RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『キャッツ』T・S・エリオット 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

イギリスの偉大な詩人、トーマス・スターンズ・エリオットの『キャッツ』です。邦題として『ポッサムおじさんの猫とつき合う法』と添えられています。日本では「劇団四季」のミュージカル名が広まっているので、これに合わせて『キャッツ』とされています。

世界中で大評判の超ロングラン・ミュージカル「キャッツ」の原作を新訳で贈る。あまのじゃく猫におちゃめ猫、猫の魔術師に猫の犯罪王……色とりどりの猫たちがくり広げる、奇想天外な猫詩集。
ノーベル賞を受けた、20世紀最大の詩人エリオットが、1939年、51歳のときに出版したこの詩集は、エリオットの猫観察記ならぬ猫交友録とでもいえるもの。ニコラス・ベントリーのカラーさしえ14枚入り。

 

1888年T・S・エリオットアメリカのセントルイスで生まれました。大学創設に貢献したイギリスからの移民の家系で、そして父母ともに文才に恵まれ、生まれてすぐに文学に触れる環境で育ちました。裕福なまま大学へ進み、モダニズムに惹かれ徐々に文学士としての道を歩み始めます。ヨーロッパ留学から帰った後、イギリスへ渡り本格的に活動を始める傍ら、ヴィヴィアンという女性と結婚します。しかし、父親は認めず、エリオットへの一切の支援を打ち切ります。銀行の渉外で働き、ヴィヴィアンの神経症を支えながら執筆を続けます。そして詩集を何作か発表し、英米において認められ、大きな成功を手にします。

 

彼の代表作『荒地』は第一次世界大戦争を終えた新しい世界の捉え方として大きく話題となります。映画『地獄の黙示録』で数多く引用され、若い世代に大きく支持されることになります。この後、1925年に『うつろな人々』を発表し、詩人として専念するため銀行を退職し、「フェイバー・アンド・フェイバー社」で編集者として生きていきます。この頃にイギリス市民権を得ます。その後も活躍を続け1948年、今日の詩文学への卓越した貢献に対して、ノーベル文学賞を受賞しています。

 

『キャッツ』はエリオットが「フェイバー・アンド・フェイバー社」社員の子供向けに書いた作品です。ニコラス・ベントリーの挿絵と、軽妙で躍動感のある猫たちの描写が心を晴れやかにさせます。しかし「ナンセンス性」が強く、瞬間の楽しみとは裏腹に、読後に疑問が多々溢れます。それでも不快ではなく、何故か心が暖かくなる不思議な詩です。この作品は原文で「韻律」を駆使した実験的作風ともなっており、より軽妙さを際立てた読後となって子供たちには受け取られたように思います。

 

この作品をミュージカルに生まれ変わらせたのが、アンドリュー・ロイド・ウェバーです。イギリスの作曲家であるウェバーは、詩集『キャッツ』を幼い頃から読み聞かせられていました。空港で偶然に手に取ったその懐かしい詩集を改めて読み、語られる猫達の軽快な躍動感に、あらためて衝撃を受けます。このインスピレーションがミュージカル化への発端でした。

 

詩集の『キャッツ』は一五篇の詩で成り立ち、それぞれ独立した猫のストーリーが描かれています。一貫した物語にはなっておらず、またそれぞれのストーリーに関係性は殆どありません。全体を捉えた場合にも「ナンセンス性」が目立つのみで、テーマやメッセージが見えてきません。

ミュージカルとして完成させるには「一貫したテーマ」が必要でしたので、ウェバーは行き詰まります。そこに救いの手を差し伸べたのがヴァレリー夫人でした。ヴァレリー夫人はエリオットがヴィヴィアンと別れた後に一緒になった妻です。エリオットが亡くなり、未発表の『キャッツ』の一篇「娼婦猫グリザベラ」を託されていました。

 

イギリスには7つの階級制度が存在します。プレカリアートからエリートまで。『キャッツ』に登場する猫達もよく読むとそれぞれ階級が違うように見受けられます。「娼婦」であるグリザベラはプレカリアートで最下層に該当します。彼女(猫)は過去を背負い、祈りながら歌い続けます。そしてミュージカルの中で「一年に一度、天上に登る唯一匹の猫」に選ばれます。ウェバーは、この「祈りと救い」を普遍的なテーマ性として表現し、そして一貫性を持たせた演劇として完成させる事が出来たのです。

 

ウェバーを救った一篇「娼婦猫グリザベラ」は何故書かれたのでしょうか。子供向けに書こうと念頭に置いていながら「娼婦」が浮かぶのは、どうも不自然で腑に落ちません。ゲーテファウスト』の「メフィストフェレス」のアナグラムで隠喩する程の作者が、考慮せずに書いて未発表とする事は無いと思います。

見えないバックボーンとして、イギリスの階級社会を風刺した作品として執筆し、「娼婦猫グリザベラ」の一篇が鍵となって完成する詩集を、「子供向けの軽快な韻律遊びの詩集」として出版したと考えると、モダニズムに傾倒したエリオットの遊び心と捉える事が出来るのかもしれません。

エリオットの思想はキリスト教的発想を超えている。楽しくて仕方がない作品であると同時に、哲学者が人生を見つめる深い眼差しが隠されている。

劇団四季主催者、浅利慶太さんの『時の光の中で』という自伝的作品での言葉です。

 

秘められたメッセージを勘繰りながら、軽快で楽観的な詩集を読んでみてはいかがでしょうか。楽しい気分になりますので、未読の方はぜひ。

では。

 

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『夜の森』デューナ・バーンズ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

デューナ・バーンズ『夜の森』です。デカダン派女流作家として小説・戯曲などで活躍した作家です。T・S・エリオットが絶賛し、この作品の「序文」を書いています。

両大戦間のベルリン、ウィーン、パリ、ニューヨークーー時間の廃墟を夢遊病者のように彷徨する〈無宿の天使〉ロビン・ヴォート。流浪するロビンを狂おしく恋するレスボスの愛に呪われたノラとジェニー。彼女らの夜の告白の懺悔聴聞僧をつとめるソドムの医者マシュー。ロビンの血をわけた息子で成長の止った白痴のグイードー……〈昼〉の秩序論理を棄て〈夜の森〉をさまよいつづける魔に憑かれた人びとの孤独と失墜と破滅を、T・S・エリオットロレンス・ダレルらの絶賛をあびた幻の傑作。
「私が読者に見出してもらいたいと願っているものは、見事に達成された文体であり、美しい語法であり、絢爛たる才気と人物造型であり、エリザベス朝悲劇のそれに匹敵するといってさしつかえない恐怖と運命感にほかならない」(エリオット)

 

1920年代のパリ。各国の「芸術家」が集結し、モダニズムをはじめとした芸術が多方面へ広がっていった時代、バーンズは雑誌記者としてアメリカより渡仏してきます。彼女の仕事は作家・芸術家(主にアメリカ人)へのインタビューであり、それを記事に起こすことでした。映画『ミッドナイト・イン・パリ』にも登場します。彼女が起こす記事の文学性は早々に認められ、ついには雑誌へ小説を掲載するに至ります。

 

彼女の文章には「頽廃」と「エロス」が含まれます。この特徴は彼女の生い立ち、或いは父親の存在が影響して表れています。父であるウォルド・バーンズは、自称作曲家ですが真っ当に活動することはなく、方々に無心しその日をなんとか暮らしているような人物でした。その言動は醜く、娘である彼女を他人へ売りつけるほどの悪辣ぶりでした。

彼女は満足な教育を受けられず、家計を支え、自身の「本来華やかな価値観が育まれる時期」を犠牲にします。そして彼女は芸術家が属するボヘミアン共同体に参加し、彼女自身もボヘミアニズムに浸り、憧れるようになります。ここから彼女の人生は、前述の記者時代へ向かい、芸術および文学の方面へ漠然と進んでいきます。

 

バーンズの悲劇的な生い立ちは、「頽廃的な価値観」と「歪められた性愛」を生み、彼女の文体に組み込まれます。本書『夜の森』では、これらを存分に感じることができます。

この小説の深層で語られている主題は、普遍的な人間の悲惨と呪縛の主題なのだ。

エリオットは序文でこのように語っています。

バーンズ自身の持つ「頽廃的な価値観」は自身の経験した特別な悲惨さから来るものではなく、普遍的に、つまりは誰しもが持っている「心の頽廃性」として描き、その性質が「性愛」に影響し、そこから生まれる悲惨さは読み手の「心の中の不安」を思い起こさせます。

 

夜になると、神経が高ぶり、本能や欲望が強くなり、不安が募る。昼に存在していた自制心や社交性が薄くなる。確かに夜は集中力が増し、大胆な行動や決断ができることが多くなります。しかしバーンズはこういった自律神経の作用を「頽廃的な価値観」で鬱屈な方向へ導き、恐れや不安を煽るような普遍性を説いていきます。

「本当の自分」を保障しているのは、実は自我が置かれている日常現実の諸関係であり、ひっきょう〈昼〉の秩序論理であるからである。

訳者の野島秀勝さんの言葉です。

 

この〈夜〉に現れる、もしくは生まれる欲望や不安や神経の緊張は「深層意識」より生まれていると考えられます。無意識な脳内の逡巡が突如、「過去のトラウマ」を捉えて現在に同様の不安を一瞬起こすように、〈夜〉になると脳内で「頽廃性」が活性化していきます。この作品でも繰り返し「頽廃的な表現」が出てきます。

人生というのは、死を知るための猶予期間だ。(p.83)
どんな上等な楽器だって、時がたてば故障するーーそれだけの話よ、楽器はこわれる、みんながよそよそしくなったら、そうと知るがいい。(p.161)

自分の人生さえも俯瞰的に捉え、「人生は落ちていくもの」という概念を受け入れ、救いを求めようとする行為さえ否定するような彼女の文章は、「美しさにまで昇華された悲しさ」に感じられます。

 

バーンズの文章は非常に詩的で美しく、しかし優しくない意志の強さが宿っている不思議な文体です。「狂騒の時代」であるパリを背景に描かれたこの作品は、彼女の筆致で耽美的で頽廃的に書かれています。ぜひ、読んでみてください。

では。

 

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『花のノートルダム』ジャン・ジュネ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

多くの犯罪に手を染めたジャン・ジュネ(1910-1986)の最初の小説『花のノートルダム』です。

「ジュネという爆弾。その本はここにある」(コクトー)。「泥棒」として社会の底辺を彷徨していたジュネは、獄中で書いたこの一作で「作家」に変身した。神話的な殺人者・花のノートルダムをはじめ汚辱に塗れた「ごろつき」たちの生と死を燦然たる文体によって奇蹟に変えた希代の名作が全く新しい訳文によって甦る。

 

彼が母親の元を離れたのは生後7ヶ月。親に捨てられ田舎夫婦の養子として育てられます。その養母が亡くなり、別の里親へ引き取られます。どちらの夫婦の元でも窃盗や猥褻を中心とした犯罪を繰り返し、挙句、児童擁護救済院(感化院)へ送られます。その後パリの盲目の作曲家「ルネ・ド・ビュクスイユ」に預けられますが、ここでも盗みを働き精神科治療を受けます。ここから感化院と刑務所の脱走と送還を繰り返し、これらから逃れる為、軍に入ります。兵役の後、パリに訪れたジュネは「アンドレ・ジッド」に出会います。その後、再度軍に入りますが脱走。偽造パスポートを用い、東ヨーロッパを転々とするあいだに、逮捕を繰り返します。パリに戻っても犯罪は止まらず、そして脱走兵である事が露見し、実に13回の有罪判決と禁固刑、懲役刑を受けます。本書『花のノートルダム』はこの受刑獄中に書かれました。

 

ジュネは本作を執筆した年(1942年)、詩作品の『死刑囚』という作品も同時に書き上げ、自費出版していました。この詩作品を「芸術のデパート」こと「ジャン・コクトー」が絶賛します。そして、『花のノートルダム』も読み、文才を認め、本作を世に出す足掛かりとなったのです。

例えば、片手で、二つの品物(札入れ)を同時につかむことができるし、あたかもそこにはひとつしかないようにそれらを持って、長々と吟味し、袖のなかにひとつを滑り込ませ、最後に気に入らない振りをしてもうひとつを元の場所に戻せばいい。

彼の経験を元にした「自伝的童話」です。男娼・ひも・強盗殺人者からなる男性三人の三角関係が主な内容です。ジュネ自身「同性愛者」であり、「男娼」を経験しています。犯罪を含めた数々の描写は、語り手(ジュネ)の独白の体を為していながら、全てが空想のフィクションであると表現されています。童話として描かれたこの作品には「無責任な白状」が散りばめられています。

 

『花のノートルダム』の大きな特徴は、「聖」と「性」が入り混じる、読み手の価値観を眩ませる、危うい説得力です。ピカレスク文学としての性質を帯びながら、読み手の「聖」を刺激し、あたかも品性の欠けた丸裸の感情こそが高尚なものであると語りかけてきます。

「性」を「聖」に昇華させる文体は、二つの要素が考えられます。「生い立ちによる歪んだ価値観」と「強烈な性への執着」です。この執着が顕著に表れているのが「性欲を空想する描写」或いは「欲望を具体的に述べる描写」です。これは自慰行為に等しく、欲望を露わにし、これを正当化する為に「性」を「聖」に昇華し自身の満足へ直結する散文となっているのです。

骨の見える痩せ細った文体をつくり上げようと努力しているとはいえ、私は花や、雪のようなペチコートや、青いリボンの詰まった本を私の監獄の奥からあなたたちに送りたいと思っている。これよりいい暇つぶしは他にはない。

これがトイレットペーパーへの執筆中に抱いていた丸裸のジュネの感情です。

 

モーツァルトを好み、デュ・バリー夫人を憐れみ、ウージェニー・ビュッフェに耳を傾け、エミリエンヌ・ダランソンを仰いだ、ジャン・ジュネの性癖が詰まった『花のノートルダム』。
未読の方にはぜひ、読んでいただきたいです。

では。

 

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『恐るべき子供たち』ジャン・コクトー 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

フランスの多彩な芸術家ジャン・コクトーの代表小説『恐るべき子供たち』です。詩人であり劇作家であり、美術にも秀でている「芸術のデパート」。本書には彼の数十点もの挿絵が挟まれています。

14歳のポールは、憧れの生徒ダルジュロスの投げた雪玉で負傷し、友人のジェラールの部屋まで送られる。そこはポールと姉エリザベートの「ふたりだけの部屋」だった。そしてダルジュロスにそっくりの少女、アガートの登場。愛するがゆえに傷つけ合う4人の交友が始まった。

 

ジャン・コクトー(1889-1963)はパリ郊外の大変裕福な家庭で生まれ育ちます。幼少期より舞台に感銘を受け、感性を磨きます。早くから社交会に出入りし、数々の著名な芸術家と出会い親交を深めます。その中にはプルーストニジンスキーなどがあり、フランス文壇で開花し始めた彼は徐々に名を広げていきます。『薔薇の精』を踊るニジンスキーのポスターを描いた事もあります。

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そして1919年に運命的な出会いが訪れます。まだ幼い、弱冠16歳のレーモン・ラディゲと意気投合し、硬い友情を結びます。しかし、ラディゲはチフスにより享年20歳でこの世を去り、コクトーは恐ろしい悲しみに襲われます。この悲しみから逃れる為、彼は阿片を常用します。ここから彼の人生は阿片服用と阿片解毒治療を繰り返します。彼は生涯、4度の入退院を繰り返しました。

 

この『恐るべき子供たち』は2度目の解毒治療の入院中に、三週間で書き上げました。1929年に出版されましたが、反道徳的で慣習を無視した主人公達の言動は賛否両論を巻き起こします。自由奔放な彼らの行動に憧れる若者達、不道徳であると断ずる教育者達、悪書であるとする先人達など。いずれにしても大きな流行となり、コクトーに成功をもたらします。

 

子供にとっての子供部屋には異次元的な空間イメージがあり、その中での精神は一種の「夢見心地」になる事があります。これは私も経験がありますが、扉を閉めると現実世界から切り離された独自の精神世界のような心地に陥ります。

親を亡くした姉弟はこの世界から抜けられず、呪縛とも言える感覚世界に浸り続け成長します。しかし彼らはその世界に依存している自覚は無く、この空間を捨てて社会に出ようと試みます。その折に出会った少女を巻き込み、物語は加速していきます。

 

彼らの考えはペシミズム的で、反抗期に見られる「恐れを知らない無知」で描かれています。裕福である彼らの怠惰で、不毛で、傲慢で、そして臆病な言動が、異質な精神世界で繰り広げられます。

ラストのシーンで恐ろしい悲劇が巻き起こりますが、『ポールとヴィルジニー』の引用が出てきます。

急に、自分の夢の「丸い山」が『ポールとヴィルジニー』に出てくることを思い出した。あの小説では「丸い山」は丘のことを意味していた。

『ポールとヴィルジニー』はジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエールの作品ですが、この作品のオペラ・コミック台本をコクトーとラディゲは共作しています。

「死は取るに足らないことよ。あなたは死んでいる。私も死んでいる。私たち満足よ。死んだ後には、もう死ぬことはできない。みんなが好きな場所で、いつも一緒に暮らすことができるわ。」

コクトーの死生観は「生死は裏表に存在し、同じ世界で起こる事象」であると表現されています。この死生観はラディゲも持ち合わせていたと考えられます。

 

そして『恐るべき子供たち』という作品は、自分が居ない「死側」に居るラディゲへ向けた餞の、或いは自分自身が「生側」で生きていく為の決意の解釈の意味で作り上げた、と考えられるのではないでしょうか。バイセクシャルであったコクトーは友情以上の感情をラディゲに抱いていたのかもしれません。

 

執筆した背景と同様に激しい悲劇は、読む者の意識を凄まじく引き摺り込みます。
大変読みやすく、しかし魅力を存分に維持して仕上げられた訳ですので、未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

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『バベットの晩餐会』イサク・ディーネセン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

 

デンマークの作家、カレン・ブリクセンの『バベットの晩餐会』です。
イサク・ディーネセンという名前は英語版ペンネームです。

女中バベットは富くじで当てた1万フランをはたいて、祝宴に海亀のスープやブリニのデミドフ風など本格的なフランス料理を準備する。その料理はまさに芸術だった……。
寓話的な語り口で、“美”こそ最高とする芸術観・人生観を表現し、不思議な雰囲気の「バベットの晩餐会」(1987年度アカデミー賞外国語映画賞受賞の原作)。
中年の画家が美しい娘を指一本ふれないで誘惑する、遺作の「エーレンガード」を併録。

 

女流作家カレン・ブリクセン(1885-1962)はデンマーク語と英語、両方で出版しています。英語で出版する時のペンネームがイサク・ディーネセンです。英語で書き上げた作品を自身でデンマーク語に訳す特異な作家です。しかし単純に、忠実に訳すわけではなく、内容に相違がある作品が多数あり、この『バベットの晩餐会』は大きく内容が異なる作品です。
異なる内容としては、第九章「レーヴェンイェルム将軍」からラストにかけて多くの記述が追加されています。そして本書の訳者である枡田啓介さんは「デンマーク語版」で訳しています。

 

カレン・ブリクセンは映画化された『アフリカの日々』でも有名です。これは伝記のようなエッセイですが、彼女が体験した元夫とのコーヒー農園で過ごした経験が含まれた作品です。この後、第二次世界大戦争を終え、世界が落ち着き始めた頃『バベットの晩餐会』は世に発表されました。舞台はノルウェーの北の北、田舎の質素で信仰を重んじる小さな村での話です。

併録の『エーレンガード』にも言えることですが、とにかく多くの「神話の表現」が登場します。

彼女の作品には、旧・新約聖書の世界、ギリシャローマ神話北欧神話、中世ヨーロッパの伝説が自在にとり上げられ、さらに『アフリカの日々』に見られるようなイスラム文化、アフリカ文化への関心と洞察が加わって、渾然として多義的な物語の世界が展開されている。

枡田啓介さんの「あとがき」の一文です。

また、音楽、美術の表現が見事で「芸術を神々しさで紡いだような筆致」がノルウェーの雪景色に灯る光のイメージに溶け込んで、贅沢とも言える芸術性を感じさせてくれます。

 

1870年、プロイセン(ドイツ)とフランスの戦争、「普仏戦争」が起こりました。スペインが九月革命にて王位継承予定者がいなくなり、そこへプロイセンビスマルクが取り入り継承予定者となりました。これを脅威と見てフランスのナポレオン三世が反対したことが発端となり戦争に至りました。結果、フランスは大敗し当時の帝政は崩壊しました。

敗北したフランスは50億フランと土地を渡し、講和。勝利の入城としてプロイセン軍はフランスに入ります。この講和とプロイセンの「パリ入城」に対する抗議を皮切りに、フランスの誇りを黒旗として掲げ労働者政権「パリ=コミューン」を結成しました。このコミューンはプロイセン軍だけでなく、自国の臨時政府軍にも包囲弾圧され、多くの命が失われました。

 

美しくも年をとった二人姉妹に仕える女中バベットは、コミューン支持派でした。

晩餐会には臨時政府軍の将軍も参加します。神の申し子のような二人姉妹、信仰心の深い監督牧師を取り巻いていた老信者たちと一緒に。大金でもてなした芸術的な晩餐は将軍のスピーチを招きます。

「正義と幸福はおたがいに口づけをすることになるのです。」

バベットは晩餐会を終え、二人姉妹との会話でこう話します。

「彼らは自分を守ることのできない貧しい人びとに、不正義を働いたのです。」

バベットが将軍に与えた感動は、「料理芸術家」としてのバベットが与えた感動であり、その感動を自らの手で引き起こすことがバベットにとっての復讐であったのだと考えられます。つまり、将軍の重んじていた芸術性や信仰のたどり着く先が「バベットの作る晩餐」であり、「バベットの芸術性」に跪いていたのだと、そう読み取ることが出来るのではないでしょうか。

 

背景が重く、神話の神々しさで覆いながらも、驚くほど読みやすく流麗な文体は、まさに芸術です。大変美しい作品ですので、ぜひ読んでみてください。

では。

 

 

『星界の報告』ガリレオ・ガリレイ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

「近代科学の父」或いは「天文学の父」と呼ばれる天才、イタリアの物理学者で哲学者のガリレオ・ガリレイ。その人生に大きな影響を及ぼした『星界の報告』です。

1610年冬、ガリレオ(1564-1642)はみずからの手で完成した望遠鏡を通して、30倍に拡大された星界に初めて対面する。まず月面・銀河・星雲、そしてそれまで未知であった木星の周囲を回転する4つの衛星。精緻な観察が卓抜な想像力と結びつき、世界をゆるがせた推論は仮借なく押し進められる。「太陽黒点にかんする第二書簡」を併収。

 

ガリレオが活躍したこの時代は「三十年戦争」(カトリックプロテスタントの戦い)の最中で、宗教的な思想は非常に神経質になっていた時代と言えます。イタリアも国内で分裂し、中世の終わりを迎えようとしていました。

当時はアリストテレスプトレマイオスが構築した「天動説」が、キリスト教において世界の真理であり、不変とされていました。

主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日、ヨシュアイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った。
「日よとどまれギブオンの上に、月よとどまれアヤロンの谷に。」
日はとどまり、月は動きをやめた。民が敵を打ち破るまで。
『ヤシャルの書』にこう記されているように、日はまる一日、中天にとどまり、急いで傾こうとしなかった。

旧約聖書ヨシュア記(第10章12-13節)

旧約聖書』のヨシュア記にあるように、ヨシュアの祈りが「動いていた太陽と月の動きをとどめた」ことが記されています。これが根拠となり太陽と月は動いていた、つまり「天動説」が絶対であったのです。

 

ガリレオは、オランダの眼鏡技師が発明した望遠鏡を元に「天体観測が可能」なまでに改良し、星界を観察し始めます。そこで数々の重大な事実を発見します。「月にクレーターが存在する」「星は太陽光に照らされて満ち欠けする」「木星には4つの衛星が存在する」「太陽の黒点は太陽表面に存在し自転を表している」など。これらの発見を観測結果を元に報告したのが、本書『星界の報告』です。

 

報告先は当時のトスカナ大公、メディチ家です。このコジモ二世殿下に上記の「木星の4つの衛星」を捧げ、「メディチ星」と命名します。この功労が影響し、ガリレオフィレンツェにて「大公付きの学者」として厚遇されます。

これを僻み、快く思わない学者たちは、教会の聖職者たちをそそのかし、「天動説を否定する異端者」として宗教裁判にかけることにしたのです。これによりガリレオが説いた推論を取り下げること、そして今後説かないこと、を約束させられました。しかしガリレオは自身の研究を続け『天文対話』という天動説学者と地動説学者の対話式の論証を出版します。
イエズス会はこの行動に対し、裁判で下された決定を破っているとして、再度の宗教裁判をかけます。そして有罪による軟禁刑のまま、この世を去りました。

 

1979年、ローマ教皇ヨハネパウロ2世が、アインシュタイン生誕100年祭において「ガリレオの偉大さはすべての人の知るところ」という講演を行いました。これをきっかけに、ガリレオ裁判の判決が見直され、1983年に無罪を表明し、ガリレオに謝罪しました。

 

本書の内容に関しては、現在となっては科学者でなくとも常識とされている「当たり前の内容」ですが、科学と推論で真実を構築しようとする熱意が、文章の熱量に込められています。そしてガリレオの攻撃的で、根拠を持った論説は清々しくもあり、危なげでもあり、「報告」でありながら文学としても楽しく読むことができる作品です。

 

偉大な科学者の人生と、世界の真理に大きく影響を与えた『星界の報告』は、ぜひ手にとって読んでいただきたいです。

では。

 

『グレート・ギャツビー』F・スコット・フィッツジェラルド 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

F・スコット・フィッツジェラルドグレート・ギャツビー』です。

ロストジェネレーションの盛衰を、公私共に歩んだ作家の代表作です。

豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビーの胸の中には、一途に愛情を捧げ、そして失った恋人デイズィを取りもどそうとする異常な執念が育まれていた……。第一次大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描いて、滅びゆくものの美しさと、青春の光と影がただよう憂愁の世界をはなやかに謳いあげる。

1920年代に活躍したアメリカの作家たちは「ロストジェネレーション」(邦称:失われた世代)と呼ばれます。ヘミングウェイ、フォークナー、そしてフィッツジェラルドが有名です。

彼らは青年期からの生涯を「第一次世界大戦争」「世界大恐慌」「第二次世界大戦争」を経験するという、過酷な運命の中で執筆を続けます。彼らの作品に表れる喪失感、絶望感などは、構築しては破壊される世界が与えた「虚無の価値観」に基づいています。フィッツジェラルドをはじめ、軍に入り、戦争に参加した経験は、人間による破壊や絶望が、希望を見失わせることになりました。この事から「失われた世代」は「迷える世代」と訳されますが、こちらの方が本来の意味に近しいと感じます。

 

第一次世界大戦争」を戦勝国として終えたアメリカは、その後の悲運を予期せぬ時期、世界最大国家となり国内は浮かれていました。
ジャズ・エイジの物語」というフィッツジェラルドの作品があります。この作品で「ジャズ・エイジ」という言葉は定着しました。「ジャズ」はアメリカで生まれた純粋な文化であり、この頃から芸術の絢爛さへ憧れ、メッカであるフランスのパリへ訪れる人が急増しました。映画『ミッドナイト・イン・パリ』は、まさにその時代の話です。


また、1920年に女性が参政権を得たことにより「自由」が与えられ、世に出始めます。ちょうど時を同じくして、アルコールが犯罪を助長させているという理由から「禁酒法」が施行されます。
しかし、サルーン(酒場)は急増します。いわゆる「非合法な酒場」が世に溢れ、これを運営するギャングが栄え、女性たちは髪を短く切ってタバコを片手にサルーンへ飛び込みます。カクテルを飲み、男と話やダンスをする女性を「フラッパー」(おてんば娘)と呼びました。
結局、ギャングの成長を止めることは「禁酒法の廃止」しか考えられず、結果的に犯罪抑止のための禁酒法は失敗に終わりました。しかし、世界大恐慌に嵌っていた国は酒税により恩恵を受けるという皮肉な結果に陥りました。

 

このような時代に生まれた文学をアプレゲール文学(戦後派)と呼びますが、前述のような「虚無」「喪失」「脆さ」「崩壊」などを特徴としています。
今回の『グレート・ギャツビー』はこの特徴が顕著な作品です。
先代より上流階級として苦労なく育った人間の醜悪な価値観や、成り上がり者の抱く脆い夢、貧しい人間の事なかれ主義であり絶望を受け入れている生活、などが一つの物語で無駄がなく、自然に紡がれています。

 

語り手である「ニック」と中心人物の「ギャツビー」は、「俯瞰」と「主観」のそれぞれのフィッツジェラルド自身だと言えます。ギャツビーの執着と情熱を、理解しながらも不毛であると考えていた、彼自身の二つの精神が描かれています。

私はただ、「ジャズの時代の桂冠詩人」と謳われ「燃え上がる青春の王者」「狂騒の二〇年台の旗手」と祭り上げられたフィッツジェラルドが、そうしたレッテルを貼られるだけの絢爛奔放な生活を派手に展開したことは事実だけれども、そうした外観の底にそれを批判的に見るもう一人のフィッツジェラルドがひそんでいたことを強調するにとどめたい。

訳者の野崎孝さんの解説文です。
フィッツジェラルドもまた、成り上がり、「ロストジェネレーション」の中心人物として一時の成功を収めるものの、望まない不摂生や暴飲により、公私ともに急降下していきます。満を持したこの『グレート・ギャツビー』もハッピーエンドを求めていた「浮かれた若者の支持者」には受け入れられず、不発に終わりました。世界的文学として認められたのは、ずっと後になってからでした。

 

この受け入れられなかった重厚なストーリーは、彼が感じた上流社会の不毛さであったり、それを正当化する詭弁に腐敗を感じ、むき出しに描いたところが特徴的です。育った環境により育まれる価値観は歪み、醜悪である自覚を持たない豪奢な絢爛豪華さは、まさに不毛であると断定しています。

ぼくは彼をゆるすことも、好きになることもできなかったが、彼としては自分のやったことをすこしもやましく思っていないこともわかった。何もかもが実に不注意で混乱している。彼らは不注意な人間なのだーー

ニック(俯瞰)から見たこの「彼ら」にはフィッツジェラルド自身も含まれていたのかも知れません。

 

華やかさだけではないニューヨーク郊外の、上流社会の、男女の、歪んだ価値観がぶつかり合う様を、上品で激しい筆致で読ませてくれます。
映画化もされている作品ですが、未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

 

『巨匠とマルガリータ』ミハイル・ブルガーコフ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

ミハイル・ブルガーコフ巨匠とマルガリータ』です。
近代ロシア文学の「奇書」とされる作品です。

春のモスクワに降り立つ悪魔、灼熱のゴルゴダと名無しの巨匠。首は転がり、黒猫はしゃべり、ルーブル札が雨と降る。ブルガーコフ(1891-1940)が遺した二十世紀ロシア最大の奇想小説、物語のるつぼの底で待つのは何か?ーー「私につづけ、読者よ。」

 

ブルガーコフウクライナ出身の劇作家であり小説家です。同じウクライナ出身のゴーゴリと比べられる事もある、近代ロシア文学に欠かすことの出来ない作家です。

 

彼の作家人生はスターリン体制の隆盛と重なった時期でした。国政非難を含む作品群は特別検閲を受け、悉く出版を禁止されます。劇作家として戯曲を披露しますが、こちらも公演の中止が相次ぎ、思想を表現する手段を国に取り上げられてしまいます。立ち行かなくなったブルガーコフスターリンに直接書面にて「亡命を許可するか、モスクワ芸術座で採用するか」いずれかを選択するよう訴えます。スターリン自身が彼の戯曲の愛好家であった為、国は後者を支援し、モスクワ芸術座で勤めることになります。

しかし、モスクワ芸術座で行われる演目はもちろん管理され、ブルガーコフの思想を孕んだ演目を催すことは出来ませんでした。彼は作家でありながら自由な表現を失ったのです。しかし、抑えることの出来ない世への訴えを、新たな作品に乗せて家に引きこもり書き続けていきます。そしていつかロシアにやってくる、「文学」を受け入れる「表現の自由な時代」へ託し、息を引き取ります。

 

巨匠とマルガリータ』は正に遺稿にあたり、彼の生前に世に出ることはありませんでした。スターリンの時代を終え、雪解けの時代に入り、同時代に生きた作家のヴェニアミン・カヴェーリンの尽力を発端に、長い年月を経てようやくロシアの民衆へ渡ることが出来ました。

 

この作品は紹介文からも推察できるとおり、非常に複雑な世界観で幻想小説として描かれています。しかしコミカルな表現も多く、文体も直接的で疾走感もあるので、間延びせずスムーズに読み進めることが出来ます。
悪魔のヴォランド、詩人の〈宿無し〉イワン、名無しの巨匠、魅惑的なマルガリータ、変幻自在のコロヴィエフ、磔刑に処されるヨシュア(イエス)、ユダヤ総督ポンティウス・ピラトゥス、陽気な黒猫ベゲモート。多彩な登場人物が時代を変え、場面を変えて語られていき、想像も出来ない収束を見せるラストは鮮やかそのもの。

 

物語としての読後感は爽快であるものの、これを思想の側面で読むと、なんとも痛ましくなります。現世を離れることで「自由」を得た「表現者」は、スターリン政権下を離れることでしか「自由な表現」を手にすることは出来ないという訴えであり、現世での巨匠の苦しみは、ブルガーコフの内面の苦悩であったと感じられます。そして得たこの「自由」は巨匠による創造の賜物であり、つまり「文学の力」が世を切り開くものであると啓蒙しています。

 

1940年にブルガーコフは腎硬化症で亡くなっています。容態の悪化を感じながら、家に引きこもり、いつか〈文学の力〉を受け入れられる世に向けて書き続けた熱量は、現代ロシア作家ウラジーミル・ソローキンと重なり、作家の偉大さに強い感銘を受けます。

「お前は自由だ!自由だ!彼がお前を待っているのだ!」

作中で叫ぶ巨匠のこの台詞を、誰よりも欲していたのはブルガーコフだったのだと、そう思います。

 

岩波文庫で800頁程ですので、じっくり読むのにうってつけのこの作品、幻想小説としても純粋に面白く読むことが出来ます。
未読の方はぜひ。

では。

 

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『車輪の下』ヘルマン・ヘッセ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

ヘルマン・ヘッセ車輪の下』です。
手元にある「旺文社 岩淵達治訳」が、名訳です。とても実直で原文の美しさが感じられます。現在は、旺文社自体が「旺文社文庫」を廃刊してしまい古書での入手しかできない状況。古典文学が中心で、さすが学習参考書が主力な出版社というラインナップですので、もし入手可能な機会があれば、ぜひ手にとってみてください。

大変優れた頭脳を持つ少年ハンスは、小さな町の誇りであり、未来を嘱望される。思春期に揺れ動く心は、周囲の期待による圧力で苦悩していく。当時の教育制度を風刺し、思春期の心を現実的に描いた、初期のヘッセ代表作。

 

ヘルマン・ヘッセは平和主義者です。
1914年に勃発した世界大戦争では、各国の愛国主義をうたった作家の美辞麗句を受け、ヘッセははっきりと反戦的な表明として新聞に文章を掲載しました。

「おお友よ、そんな調子はよそう!」

ここからドイツ愛国主義者から裏切り者のレッテルを張られます。平和主義者であるヘッセの思想は「個性を大切にする人間愛」からきています。戦争における惨状は人間を想うヘッセには辛いことであり、苦しみを与えます。しかし、彼に共感し、支える文学者もいました。トーマス・マンロマン・ロランなど。彼らの言葉に励まされ、戦争において自分にできることをする為、捕虜の援護機関の仕事に従事します。

戦争が一時収束し、1933年にヒトラーが政権を握ると、「人類の粗暴な血まみれの愚行」に対する抗議を、芸術をもって行っていきます。ヘッセの作品はしばらく「好ましからぬ」作品とされ、出版も不可能な状態でした。

その後、戦争は収束し、1946年に『ガラス玉演戯』を中心に評価され、「古典的な博愛家の理想と上質な文章を例示する、大胆さと洞察の中で育まれた豊かな筆業に対して」、ノーベル文学賞を受賞しています。

 

1877年、南ドイツにある「ブレーメンからナポリ、ウィーンからシンガポールのあいだで最も美しい町」とヘッセが称した「カルフ」で生まれました。この生まれ故郷での少年時代が基礎となって書かれたのが『車輪の下』です。

この作品は所謂「回想録」であり、神学校への試験、寮生活の閉塞感、職人たちの仕事場、思春期の心の動きなど、とても現実的で情景や雰囲気が鮮明に伝わってきます。ヘッセが体感したことや、当時の感情などが、主人公ハンスおよび友人ハイルナーに置き換えられ、語られていきます。

 

祖父、父親ともに宣教師で、幼い頃から神学を修めることを暗黙で決められていました。ヘッセもその道へ進むことが当たり前であり、使命であると理解し努力します。非常に難関な神学校試験を突破し、寮生活が開始されます。この「家族と離れた環境」により、心が大きく成長し、考えに変化を及ぼします。

毎年あらわれる人一倍深みと器量をそなえた数人の人物を根絶しようと、国家や学校が年がら年じゅう大汗をかいて努力していることをわれわれは知っている。ところがあとになって、だれよりもわれわれ国民の文化財を豊かにしてくれるのは、ふつうはこういった教師たちに憎まれ、罰せられ、脱走したり、放校されたりした人たちなのである。

 

当時の教育制度の欠陥を振り返り、実体験で感じた束縛感、強制感、そしてその無意味さを明確に説いています。「個性」を大切にしたいという力が強いほど、周囲の強制力に反発するエネルギーが強く、それが「頑固」と映り、教師側は「反抗的」と受け取り対応する。そして「個性」を重んじる友人と繋がり、価値を共有していく。

 

この作品は文芸面でも多彩で、「美しい町カルフ」を元にした季節を感じさせる風景描写は見事です。りんごの収穫祭のシーンは音や匂いまで想像できます。

また、思春期に誰もが体験する感情や、成功と挫折、恋と友情、喧嘩と秘密、性と生、など幼さの残る思考や言動が、読み手の人生を回想させ甘酸っぱい記憶を呼び覚まします。

 

車輪の下』は、そういう先生をふくめて、「世間」というものに傷つき、たおれていく少年(青年)への挽歌である。うらがえせば、自分をほんとうに教育してくれるのは自分じしんしかない、ということを語っている。

村上兵衛さんが巻末で実体験を含め、このように述べています。ヘッセがこの作品で最も言いたかったことがこれであり、「自分で自分を育てる大切さ」を教育制度の欠陥を下に訴えています。

つまりヘッセは「教育制度の欠陥」を主に訴えたいわけではなく、「各個人が持つ個性の保護」が大切であり、それを圧殺する社会に対する抗議が軸となっているのです。
そして彼の実体験による説得力が、この作品を後世にまで伝える原動力として生きています。

 

主になるテーマは重いですが、思春期小説ですので、誰もが共鳴できる懐かしい感情や憂いを感じることができます。

岩淵達治さんの訳が入手困難であれば、高橋健二さん訳を読んでください。ヘッセを日本に持ち込んだ方です。

一応以下にいくつか並べておきます。
未読の方はぜひ。

では。

 

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『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボコフの『ロリータ』です。アメリカへ亡命したロシアの作家であるナボコフの代表作。大変有名な古典作品ですが、出版までは苦難の道でした。

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。……」
世界文学の最高傑作と呼ばれながら、ここまで誤解多き作品も数少ない。中年男の少女への倒錯した恋を描く恋愛小説であると同時に、ミステリでありロード・ノヴェルであり、今も論争が続く文学的謎を孕む至高の存在でもある。多様な読みを可能とする「真の古典」の、ときに爆笑を、ときに涙を誘う決定版新訳。注釈付。

 

ナボコフの父親は旧ロシア帝国の政治家である、ウラジーミル・ドミトリエヴィチ・ナボコフです。ロシアの自由主義者であり立憲民主党幹部として活躍していましたが、ロシア革命において立場を追われ、ベルリンへ亡命します。亡命先で友人の政治家をかばい暗殺者に殺されます。
ナボコフは父親より少し先に西欧へ(父親が元来西欧派であったため)亡命しました。父親がベルリンへ逃れたタイミングで合流しましたが、すぐその年に上記の悲劇が起こります。
もともと裕福な生活で恵まれた環境下にありましたが、パリへ移り、さらにアメリカに帰化する頃には質素な暮らしへと変わっていきます。

 

ロシアに住んでいた時から文壇に立つことを目指していました。そしてベルリン、パリでは「シーリン」という筆名で小説を発表し、ロシア亡命作家として高い評価を得ることになります。この時代、つまり1918年~1945年(亡命前からアメリ帰化まで)はロシア内に留まらず二度の大戦争が起こるほど、世界が揺れ動いた時代です。
先を見据えたナボコフは「英語での執筆」を試みます。そこで書き上げたのが『ロリータ』です。

 

この苦労を重ねて執筆した作品はスムーズな出版とはなりませんでした。内容を享受できるアメリカの出版社が無く、ヨーロッパでの出版を模索し始めます。そこでパリの出版社「オリンピア・プレス」と出会い、ようやく出版に至ります。ここからナボコフの手を離れて、大きく作品が世に顔を出し始めます。
この「オリンピア・プレス」の看板作品は「ポルノ小説」です。世の人々は『ロリータ』という作品をポルノと認識し、読み始めます。しかし紹介文にもあるように、これは真の古典文学。すばらしい筆致と完成度に、イギリスの小説家グレアム・グリーンが大絶賛します。ここから賛否合戦になり、一気に話題書へ仲間入りし、ついにはアメリカでの出版に辿り着くことができました。

 

元々ロシア語で書かれた『海辺の公園』という作品が、『ロリータ』の原型となっています。しかし、元の物語はもっと簡素で、結末も違い、ナボコフ自身も納得のいかない出来栄えでした。その後、妻ヴェーラとのアメリカ国内旅行の刺激や閃きが積み重なり、『海辺の公園』に、どんどん文学的厚みを帯びさせて、『ロリータ』を完成させました。
この「文学的厚み」を英語で帯びさせることに、苦労し、興味を覚えた結果が、ナボコフの魔術的な言語使いを生まれさせたのです。

私の個人的な悲劇は、むろん誰の関心事であるはずもなく、またそうであってはならないが、私が生得の日常表現や、何の制約もない、豊かで際限なく従順なロシア語を捨てて、二流の英語に乗り換えねばならなかったことで、そこには一切ないあの小道具たちさえ魔法のように使えれば、燕尾服の裾を翻しながら、生まれついての奇術師は独特の流儀で遺産を超越することもできるはずなのだ。

これは、あとがきに近しいものにナボコフが最後の締めとして口述している文面です。内容は「ロシア語に翻訳すると、もっと良い作品になるぞ」という意味合いですが、注目すべきは「二流の英語」という表現です。
単純に使い慣れていない、という意味合いだけでは出てこないこの単語ですが、背景にある思いは何でしょうか。これは祖国ロシアに対する誇りであり、本質的に望んで使用している言語ではないという荒みからきています。
ナボコフは「亡命作家」でありながら「祖国を想う」稀有な人間でした。これは父親の生き様、死に様、そのどちらも誇らしく想い、そして「ロシア革命以前のロシア」を印象として持ち、叶わぬ夢として祖国に想いを馳せる中、アメリカで英語文学を執筆する苦悶の顕れであると言えます。

 

この想いが筆致に滲み出たのか、純粋に作品の内容がそう思わせたのか分かりませんが、『ロリータ』は「反米的」であると非難する意見が噴出します。しかし、ナボコフは普遍性を説いています。アメリカ的というのは道徳的という意味であり、アメリカを背景に、アメリカを描いて反米的というのは、ずれている、という論です。
もちろん、主人公であるハンバート・ハンバートアナーキズムに生きる人であり、サイコパス的で、自尊心が高く、紳士と自負する異邦人です。ですが、こういった人間性アメリカでは存在しないという論理はおかしく、英雄然とした道徳漢が活躍するのがアメリカ的だとする意見を盛大に揶揄しています。

 

さて、テーマとなっている「少女性愛」についてですが、世間ではかなり厄介なことになっています。認識において。

ロリコンという言葉だけが全世界をたちまち走ったのは、この物語にはハンバートに代表される男性に巣くう忌まわしい少女好みというものが、いかに普遍的なものだったかを告げる秘密が如実に暴かれていたということなのである。

ある有名な著述家の『ロリータ』書評における一文です。そしてこのような事は全世界で起こっていません、間違いです。もちろん「ロリコン-Lolicom」という言葉が、という意味ではなく。一部だけ正しいとするなら、「普遍的なものだった」という一点のみです。
この少女性愛は、医学疾患における小児性愛ペドフィリア」に含まれます。ハンバート・ハンバートは少女のみでしたが、少年のみ、或いは両方という症状もあります。これは1880年代から既に提唱され、研究されている内容です。


では、この作品を由来とする「ロリータ・コンプレックス」、「ロリコン」とは何か。これは誤解から生まれた和製英語であり、性癖の一つとして使用されています。
ラッセル・レイモンド・トレーナーという心理学者の「The Lolita Complex」と言う作品の邦訳が起因とされています。実はこの作品では「中年の男性に少女が憧れる」という、現在使用されている意味と間逆の言葉でした。それが、読者や作家などが間違った解釈を広げ、現在の意味でいわゆる「誤用」されるに至っています。
「誤用」というのは、二重の意味であり、もう一つは「コンプレックス」という言葉です。心理学では「complex=感情複合体」とされており、決して「劣等感」ではありません。この誤用にも原因があり、アドラーが提言した「劣等コンプレックス」という観念を日本に持ち込まれ、これをマスメディアが誤って「コンプレックス=劣等感」と解釈し、広めてしまった為、「マザーコンプレックス」「学歴コンプレックス」の誤用が多発する現在に繋がっています。

 

本書は、紹介文にもあるように数多くの要素を持っています。官能的、純文学的、モダン的、遊戯的、喜劇的、パノラマ的、悲劇的、ミステリ的、風俗的、風刺的……。これらの要素をすべて詰め込み、一つの作品として成り立たせているのは「ナボコフの魔術的な言葉使い」なのです。

 

この小説に学びうる第一は、いまもいったとおり、小説のなかの一部分から次の部分に移る際の劃然たる書き分けと、そこからのスピードである。

解説での大江健三郎さんの言葉です。
この作品は約550ページ程ですが、ものすごいスピードで進みます。それぞれの瞬間で強烈な印象や、描写が濃厚でありながら、段落がかわると一足飛びに話が進みます。そして「魔術的」なナボコフの筆致で、喜怒哀楽を混ぜこぜにされながら、ハンバート・ハンバートとロリータの行く末を強制的に追い掛けさせられます。

 

この作品には「序」という序文があります。最後まで読んだ方は、必ず再読してください。「序」だけでも。(5ページだけでも。)
「序」に限らず、再読で気づく重要なことが、あちこちに敷き詰められています。

 

私は教訓的小説の読者でもなければ作家でもないし、ジョン・レイがなんと言おうと、『ロリータ』は教訓を一切引きずっていない。

このようにあとがきに近しいもので述べるナボコフは、あまりに率直で、あまりに魔術的であると感じます。

 

今回はアメリカ文学とカテゴライズしますが、亡命作家であり、ロシア作家であるナボコフの代表作であり問題作。
未読の方はぜひ一読ください。

では。

 

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