RIYO BOOKS

RIYO BOOKS

主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『椿姫』デュマ・フィス 感想

f:id:riyo0806:20211023000709p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

その花を愛するゆえに〝椿姫〟と呼ばれる、貴婦人のように上品な、美貌の娼婦マルグリット・ゴーティエ。パリの社交界で、奔放な日々を送っていた彼女は、純情多感な青年アルマンによって、真実の愛に目覚め、純粋でひたむきな恋の悦びを知るが、彼を真に愛する道は別れることだと悟ってもとの生活に戻る……。ヴェルディ作曲の歌劇としても知られる恋愛小説の傑作である。

アレクサンドル・デュマ・フィス(1824-1895)は、私生児として生を受けました。父はアレクサンドル・デュマ・ペール。『三銃士』『モンテ・クリスト伯』『王妃マルゴ』などを執筆した文豪です。この通称「大デュマ」とされる父は、将軍の息子として生まれます。

奴隷の子から成り上がったこの将軍は、ナポレオン・ボナパルトと共に遠征するほどに活躍しましたが、ナポレオンの遠征を批判したために関係が悪化。遠征先からフランスへ帰国させられます。関係回復が見込めない中で文豪大デュマは生まれました。貧しいわけではありませんでしたが、将軍は散財し、財産を殆ど残すことなく大デュマが四歳のときに亡くなります。苦しい学生生活を経たのち、大デュマは上流階級の人脈により、後のフランス王ルイ=フィリップ一世の秘書として収まることになりました。生活が安定してきたころ、下着の縫製業を営む女性を誘い、子供を産ませます。これが「小デュマ」こと、デュマ・フィスです。私生児は彼だけでなく、数人いたと言われます。

元々、大デュマは劇作家を目指しており、その活動は大変に熱心で多数の戯曲や散文を生み出します。当時はシェイクスピアを中心としたイギリス演劇が主に演じられていましたが、若い世代でロマン派の動きが見え始めたころでした。大デュマはこの風潮に属し、ロマン主義演劇作家のひとりとなり、傑作を生み出していきます。

 

デュマ・フィスは七歳のときに大デュマに認知され、金銭面での援助を存分に受けて満足な教育を受けることとなります。しかし家庭的な愛には恵まれず、母と引き離されて育ち、徐々に心が擦れていきます。父の援助金を遊びに遣い、大デュマを思わせるような放蕩ぶりを見せます。ここには、家族愛の欠如だけではなく、それによる社会の偏見、生きづらさなどが含まれていました。浪費する額が存分にあったため、クルチザンヌ(高級娼婦)とも交遊が始まります。そして出逢ったひとり、マリー・デュプレシと恋に落ちます。彼女こそ本作『椿姫』のヒロインであるマルグリットのモデルとなっています。

 

さて、この物語は事実あったことで、登場人物も、女主人公のほかはみんな、今なお生存しているということを、まず読者諸君に信じていただきたいと思う。

冒頭にこの社会が事実であったことを強調されています。しかし実際はノンフィクションではありません。中心となる貴族の息子のモデルには父親はありませんでしたし、デュプレシはクルチザンヌの生業から抜け出すことはありませんでした。

デュプレシの生い立ちは貧しく、行商人の娘として幼い頃より春を売ることを強要されました。彼女は大変美しい外見を持っていたために、話題にされ名が広まっていきます。やがて貴族の耳にも入り、その美貌で魅了して囲われ始めます。そこで読書やマナーを躾けられ社交界デビューしました。ここからクルチザンヌとして生きていきます。

彼女は日々、劇場へと足を運びます。劇場は当時、出逢いの場、或いは密会の場として使われていました。桟敷に着くと、腰を据えてお客の訪問を待ちます。彼女が求めている時、桟敷に「白い椿」を飾っていました。営業中の知らせとして、そしてそうでない時は「赤い椿」を飾ります。月に約五日間は赤い椿が飾られ、ただ出逢いだけを求めていることを知らせていました。

クルチザンヌだけでなく、フランス全体の国民病として肺結核が猛威を奮っていました。デュプレシも例に漏れず、肺を病んでいました。しかし安静にすることはさほどなく、苦しみながらもそれを見せず、死の間際まで白い椿を飾り続けました。享年は二十三歳でした。

 

彼女に魅了された後世に名を残す偉人はデュマ・フィスだけではありません。「リゴレット」「アイーダ」などを代表作とする偉大なオペラ王、ジュゼッペ・ヴェルディです。そして彼はデュマ・フィスの小説を元にして書いた戯曲を、美しいオペラ「椿姫」として作り上げます。今なお愛され続ける傑作です。小説に比べて愛の物語の色が強く普遍性を持っていることが、全世界で受け入れられ続ける理由のひとつとして考えられます。

 

デュマ・フィスの『椿姫』は強く社会を写実的に描いています。描かれる苦悩をより多く感じさせられます。『椿姫』は貴族の息子とクルチザンヌによる愛の物語です。しかし、背景にある「社会悪」「道徳」「正義」を物語に乗せて、社会に訴えるように描かれています。何よりも「父権制社会」の苦悩は、角度を様々に変えて非難しています。自らの生い立ちである私生児が抱く苦悩、女性の社会的立場に対する苦悩、貧困が奪う夢に対する苦悩など。貴族社会と同義的に感じられる点も、必ず「父権制」が滲むように描写されています。社会そのものを出来る限り作品に閉じ込め、これを悲劇で締め括ることによって、社会そのものへの批判、つまり父権制社会への糾弾として描きました。

 

あなたはアルマンを愛していてくださる。それならばそれで、その証拠を伜に見せてやっていただきたい。その証拠を見せる方法は、まだ一つだけあなたに残されている。それは伜の将来のために、あなたの恋を犠牲にすることです。今までのところべつになんの不幸も起こってはいないが、しかしいずれは起こるようなことになる。しかもそれは、わたしの予想するよりもさらに大きな不幸であるかもしれん。

貴族の息子であるアルマン、その父親がマルグリットへ優しく説く場面での台詞です。恐らくこの父親は大変寛大で心根の優しい実直な人柄であると受け取ることができます。しかし、その会話の中で「当然とされる社会の風潮」は非常に父権性を帯びています。一度蔑視されたものは、二度と清らかな存在となり得ない。どのように心を入れ替え、行動を慎んだとしても、世間に根付いた価値が覆ることはない。あなたは生涯クルチザンヌなのだ、ということをとても優しく諭し、またマリエットも感謝して受け入れます。物語を追って得る感動は、読み終えると苦悩と切なさに変わります。

語り手は、清新に昇華した女性としてマルグリットに敬意を払います。しかし、それが亡くなってから、もとい亡くなったからこそ払うことができる敬意というものは物悲しく感じさせられます。

 

マルグリットの心、生き方を変えたのは「初めて触れた真心」でした。純粋な優しい心に幼少期から触れることができていれば、クルチザンヌとして生きることはなかったのかもしれません。

 

美しくも切ない愛の物語。非常に読みやすく、時代背景を感じやすい文体となっています。

未読の方はぜひ。

では。

 

『アメリカの鱒釣り』リチャード・ブローティガン 感想

f:id:riyo0806:20211010151828p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

ビート・ジェネレーションの代表的な作家として本国でもヒッピーたちに祭り上げられたリチャード・ブローティガン。彼が世に放った話題作、それを革命的な翻訳で原文以上の魅力を日本に伝えたとされる藤本和子訳『アメリカの鱒釣り』です。

二つの墓地のあいだを、墓場クリークが流れていた。いい鱒がたくさんいて、夏の日の葬送行列のようにゆるやかに流れていた。ーー涼やかで苦みのある笑いと、神話めいた深い静けさ。街に、自然に、そして歴史のただなかに、失われた〈アメリカの鱒釣り〉の姿を探す47の物語。大仰さを一切遠ざけた軽やかなことばで、まったく新しいアメリカ文学を打ちたてたブローティガンの最高傑作。

 

1960年代後半のアメリカ。西欧文化の伝統として受け継がれてきた厳格な性の在り方に反発し、自由恋愛や同性愛などを主張する「性の解放」や、第二次世界大戦争を経た事による「反暴力」、新たな精神状態の開拓や創造性構築を目的とした「ドラッグの合法化」などを思想として掲げるビート・カルチャーが巻き起こります。

文学においても同様に「政治的主張」「ロマン主義」「個人主義」などを軸に表現し、ビート・カルチャーと並走するような主張の作家が生まれます。このような文学活動をビート・ジェネレーションと呼び、ブローティガンも代表的な作家として含まれます。

 

このムーヴメントを担う若者たちをヒッピーと呼び、その溢れるエネルギーでカウンター・カルチャーの文化的影響力さえも強めてしまうこととなります。文学をはじめ、演劇、美術、音楽など、メイン・カルチャーにさえビート・カルチャーの要素が強まり、時代の波そのものをヒッピーが揺れ動かしているかのようでした。特に「音楽」はサイケデリック・ロックというジャンルを明確に確立し、Grateful Deadなど、現在でも文化に影響を与え続けるグループを生み出し、野外フェスなどを根付かせました。またヒッピーたちはコミューンという集団を形成し、活動を活性化させるだけでなく、ドラッグの流通を円滑にし、同志を次々と吸収して実社会における「ユートピア」を目指すこととなります。

 

そんな中、1967年のマスメディアによる「ヒッピー特集」により、活性地区であったサンフランシスコ「ヘイト・アシュベリー」に膨大な人々が詰め寄せ、パニックとなってしまいました。そこに集まった人々は、各個人が描く「ユートピア」を求めました。「ラブ・アンド・ピース」こそ世に認められましたが、ドラッグの乱用や道徳を欠いた性は受け入れられず、その場での活動は終息していきました。

しかしながら、「性の解放」「ドラッグの自由」「個人主義」を求め、アシュベリー地区から溢れた若者は、ホームレスやドラッグの売人となり鬱屈したエネルギーが溢れはじめます。それに伴い、性犯罪、暴力事件、強盗などが横行して「ヒッピー」が掲げた思想の真逆の行動を取る事になりました。

その結果、ボヘミアニズムの本来的な「個人の意思を尊重し、平和哲学を生活の主体とし、自由奔放である」という意味は薄まり、「定職が無く、性に杜撰なアルコールやドラッグの中毒者」という意味で広まることとなります。

 

本作『アメリカの鱒釣り』がヒッピーたちに支持された点は、「作風の自由さ」と「個人主義」にあると言えます。自由な創造性が生み出す飛躍しすぎた比喩や、定着性の無い物語は読者をサイケデリックな世界へと導きます。そして自由に綴られる文章は読解を主とするものではなく、芸術性を重視したものであり、また軽やかな速度で読むことができます。細かな断章で構成された本作は、自伝的要素を感じさせながらも比喩が突出され、描かれる世界を掴みきれません。また、夢を描くヒッピーのような社会的弱者が描かれて切なさを感じさせるかと思うと、シニックな笑いで締め括ったりと、変幻自在に読み手の感情を振り回します。

 

翻訳した藤本和子さんは、この作品に限らず日本にブローティガン文学を浸透させた功労者です。学生時代は演劇の看板女優で、津野海太郎さんと共に六月劇場の前身である独立劇場を立ち上げます。そして劇団黒テントの前身である演劇センター68の創設に携わったデイヴィッド・グッドマン氏と結婚します。このように公私共にアングラ演劇に身を置いた彼女は、晶文社に勤めていた津野さんにビート・ジェネレーションの翻訳を依頼されます。日本でもアングラ演劇を筆頭にカウンター・カルチャーが隆盛していた時期で、世間へインパクトを与える「斬新な翻訳」を狙い、翻訳者として素人同然の藤本さんへ依頼されたのでした。

 

彼女は翻訳業こそ素人でしたが、エクソフォニー(母語から抜け出した状態)な生活環境にあった為、何度も作家であるブローティガン本人と会話をし、作品を理解していきます。これは、当時の日本における翻訳作業では珍しいことで、生の声を聞きながら作り上げていくことで、原文の持つ文体や含みなどを、リズムやニュアンスをそのままに日本の読者へ伝えることができました。また、翻訳においてもう一つ革新的な事は「口語訳」というものを構築し、元々含まれていた軽妙さを崩すことなく読み進むことができる翻訳の手法を編み出しました。

 

この「アングラ演劇」「エクソフォニー」という特質がバックグラウンドとなり、アメリカで生まれたビート・ジェネレーション文学が日本でも根付き、本国以上に読まれ続け、後世の作家にまで影響を与えることとなりました。しかし、本国アメリカでは一時のブームを巻き起こした作家という印象を持たれています。

かれの言語構造の意図的な平易さ、ポストモダン以前の、文学はどうあらねばならないかという権威的といってもいいような基準に対する抵抗あるいは批判が作品の底流になっていること(それがやがては、かれを「二流作家」と呼ばれる場所へ追いこんだのだが)、現実を全体的総括的に描くことはできない、書かれたことばは現実のかけらにすぎないという確信などが、とてもはっきりしていること。シェヌティエは「ブローティガンの美学は不連続性のそれである」と書いている。

フランスの構造主義の評論家マルク・シェヌティエの評論に感激したブローティガンの様子を含め、藤本さんはあとがきでこのように書いています。

 

また柴田元幸さんが解説で次のように述べています。

いま『アメリカの鱒釣り』を読み直して、かつて以上に感じられるのは、アル中や失業者といった敗残者たちに対するブローティガンの優しい視線である。

自身がビート・ジェネレーションと呼ばれることを好んでいなかったブローティガン。しかしながら、霧散してしまった「ユートピア」の幻と共に落伍してしまったヒッピーたちへの賛歌として、1967年10月にこの作品を世に出したのではないかと、そう思います。

 

読解は困難ですが、軽妙な文体は読み進みやすく、当時のカウンター・カルチャー色を感じ取ることができる作品です。

未読の方は、ぜひ読んでみてください。

では。

 

『光のない。』エルフリーデ・イェリネク 感想

f:id:riyo0806:20211004000215p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

2011年3月11日、太平洋沖地震は大津波を生みました。日本の東北地方を飲み込むほどの巨大さで、あらゆる人やあらゆる物を攫いました。しかし、災害は止まらず、福島第一原子力発電所の事故を引き起こします。決して忘れてはならない東日本大震災ノーベル文学賞受賞作家であるエルフリーデ・イェリネクは嘆き悲しむと共に、世に伝え、そして問うべく執筆した作品が『光のない。』です。

ノーベル文学賞作家が、ポスト3.11の世界に捧げるレクイエム!東日本大震災とそれにつづく原発事故をうけて書き下ろされた表題作のほか、「レニヒッツ(皆殺しの天使)」「雲。家。」などを収録したワールドプレミア・エディション。

 

エルフリーデ・イェリネクは現代のドイツ語作家として代表的な人物です。大変裕福な家庭に生まれたイェリネクは、ギムナジウム時代(ヨーロッパ中等教育機関、日本の中高一貫)よりウィーン市立音楽院にて学び、オルガンを中心に才能を発揮します。その後、ウィーン大学で演劇および演劇学を専攻し、在学中に詩集を出版します。作家として活動するために大学を中途退学しますが、一方で、音楽での才能は開花し、オルガン奏者の国家試験に合格し世間に注目されます。

イェリネクは詩、小説、戯曲など、表現技法はさまざまながら、社会に向けた政治的著作品を生み出し続けています。自国であるオーストリアの因習性を糾弾するような作品が多く、そして性描写が過激なことから、自国民から「ポルノ作家」と揶揄されることが多くあります。しかし、世界的な男女差別の撤廃が色濃くなるにつれ支持者が増え、オーストリアの父権性社会が見直される機会が増えています。

 

イェリネクは2004年に 「その小説と劇作における音楽的な声と対声によって、社会の不条理と抑圧を並はずれた言葉への情熱を持って描き出した」として、ノーベル文学賞を受賞しました。彼女が書く戯曲は「演劇の素材」とも言えるほど細かい設定が無く、純粋に語る台詞のみで構成されているものが多く存在します。これを「音楽的作風」と解釈することがあります。彼女の描く作品は音楽のように直接的に脳内へ入ってきます。或いは心に響いてきます。これは心地好いという訳では無く、苦しさや切なさがより直接的に、より強く伝わり、心を激しく揺さぶります。

しかし、この受賞は問題を引き起こしました。2005年、ノーベル文学賞選考を務めるスウェーデン・アカデミーのクヌット・アーンルンドは、イェリネクの作品を「不愉快なポルノグラフィ」「芸術的な構築を放棄した文章の山」と吐き捨て、ノーベル文学賞授賞に抗議する形でアカデミーを退会します。アーンルンドは1996年からずっと選考活動はしていませんでしたが、イェリネクを選出したことがノーベル文学賞の価値に「回復不能な損害」をもたらしたと主張しています。

政治的著作は、社会が受け入れにくいものです。個人の思想がさまざまであり、価値観がさまざまである以上、個人の集合体である社会は一層に統一思想を持つことが困難であり、社会の代表者もまた個人であるため、薄く綺麗で偏った標語ばかりが並ぶことになります。しかし、その中に隠れている「社会の全面性」を、片方だけではなく「両面の声」を、一つの演劇に音楽性を持って表現する描写力こそイェリネクの特徴であり個性と言えます。

 

今回の作品『光のない。』は、「3.11」における「社会両面の声」を描き、世に問う作品です。本編はAとBの対話で進められます。Aは第一ヴァイオリン奏者、Bは第二ヴァイオリン奏者と説明されます。ドイツ語の慣用句で、第一ヴァイオリン(主旋律/指導者)・第二ヴァイオリン(伴奏/従属者)という表現があります。

わたしには楽譜さえ見える、わたしは第二ヴァイオリン、あなたは第一ヴァイオリン、だがわたしたちは演奏していないのだろうか。あらゆるものが目に見えない、わたしもなにも見えないから。すでにすべてが消え去った。

「電子」「照射」「電磁波」「器官」など、災害を連想させる語句が散りばめられ、また、原題「Kein Licht」から判断すると「光がない」となり、これも希望を失った、または視界を失ったという印象を与えられます。そして届かない声は、原因側への被害者の声、災害で離れてしまった愛し合う者同士の声、救助に駆けつけた者の声、身体を失った魂たちの声、受け手により変化して心に入り込みます。

種々の機関は、対応や管理を糾弾されました。しかし、イェリネクは「エネルギーを必要としていたのは誰か、そして何故か」から問い、双方の声を2人のヴァイオリン奏者が演奏するように語ります。そして最後に読者へ問いかけます。

判決がほしい。あなたたちの判決がほしい!

「もっと光を!」と求めた「あなた」の事だと語りかけ、答えを考えさせられます。

 

日本のロックバンドAcid Black Cherryのヴォーカルyasuは「3.11」で、最も悩み、悲しみ、苦しみ、考え、行動した一人です。その苦しみは身体にも及び、歌うことさえ困難になりました。考え抜いて出した答えは「自分にできる音楽」で伝えていくことでした。

聞こえてる?
君の名を呼ぶ僕の声
君がいない、あの日から・・・
ずっと ずっと さがしてる
指切りしたじゃないか
「星空をまた見に行こう」って
ねぇ 君は今どこにいるの?
ただ思う事は一つだけ
君に逢いたい
月夜の静けさ 君をただ想う

君がいない、あの日から・・・

悲しみ、彷徨い、受け止めることが出来ない心は一つの答えに辿り着きます。

傷みに慣れるのではなく
大事なのは、その傷を忘れないこと

Shangri-la

悲劇を忘れずに心に留め、前を向いて歩く困難さは、人間の意志に委ねられます。出した答えの道はただ耐えるだけではなく、想い続ける強い心が必要です。

見失った「光」を新たに灯すのは「あなた」、つまり自分自身であり、苦しくとも受け止めて乗り越えることが、今を生きている我々に最も必要なことであると思います。

 

災害により生命を失った方々へ、ご冥福をお祈りします。

 

改めて深く考えるべきことを考えさせてくれる作品です。未読の方はぜひ。

では。

 

『夜歩く』ジョン・ディクスン・カー 感想

f:id:riyo0806:20210925163637p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

「密室派の総帥」「密室の王者」などの異名を持つ偉大な推理小説家ジョン・ディクスン・カー(1906-1977)。そのデビュー作である『夜歩く』です。

パリの予審判事アンリ・バンコランは、剣の名手と名高いサリニー侯爵の依頼をうけ、彼と新妻をつけねらう人物から護るために深夜のナイトクラブを訪れる。だが、バンコランと刑事が出入口を見張るカード室で、公爵は首を切断されていた。怪奇趣味、不可能犯罪、そして密室。カーの著作を彩る魅惑の要素が全て詰まった、探偵小説黄金期の本格派を代表する巨匠の華々しい出発点。

 

1929年、アメリカ合衆国での株価大暴落が起因となり、ヨーロッパ全土にまで不況を広めた「世界恐慌」。ドイツでは第一次世界大戦争における敗北から国を復興させようと、アドルフ・ヒトラーが「反ユダヤ主義」を掲げ国家をまとめあげていました。そしてフランス第三共和制は、国内における極右組織(クロア・ド・フー、アクション・フランセーズなど)により、内紛が徐々に激しくなっていく最中でした。このようにフランスは、ドイツを筆頭とする国外と、極右組織による国内の、両面から危機を挟む格好となっていました。

 

この時代の花の都では、ハンガリーの写真家ブラッサイが「夜のパリ」で残したような、煌びやかで耽美的な情景と、種々の煙が香る狂気性とが合わさった独特な世界が、酒と共に人を酔わせます。世情の不安から逃れるように都へ訪れる男女は、恐れながらも人との交わりを求めます。本作の事件は甘美溢れる退廃的なナイトクラブの一室で起こります。

 

この物語における探偵役である予審判事アンリ・バンコラン。どこまでも丁寧な口調と紳士的な物腰でありながら、仕草や行動、或いは思考からは陰鬱さが醸し出され、冷たい笑みからはシニックな人物像をより膨らませます。

『夜歩く』(原題:It Walks by Night)は劇中に登場する人狼から創造したタイトルで、猟奇的恐怖を連想させる一方、煌びやかな大人の散歩をも想像させます。そして、その双方の印象を見事に盛り込んだ作品と言えます。

 

登場人物たちは実人間的な思考に基づいて行動します。死体を発見した際、「密室だったのか」「加害者は誰か」という思考に及ぶのではなく、「死体の放つ悍ましさ」に恐怖したり、「被害者に対して同情」する心が芽生えたりと、丁寧に描写されています。そしてバンコランの促しにより、密室の不可能犯罪という姿が浮かびあがって推理が始まっていきます。

また、この作品の魅力の一つとして外すことが出来ない要素は「密室トリックではない方のトリック」が挙げられます。心情、感情、愛情、人の心が純粋な狂気へ変わり、悍ましい行動を取ったが故に出来上がったこのトリックは、読者を驚愕させます。また、これらを伝える筆致も見事で、物語の初めから最後まで心が落ち着かず安堵ができない「鈍い恐怖及び狂気」を帯びている作品に仕上がっています。

 

このアンリ・バンコランシリーズはカーの初期作品群に該当します。その内容の陰鬱さやバンコランのシニックな性格が原因となり、発表当時はあまり支持されませんでした。しかし、彼が生涯作品に込め続けた「陰鬱な怪奇性」を、耽美的で退廃的な「夜のパリ」のように描き出し、最も強く感じることができるシリーズでもあります。

後期の代表作とされるギデオン・フェル博士シリーズ、ヘンリー・メリヴェール卿シリーズでは「怪奇性」が薄らぎ、「怨恨」が前面に出されるようになります。また「怪奇性」自体が物語の装飾的存在となり、トリックやプロットに意識を深めていきます。フェル博士シリーズの『三つの棺』という作品で説かれる「密室講義」では、物語の中を出てカーの声として、古典ミステリーの分類や解説が語られます。これが「密室派の総帥」と言われる所以でもあります。

 

本作『夜歩く』の特徴的な要素として、ロマンティシズムとエロティシズムが混ざり合った「空気の重さ」が挙げられます。登場人物たちの心理は猟奇性に恐怖するだけでなく、退廃的な世情に流され、目の前の快楽に貪欲であると共に、自身の愛に盲目となり理性を失った行動を起こします。だからこそ、シニックとも言える冷淡さを帯びたアンリ・バンコランが一際に異彩を放ち、圧倒的な存在感を誇っています。一介の「謎解き屋」ではなく、物語そのものを制御する「指揮者」のように感じさせられます。

そうだよ。同じ人間さ。今回の人殺しはまったく血も涙もないやつだ。こういう所業を勧善懲悪の正当行為だと固く信じこんでいるんだよ。犯罪というものはね、世間なみでは表現しきれないほど深い恨みを、世に叩きつけるための方便だからね。

バンコランの放つ言葉には、冷たさや力強さが目立ちますが、その奥には確実な正義が存在しています。

 

カーの華々しい作家人生の幕開けである本作。ミステリーを好む方で未読の方は特に読んでいただきたいです。

では。

 

『あの大鴉、さえも』竹内銃一郎 感想

f:id:riyo0806:20210919135502p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

f:id:riyo0806:20210920000559j:plain

劇団「秘法零番館」や、佐野史郎との演劇ユニット「JIS企画」、そして最後の演劇団体とする「キノG-7」と活躍を続ける傍ら、後進の育成にも力を注ぐ劇作家の竹内銃一郎。彼の代表作のひとつ、岸田國士戯曲賞受賞作品『あの大鴉、さえも』です。

マルセル・デュシャンの「大ガラス」、ポーの詩集「大がらす」の二つをテコに、不条理な世界のなかへあえて踏み込んでいく三人の男の心情を、秘法零番館旗揚げへの思いと重ね合わせて描く竹内銃一郎の代表作(岸田戯曲賞受賞作)。他に、「劇薬」を収めた。

 

1960年代に激化した学生運動をはじめとする安保闘争は、国政により鎮静化させられ、学生達の怒りと主張は圧死させられました。この闘争の熱は徐々に下火となり、世間感情の正常化が図られたかに見えました。しかし、実際的には半投げやりな感情と、半絶望的な感情が入り混じり、「しらけ世代」とも言われる若者達を生み出す事になりました。無気力・無関心・無責任、この「三無主義」の世代は、経済苦とも合わさり、活力のない鬱屈した行動が散見されたと言います。

 

しらけ世代」を助長させた無力感は、若者達の向上心や使命感を削いでいきます。しかし、本能的な情欲、金銭欲、名誉欲は高まり、そして満たされない負の感情が溢れます。この満たしたい気持ちとそれを叶えるための行動を、「世間が与えた無力感」という大義名分のような言い訳を盾にして、自ら行動を起こしません。そしてその何も得られない結果を「不条理性」に置き換え、社会に責任を着せて不満を募らせます。登場する三人の独身者はこのような「しらけ世代」の属性を帯びています。

 

この作品には、デュシャンの「大ガラス」、ポオの「大鴉」、ベケットの「ゴドーを待ちながら」、これらの持つ不条理性や情欲が盛り込まれています。

 

要素:「大ガラス」

「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」

f:id:riyo0806:20210919145634j:image

通称「大ガラス」と呼ばれるこの作品は、男と女という原理的存在の欲望によって動く器官(装置)を表現したもので、人間の持つ根源的な観念である性の欲望をエロティックに表現しています。

この作品は二面で構成され、上部が「花嫁」、下部が「独身者」と分けられています。デュシャンにとって女性は聖なる存在であるため、男性よりも上部に設けられています。

聖なる花嫁は下部の男性独身者の欲望を刺激し、独身者はチョコレート摩砕機を始めとする器官を動かしてそれを吸い上げます。雲のような花嫁の欲望は独身者たちの情欲によって巻き取られ裸にされます。しかし、花嫁と独身者は交わりながらも隔離されています。

この作品そのものが装置であり、性欲の中に「聖性」と「不条理」が混在していることを感じることができます。デュシャンは「独身者の装置」という観念を、遺作に至るまでこのテーマを追い続けました。

 

要素:「大鴉」

この詩はポオを偉大な詩人として決定づけることになった作品で、死の四年前に執筆されました。信仰心の強い語り手が苦悩混じりに吐き出す言葉に、大鴉は「nevermore」と繰り返し答えます。

この大鴉が恐怖や悲しみを司る「非理性的存在」であるのに対し、語り手はギリシア女神の信奉者で「理性的存在」と言えます。大鴉が部屋に侵入し、「nevermore」の返答を繰り返すことで、語り手の理性が構築している秩序に保たれた世界が崩壊していきます。この不条理な結末へ導くように「nevermore」と答え続けます。

 

要素:「ゴドーを待ちながら

どこから来てどこに向かうのか、何のために、なぜ待つのか。何を待つのか。目的や手段、それどころか存在意義さえ疑いを抱いてしまう「ただ待つ者たち」の不条理演劇です。

本作では独身者三人がガラスを素手で運んでいますが、目的地はハッキリせず、届け先と思われる場所の入口は開かないなど、『ゴドーを待ちながら』を思い描かされる(劇中でもオマージュされる)演劇となっています。

 

フラットな演劇

背景に多くの要素、もっと言えば「陰鬱さ」とも言える要素を含んでいながら、劇中は軽妙で笑いさえ随所に散りばめられています。岸田國士戯曲賞を受賞した要因とも言える、ガラスを運ぶ「体(てい)」で三人の独身者が芝居をする演劇的な愉快さはもちろん、五百円で大喧嘩に発展する滑稽さや、自身の嗜好に執着する人間らしさ、コメディかとも思えるほどの息のあった三人の短い台詞の掛け合いなど、つい物語の本筋を忘れ、おかしなやり取りに笑ってしまいます。

しかし、経済苦であった当時の貧民層の抱いた世間に対する苦しさや、耽美的とも言える三条はるみ(ルミ)を塀の外から覗くデュシャンの「大ガラス」的な描写は、気付いた途端に脳内を電気が走ります。そして何より、最後の三人の独身者が短い台詞で掛け合うシーンはポオの詩のような音楽性が存在して、一気に最後まで意識を走り抜けさせます。

 

この作品について、竹内銃一郎さんは以下のように述べています。

M・デシャンの通称「大ガラス」を作品に取り込もうと思ったのは、物語化を可能にするための苦肉の策だった。パリのポンピドー・センターで、「デシャンの部屋」を見たのは、多分、この作品を発表した10数年後だ。P・センターの一画にあるその部屋に入ると、彼の幾つかの作品(オブジェ)が紐に吊られて宙に浮いていて、そのあまりの<軽さ>にわたしは感動し、「これでしょ」と思ったのだった。押しつけがましさがまるでない。わたしもこんな作品を作りたい、と。

竹内銃一郎のキノG語録

 

背景に含んだ多くの重いテーマ性を、実に軽妙な筆致で描ききった本作は、観る側に自由さえ感じさせる「軽快さ」を備えた演劇作品として仕上げられています。
非常に読みやすく、そして楽しく読むことが出来る作品です。

未読の方はぜひ。

では。

 

takeuchijuichiro.com

riyoriyo.hatenablog.com

「グラース・サーガ」J・D・サリンジャー 感想

f:id:riyo0806:20211107190139j:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品群です。

 

ニューヨークに生まれたユダヤ人作家ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(1919-2010)が『ライ麦畑でつかまえて』の後に世に放った、連作短中篇で描く物語「グラース・サーガ」と呼ばれる作品群です。(以下表記はグラースで統一)

 

サリンジャーの父はユダヤ人、母はスコッチ・アイリッシュという家系で生まれ、父の食肉貿易で裕福な暮らしに恵まれていました。1939年にはコロンビア大学にて非正規の聴講生として授業を受ける傍ら、執筆に専念して雑誌掲載されるにいたります。

文壇の道を歩み始めた彼は社交界で人脈を拡げ、作家として活動を本格化していきます。そして1941年、ノーベル文学賞を受賞した劇作家ジェームズ・オニールの娘であるウーナ・オニールと出逢い、恋に落ちます。サリンジャーは夢中になり、軍に入ってからも文通を続け関係を続けます。しかし1943年、ウーナ・オニールはチャールズ・チャップリンと結婚し、唐突に関係を一方的に断ち切ります。

 

サリンジャーの心は失意の底にありましたが、駐屯地での軍務訓練は継続され、ついに1944年、ノルマンディー上陸作戦に駆り出されます。このドイツに占領された北西ヨーロッパ奪還を目的とした正式名「ネプチューン作戦」は激しい前線となり、志願したとは言え、想像以上の凄惨さを味わうことになりました。

ドイツが降伏し、実質的に戦争が終局を迎えた際、サリンジャーは神経衰弱でニュルンベルクの病院で療養します。ここで出逢ったドイツ人女性医師と結婚することになります。

 

療養し帰国すると1951年に『ライ麦畑でつかまえて』を発表し、賛否両論を巻き起こしながら大ヒットを記録します。そして1953年、過去の発表作品を中心に自選短篇集『ナイン・ストーリーズ』を出版。この中の『バナナフィッシュにうってつけの日』を皮切りに「グラース・サーガ」を執筆していくライフワークが始まります。

 

グラース・サーガ

『バナナフィッシュにうってつけの日
コネティカットのひょこひょこおじさん
『小舟のほとりで』
『フラニー』
『ゾーイー』
『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』
シーモア ー序章ー』
『ハプワース16、一九二四』

 

長兄シーモアの自殺により幕を開ける「グラース・サーガ」は、シーモアを含む9人の家族それぞれの視点や角度で描かれます。時系列が前後し、各小篇が少しずつ重要な要素を含み、読み進めることによって蓄積する抽象的な印象が徐々に輪郭を捉えるようになり、やがて自殺に至ったシーモアの思考や思想に「触れる」ことができるように描写されています。

この「触れる」という意味は、全てのテクストを読んでも、シーモアの明確な動機が描かれていないため、解釈は各々で汲み取るよりほかありません。汲み取る時に背景として理解しておきたい要素がいくつかあります。

 

シーモアの自殺が描かれる『バナナフィッシュにうってつけの日』を一見すると、戦争の前線を経験し、神経が衰弱したシーモアが、帰国しても社会に馴染むことができず、不意の不快感から絶望にまで精神が揺らぎ、命を絶つ物語と受け取ることができます。

しかし、以後の小品で語られるシーモアの過去(幼少期から天才として有名になってしまった息苦しさやプレッシャー)や、シーモアの思想(禅や仏教による教え)、シーモアが確信している「輪廻転生」、そしてシーモアの愛(ミュリエルに対する)を含めて読み直すと、全く違う動機が浮かび上がります。

 

『ハプワース16、一九二四』では、七歳のシーモアが、ベシーとレス(母と父)へ現世の義務についてこのように記述しています。

ぼくらが現世の、興味ある、滑稽な肉体をもってわれわれの機会と義務を全うするまでは、そこかしこでの、いくらかの痛みを経験するのをやめる方法はないんだ。

また、将来におけるシーモア自身についての予言も記しています。

ぼく個人は少なくとも手入れの行き届いた電信柱ぐらい、つまり三十年も生きることになるだろう。これは別に笑いの種になることじゃないよ。あなたの息子バディはもっと長生きするから、大いに喜んでほしい。

 

また、ミュリエルへの愛は『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』のシーモアの日記の随所から読み取ることができます。

今日は一晩じゅう、とても堪えられないほどに幸福であった。みんなで居間に坐っていたとき、ミュリエルと彼女の母との間の親愛感を、ぼくはとても美しいと思って感動した。

 

真言密教に「入定」という修行があります。精神統一を図り「無我の境地」にたどり着くための瞑想のことを言います。高野山奥之院にて、今なお弘法大師空海が生き続けていると信仰されています。そして永遠の中での祈りは、世の救いを求める祈りへ届き、人々を救うとされています。

シーモアもこのような瞑想を常日頃から行っていました。しかし、この永遠の瞑想は「即身仏」を経て永遠の覚りにいたることであり、またシーモア自身もこの境地に向かおうとしたのではないかと考えられます。だからこそ、『バナナフィッシュにうってつけの日』の自殺の描写に「迷い」や「躊躇い」がなかったのではないのでしょうか。更に、輪廻転生という考え方が後押しし、現世における自分の大切な者達の幸せを祈って自殺したようにも考えられます。

 

解釈が多種多様にあるこれらの作品群「グラース・サーガ」。サリンジャーの死後、大量の未発表原稿を、遺族の方々が出版する準備を進めています。彼の思想に、また触れられることを期待しています。

少し読解が困難な描写も多くありますが、通して読むと理解しやすいかと思います。

未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『明るい部屋 写真についての覚書』ロラン・バルト 感想

f:id:riyo0806:20210911225958p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

フランスの哲学者であり記号学者、そしてポスト構造主義として理論を進化させ続け、ミシェル・フーコーに多大な影響を与えた探求者ロラン・バルトの「写真」について論考した『明るい部屋』です。

本書は、現象学的な方法によって、写真の本質・ノエマ(《それはかつてあった》)を明証しようとした写真論である。細部=プンクトゥムを注視しつつ、写真の核心に迫ってゆくバルトの追究にはまことにスリリングなものがある。

 

ロラン・バルト(1915-1980)は、主にジャン=ポール・サルトルの影響を受けた哲学者で、プロテスタントでした。また、彼の哲学や文体にはロマネスクが含まれており、修道院美術を感じさせる聖性や真摯さがあらわれています。

バルトは「文学」を愛しました。『文学の記号学』という講義からも伝わるように、哲学から小説まで深く探求します。物語を出版することはありませんでしたが、論考からは書こうとする欲を垣間見ることができます。

彼が愛したもう一つの芸術は「音楽」です。二十台の頃、フランスを中心に活動したスイス人バリトン歌手のシャルル・パンゼラに師事し、日々ピアノを弾き続けるほどでした。

私は間違いなしには何ひとつ決して弾けないことになる。その理由は明らかに、私が今すぐ音の享楽を欲して、退屈な修行を拒絶する、という点にある。なぜなら修行は享楽をさまたげるからだ。

あくまで自己の芸術愛に純粋であろうとする素直さが、より愛情を深めるということを教えてくれます。

 

その芸術探求者が「写真」という存在を論考する本書『明るい部屋』。これは一般的な「写真論」ではありません。「撮影の準備」や「ドラマチックに仕上げる撮影方法」などは一切書かれていません。「写真存在論」とも言える表象文化論です。写真には二つ概念が存在すると定義しています。「ストゥディウム」と「プンクトゥム」です。

 

「ストゥディウム」とは写真(被写体に限らず)から抱くことができる、見る者の道徳的・社会的・経験的に解釈できる概念。

プンクトゥム」とは写真に存在するストゥディウムを破壊する印象的概念。

 

1979年の中央アメリカで起こった、サンディーノ主義によるニカラグア革命時の一枚を、一例として引用させていただきます。

f:id:riyo0806:20210912000724j:image

サンディニスタ解放軍の兵士を捉えた写真です。兵士はひどく汚れ、貧しさが現れています。街路は道とも呼べないほどに砕かれ、全体に荒廃が漂う風景です。これが「ストゥディウム」です。

そして中央左寄りに通りかかる二人の修道女、これが写真の一般的概念を乱す概念「プンクトゥム」です。

 

ニカラグアは、世界遺産であるカトリックのレオン大聖堂をはじめ、教会が多く存在する国です。そして修道女は看護師として扱われ、道路を渡っていると考えられます。しかし、この事実の理解がある上で写真を見た場合、二人の修道女は「プンクトゥム」としてなり得ません。この知識がある人がこの写真を見た場合、一般的概念に修道女は含まれ、「ストゥディウム」を乱さないからです。

 

バルトは写真を「かつてあったもの」を告げると訴えます。このノエマ(写真の意識)は暴力的な事実性として見る者に突きつけます。この写真があらわす確実な現実性は、見る者の実存的想像を否定します。つまり、強制的に受け入れなければならない「かつてあったもの」を認識させられます。本書ではこの暴力的な強制認識を「狂気」と表現しています。そして、第7芸術と言われる映画等とは決定的に違い、「写真は芸術になり得ない」と定義しています。

映画は人為的に狂気をよそおい、狂気の文化的記号を提示することはできるが、その本性からして(その映像の本質規定からして)、決して狂気となることはない。

 

この論考の軸に「母親」が存在します。彼女を亡くしたバルトの深い悲しみと美しい愛が随所に滲みます。そして、この書そのものが彼女への鎮魂歌のように、美しく描かれていきます。

 

元来彼は、写真について論考を行なってきていましたが、彼女を失ってから喪に服す心情になれず、悲しみと共にアルバムを繰り続けていた中で、改めて考えるに至ります。それは、何枚繰っても彼女に出会えないからです。「かつてそこにあった」彼女を見ても、バルトの心が彼女であると認識出来ませんでした。それは彼が抱いていた「母親に対する印象性」の結果でした。ここで写真の持つ暴力的な強制認識に苦しみますが、ようやく「これだ!ここにあった!」という写真を見つけます。ある温室で撮られた少し輪郭がボヤけた写真でした。この写真に見られる母親の印象性が合致したのです。そしてプロテスタントであるはずの彼が、聖母のように母親を慕う様は、まさしく偶像崇拝であると見られ、信仰以上の愛として受け止められます。

 

この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。

ドイツ・ロマン派を代表する音楽家ロベルト・シューマン。「音楽新報」の編集者であり、文学にも精通していた彼とは、ロマネスクを帯びた音楽愛好家の哲学者バルトと共鳴する点は多く、救いの手を差し伸べられたようにも見受けられます。

どんな時代にも、親しい精神の間には秘かな結盟がある。到るところ、喜びと祝福を拡げつつ、芸術の真理の光をいよいよ明かならしめるために、この結盟の盟友は、ますます提携を堅くせよ。

『音楽と音楽家

 

時代を超えて、二人の精神が親交を深めているような夢想をしてしまいます。愛に溢れた写真の哲学、ぜひ読んでみてください。

では。

 

『ハムレット』ウィリアム・シェイクスピア 感想

f:id:riyo0806:20210905005729p:image

こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

十六世紀のイギリスで無一文から、俳優、国王一座専属作家、劇団株主、詩篇献呈の報奨金など、誰よりも演劇で成功した劇作家シェイクスピア。彼が書き上げた数多くある代表作品の一つ『ハムレット』です。

城に現われた父王の亡霊から、その死因が叔父と母の計略によるものであるという事実を告げられたデンマークの王子ハムレットは、固い復讐を誓う。道徳的で内向的な彼は、日夜狂気を装い懐疑の憂悶に悩みつつ、ついに復讐を遂げるが自らも毒刃に倒れるーー。恋人の変貌に狂死するオフィーリアとの悲恋を織りこみ、数々の名セリフを残したシェイクスピア悲劇の最高傑作である。

 

本国のイギリスをのぞいて、シェイクスピアが世間に受け入れられ、愛され続けている国は日本以外には無いと言われています。劇作家ピーター・ブルックはインタビューで「イギリスと日本は演劇に優れた国だ。これは寡黙で内向的な島国に住む者の性格によるものである。なぜなら、自己表現の手法として演劇が必要だからだ。」と述べており、シェイクスピア作品と日本の国民性に親和性があると伝えています。

また、演劇学者の河竹登志夫さんはシェイクスピアの作品性について、以下のように述べています。

たとえば『ハムレット』などは、何が主題なのか、シェークスピアがどんなつもりで書いたのか、とらえがたい。それだけにーーむろんドラマとしての内容構成、せりふ、人間描写すべての点で傑出しているからではあるがーー今日ますます千差万別に研究され、解釈され、演出されてもいるのだ。

『演劇概論』

 

シェイクスピア作品の魅力として「マルチボーカリティ」(多声性)が挙げられます。一人の登場人物の台詞や行動に「人間的な裏表」を持たせており、そこに単的な特徴や印象を持たせない「実際的な個性」を描写しています。これはシェイクスピアが持っていた「優れた人間観察力」が為せるものであり、彼が生み出した作品の登場人物たちが持つ魅力と言えます。英文学者の河合祥一郎さんはこのように語っています。

社会は人が正当に生きることを求めがちですが、ときに失敗したり、落ち込んだり、嫌みを言ったり、だらしなかったりと、基本的にダメな部分も持ち合わせているのも人間。シェイクスピアは、そうした人のネガティブな側面にも光を当てているのです。

『& Premium 72』

 

今作ハムレットも例に漏れず「ネガティブな側面」を存分に描いています。主人公であるハムレットの心の声とも言える独白は、絶えず「憂鬱性」を感じさせられます。この憂悶の発端は亡霊である父から明かされた「母の汚辱性」から始まります。

ハムレットが母に対して抱く嫌悪が、オフィーリアを含めて女性への激しい嘔吐となって噴出する。汚れなき母がハムレットの想像のなかで姦淫の汚辱にまみれて「娼婦」に転落する。その母からセクシュアリティを除いた上ではじめてハムレットは父の復讐を無事に遂行できるのかもしれない。

シェイクスピア・ハンドブック』

 

この「憂鬱性」は悲劇のヒロインであるオフィーリアと対照的に描かれます。

アンティゴネーの正統な子孫たる彼女の狂気は、殺された父の正しい埋葬を国王に要求する。と同時に性的欲望を錯乱言語のなかに解放する彼女は〈ハムレットを失った自分/ハムレットに失われた自分〉への悲哀と憎悪を宿している。そしてこの二つの点がハムレットの正確な陰画となる。

シェイクスピア・ハンドブック』

 

この「憂鬱性」と「狂気」が劇中に終始渦巻く『ハムレット』ですが、その行動を起こす登場人物の原動力は何でしょうか。一つは「突き抜けた純粋性」であると考えられます。

誰もが「こうありたい」と願う感情があり、願う強さが希望を近づける、というような意味合いの言葉を耳にする事があります。しかしこの悲劇において、狂信的に願い求める末が、狂気的な行動、或いは狂死に至ると描かれています。それは善悪を問わず、「純粋な心」により身を滅ぼしていきます。

To be, or not to be ー that is the question;
Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune
Or to take arms against a sea of troubles

生か、死か、それが疑問だ、どちらが男らしい生きかたか、じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を堪え忍ぶのと、それとも剣をとって、押しよせる苦難に立ち向い、とどめを刺すまであとには引かぬのと、一体どちらが。

さまざまな和訳がありますが、福田恆存訳ではこのようになっています。物語の流れでは復讐するべきか否か、という自問に見えますが、ハムレットが本質的に問うているのは「どちらが男らしいのか」という点です。ここにハムレットの突き抜けた純粋性が垣間見えます。生死を天秤にかけて、男らしくあろうとする純粋性に苦悶するハムレットからは、自身の人生を演じている役者かのようにもみえます。

シェイクスピア・シアター主宰の出口典雄さんはこのように語ります。

人間はピュアなものを求めて極限までいくと、非人間的になる。誰のなかにも潜む感情だと思いませんか。

シェイクスピア劇の登場人物たちは、人を愛す時も、憎む時も、とことんまでやらないと気がすまない。

シェイクスピア作品ガイド37』

 

この「突き抜けた純粋性」は登場人物の内面にどのような影響を与えているのか。T・S・エリオットはこう表現しています。

ハムレット(人物)は表現不可能な感情に支配されている。なぜならその感情は立ち現れるもろもろの事実を超過しているからだ。」

ハムレットに芽生えた絶望は「汚辱に塗れた母の行為」に基づくものに違いはありません。ですが、ハムレットという人物の性格、歴史、経験により、汚辱の事実以上の絶望感に成長し、苦しめることになります。

 

この絶望感を育てる突き抜けた純粋性は、当時に定義されたティモシー・ブライト『憂鬱論』が根底にあります。

「精神の力すべては憂鬱な暗い地下牢に閉じ込められ、一切は暗く黒く恐れに満ちていると想像する。」

まだ憂鬱と狂心が混ざり合った解釈であったにせよ、もしくは混ざり合っていたがゆえに、ハムレットの精神性が劇中のように構築されたのかもしれません。

 

この劇中に常に漂う憂鬱性は、時代背景が影響しています。特に「コペルニクス的転回」と「宗教改革」が、要因と見ることができます。

今までの世界的常識が覆り、信仰を根源とした争いが苛烈になっていく。十六世紀末から十七世紀初めは、時代そのものが憂鬱で覆われていました。

自然と神、野生と聖性、これらが両立した演劇こそがエリザベス朝時代の特徴的演劇であり、劇中に含まれた思想でもあります。

 

シェイクスピア劇、特に『ハムレット』に現代的な心理の一貫性を求めるのは邪道である。ハムレットは一貫した心理としてではなく、一個の生きた人間として、舞台の上で、自由に、その場その場に即して「演戯」をしているのである。だから、そこには一見して矛盾もある。が、それは作品上の矛盾というより、生きた人間の矛盾なのである。

翻訳家の中村保男さんの言葉です。

ハムレット』は、人間の本質的な矛盾を、「突き抜けた純粋性」で憂鬱そのものを描いた作品であり、当時の社会性や主義を感じ取ることができます。

 

あまりにも有名な今回の作品。現在でも数え切れないほど演じられています。そして、何度でも読み返したくなります。
未読の方はぜひ。

では。

 











『少女ムーシェット』ジョルジュ・ベルナノス 感想

f:id:riyo0806:20210831171619p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

f:id:riyo0806:20210831221841j:image

死んでゆく少女への哀歌。スペイン戦争の暴力と悲惨を目撃した巨匠ベルナノスがその憤りを芸術として結晶させた珠玉の傑作。

普仏戦争に敗北したフランス第三共和政は資本輸出を中心に金策を図り、急速に国を回復させていきます。しかし、圧政は歪みはじめ、ドレフュス事件という大きな冤罪事件を起こします。ユダヤ人陸軍参謀本部大尉であるアルフレッド・ドレフュスが「筆跡が似ている」というだけで状況証拠すら固まらない中、終身刑に処されます。疑問を覚える数多くの人間が声を上げ、ついに冤罪濃厚となった中、第三共和制は「国家の安危に関わる軍事機密情報」であるとして、口を閉ざします。

これに怒りを覚えた作家のエミール・ゾラは『私は告発する』という公開状を突き付け、大統領を糾弾しました。そして遂には、無罪を勝ち取ることができました。ですが、この事件で社会におけるユダヤ人迫害が顕著になったことは明白でした。

 

このような共和政に反旗を翻し、王政復権を求める組織が誕生します。「アクション・フランセーズ」と言い、文筆家シャルル・モーラスを中心とした組織で、ジョルジュ・ベルナノスも参加していました。この活動は過激なもので幾度も逮捕され刑務所に収監されます。その獄中にて筆をとり、書評や弁論を始めるようになりました。1914年に開戦した第一次世界大戦争には志願兵として戦い、帰国後に小説を書き続けました。

 

1936年のスペイン市民戦争(スペイン内戦)でフランス右翼として参加していたベルナノスは、戦地で衝撃的な光景を目にします。カトリック協会の怠惰で欺瞞的な行動。具体的には彼ら聖職者が、現地の人々を言葉が理解できないまま内乱の犠牲とし、処刑していくという行動に憤慨します。そして寡黙な犠牲者たちに高潔さを見出し、神とは、正義とは、と疑問が溢れます。

また、このことを処刑裁判における裁判官たちとジャンヌ・ダルクに重ね合わせ、当時と今の社会を糾弾しました。

 

本書『少女ムーシェット』は、貧困と虚無、嫌悪と無関心で溢れる生活を内乱の犠牲者に重ね合わせ、そこに救いを求める姿を描いています。

病気の母、乱暴な父、周囲にも嫌悪され、貧困に苦しむ少女は、具体的な「生の幸せ」を知らぬまま暮らしています。そして物語は、この孤独な少女を更なる絶望へ導きます。

 

希望の光をすべて無くし、生において闇しか見ることができなくなった彼女は最後に自殺を試みます。この描写が物語を通して最も聖性に満ち、柔らかい光さえも感じることができるほど、清らかな気分にさせられます。これが彼女を救う作者としての唯一の方法であるかのように感じさせられます。

カトリックにおいて、自殺は許されません。しかし、カトリック作家であるベルナノスがこの描写で救う、もしくはこの描写でしか救うことができないということは、それほどの残酷な状況下に置かれていたと伝わります。そして、スペイン内戦の犠牲者、或いはジャンヌ・ダルクとも重なり、死こそが神の救いであったとの訴えと解釈できます。

 

死のもつ同じ力、地獄の出口、金持や権力者に、悪魔的な誘惑の限りない手段を惜しみなく与えるこの力も、悲惨さの聖なるしるしをうけた、貧しい人々には、不意にしか襲いかかれない。死の力は、日毎に、恐るべき注意力と、おそらくは、ひそかな恐怖をもって、貧しい人々をうかがうだけでよしとしなければならぬ。しかしこれらの単純な魂のうちに絶望の裂け目がわずかでも開けば、彼らの無知にとって、おそらく自殺以外の手段はない、貧しい人々の自殺、子供の自殺にそっくりだ。

 

神の仮面を被った暴虐ではなく、真の神の手によって救われる死があるべきだと訴えているように感じます。

 

少し入手が困難かもしれませんが、湿度たっぷりのフランス文学は大変魅力に溢れています。機会があればぜひ。

アカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞した『田舎司祭の日記』などを以下に紹介しておきます。

では。

 

 

riyoriyo.hatenablog.com

 








『怒りについて』ルーキウス・アンナエウス・セネカ 感想

f:id:riyo0806:20210831000124p:image

こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

古代ローマにおける屈指のモラリストであり、死の間際まで徳を積み続けたルーキウス・アンナエウス・セネカの初期の著作『怒りについて』です。

ネロー帝に仕える宮廷の生と自決の死ーー帝国の繁栄と矛盾したローマの哲学者セネカ(前4頃ー65)。絶対権力を念頭に、怒りという破壊的な情念の分析と治療法を逆説的修辞で論じる『怒りについて』。苦難の運命と現実社会の軋轢への覚悟、真の幸福を説く『摂理について』『賢者の恒心について』を併録。新訳。

 

長兄ノウァートスに献呈した本篇には、皇帝カリグラ(カリギュラ)の所業を悪例とし、随所で非難しています。「怒り」を「悪」と表現している以上、この著作はカリグラの暗殺以後に出来されたと推し量ることができます。そして、クラウディウス帝位就任に際し、先帝での不義を正すことを統治者に委ねる為に、この著作を世間に放ったと見受けられます。

 

怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望である。または、ポセイドーニオスが言うように、自分が不正に害されたとみなす相手を罰することへの欲望である。

ポセイドーニオスは中期ストア派プラトン主義者で、この論は、正統ストア派の定義に基づいています。しかし、プラトンは「人間の自然本性は懲罰を愛好しない。また、怒りも人間本性に即しない。善き人は害さない。」と論じています。

 

怒りとは制御を受けつけず、馴致不可能なものである。

セネカは怒りをパトス(情念)の一つと位置付け、不本意に沸き起こってしまうもの、と考えています。これは人間の野生(獣性)と置き換えることができ、自己の中で感情をコントロールすることが非常に困難であると説いています。

 

それゆえ、怒りには、たとえそれが激烈で、神々と人々を見下すように映りはしても、偉大なものは何もない。高貴なものは何もない。

忿怒が七つの大罪に挙げられるように、良い結果を残す事はありません。もしくは、目の前の壁を崩壊できたとしても、そこに続く道は本来よりも険しく苦しいものと成り果てています。

 

なぜなら、正しい行為に発する喜びが晴朗で偉大であるのに対して、他人の過ちに発する怒りは、薄汚く狭量な心に属するからである。さらに、徳は、悪徳を匡している間、それを真似ることはないだろう。怒り自体を矯正すべきものとみなしているのだから。

怒りの原因となるものは、自己の狭心的な価値観に基づくものであり、自身の徳のため、或いは徳を守るためという自己正当化は欺瞞であると、厳しく訴えています。

 

怒りに対する最良の対処法は、遅延である。怒りに最初にこのことを、許すためでなく判断するために求めたまえ。怒りには、はじめは激しい突進がある。待っているうちに熄むだろう。全部取り去ろうとしてはならない。一部ずつ摘み取っていけば、怒り全体を征服できるだろう。

どれだけ注意していても、怒りは沸いてしまいます。人間の理性でできることは、沸いた怒りをどのように征服するかの努力です。そのためにはまず「待つ」(時間を置く)ことが重要だとしています。沸いた怒りの原因は何か、どれほど不当なことか、激情を抑えることができるか、という脳の冷静化を図ることを訴えています。

 

怒りは人間の本性を拒絶するからだ。本性は愛を、怒りは憎悪を促す。

人間が人間らしさを大切にし、短い人生をどれほど幸福で埋めるか、憎悪を少なくすることができるかを、考えさせられます。「幸せな人生」を目指すより、「どれほど多くの幸せを人生で感じることができるか」を目指すことの方が大切に感じられます。

 

怒りをエネルギーとして壁を打ち壊すのではなく、善と徳で壁を乗り越えるように努められるような生き方に憧れます。

大変読みやすく理解しやすい著作ですので、未読の方はぜひ。

では。

 

riyoriyo.hatenablog.com

 






privacy policy