んでみてください。

では。

 

 

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