RIYO BOOKS

RIYO BOOKS

主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『ビヒモス』トマス・ホッブズ 感想

f:id:riyo0806:20240126205718j:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

リヴァイアサン』で知られるホッブズの政治論はいかに構築されたか。その基盤となる歴史観を示す、著者晩年の代表作。世代の異なる対話形式で一六四〇-五〇年代のイングランド内戦の経緯をたどり、主権解体と無秩序を分析する。本邦初訳。

 


1603年にイングランドエリザベス一世が未婚で亡くなり、ヘンリー七世の血を引くスコットランドのジェームズ六世がイングランド国王を継承して、ジェームズ一世として即位し、両国を治めることになりました。彼は王権神授説(国王の権力は神から与えられた神聖不可侵なものとする考え)に基づいて政治を進めました。エリザベス一世が確立したイギリス国教会を基盤として宗教統制を図り、それに倣った統治を行いました。しかしながら、イングランドにおいてはカルヴァン派に忠実なプロテスタントピューリタン」が多く存在し、国王を頂点とした聖職者の階層制度(主教制)に強く反発します。イギリス国教会信徒もプロテスタントですが、主教制にはカトリックの要素を含み、その信仰は中道的であるとして、ピューリタンは嫌悪します。このような反発を持つピューリタンのなかでも、スコットランドカルヴァン派から生まれた「長老派」は多く存在し、ジェントリ(地位は高くないが土地を資産として保有する層)、職工経営者、富裕商人、自営農民などにも多く、勢力は強いものでした。このような反対派をジェームズ一世は「主教なくして国王なし」とし、主教制度を柱とした政治における王権(主権)を強化して、それに反発する聖職者たちを次々と追放しました。


ジェームズ一世から王位を継いだチャールズ一世は、絶対王政や主教制を引き継ぎ、より一層の王権強化を進めました。また、ベーメンでのキリスト教新旧両派によるドイツ宗教戦争三十年戦争」において新教徒を支援せず、国内のピューリタンを引き続き弾圧し続けました。さらに、議会(国民から選出された政治家による国議会)への同意を無視して徴税を課し、貴族からの献金を強要するなど、チャールズ一世への不満が募っていきます。このような不当な(国王独断による政策という意味)課税や、強制的な人身拘束に耐えかねた議会の長老派議員たちは、1628年にこれを食い止めようと「権利の請願」をまとめて、国王へと提出します。絶対王政における王への請願は困難なことではありますが、1215年に規定されたイギリス憲法の根源である大憲章「マグナ=カルタ」を基に、王権の制限を含めて意見を届けました。しかし、チャールズ一世はこの請願を無視し、議会を解散させ、側近のカンタベリ大主教ロードとストラフォード伯に政治を行わせました。トン税、ポンド税、船舶税などの増税を進めて、ジェントリたちまでも大きな不満を募らせていきます。このような強制的な課税には、「三十年戦争」によるヨーロッパ全土の経済不振や自然災害などの影響、オランダの独立戦争、フランスのフロンドの乱などによる影響で、経済的な国の維持そのものが困難な状況にあったことが背景として存在していました。


弾圧を受け続けて意見までをも国王に理解されない議会の長老派と、相次ぐ課税によって生活に歪みを与えられていた議会のジェントリたちは、「反国王」への意識によって繋がりを持ちます。1637年に、チャールズ一世はスコットランドイングランドと同様のイギリス国教会制度を統制させようとします。しかし、スコットランドには長老派が多く、激しい反発が生まれました。これは感情だけに留まらず、反発の意思は多くの群衆となり、1639年にエディンバラ暴動が起こりました。チャールズ一世は自らスコットランドへ反乱を抑えに行こうとしますが、資金が不足してしまい、議会を召集して調達しようとします。これに議会はまともに応えず、資金調達が困難となり、結果、多額の賠償金を払うことでスコットランドを収めることになりました。そして1640年に改めて議会が開かれました。チャールズ一世が許可していた商人たちの独占商法の禁止、トン税、ポンド税、船舶税の廃止、議会の解散には議会の同意が必要、などを決定します。さらに、チャールズ一世による悪政の数々を列挙した「大抗議書」が採択され、王権に対する批判を議会は全面的に推し進めていきました。


これを機として、議会は国王から王権の剥奪を図っていきます。議会が全ての権利を握る「寡頭政」を目指します。チャールズ一世のどのような意見にも耳を貸さず、指示や文書を反故にして、イングランドの政治を絶対王政から寡頭政へ向けるよう、国王の承諾なく、議会のみで、議会を絶対権力にする内容の法律を作り上げていきます。この議会の態度を受けたチャールズ一世は武力行使に出ることを覚悟し、また、議会側も争うことを理解して、互いに準備を進めていきました。王党派と議会派に分かれたこの戦いは、1642年に始まりました。このイングランド内戦(清教徒革命、ピューリタン革命とも)は、軍事経験のある王党派が優勢に進めていました。ジェントリが集めた経験の少ない民兵たちでは太刀打ちができず、戦果をあげることができずにいました。そこに熱心なピューリタン騎兵によって成る「鉄騎隊」を組織したオリヴァ・クロムウェルが議会派に現れます。この軍は「神の意志」に従う軍として強さを帯び、王党派を侵略する敵として捉えて、強固な意志を持って王党派を薙ぎ倒していきました。


クロムウェルの登場と鉄騎隊の性質によって、反国王側に新たな勢力が頭角を表します。長老派は寡頭的長老によって教会を統制しようとする派閥ですが、それらに反して、各教会の独立を尊重する派閥のことを言います。ジェントリや自営農民が主に属し、議会派のなかでも思想の分離が始まりました。長老派は「長老制」の国内拡大を目指していたため、その為に国王を利用したいという打算の元で、国王との妥協を図っていました。対して独立派は、国王軍と徹底的に戦い抜くことを望んでいました。1644年にクロムウェル率いる鉄騎隊は国王軍に勝利を重ねることで議会内での権力を強め、方向性の違いから長老派を議会から追放して、議会軍を新たな鉄騎隊「新型軍」へと組織改革を行いました。そして1645年、ネースビーの戦いで国王軍を撃ち破り、チャールズ一世は投降して第一次のイングランド内戦は終わりました。


内戦終結を機に、追放されたものの議席を残していた長老派たちは新型軍を解散させようと動き出すと、これらの兵士たちの処遇を守ろうとする水平派と呼ばれる派閥が議会に現れます。これは職工経営者たちによって多く構成された派閥で、人民の主権や財産を守ろうとする考えを持ち、「人民協定」という憲法の草案を提出します。王権(実政的な意味での)を手中にしたいクロムウェルはこれに反対して、大きな論争を生み出しました。この議会の分裂に乗じて、国王軍の残存勢力が蜂起して第二次の内戦を起こしますが、素早く結束した独立派(クロムウェル側)と水平派によって、すぐに鎮圧されてしまいます。これに合わせて、クロムウェルは長老派を追放して、独立派だけの議会「ランプ議会」(残部議会)が生まれます。そして、国王の存在を維持しようとする者は居なくなりました。


1649年、クロムウェルはチャールズ一世を処刑するために最高裁判所を設置しました。裁判委員には135人が指名されましたが、良心や責任逃れから約半数しか集まりませんでした。それでも判決文は作成され、57名が署名をして、チャールズ一世は王室居住地であるホワイトホール宮殿で、衆人環視のもと、処刑されました。国王は議会からの「人民の自由への侵害に満足せず、王は専制的政府を設立しようとし、ついには議会に対する内戦を起こして続行させた。そのため国土は悲惨に荒廃し、公共の財産は消尽され、何千もの人々が殺され、その他、限りない悪行が犯された」という譴責により、国家に対して「公敵」「専制君主」「反逆者」「殺人者」であるという帰結がなされました。しかしながら、国民はそのように受け止めず、57名の署名者を「国王殺し」、国王を「殉教者」として議会を非難しました。議会が禁止しながらも、国王を擁護する書物は出版され続け、国民は国王を支持し続けました。


国王処刑後、クロムウェル率いるランプ議会は「王政」そのものの制度を審議し、人民の自由と安全のためには不必要であるとして、君主制そのものを廃止します。そしてランプ議会は「王と貴族院抜きに現在設立されたイングランドコモンウェルス(共和国)に対して、誠実かつ忠実であることを約束する」という誓約を制定し、共和制宣言を発しました。しかしながら、中身は「王権を議会に譲る」というものであり、その議会を支配していたクロムウェルが実質的に王権を握ったに等しいものでした。


クロムウェルの独裁はランプ議会内でも分裂影響を及ぼし、先に意見を違えた水平派を次々に逮捕し、処断して弾圧していきます。また、自営農民たちによる私有財産としての土地を共用し、共同耕作という社会改革を唱えたディカーズ(真正水平派)たちも、独立派ジェントリの財産に手をつけるという意味でクロムウェルの反対に合い、危険思想として処断されました。また、クロムウェルアイルランドの征服にも乗り出します。アイルランドにはカトリック信徒が多かったということで、土地を荒らすほどに凶暴に侵略し、プロテスタントとしての略奪を公然と行いました。さらに、チャールズ一世の子チャールズ二世が率いたスコットランドをウースターの戦いで破り、チャールズ二世はフランスへ亡命、スコットランドクロムウェル支配下に置かれました。そして周辺の安定を手にしたクロムウェルは、ランプ議会さえも不要であると考え、長らく続いた議会も独断的に解散し、彼が率いた軍隊のみで組織された、実質的な軍事国家が出来上がりました。新型軍は成文憲法「統治章典」(護国卿に王権と等しい権利を付与する新たな憲法)を作り上げ、クロムウェルを護国卿に据えました。こうして、クロムウェルの独占政治が誕生します。数年間その支配は続きましたが、結果的に、政治においては混迷を極めたのみでした。クロムウェルが死去すると、その息子リチャードが護国卿を継ぎましたが、新型軍と長老派の諍いは解決できないまま、リチャードは自ら立場を退きます。無政府状態となった国内では、民衆による王政復古の声が高まっていきました。そして1660年、チャールズ二世が亡命先(オランダ)から帰国して民衆に歓迎されます。こうして、王政復古が成り、チャールズ二世が国王に即位しました。


ピューリタンによって引き起こされた国王への反乱は、十万を超える死者、国民による国王の処刑、混迷する独裁政治を生み出しました。これらの争いと権力の在り方を見つめ、「国家とはどうあるべきか」を考え抜いた哲学者がトマス・ホッブズ(1588-1679)です。彼は、国家形成における人衆心理と権力者の社会契約説をもとにした政治哲学理論を構築しました。その代表的な国家論が『リヴァイアサン』です。旧約聖書ヨブ記」に述べられているとおり、強靭な体躯を持つ水棲の怪獣を作品名にあてています。神が述べるように、「何者もリヴァイアサンと戦いそれを屈服させることは出来ず、見るだけで戦意を失うほどである」という形容を持つ国家論には、理想的で強靭な社会を作品内で明示しています。このリヴァイアサンと対を成す陸の怪物ビヒモスは、本書の作品名として使用されており、中身も関連性が深いものとなっています。


リヴァイアサン』は国家形成の必要な要素を連ねたものである一方、『ビヒモス』は国家における「人間の悪意」、それが齎す「悪政」が対話形式で語られています。前述の「イングランド内戦の概要」は一般的な歴史の内容ですが、ホッブズはその奥の「人間の悪意」を「証拠書面」や「証拠文書」、或いは自身で見聞きした「生の情報」を活用し、自身の見解を直截的に語っていきます。歴史で伝わるチャールズ一世の言動は、確かに処断されても致し方ないと取られる内容が多く伝えられています。しかしながら、公然と私利私欲に走って課税をした訳ではなく、イングランド(或いは三国)を守る為に徴収せざるを得なかったという面が見えてきます。当時のヨーロッパはドイツの宗教戦争の影響で経済不振が続いており、自国を守るためには自国で工面するしかなかったことは明らかです。しかしながら、議会における聖職者、ジェントリ、自営農民、職工経営者たちは、彼ら自身の安定した生活から国を守る為に課税されることを反対し続けます。だからこそ、チャールズ一世は議会を無視して課税を断行せざるを得なかったという背景があります。このような経緯がありながら、長老派をはじめとする当時の議会は、「チャールズ一世が独断で私欲のために課税を進めている」という風評を流し、兼ねてより長老派議会が企んでいた「寡頭制政治」を実現させるために、国王を排除しようと実行していきます。この実行方法が「非人道的」であり、聖職者としてあるまじき行為でした。


教皇に従うものたちは、教会内で振るう権力を世俗に押し付けようとします。この「教会権力」は、本来はイエス・キリストに由来するものでありながら、権力に目が眩んだ聖職者たちは、国王を含む世俗全てが「イエス・キリストの代弁者たる聖職者」に権力を振るうなど許されない、という思考となっていました。このような傲慢を抱いた聖職者たちに委ねられた議会が行う実政は、クレリカリズム(聖職者支配)とは名ばかりの悪意に満ちた悪政が進められることになりました。このような長老派聖職者の持っていた危険性を、赤裸々に明かしながら糾弾を進めていくのが本作『ビヒモス』です。クロムウェル、ランプ議会、新型軍なども同様であり、議会が王権(に等しい権力)を握ったがために、民衆はより一層の不幸に見舞われるという実態を、怒りを込めて熱弁します。


この長老派聖職者たちに見られる「聖職者らしからぬ悪意」を芽生えさせたものの根源は大学制度にある、とホッブズは語ります。ギリシャ、ローマの古典哲学に込められた「自由意志のみを都合よく抜粋」して、絶対王政は自由を搾取するといった表現を堂々と国民に対して行い、各地での聖職者による説教にもこの内容を含め、悪意的な啓蒙を民衆に広めていきました。これらに誑かされた民衆は、「民主制」を受け入れるようになっていき、議会の権力と国王処刑を受け入れてしまいました。ホッブズはこのような民衆に対しても怒りを見せます。「民衆には正義や義務に対して非常に無知であった」と述べる姿勢は、真の正しさを民衆が持ち得ていたならば、このような悲劇は防ぐことができたのではないか、という思いが込められているようにも思えます。

 

A アリストテレスの哲学が宗教の要素とされたことも、大学から始まった。それは、キリストの体の性格や、天国における天使や聖徒の状態にかんする、非常に多くのばかげた信仰箇条を言いつくろうのに役立った。大学はそうした信仰箇条を、信仰させるにふさわしいと考えた。なぜなら、そうした信仰箇条は聖職者に対して、その最も地位の低い者にすら、利益や崇敬を与えたからだった。最も地位の低い聖職者でさえキリストの体を作ることができる、と大学が人々に信じさせ、とくに人が病気の際には、聖職者が救い主をこしらえて病人のところへ持ってきてくれる、と信じられるならば、聖職者に崇敬を示さない者が、また聖職者や教会に物惜しみするような者がいるだろうか?

B しかし、アリストテレスの教説は、こうしたペテンにおいて、どのように聖職者の役に立ったのでしょうか?

A 彼らは、アリストテレスの教説というよりも、その漠然としたところを利用したのだ。彼らのお得意は、人々を言葉で困惑させて陥れ、ローマ教会の決定で最終的決着をつけねばならぬような論争を培養することだった。この点で、アリストテレスのそれこそ、うってつけの古代哲学者の文書だった。彼らは、アリストテレスの教説における多くの議論を利用した。


リヴァイアサン』と『ビヒモス』の両作品に共通するホッブズの思想は、「誠実さと英知」、「一人格の主権」というものが込められています。権利を持つ者は、私利私欲による思考の分裂や、強欲に溺れることを自ら制し、正義の心を持って権力を振るい、国を守ることを第一の義務としなければならないことが、一貫して作品に込められています。

中世では一般的に「ビヒモス」を悪魔であるという見方がされていました。これは旧約聖書の解釈とは何ら関係がありませんが、本書の悪意の塊を捉えてホッブズは『ビヒモス』と作品名を付けたのではないかと勘繰ってしまいます。ホッブズ自身、チャールズ二世の家庭教師を担うなど、王党派らしい考えを持っていることは当然ではありますが、提示される文書の文言を見る限り、偏った長老派批判、クロムウェル批判であるとは考えられません。イングランド内戦、清教徒革命の「市民革命」的な印象がぐらつく作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『ジェーン・エア』シャーロット・ブロンテ 感想

f:id:riyo0806:20240119205032j:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

孤児として、伯母に育てられたジェーンは、虐待され、ローウッド寄宿学校にいれられる。そこで八年を過した後、広告を出し家庭教師として赴いた先に居たのは子供と家政婦だけだった。散歩の途中助けた人物こそ、屋敷の主人ロチェスターであると知ったジェーンは、彼と名門の貴婦人とのロマンスを聞き、胸が騒ぐ。孤独と戦いながらも不屈の精神で生きぬく女性を描いた青春文学。

 


シャーロット・ブロンテ(1816-1855)の父親は、イングランド北部のヨークシャーにある小さな村ソーントンの牧師でした。母親は病弱であったうえ、多産によって身体に負荷が掛かり、シャーロットが五歳のときに亡くなりました。彼女は六人兄弟の三番目の子として生まれました。八歳の時、二人の姉と妹エミリーと共にイングランド西北部ランカシャーにあるカウアン・ブリッジという寄宿学校へ入学します。この学校の環境は劣悪で、食事は貧しく、勉学や校内活動は過酷な環境で行われました。また衛生面も酷かったことから、当時イングランドでも流行っていたチフスが校内でも蔓延します。これに姉二人が掛かって肺を患い、ともに命を失いました。その後、シャーロットとエミリーは自宅であるハワース牧師館(現ブロンテ牧師館博物館)へ戻り、学校へは通わずに末娘のアンを交えて独自で語学を学びます。その間に詩や文学に触れて、彼女たち自らも詩を書き始めました。そして、彼女たちは自らが楽しいと感じる執筆で生きていこうと意志を固め、三人の詩をまとめて詩集を発表していきました。実にシャーロットは生涯で二百を超える詩を書きましたが、その執筆で生計を立てることは困難でした。家庭には財産があまり無かったことから、生活を支えるために、学校教師として、後に家庭教師として、各地を走り回りました。シャーロットに募る疲労とフラストレーションは、やがて自らで私塾を開いて運営しようという考えへと導きます。自らの教職能力を磨くために、ベルギーのブリュッセルにあるエジェ寄宿学校へエミリーとともに留学します。そこでは快く受け入れられて計画は順調に見えましたが、シャーロットは学長の夫に恋をしてしまい、結果的にイングランドへ引き返すことになりました。また、その後に牧師館で開いた私塾もうまく生徒が集まらずに、この計画そのものが頓挫します。彼女たちは残された情熱の矛先である「文学」を生きていく糧にしようと決意します。筆名を男性的なものとして、彼女たち三人は熱心に執筆に取り組みます。そして、シャーロットは『プロフェッサー』、エミリーは『嵐が丘』、アンは『アグネス・グレイ』を書き上げ、後者二作品はようやく出版へと漕ぎ着けることができました。シャーロットは出版が叶わなかったことを励みにして、自伝的要素を強く含んだ本作『ジェーン・エア』を執筆し、遂に出版が叶います。そして、発表されるなり、瞬く間に文壇に議論を呼び起こして世間に受け入れられることになりました。


このヴィクトリア朝時代はスティーブンソンの蒸気機関実用化を発端にして目紛しく産業革命が行われた時代でした。交通の発達で主産物の交易、それに伴う搬送や製造の中心となる鉄鋼業が盛んに成長を見せます。そしてイングランドが得た莫大な資本は、世界各地へと手を伸ばして植民地を次々に獲得していきました。世界的帝国となった国内では、中流階級層が産業に次々と参入し、より大きな資産を手にしていきます。しかし一方で、その産業における労働者階級の層は拡大、定着していきました。家柄に恵まれない人々は脱出困難な低所得層に留まり続け、より一層の格差社会が形成されていきます。また、中流階級層が貴族的な性質に憧れを抱いたことで、家父長制社会の色もより濃くなり、女性の自立も非常に困難な社会へと作り上げられていきました。そのような社会にありながら、前述のようにシャーロットは「女性の自立」を強く願い、そして成し得た人物です。彼女自身の経験を反映した半自叙伝として描かれた本作が、ヴィクトリア朝時代の階級社会、家父長制社会に反発心を抱いていることは、ごく自然なことであるように思われます。


このヴィクトリア朝時代の文学は、それまで席巻していたロマン主義からリアリズムへと移行していった時期でした。その描き出す「現実」は、主に社会風刺が織り込まれていました。チャールズ・ディケンズ、ウィリアム・サッカレージョージ・エリオット、トマス・ハーディなどが挙げられます。彼らは様々な立場から「現実の社会」を見つめました。周囲に広がる社会と個人の内面を照らし合わせ、逃れられない環境から如何にして幸福を得るべきか、と言った問いが数多投げられました。本作『ジェーン・エア』もこれらに漏れず、社会において幸福を得ようと懸命に生きる女性の姿が描かれています。このビルドゥングス・ロマン(教養小説)として書かれた作品は、社会と戦うジェーンが一人称で読者に向かって語り続けます。格差社会と家父長制社会に身を投じながら、信念を曲げず、懐柔を避け、一貫した幸福への渇望を糧に「女性の自立」を目指します。


ジェーンが求める「幸福」には、女性の自立、信念の尊重、真実の愛が込められています。情婦を軽蔑し、男性と対等な愛情の分かち合いを望み、貸借無い夫婦の関係を心から望みます。このような女性の姿勢に対して、中流階級層は嫌悪の姿勢を見せました。女性が対等であるという考え方は、家父長制が根付いた多くの人々には受け入れられなかったためです。同時に、本作では反カトリシズム的な要素を含んだ描写が見られます。当然ながら誇張した表現ではありますが、牧師が愛の無い結婚を迫るという場面があり、牧師自身の望みが神が望むことであると強要します。この点に、冒涜的であるという意見が多く投げられました。そのような批評が溢れたなかで、本作『ジェーン・エア』は大衆に広く受け入れられ、多くの賛同を受けることになります。この成功は、シャーロット自身に、女性としての明確な自立を齎したと言えます。


シャーロットは女性の内面をリアリズムによって描写し、生来の欲望や社会環境との闘いを、ヴィクトリア朝時代の文壇に新たな真実として露見させました。この表現方法は、当時の文壇では革命的な衝撃を与えました。女性の自立という面だけでなく、一人称物語において主人公が道徳的に、及び精神的に、物語のなかで成長を見せていくという点で「私的意識」の描写に成功しています。そして成長のなかに、キリスト教道徳、個人主義格差社会、家父長制社会が組み込まれ、女性の置かれた現実、低所得層の置かれた現実、カトリックの現実の片鱗と対峙して、それを乗り越える「自立へ向けた信念」が強く描かれています。

 

慣習は道徳ではありません。独善は宗教ではありません。前のものを非難することは、後のものを非難することではありません。それぞれは正反対であり、悪徳と美徳のように区別されます。男性はあまりにも頻繁にこれらを混乱させます。そして混乱は過ちです。外見を真実と取り違えるべきではありません。高みの僅かな人々を高揚させ、拡大する傾向にある偏狭な教義を、世界を救うキリストの信条に置き換えるべきではありません。繰り返しますが、過ちです。そして、それらの境界を明確に示すことが善であり、過ちではありえません。

ジェーン・エア』第二版序文

 

終盤で見せる聖ヨハネの言葉を持ち出して強要する牧師に対して、「個としての心」を自ら護り、対等である真実の愛を追求したことで、ジェーンが運命を勝ち取るというところは、一貫した信念と幸福への渇望が実った素晴らしい展開であると感じました。本作『ジェーン・エア』は、個人的な苦しみと、これらの壁を乗り越える勇気や機知について熱心に描かれた作品であると言えます。また、結末へ向けた劇的な展開は、「真の信仰」と「神の所在」を痛感するものとなっており、信念が報われるさまは見事です。そして、人間の愛を改めて考えさせられる作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『美少年』団鬼六 感想

f:id:riyo0806:20240108174501j:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

「いくっ、ああ、いきますっ」――美少年は全裸にされ、麻縄で縛られた。三人の醜い者たちに陵辱され、悶える美少年は妖しいほど美しい――。澄み切った黒い瞳、柔らかな鼻の線、花びらのような唇……気品と妖気のようなものさえ感じられる美男子の菊雄に、同性にもかかわらず、私はひきつけられていった。ある夜、私の下宿に泊まった菊雄に、堪えきれなくなった。熱っぽく息づく菊雄に欲情し、やがて唇と唇を重ね合わせ、そのまま……。官能小説の巨匠による精液と愛液にまみれた短編集。


団鬼六(1931-2011)は、滋賀県で映画館を営む父親の元に生まれました。この「金城館」は幼い頃の遊び場でもあり、早くから映画に触れて感性を磨く場でもありました。しかし鬼六が十二歳のとき、父親は相場で大きな借金を抱える事になり、全てを手放して大阪の軍需工場で働くことになったため、鬼六も大阪へと移り住むことになりました。関西学院大学中等部へ進学すると勤労動員として鬼六自身も軍需工場で働くことになります。この頃から文学に関心を持ち始め、井原西鶴などの浮世草子に惹かれていきます。そして高等部へと進み、多感な年頃となった頃にサディズムマゾヒズムを中心に取り扱った雑誌「奇譚クラブ」に出会います。強い性的衝撃を受けた鬼六は、自身の性癖に戸惑いながらも深く興味を持って追求していきます。また、同時期には学内に演劇部を設立させて学生コンクールで鬼六の手掛けた脚本が賞を受けるなど、文学の才能も開花し始めていました。進学を続けて関西学院大学法学部を卒業すると、1957年に文藝春秋オール讀物」新人杯で『親子丼』が次席入選し、本格的に執筆活動が始まりました。


前述の井原西鶴岡本綺堂などの作品に影響を受けた鬼六は、それらに傾倒した文芸作品を生み出していきましたが、先物取引などの自身の経験を反映した作品なども並行して発表していました。映画化など、順調に作家として生計を立てられるようになると、鬼六はバーの経営や相場に手を出し始めます。これらが見事に失敗し、全てを手放して、後の妻となる英語教師の伝手で中学校の英語教員となりました。この頃、個人的趣味の延長で執筆していた官能小説が「奇譚クラブ」で連載され、思いの外の大評判となり、官能小説の枠を超えて世間一般の読書層に受け入れられました。これが後に日活ロマンポルノで映画化されて大成功した『花と蛇』でした。その後、ピンク映画の脚本や映画製作を生業とする「鬼プロダクション」を立ち上げ、1970-1980年代を牽引するSM映画の巨匠として世に知られるようになりました。こうして作家として大成功を収めた鬼六でしたが、1990年頃になってまたしても多大な借金に苦しめられることになり、手にした豪邸も手放すことになりました。


本作『美少年』は1996年の作品です。1989年に絶筆宣言をし、その後、1995年に作家として復活した頃の作品です。晩年(2000年以降)のエッセイ中心に向かって、本来の官能小説から文芸性を帯びた作風へと変化していく時期の作品で、鬼六自身も多くの経験を乗り越えた、或る種の達観を備えた作品となっています。語り手の名が明かされないことから私小説の要素を含んでいるように感じられ、当時の鬼六の年齢とも重なり、実際の出来事も含まれていることが見受けられます。しかしながら、読み進めると詰将棋のように現れる見事な文芸性を考えると創作が大部分であることが窺えます。この「ファクション」(フィクションの要素を含めたノンフィクション)の描き方によって、より劇性と臨場感が高められ、作品の持つ熱量を大きくしています。


冒頭は四十年前の大学生時代を懐かしむ、語り手とその友人の会話から始まります。主人公は学生時代を懐かしむ会話のなかで、徐々に当時の思い出を鮮明にさせていきます。そして過去に戻り、詳細を一人称で語り始めます。

主人公は学生時代に、美しい容貌の舞踊の家元の御曹司と出会います。風間菊雄というその下級生は邦楽部で、主人公は軽音学部であったため、それが近付く切っ掛けとなりました。菊雄はあまりに美しく妖艶で、主人公は彼女がいるにも関わらず性的に惹かれていきます。言動の全てが理想の女性のようであり、尚且つ、主人公に対して熱心に尽くすため、主人公は心を異性に対するように開いていきます。そして、菊雄はホモセクシャルであることを明かして、主人公もまた一線を超えて接し、軽い肉体関係を結ぶことになりました。しかしこの関係はやがて周囲に明らかにされ、彼女の久美子、その友人のマリ子、学生ヤクザと言われる山田に知られ、菊雄との関係を問い詰められます。


周囲の視線が苦痛となってきた主人公は菊雄との関係を解消させたいと思い始めていたとき、菊雄の行動が主人公の逆鱗に触れて、一気に関係を解消させようという決意を固めさせます。卒業が近づいて主人公との別れを惜しんだ菊雄は、主人公の決まっていた東京の就職先へ断りの手紙を差し出して、菊雄の家元が進める新たな事業へ携らせようとしたのでした。主人公は以前から菊雄と肉体関係を持ちたいと言い寄っていたバイセクシャルでもある山田に協力を仰ぎ、菊雄を罠にかけて陵辱する計画を立てます。何も知らずに主人公の下宿にやってきた菊雄を、服を剥ぎ取り、鴨居に結び付けた縄に吊り下げて、屈辱的な姿を晒させます。そして山田が呼びつけた情婦のマリ子と、主人公と別れた久美子たちと一緒に、絶望的に菊雄を蹂躙します。


本作は過去を回想する枠物語として語られます。四十年の時を経た主人公と、末期癌に冒されて死を待つだけの山田の再会によって、ようやく思い出を掘り起こすという内容です。稀有な経験を超えてきた鬼六の辿り着いた虚無主義ニヒリズム)とも言える物語の終幕に、官能小説の枠を超えた美と恐怖を感じさせられます。現在の山田が語る、マリ子の死、久美子の死、そして菊雄の死が一本に連なるとき、読み手に深い執念を垣間見せます。


菊雄が勝手に就職先へ送り付けた手紙を持って、舞踊の舞台準備をしている菊雄の楽屋へ主人公が押し掛ける場面で、菊雄は「どうしても東京へ行きたいのなら行きなさい。うちは清姫になってでも追いかけて行くさかいな」と、激しく言い放ちます。菊雄が出演する演目は、歌舞伎舞踊の中の代表的な演目である「京鹿子娘道成寺」(きょうかのこむすめどうじょうじ)です。この清姫として菊雄は登場することになっていました。


その前日譚である「安珍清姫伝説」は、悲恋と情念が主題となっている物語です。美しい容姿をした山伏(山中で過ごす修行僧)の「安珍」が宿を借りに訪れると、豪族の娘「清姫」はひと目で恋に落ち、感情を抑えられずに、その日に夜這いを掛けて迫ります。僧である安珍は喜ぶと共に修行の身であることを思い返して困惑して戸惑い、「修行の帰りに再び立ち寄る」という言葉を残して、清姫から逃げるように立ち去りました。安珍が逃げたことを悟った清姫は憤激し、後を追い掛けました。神仏に願いながら必死に川を渡って逃げる安珍を、怨念によって龍蛇に変貌した清姫が火を吐きながら追跡します。道成寺に辿り着いた安珍は梵鐘を地面に下ろしてその中に閉じこもりますが、清姫はその鐘に身体を巻き付けて、鐘ごと安珍を焼き殺してしまいます。安珍を滅したあと、清姫道成寺近くの入江で入水自殺をしました。


京鹿子娘道成寺」はその後日譚として成っています。清姫に執念の炎で鐘を焼かれた道成寺は、暫く女人禁制とされていました。そして新たな鐘が漸く奉納される運びとなりましたが、そこに白拍子(舞踊の芸人)の花子がやってきます。鐘の供養があると聞いたとして訪れ、拝むことを懇願する花子に、舞うことを条件に道成寺の修行僧たちは入山を認めました。花子は舞いながら鐘に近付くと龍蛇へと変貌し、花子は清姫の怨霊であったことが明らかにされます。こうして新たな鐘も清姫の祟りに遭ってしまいます。そこへ破邪の青竹を手にした押戻(妖魔祓い師)の大館左馬五郎が登場し、怨念ごと清姫を祓い、退散させて幕が降ります。


この物語に見られる清姫の煩悩、その執着は菊雄の欲望に呼応します。山田によって明かされる、事件の数年後に起こった菊雄の服毒自殺は、純粋な悲しみだけではなく、清姫の怨念による蘇りを連想させます。そして山田が語った近年のマリ子と久美子の死、さらには山田自身の癌による死は、清姫のような菊雄の怨念の所業ではないかと考えさせられます。青竹を持った大館左馬五郎の居ない主人公は、清姫の祟りに怯える余生が目に浮かびます。


菊雄は大阪生まれなのに標準語を使うのだが、これは本人にいわせると他所行きの言葉、親しくなって来た人間には彼は気軽に関西弁を使う事になる。これも家庭の躾というものだろう。

菊雄に対する清姫の投影、言い換えれば演劇的な憑依性は、この文章からも感じられます。家元の御曹司としての役を標準語で演じ、自己を曝け出す内面の役を関西弁によって演じるという、意識して自己を切り替えていることが窺えます。そして美しい別れのために役を作って訪れ、山田の強襲にあった被虐の表情はイエス・キリストの如き殉教的なものでした。千変万化する菊雄の表情は、精神の髄から演者的なものであり、生きる行為そのものが劇的なものであると染み付いているように思えます。だからこそ、最終的に服毒して清姫のように怨霊となって恨みを晴らそうとする行動は、菊雄にしてみればごく自然であり、不可思議な説得性を持たせています。

 

山田詠美)もちろん、頭の中で物語を作るのはいいけど、実感してないことってウソになってしまうでしょ。多くの作家は、実感するんじゃなくて、取材して書こうとしますよね。取材した時点で、もうウソになる。その世界に入り込んで実感すれば、取材しなくたって取り込めるんじゃないかな。たとえばギャンブラーのことが書きたければ、ギャンブラーとつきあったことがあれば楽勝で書ける。やっぱり元手をかけるのがたいせつですよね。

団鬼六)だから僕は小説家ってあんまり好きじゃなかったんですよ。自分が経験してもいないことを書くなんて、変態じゃないかと思ってました。

山田詠美対談集『メン アット ワーク』


団鬼六の世界は、表面的に見える激しい性描写よりも、隠された演劇性と、込められた心理性に重点が置かれています。清姫の煩悩と怨念のような菊雄の劇性、鬼六自身の実体験に基づく心理の揺らぎ、これらを一貫した世界で官能的に描いた本作『美少年』は、鬼六の持つ文芸性を存分に発揮した作品であると言えます。

直接的で激しい性描写や陵辱の場面が苦手な方もいるかもしれませんが、私小説の枠を超えた深みのある文学作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『レ・ミゼラブル』ヴィクトル=マリー・ユーゴー 感想

f:id:riyo0806:20240105232632j:image

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

 

貧しさにたえかねて一片のパンを盗み、十九年を牢獄ですごさねばならなかったジャン・ヴァルジャン。出獄した彼は、ミリエル司教の館から銀の食器を盗み出すが、神のように慈悲ぶかい司教の温情は翻然として彼を目ざめさせる。原書挿絵二百枚を収載。

 


ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885)は、フランスの東部にあるブザンソンで生まれました。この地はナポレオン軍の将軍であった父の赴任地で、その後も幼少期の多くはナポレオン・ボナパルトによるスペインやイタリア遠征に伴って各地を移動して過ごしました。父の共和派(ボナパルティズム)としての考えは強くなる一方、もともと王党派(君主支持)であった母との関係は徐々に悪化して、共に暮らすことが困難になっていきました。この対立は本作におけるマリユスの父ポンメルシーと、マリユスの祖父ジルノルマンの確執に反映されています。ユーゴーは母と共にパリで暮らすことになりましたが、ここで多くの文学作品に出会い、多くの感銘を受けて、彼の詩性が磨かれていきます。軍人に育てたいという父の思いに反してユーゴーは詩作に熱中し、やがてアカデミー・フランセーズ(国立の学術団体)のコンクールで一位を獲得するほどに成長しました。その後、詩だけではなく、戯曲や小説などを生み出していき、フランス王ルイ十八世から認められて下賜金や年金を受けるまでになります。ユーゴーはこのようにして作家としての地位を確立していきました。その後、1829年に発表した戯曲『エルナニ』では、古典的な技法を排除した新たな取り組みであったことで古典派擁護の人々から激しく攻撃されましたが、結果的に大成功を収め、フランスの文壇において明確にロマン派という作風を打ち立てます。さらに1831年に発表した『ノートルダム・ド・パリ』(Notre-Dame de Paris)では、出版後まもなくヨーロッパ全土で翻訳され、瞬く間に世界へと広まり大きく受け入れられました。


しかし、ユーゴーの思想は一層に左傾化し、君主ルイ=ナポレオンボナパルトナポレオン三世)に対して反対思想を持つに至り、1851年にフランスから亡命せざるを得なくなりました。彼は、フランスが普仏戦争ナポレオン三世が敗北する1870年まで、イギリス王室属領ガーンジー島で亡命生活を送り続けました。その後は国民的英雄として、また大なる文豪としてフランスに帰国します。今日でもフランスの至るところでユーゴーの名を冠した通りが見られるように、現代でも変わらずフランスの誇りであり、国民的な大作家として親しまれ続けています。


ユーゴーは美醜をもって社会を映し出すロマン主義文学運動における代表者の一人として頭角を現しました。現実的な要素に象徴性を持たせた、想像力豊かなリアリズムとも言える独自の作風を生み出します。人物を微細に描きながら当時の社会を明確に表現し、そこに見える社会問題や社会悪を露見させています。題名に掲げられた「レ・ミゼラブル」(Les Misérables)は、社会に虐げられる最下層の惨めなる人々という意味合いであり、彼らの言動や置かれた立場から悲惨な社会を作り上げた階級社会を強く批判しています。フランス・ブルボン朝による絶対王政ナポレオン・ボナパルトによる第一共和制、そしてナポレオンが皇位を冠した第一帝政、ナポレオンがライプツィヒの戦いに敗れて復権したブルボン朝による復古王政ブルジョワジーによる七月王政二月革命によって成った第二共和制と、フランスの支配体制が百年の間に目紛しく移り変わります。そして、その度に社会は混乱し、税だけが次々と民衆に課せられ、「レ・ミゼラブル」は生きることも困難な立場に留められます。統治する者が定まらないことによって、「社会における正義」の形も変わり、統治する者の思惑のみが優先され、実質的なアンシャン・レジーム(旧制度と呼ばれる格差階級社会制度)の被害者は虐げられ続けました。ユーゴーは『レ・ミゼラブル』において、社会的弱者の生活実態に焦点を定めて彼らの悲惨を詳細に描いています。


犯罪者としての烙印を押されたジャン・ヴァルジャンの置かれた苦境と更生への苦難、ブルジョワジーの被害者であり性的搾取を受けるファンティーヌの苦痛、コゼットの虐待を受け続ける理不尽な境涯と不幸、ガヴローシュの親に捨てられ浮浪の生活を与えられた愛情の欠乏と困難など、社会に虐げられた最下層の登場人物を、強者からの暴力と、彼らの心情を通して描き、当時の社会悪を提起します。ユーゴーは実際に見聞きした事柄を登場人物たちに凝縮させて反映し、悲惨の生々しさを保ちながら物語を美しく紡いでいきます。ここにはユーゴーの豊かな想像力が発揮され、生み出す人物には象徴性を持たせた個性を備えさせています。そして、この虐げられた人々によって繰り広げられる物語には、ただ悲惨があるだけではなく「それでも生きていこうとする意志」が滲み出ています。それは幸福的充足感とも言えるものであり、これを切望し、方々から与えられる悲惨にも挫けないという強い欲望です。人間の持ち得る精神的生命力は、非人道的な行為、不正義な行為に挫けず、一心不乱に幸福的充足感を追い求めます。


レ・ミゼラブル」を救う希望の光となるものは、「信仰」と「愛」であるとユーゴーは諭します。徒刑囚生活によって心が廃れたジャン・ヴァルジャンを、慈愛と信仰で寛大に包み込んで更生の切っ掛けを与えたミリエル司教、生命の恩人としていつでもどのような場面でも助け尽くそうと心を向けるフォーシュルヴァン、彼らは身を犠牲にして、打算無く、慈愛の一心で救いを与えてくれます。また、ファンティーヌのコゼットへの愛、ジャン・ヴァルジャンのコゼットへの愛、マリユスのコゼットへの愛、エポニーヌのマリユスへの愛、コゼットとマリユスのジャン・ヴァルジャンへの愛など、強い熱量を持った愛情が多く表現されています。この「愛」は「レ・ミゼラブル」にとっての大きな「生きる原動力」であり、幸福的充足感の目的の一つとなっています。信仰による改悛と、愛による充足感が、彼らが強く生きる糧となっていました。


物語の最終章では、ジャン・ヴァルジャンがこの幸福的充足感に満たされて涙を浮かべながら微笑む場面が描かれます。コゼットとマリユスの愛によって赦しを得られ、ジャン・ヴァルジャン自身が改悛を自覚し、心置きなく幸福に満たされるという美しい場面です。読者は当然、深い感動を与えられます。しかしながら、同時に強い憤りも湧いてきます。それは「このような細やかな幸福を得るために、ここまで自らを追い込まなければならないような社会」に対してです。ジャン・ヴァルジャンは確かに一片のパンを盗もうとしました。そこから幾度か脱獄を試みました。それは家族を想うあまりに誤った行動です。間違いなく「悪の行為」ではありますが、そこまでの最下層の立場へ追い込んだのは社会です。その社会は、幾度の革命とブルジョワジーによる傲慢で勝手な行為によって成り立ったものであり、本来の「アンシャン・レジームを崩壊させて民衆を救う」という名目で作られた社会であったはずのものです。それが、民衆の実生活を無視し、私的財産だけを堅固に守ろうとしてきたブルジョワジーによって生み出された「地獄の社会」でした。我が子を平気で路上へ捨て、狡猾な犯罪者が富と力を得ることを放置し、真っ当に生きようとする貧しい民衆から只管に税徴収をする社会です。そして、その被害者はジャン・ヴァルジャンだけでなく、ブルジョワジーの食い物にされたファンティーヌ、虐待を受け続けたコゼット、路上に見捨てられたガヴローシュも同様に不幸を負っています。このような地獄の社会に対して、ユーゴーは強い憤りと「真の正義の意志」を持って、本作『レ・ミゼラブル』を描きました。社会の不正義を世に、或いは後世に、訴えようとする強い意志を感じさせられます。


ユーゴー自身は君主制よりも共和主義の運動に賛同していますが、1789年のフランス革命以降のすべての政権が社会的な不正義を放置し続け、或いは助長させ、フランスの根強い格差階級制度を排除できなかった点を強く批判しています。それは作中でも随所に記されています。激動のワーテルローの戦いを賛美を交えて描写していますが、その戦の終わりにテナルディエによって行われる墓荒らしのような醜い行為や、共和派「ABCの友」による反体制運動のなかで繰り広げられた居酒屋の防塞での英雄的な戦いも、結果的に無益であり虐殺に至ったという行為など、結果としての実態に目を逸らすことのないように厳しく描いています。ユーゴーが支持する革命とは、道徳的なものであり、慈悲深いものであり、暴力で解決するものではないと示しています。


しかしながら実際としての革命は、女性の権利搾取、世代間思想の軋轢、司法制度の杜撰さ、広がり続ける格差社会といったものを生み出していきました。こうした民衆を取り巻く社会不安が幾度の革命を起こす原動力となり、悪循環のように繰り返されました。そしてユーゴーは革命の原因を、社会から充分な恩恵を受けている者たちの安定(継続)を求める欲求と、生活が困難なほどに虐げられている下層の者たちの環境を打破しようとする欲求との、永続的な葛藤(交わることのない互いの幸福)にあると突き止めました。この葛藤を表現する、本作において二者を分つ絶対的な溝として存在しているのが警視ジャヴェルです。社会を守る存在が強者を擁護する存在でしかないことを明白に描き、また、ジャヴェルの絶対的な規律遵守の性格が「制度そのもの(社会そのもの)が悪」ということを裏付けています。さらに、そのジャヴェルの心境変化と最期こそが、「真の正義の在り方」を理解した描写であり、ユーゴーが不正義の社会に求めた根源的な変化を象徴しています。


ユーゴーは社会を牽引する革命や国家組織の中心ではなく、その変化に左右される民衆の実態に目を凝らしました。社会の周縁とも言える彼らの実態こそが、国家であり、守るべき存在であることを強く示しています。この姿勢は本作『レ・ミゼラブル』だけに留まらず、彼の思想の基盤でもあり、政治に対する態度そのものにも表れています。そしてその心は慈悲を求め、信仰に救いを求めています。

 

そして彼は自分の上衣をぐっとつかんで、それをマリユスの方へ引っ張った。
「この拳をごらん下さい。」と彼は言い続けた。「この拳は襟をつかんでどうしても放さないようには見えませんか。ところでこれと同じも一つの拳があります。すなわち良心です。人は幸福でありたいと欲するならば、決して義務ということを了解してはいけません。なぜなら、一度義務を了解すると、義務はもう一歩も曲げないからです。あたかも了解したために罰を受けるがようにも見えます。しかし実はそうではありません。かえって報われるものです。なぜなら、義務は人を地獄の中につき入れますが、そこで人は自分のそばに神を感ずるからです。人は自分の内臓を引き裂くと、自分自身に対して心を安んじ得るものです。」


本作『レ・ミゼラブル』は、社会において逆境や不正義に直面したときに慈悲や愛を希望に繋げる人道的な作品であると言えます。またその側面では、広範囲を詳細に分析した「史実からは見えない」歴史的な作品でもあり、激動の十九世紀フランスの政治および社会の実態を映し出しています。言い換えれば、社会の不正義を物語に乗せて世に示し、現在(未来)に民衆が「真の幸福」を得られる社会を築き上げることができるような政治革命を求めていたと窺えます。更には、文学の持つ力をユーゴーは信じて書き上げたとも言えます。彼は、「罪を犯しているのは、罪を犯した人ではなく、暗闇を引き起こした人である」と言葉を遺しています。まさに本作に込められた思想です。


現在とも重なる普遍的な問題も数多く描かれており、ジャン・ヴァルジャンの言葉や行動は、今でも読者の心を打ち、感動を呼び起こします。日々の生活で当たり前に受けている幸福や、他者から受ける思いやりなど、改めて思い返させられます。そして物語が与える美しい愛の印象は、心に良い変化を齎してくれます。本作『レ・ミゼラブル』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『サー・トマス・モア』ウィリアム・シェイクスピア 他 感想

f:id:riyo0806:20231201204943j:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

サー・トマス・モア(1478-1535)は十六世紀に法律家として活躍した思想家です。ロンドンの法律家のもとで生まれ、裕福な環境のなかで育てられました。オックスフォード大学で古典の哲学や文学を学びましたが、家業に倣って法律家を目指すため、法律学校へと移ります。法学を修めると、その才覚はすぐに芽生え、多くの人々の支持を得ます。その後、二十代にして下院議員に当選し、政治家としてもその手腕が認められていきました。四十代に至ると国王ヘンリー八世の寵愛を受け、幾つもの外交政治における要職を任され、その活躍も認められて、官職の最高位である大法官の地位を与えられました。それでも彼は、持ち前の賢明さと善良さを常に崩すことなく、国王や民衆の期待を裏切ることはありませんでした。また、彼は熱心なカトリック信仰の持ち主で、キリストの教えを尊重し、欲望に走ることなく生きることを自分に課していました。


モアが大法官に任命されたころ、ドイツでは宗教改革が広がっていました。ローマ教会がドイツで販売した贖宥状(買った人間は現世における罪が許され、天国に行くことができると言われる免罪符のようなもの)に対して、マルティン・ルターが投げ掛けた公開質問状「九十五ヶ条の論題」が発端となり、カトリック教会への批判が爆発的に高まっていました。この改革は国境を越え、イギリスでもその風潮は広がっていきます。しかし、ヘンリー八世はルターの主張を認めず、その改革の波を弾圧し、カトリックを擁護したことから、ローマ教会より「信仰の擁護者」という称号を与えられました。信仰の厚いモアは、ローマ教皇から信仰擁護者とされたヘンリー八世を当然ながら支持し、カトリックが唯一の正当なキリスト教であるという立場を守ります。ところが、国王の離婚問題によって事態は大きく変化します。


ヘンリー八世の皇后であるキャサリン・パーは、スペイン国王フェルナンド五世とイザベルの娘で、もとはヘンリー八世の兄であるアーサーの妻でした。アーサーは婚儀直後に急死したため、国政上の問題でヘンリー八世と結婚することになりました。しかし、この二人の間には女子しか生まれず、イギリス側の王位継承問題が浮上したため、ヘンリー八世は離婚を決意します。この背景には、ヘンリー八世が宮仕えのアン・ブーリンと恋に落ち、彼女を皇后へ迎えたいという考えがありました。これにより、ローマ=カトリック教会との関係が複雑化し、国政問題にも発展して大きな問題へと進展していきます。もともと兄嫁と結婚すること自体がカトリックでは許されないことでしたが、まだ国力が弱かったイギリスはスペインとの良好な関係を維持する必要があったため、ローマ教皇から特別に許可を受けていました。そこに同じ理由で、今度はその離婚のために特別赦免を願うという要請があったため、ローマ教皇の逆鱗に触れます。ヘンリー八世はキャサリンとの離婚、懐妊がわかったアン・ブーリンとの結婚を合法化させるため、「宗教改革議会」というものを開き、カンタベリー大司教の力を借りてそれらを叶えました。そうして生まれたのは女子であり、後のエリザベス一世でした。また、ローマ教会側は一連の流れを受けて、ヘンリー八世を破門にし、ヘンリー八世は「国王至上法」(首長法)を発布して国教会制度を整えたことから、ローマ教会とイギリスは決定的に絶縁しました。


このイギリス宗教改革と言える国策は、徹底したものでした。教会や修道院を次々に崩壊させ、その財産を議会のジェントリ層が掠め取っていきます。このカトリック弾圧は当然ながら国政にも影響し、政治家たちも強制的にこの考えに賛同させられました。これは、モアにも突き付けられます。しかし、聖者でない者が教会の首長となることは不可能であるとして賛成を求める書面に署名をせず、大法官を辞任することになりました。ヘンリー八世は、モアの行為を反逆罪に当たるとして、ロンドン塔へと投獄し、死刑の判決をくだし、1535年に断頭台で処刑されました。


本作『サー・トマス・モア』は、彼の伝記的史劇となっています。もともとシェイクスピア外典シェイクスピア執筆と思われるが根拠の少ない作品、或いは贋作とされた作品)のなかに含まれていましたが、科学の進歩によりシェイクスピアの執筆であると判断された作品です。真贋鑑定が複雑になった理由の一つに、本作の元原稿の筆写者(下書きを演劇の形式に整える浄書を行う者)を、シェイクスピアから見て英国作家としての先輩であるアントニー・マンデイが引き受けたことにあります。未熟な劇作家や無名な作家が執筆した作品を戯曲に仕上げる浄書という作業を、シェイクスピアは何故か依頼しました。そしてこの作品には、五人の加筆手跡が確認され、うち一人がシェイクスピアであると断定されました。奇異とも言えるこの作業分担には深い意味があります。『サー・トマス・モア』は、「カトリック殉教者」を主人公にした戯曲であり、そこには賞賛の色が濃く映し出されています。しかし、当時の英国では、前述の通り、カトリック教徒に対して激しい弾圧行為が齎されていました。さらに思想だけではなく、劇中でロンドン市民の蜂起といった事柄も描かれ、政治的に見ても検閲によって厳しく罰せられる対象となる内容でした。つまり、本作を発表する作家は危険を共にすることであったと言えます。この政治的、世間的な状況を鑑みたシェイクスピアは、先輩作家マンデイに浄書を依頼して、或る種のカモフラージュとして、厳しい検閲から逃れようとしたと考えられます。


後世の研究においてまず疑問符が立てられたのが、国政のカトリック弾圧に女王より功績を与えられたほどの強固なプロテスタントであるマンデイが、なぜカトリック信仰を擁護するような作品を執筆したのか、という点でした。1757年に偶然に見つかった、シェイクスピアの生家の屋根裏に五枚の冊子が発見されました。それはシェイクスピアの父であるジョン・シェイクスピアの署名が入ったカトリックの「信仰上の遺言書」でした。これは謂わば、カトリック信仰告白の書と言えるもので、父ジョンは密かにカトリック教徒であったことが明らかにされました。また、シェイクスピア自身が通ったストラトフォードのグラマー・スクール「ヘンリー六世校」に通っており、これはローマ・カトリックが創設に携わっています(ヘンリー六世という校名にはヘンリー六世との関わりが無い)。さらに、シェイクスピアの三人の子供たちである、スザンナ、ジュディス、ハムネットが「国教忌避者」の名簿に記載されているという事実があります。前述のイギリス国教会の礼拝に出席しない者をこのように呼ぶことから、シェイクスピアの子供達もまたカトリックであったことが理解できます。これらのような事柄からシェイクスピア自身がカトリック信仰であった可能性が非常に高いと考えられ、本作のカトリック讃歌を描いたことも頷けます。


「伝記劇」と呼ばれる演劇形式は、エリザベス朝時代に人気のあったものでした。シェイクスピアが描く演劇は、登場人物たちによる出会いや事件によって、その世間における社会性を浮き彫りにし、詩性や文芸性を込めたものが数多く、喜劇、悲劇、史劇、ロマンス劇(悲喜劇)と分けられています。しかしながら、この伝記劇は、主人公が繰り広げる社会での行動に物語が沿うことで、その主人公の人間像を浮かび上がらせるものであり、そこに劇的な緊張や感動を求めるものではありません。端的に言えば、社会を描くか、人物を描くか、と言った違いがあります。それ故に、伝記劇には美しい詩性や、大きな感動などはあまり無く、人物の個性や振る舞いが強く前面に描かれます。


本作において浮かび上がるモアの人間像は、賢明であり、善良であり、慈悲に溢れた性格の人物です。対比的に、ハムレット、オセロー、リア、マクベスといった四大悲劇に挙げられる主人公を筆頭に、シェイクスピアが描く中心人物は比較的「過誤」な性格を帯びて描かれていることが理解できますが、これらに照らし合わせると、モアは終始、特異な「善の人」として描かれています。実際に生命をかけて国王のイギリス宗教改革に反対するという史実からも窺えるように、実に信念の強い人物であったことは間違いありません。真の信仰擁護者と言える彼の言動のなかに見える偉大さを、シェイクスピアは描き出そうとしたのだと考えられます。


当時はイギリスの国力の弱さから、フランスやスペインからの移住者たちは、イギリス人を差別的に扱い、利益を強奪し、性行為の強要などを当たり前にする時代でした。その扱いに業を煮やしたイギリスの民衆はロンドン市長の元へ集い、武力行使で蜂起します。これを収めるために招集されたのが、民衆の支持が強い善の人モアでした。

 

諸君は、やけっぱちにこんなことをしでかして、諸君の魂をどうするつもりなのだ。諸君の汚れた心を涙でもって清めたまえ。また、謀反人よろしく、平和に反対してふりあげたその手を、平和のためにさしあげたまえ。そして、諸君の不敬の膝を、諸君の足とするがいい。諸君は騒乱を秩序だと心得ているのだろうが、戦などおっぱじめるより、陛下の御許にひざまずいてお赦免を請うほうが、どれほど安全かわかりはしない。


モアは、民衆の命も等しく尊いものと考え、いかなる損失も望んでいませんでした。このような信仰を元にした善の言動は、清々しいほどに快く、また徹底した徳の行いに強い信念を感じます。これは劇中劇『「才気」と「知恵」の結婚』において、モアが「良き助言」役を演じる際、特別に演技をするわけではなく、元来持ち得ている善良な思考による発言を披露するという場面からもわかるように、ここでもモアの信念の一貫性が見えてきます。


本作が記録的に映し出す、或いは想起させるモアの人生に込められた複雑な主題感情は、終幕において最高潮に達します。モアを敬い、モアを偲ぶ、そのシェイクスピアの姿勢は、モアの処刑によって作品が含む殉教的な主題が完成します。そこには悲劇性ではなく、殉教の精神が打ち出されています。

 

奥よ、元気を出しなさい。みんなもそうです。みなはわたしが出世したとき喜んでくれたが、かといって転落のときになくものではありません。さあ、中へ入ろう。よろこびの日々が後悔の日々で終るからには、せめて親しい者同士が、ここで楽しく過そうじゃないか。卓越した人間の曙光は歓喜をもって迎えられるが、しばしば真昼にみなにあざけられて沈むものだ。


「完全なる善の人」を描写したように感じられる『サー・トマス・モア』。その善の人が殉教しなければならなくなった理由が国政にあるという、当時のイギリスにおける最も危険な主題を込めた作品です。ドラマチックな紆余曲折が複雑に絡み合うような場面はありませんが、じっくりと滲み出てくる作者の強い思いと、当時のイギリス宗教改革に対する否定的な眼差しが印象に残る作品です。少し読み応えの違うシェイクスピア作品、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

『お気に召すまま』ウィリアム・シェイクスピア 感想

f:id:riyo0806:20231110194443j:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

本作『お気に召すまま』の種本は、トマス・ロッジ『ロザリンド』(1590)と、作者不詳の物語詩『ギャミリン物語』(1400)が用いられています。両作品に描かれる残虐な死の場面や、淫蕩で不幸な場面などはシェイクスピアによって姿を消され、おかしみや機知に富んだ会話に溢れた作品へと変化されています。シェイクスピア作品のなかで、最も甘美で、最も幸福な物語と言われています。


フレデリック公爵は兄である先代の公爵を策略によって追い出し、地位、名誉、財産の全てを簒奪しました。しかし、先代の娘ロザリンドは、自身の娘シーリアの願いにより、その側へ置くことになります。先代の公爵が敬愛していた騎士ローランド・デ・ボイスには三人の息子がいました。その末息子であるオーランドーは、長兄のオリヴァーから財産を与えられないばかりか、耐え難い扱いを日々受けていました。関が切れたように激しく怒りを露わにしたオーランドーは、鬱憤を晴らすべくフレデリック公爵が催すレスリングの試合に出場して暴れてやろうと決意します。そしてフレデリック公爵お抱えの戦士チャールズに身分を隠して戦いを挑むと、見事に打ち負かして勝利を手にしてしまいます。素性を問われたオーランドーはその身を明かすと、フレデリック公爵は気分を害し、勝者に対して不相応な態度をもって場を離れるように命じます。その最中で出会ったオーランドーとロザリンドは僅かな会話のうちに恋し合い、思いをそれぞれに募らせていきました。帰路の合間に、オーランドーは忠臣アダムより、オリヴァーが命を狙っていることを告げられ、二人共だってアーデンの森へと避難します。一方のロザリンドは、フレデリック公爵の不機嫌のままに、シーリアの願い虚しく追放を告げられます。彼女たちは策を弄し、見張りの目を掻い潜って、二人揃ってアーデンの森へと旅立ちます。そして、女性二人での森歩きは危険であるということから、ロザリンドは男装してギャニミードを名乗り、シーリアはエイリイーナと名乗って森へと進むことになりました。そしてそこには、シーリアの案で宮廷道化タッチストーンも随伴します。


森の中でロザリンド(ギャニミード)と再会したオーランドーは、素性を知らずに本人に対して、命を狙われること以上に恋に悩まされていることを告げてしまいます。ロザリンドは、自分をロザリンドに見立てて告白の練習をすれば良い、という解決策を提示して、オーランドーは知らずに本人に対して告白を繰り返すことになります。また、追いやられた先代の公爵もこのアーデンの森におり、その廷臣たちとともに、洞窟を居城として世俗から離れた牧歌的な暮らしを楽しんでいました。果物の採取や鹿狩りなど、宮廷暮らしと対を成すような生活を過ごしています。そこに空腹に倒れたオーランドーとアダムが出会い、命を救われます。その頃、タッチストーンは森で出会った羊飼いの娘オードリーと恋仲となり、ふらふらと森を歩き回って、先代の公爵の従者である皮肉屋のジェイキスと言葉を交わして楽しみます。また、ロザリンドは森の中でシルヴィアスとフィービという羊飼いの二人に出会い、恋の成就の手助けをしようとしたところ、フィービに惚れられてしまいました。


一方で、ロザリンドと共にシーリアが去ったこと、そして同時にオーランドーが失踪したことで、フレデリック公爵はオリヴァーを責め立てます。急ぎアーデンの森へと向かったオリヴァーは、あてもなく彷徨った挙句に力尽き、倒れたところへ蛇と雌獅子に襲われてしまいます。見て見ぬ振りができなかったオーランドーは、命を狙ってやってきたオリヴァーを、傷を負いながらも助け出しました。心を改めたオリヴァーは、オーランドーとともに、森の中へ命を守るために身を隠します。そして出会ったオリヴァーとシーリアは、瞬く間に恋に落ち、二人とも心が惹かれ合います。ロザリンドは、オーランドーとの恋を成就させる機会と見て、それぞれ幸福になるため、全員が結婚するという一計を案じます。


ロザリンドはギャニミードとしてフィービに結婚を承諾しますが、何らかの理由で結婚できなかった場合に、シルヴィアスと結婚することを約束させます。オリヴァーはシーリアと、タッチストーンはオードリーと、そして、ロザリンドはギャニミードの変装を解き、オーランドーの前へ現れて結婚を承諾(何度も告白されているため確信がある)するという計画です。そして父である先代の公爵の前でロザリンドは男装を解いて現れ、婚姻の神ハイメンの名の下に皆が契りを結びます。さらにフレデリック公爵がアーデンの森へ踏み入ろうとした際、老僧に説かれ、心を入れ替えて全権威と全領土を先代の公爵へと返還するという報せが届き、全てが大団円となって幕を下ろします。


唐突な恋心の芽生えや、急激な改悛、そして童話的な大団円と、観客は勢いのままに物語に引き込まれていきます。この現実性の無さに整合性を持たせているのが、アーデンの森が持つ「魔力」とも言える効果です。アーデンの森は厭わしき現実の世界に対置された桃源郷として描かれています。中に踏み入る者へ、改悛と安寧を与える「魔力」が働きます。あれほどの簒奪者であるフレデリック公爵が、即座に自身の行いを悔いて位を退く事態は、もはや異世界とも言えます。この「仮象の世界」にあるからこそ、オーランドーがギャニミードをロザリンドであると気付かない点や、オリヴァーの目まぐるしい感情の変化を、読者は得心が行って進むことができます。

「アーデン(Arden)」は、種本にも登場する語ですが、一説には牧人の楽園アルカディアArcadia、Arkadia)と理想郷エデン(Eden)の造語と言われています。しかし付け加えて、シェイクスピアの母親の旧姓がアーデン(Arden)であったことから、ここに偶然性を見出し、特殊な「魔力」を持った森を創造したと考えられます。そして結末が訪れると、森の中の人々の改悛が済み、幸福を手にして現実世界の現実社会へ戻るため、アーデンの森の「魔力」が切れ、簒奪者フレデリック公爵に追いやられていた「はず」の人々が、本来の宮廷へと戻されます。これは、いずれ描かれるロマンス劇の傑作『あらし』(テンペスト)で、万能妖精エーリアルの魔法が消え、大団円となった人々がナポリへ戻される事態に呼応します。


オーランドーはアーデンの森に入ると、「魔力」によって恋の病に包まれ、多くの者に認められていた真に強く勇ましいさまは、全く見られないほどの人物へと変化します。これは、オリヴァーの急激な人間性の変化にも同様に言え、いわば解決すべき問題の意識が「魔力」によって高められているとも考えられます。しかし、その「魔力」に影響されていない人物がロザリンドです。そればかりか、最終的にはロザリンドが皆の運命の決定者となり、幾人もの運命を掌握する姿は、正しく魔女的であると言え、劇そのものを動かす支配者となっています。

 

見よ神は造化に命じ給いき
一人を選びてその身内を充たすべし
世にあるなべての美徳もてと
造化はただちに神意を受け美女ヘレンの心を捨て
その艶なる頬を
クレオパトラの荘厳を
アタランタの軽き足取りを
痛ましきルークリースの貞節を……
かくてロザリンドに諸々の美は集まりぬ
天なる神々、力を協せ給い
あまたの顔、あまたの瞳 あまたの心を因に
絶妙の神技をこの世に示さんとなり……

第三幕第二場


牧歌的で遊戯的な劇において、追いやられた先代の公爵は「魔力」に包まれ、このような生活こそ幸福だと、真に感じながら説きます。ここに現実性が見られない以上、劇には対比的な批評者が必要となってきます。その役割を担うのが、先代の公爵に仕えるジェンキスと道化タッチストーンです。皮肉屋であるこの二人もまた、森に惑わされない人物であり、劇中の「魔力」を反面的に演出しています。

ジェンキスは純粋な瞑想家であり、社会全体の観照者です。彼は常に考え、常に訝しみますが、行動には移すことなく、結果的に何もしないという人物です。彼は他者が環境に流され、溺れ、振り回される様子を見て、人間は如何に在るべきかを説きはしますが、その目的は自分を楽しませることに集約しており、単純に黙考することができる環境を好んでいるだけです。

他方のタッチストーンは、実にシニカルな哲学者であり、正に生きる道化であると言えます。愚かしさを知恵に、知恵を愚かしさに切り替える様子は滑稽でありながら、多くの知識と深い考慮の基に築かれており、非常な早さで回転する舌は、様子に反して理知的な言葉が綴られていきます。また、調子に反して徹底的に宮廷人であろうと振る舞い、森の中での生活に否定的な印象を抱きます。

いや、全く、羊飼殿、これはこれとして結構な暮しと言うべきだ、しかし、それがあくまで羊飼の暮しであるという点は一向面白くない。人附合いせずに済むのは大いに気に入った、だが、淋しいという点では、とても堪らない暮しだね。それに田園生活というのは実に楽しい、だが、宮廷の華やかさが無いという点では全く退屈きわまる。つましい暮しというのは、正直の話、俺の気性にぴったりだ、が、万事、在り余るという具合に行かないので、時々腹の方で音を上げるという訳さ。

彼ら二人は、静謐で孤独な筈の森の生活に高尚さと情熱を輝かせる公爵たちに懐疑的な視線を投げ掛けるとともに、宮廷生活者たちの目線で「牧歌的な幸福は真か」という考えを代弁します。


また、アーデンの森で魔力の影響を受けていないもう一人の存在が、オーランドーの忠臣アダムです。初公演でシェイクスピア自身が演じたと言われています。メタ視点で「唯一魔力に惑わされていない存在」と言え、根本的に現実の存在となっています。実直さ、誠実さ、忠心の塊であるアダムは、一心にその忠義を遂行します。その視点には、自身の幸福や欲望などは介在せず、ましてや森の牧歌的な理想生活や、豪奢な宮廷生活などに溺れることはありません。ただ己を律し、「精神を平静に保つ」ことで、どちらの生活環境にも侵されず、自らの役目を全うします。アダムの目線にはどちらの世界も欺瞞に溢れていることが見えており、環境ではなく自身の忠義を果たすことができます。

 

シェイクスピアはこの戲曲の中でアーデンの森を變貌させて第二のアルカディアにしてゐる。そこでは人々が「黄金時代そつくり」に「何の煩ひも無く時を過してゐる」のである。これは、この作者の全作品の中で最も理想的なものである。これは牧歌的なドラマであつて、その興味は人物たちの行動や情󠄁緒や性格に由來してゐる

『お氣に召すまま』批評集より ウィリアム・ハズリット


シェイクスピアは、ギリシャ神話における牧人たちの楽園「アルカディア」を描きました。それは理想に過ぎないかもしれませんが、目的は、その理想を見ることによって心身が癒されることにありました。執筆時期は喜劇時代の成熟期です。『ハムレット』『マクベス』などを既に構想していたシェイクスピアにとって、この喜劇時代を終わらせ、その後に訪れる重い悲劇時代を迎えるため、その訪れの前に「理想郷」を創出して憩いを求めることが必要不可欠であったのだと考えられます。だからこそ、作品自体には「理想に過ぎないアーデンの森」を描き、理想的な幸福物語を描いたのだと言えます。

アーデンの森へと踏み入った後から登場人物が次々と変貌していくさまは、のめり込むと一挙におかしみが増大します。愉快で幸福な物語、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『アントニーとクレオパトラ』ウィリアム・シェイクスピア 感想

f:id:riyo0806:20230805222025p:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

本作『アントニークレオパトラ』は、『ジュリアス・シーザー』の後の舞台を描いており、これらを二部作と括る場合もあります。シェイクスピアは『ジュリアス・シーザー』を転換点として、その作風に強く深い悲劇性を帯びさせていき、『ハムレット』『オセロー』『マクベス』『リア王』の四大悲劇を生み出します。その後、『ジュリアス・シーザー』に呼応させるように、この悲劇時代の終わりを飾る最も光景な悲劇『アントニークレオパトラ』を執筆しました。実に四十二場面に及ぶ舞台の目紛しさ、それに伴う多くの使者や伝令の登場は、劇そのものの公的な慌ただしさと、当時の不安定な政治を表現しています。シェイクスピアの作品の中で最も地理的に広範囲にわたるこの作品は、ローマ帝国全体が舞台であり、その背景はプルターク英雄伝によるマーク・アントニウス(以下アントニー)、クレオパトラ、オクティヴィアス・シーザーの物語を元としています。作中で描かれる舞台は、『ジュリアス・シーザー』の出来事からおよそ二年が経ち、その後に進められた三頭政治トロイカ体制)のローマ帝国が描かれます。『ジュリアス・シーザー』と『アントニークレオパトラ』は、ローマが共和政から帝政へ移行する際に発足された寡頭政治体制を、劇的に描いた二作品であると言えます。


ローマ帝国の三人の支配者の一人であるマーク・アントニーは、エジプトの美しい女王クレオパトラと関係を持ち、その美貌に溺れて退廃的で怠惰な生活を過ごしていました。彼の妻のファルヴィアが亡くなり、ポンペイアスが三頭政治に反乱するために軍隊を招集しているという知らせが届くと、アントニーはローマに戻ります。アントニーの不在中、アントニーと肩を並べるオクティヴィアス・シーザーとレピダスは、ポンペイアスが力を増していることを懸念しています。そしてシーザーは、アントニーが政治家や軍人としての義務を怠っているとして非難します。妻の死と迫る戦いの知らせがアントニーの支配者としての自覚と義務感を刺激し、ローマへと戻り自身のなすべきことを果たそうと決意します。口論を挟みながらも、ポンペイアスを倒すには同盟が必要であることを理解した三人は、互いの心身の結束を強めるため、アントニーがシーザーの姉オクティヴィアと結婚することになりました。アントニーの親友であるエノバーバスは、その結婚を見守りながらも、アントニーは必ずクレオパトラに戻るだろうとシーザーの部下に予言します。エジプトでは当然ながら、クレオパトラアントニーの結婚の知らせに嫉妬して激怒します。しかし使者との会話で、オクティヴィアがさほど魅力的な女性ではないと知ると、クレオパトラアントニーを取り戻すことを確信します。


ポンペイアスとの争いは、結果的に戦うことなく互いの意見の相違を解決し、ポンペイアスはシチリア島サルディーニャ島の支配と引き換えに平和を維持することにしました。その夜、四人は休戦を祝うために船上で宴を催します。その時、ポンペイアスの兵士の一人が、酔い潰れた三人の支配者を暗殺し、それによって全ての権力をポンペイアスの手に渡すという計画を提案すると、彼はその計画を自分の名誉に対する侮辱だとして却下しました。一方で、アントニーの将軍の一人がパルティア王国に勝利を収めたという知らせが届きます。それを受けて、アントニーとオクティヴィアはアテネに向けて出発しました。そうして彼らがいなくなると、シーザーは独断的に休戦協定を破り、ポンペイアスに向かってレピダスの軍隊を使った戦争を仕掛け、ポンペイアスを打ち破ります。勝利すると、シーザーはレピダスを反逆罪で告発し、投獄したうえに土地と所有物を没収しました。そして更に、公の場で堂々とアントニーへの非難を語って民衆の支持を独占しようとしていました。これらの知らせはアントニーを激怒させます。しかしオクティヴィアは弟シーザーとの平和的な関係を継続して欲しいと懇願し、自らの手で平和的解決を試みるためにシーザーの元へと向かいました。怒りの収まらないアントニーは、オクティヴィアに託して見送ると、すぐにエジプトのクレオパトラの元へ向かいました。そこで大軍を編成してシーザーとの戦いに備えます。一方、姉の扱いの酷さに憤ったシーザーも同様に強大な海軍を編成してエジプトへと向かいます。アントニーは昔ながらの決闘をシーザーに求めますが、それは拒否されて海上での戦いとなります。エノバーバスの強い反対にもかかわらず、アントニークレオパトラが自ら船を指揮するという希望を受け入れました。当然の如くクレオパトラの船は敗退逃亡し、アントニーが後を追ったため、シーザーがこの大規模な戦いを制しました。


敗北したアントニーは、エジプトに住むことの許可をシーザーに願いますが、シーザーはオクティヴィアの思いも汲まず、徹底した態度でこれを却下します。一方で、クレオパトラが望む自分の王国(エジプト)を正当な後継者に引き継いでほしいという願いは、アントニーとの関係を切り離すことを条件に公正に検討すると応えました。これにアントニーの怒りが爆発し、彼女の自分に対する裏切りを罵り、無実の使者に鞭打ちを命じました。これを見て、エノバーバスは主人の役目は終わったと判断し、シーザーの陣営へと逃亡します。エノバーバスの脱走を知ったアントニーは、大切にすべき部下の信頼を裏切ったと自分を責めて嘆きます。彼は友人の財産をシーザー陣営内にいるエノバーバスに送ります。すると彼は、自分の不誠実さを恥じて自責の念に打ちひしがれ、罪の重さにひれ伏して自害します。別の日には新たな戦いが起こり、アントニーは海で再びシーザーと出会います。以前と同様に、クレオパトラが率いるエジプト艦隊は戦いを放棄し、アントニーに二度目の敗北を与えます。恋人が自分を裏切ったと確信したアントニーは、クレオパトラを抹殺することを誓います。彼女は自分を守るために、霊廟の中に身を隠して、アントニーに自害したという知らせを送ります。アントニーは悲しみに暮れ、死後の世界で女王と結ばれることを決意して、後を追うように死を望みます。彼は部下の一人に、疑いの余地のない奉仕の約束を果たし、自分を殺すように命じました。しかし、従順なる部下は代わりに従者自身が自害します。その後、アントニーは自らの剣によって生命を差し出しますが、急所を外して死にきれません。血を流すアントニークレオパトラの隠れる霊廟に運ばれ、短い再会を果たして生命が尽きます。シーザーは女王を捕虜として捉え、ローマ帝国の力の証として、彼女をローマ中の見せ物にしようと企みます。しかしながらクレオパトラはシーザーの計画を知り、数匹の毒蛇を道化に差し入れさせて、胸を噛ませて自害しました。シーザーはクレオパトラアントニーの隣に埋葬し、幕は降ります。


舞台が西洋と東洋で揺れ動くように、登場人物たちの心情も理性と感情で揺れ動きます。ローマ帝国の公人であるが故に求められる理性、エジプトの艶やかな情熱に溢れる感情、アントニーの心が揺れ動き、両国の情勢も同様に揺れ動きます。双方に求めようとする源泉の欲は権力であると言えます。ローマ支配者としての権力、エジプト女王の愛の獲得者としての権力、理性と情熱が相反する二つの欲望は、一人の人間を引き裂くように悩ませます。アントニーが『ジュリアス・シーザー』における反乱で掲げた強靭な大義的理性は、クレオパトラへの溢れる情熱を抑圧し、支配者としての義務として、その上から覆い被さります。彼に求められる公人としての立場は、情緒を捨て去った非人間的な姿でした。ローマの同盟者であったシーザー、レピダスたち、そして忠実に仕えるエノバーバスでさえも彼を見捨てるなか、アントニーは自分自身に陶酔していることを自覚し、自らの生命を絶って高貴な(と自認している)アイデンティティを救おうと思い至ります。しかし、これを側面から見るならば、理性的であろうとし、理性的であると自認したいがゆえに見落としていた自分の情熱の強さに、死の間際まで支配され続け、理性が炎に包まれたのだと見ることができます。情熱を押し殺し、理性を貫くことが非常に困難であることを、実に見事に表現しています。


劇中で西洋と東洋は、対照的に特徴付けて描かれています。シーザーが西洋の支配者として徹底的に理性を体現する一方、クレオパトラは溢れる情熱に身を任せる、自由を求める奔放な姿が表現されています。

クレオパトラが喜劇の女主人公よろしくアントニーを愛の成就へと導く。しかし「貞淑な」喜劇の女主人公と決定的に違い、クレオパトラは性的魅力にあふれ、悲劇の主人公のようにその死が社会や家族や歴史に取り込まれるのではない。クレオパトラの恍惚の「愛=死」は究極の愛の形を示す。

シェイクスピアハンドブック』

クレオパトラの不幸は、アントニーを求めながらも、女王としての自身の権力をより愛していたことであると言えます。名誉とは、西洋や東洋の各文化によるものではなく、彼らが自分自身を定義しようとする意志によって決定されます。アントニークレオパトラも、自分たちのアイデンティティの侵害を阻むため、名誉ある死という形で拒否することになります。

この西洋と東洋の邂逅は、シーザーによるアントニークレオパトラへの戦いによって果たされます。そして、西洋であるローマが、東洋であるエジプトに勝利したにもかかわらず、その地の征服には至りません。この大きな要因はクレオパトラの自害にあり、劇中に表される東洋精神とも言うべき誇りと情熱が、シーザーの西洋的理性による支配を跳ね除けています。

クレオパトラの全性格は、妖艶なるものの勝利であり、快樂愛の勝利であり、快樂を與へる力の勝利なのだ。その前には他のあらゆる配慮が敗退する。

ウィリアム・ハズリット『アントニークレオパトラ』批評集


クレオパトラが毒蛇に自らの胸の膨らみへ噛み付かせて自害する場面は、情熱と妖艶で満たされています。理性と情熱、愛と権力、それぞれが対比的に描かれる壮大な作品は、シェイクスピアの悲劇時代に終止符を打ち、ロマンス劇へと進化していく片鱗を垣間見せています。『ジュリアス・シーザー』を読んだ方にはぜひ読んでもらいたい作品です。機会があればぜひ。

では。

 

『青い鳥』モーリス・メーテルリンク 感想

f:id:riyo0806:20231205201224j:image

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

 

クリスマスイヴ、貧しい木こりの子チルチルとミチルの部屋に醜い年寄の妖女が訪れた。「これからわたしの欲しい青い鳥を探しに行ってもらうよ」ダイヤモンドのついた魔法の帽子をもらった二人は、光や犬や猫やパンや砂糖や火や水たちとにぎやかで不思議な旅に出る。<思い出の国><幸福の花園><未来の王国>──本当の青い鳥は一体どこに?世界中の人々に親しまれた不滅の夢幻童話劇。

 


モーリス・メーテルリンク(1862-1949)は、ベルギーのガン(ヘント)でワロン・フラマン人(フランス語を話すゲルマン民族)のカトリック家庭に生まれました。母親は裕福な家柄で、父親は公証人を務めるという上流階級で不自由なく育てられます。家業を継ぐためにガン大学で法学を学ぶ傍ら、勉学の合間に元来関心の強かった執筆を行い、詩や小説を書き上げていました。大学を卒業すると、同年のグレゴワール・ル・ロワ(後のベルギー象徴主義詩人)とともに父親を説得して、表向きはフランス法を勉強するという名目でパリへ向かい、数ヶ月を過ごします。この期間(1885-1886)は、パリの文壇を中心に象徴主義運動が活性化していました。二人はその運動に参加し、作家たちとの交友に力を注ぎ、人脈を構築するとともに、その思想に感化されていきます。シュルレアリスム詩人の先駆者サン=ポル=ルー、詩的リズムの開拓者ステファヌ・マラルメ、清貧高潔の魂で描くヴィリエ・ド・リラダンなどと交際し、自らの詩性をより具体的なものへと成長させていきました。そのような心情で帰国し、弁護士となった四年間は、当然の如く良い結果を生むことはありませんでした。代わりに(むしろ力を入れていた)同時に進めていた執筆活動はフランス文壇に認められ始めていきます。


メーテルリンクは短篇小説、詩集、翻訳、戯曲など、さまざまな手法で執筆していましたが、自費で上演した戯曲『マレーヌ姫』を切っ掛けにして、彼の作家人生は大きく変化していきます。この戯曲台本をマラルメに渡すと激しく絶賛し、過激な芸術擁護者と知られる劇作家オクターヴ・ミルボーにその気持ちを共有します。ミルボーもまた強く感銘を受け、熱狂的な賞賛の言葉を『ル・フィガロ』の誌面に綴りました。こうして世間的に受け入れられたメーテルリンクは作家として成功を収めていきます。


文学における象徴主義運動は、1857年にシャルル・ボードレールによって発表された『悪の華』によって花開きました。自然主義が不自然で教訓めいた作品を押し付けるように感じた他の作家も同調し、この自然主義への反動という形で象徴主義運動は隆盛し、多方面の芸術へと影響を与えます。詩においてはアルチュール・ランボオポール・ヴェルレーヌなどが続き、音楽ではリヒャルト・ワーグナークロード・ドビュッシーといった作曲家が象徴主義の美学を昇華させました。また絵画では、「オフィーリア」などで知られるジョン・エヴァレット・ミレイ、「受胎告知」などでファム・ファタルを描いたダンテ・ガブリエル・ロセッティといったラファエル前派と呼ばれる画家たちが賛同していました。それまで各芸術が縛り付けられていた「こうあらなければならない」という定義を破壊した象徴主義運動は、堰を切ったように各方面に広がり、多くの芸術家たちを目覚めさせました。

 

芸術作品は第1に観念的であるべきである。そのただ1つの理想は観念の表現であるから。第2に象徴的であるべきである。その観念に形を与えて表現するのだから。第3に総合的であるべきである。諸々の形態や記号を総体的に理解される形で描くのであるから。第4に主観的であるべきである。事物は事物としてではなく主体によって感受される記号として考えられるのであるから。第5に装飾的であるべきである。

アルベール・オーリエ「象徴主義芸術の定義」


芸術家が訴えたい「芸術観念」を、受け手の「観念」に直接感受させる表現が象徴主義の目指すところであり、必要な定義です。この技法を(作中において)視覚的に映し出し、且つ、児童に向けた戯曲「児童劇」として作り上げたものがメーテルリンクの代表作『青い鳥』(L'Oiseau bleu)です。


本作は「夢幻劇」と言える、兄のチルチルと妹のミチルが青い鳥を求める夢の旅を描いた寓話です。「光」に導かれて、彼らは多くの「精」と出会います。光、夜、時、植物、動物、霊、幸福、不幸など、さまざまなものが精となって、チルチルとミチルに語りかけます。死者が生き続ける記憶の地、眠りと死が共存する夜の宮殿、植物や動物が話しかける暗い森、そして胎児の魂が人間としての生活に入るのを待つ光の国といった地を巡り、多くの精と出会い、対話をして、人間としての大切な考えを二人は幾つも学びます。そして夢の旅が終わり現実へ戻ると「幸福」とは何かを理解します。


メーテルリンクは宿敵との戦い、情熱的な闘争、復讐を果たす物語といった劇的な表現から離れた、或る種の悲劇的な作品を作り上げています。彼は、劇的に取り上げられない、日常に存在するであろう「観念」を具現化するように試みています。「生きるという単純な事実の中の驚くべきこと」を示し、真実や美を大きな問題として対話する「普通の人間」を描こうとしました。そのため、作中では「精の具現化」だけではなく、多くの隠喩が用いられています。青い鳥は幸福、ダイヤモンドは絶対的な力、黄金のカギは成功といったように、劇中の表現だけでなく、主題を伝える要素として存在しています。こうした具現化や隠喩を通して目に見えないものを表現し、言葉では言い表せないものを伝えようとする手法には、メーテルリンク象徴主義が強く反映されていると言えます。また、こうして作られた彼の演劇には、「不在」という概念を文芸の根本に置かれて描かれています。この夢幻劇では、目の前に有りながらも気付かず、手にしたと思えば逃れていく、そのようなものが生きる上では幾つもあるということを訴えているように理解できます。しかし、それをどのように捉え、どのような目線で見つめることが人間として重要なのかを諭し、悲劇的な余韻は残らず、希望に満ち、幸福で溢れた終幕となっています。

 

「不幸」たちは「幸福」の花園のすぐ隣に住んでいてね、その境はもやかごくうすい幕のようなもので区切られてるだけで、それが「正義」の高みや、「永遠」の谷底から吹いてくる風に、始終吹きまくられているんだということを忘れてはいけません。だから、わたしたちはちゃんと準備して、十分用心してかからねばなりませんよ。「幸福」たちはたいていごく善良なんだけれど、でも、中には一番大きな「不幸」よりもっと危険で不誠実なのもいますからね。


人間として生きるうえで出会う、逃れることのできない不幸や悲哀を、どのように受け止めるかを考え、その後に出会う幸福にどのように感謝できるか。見つめるべきものを見失い、幸福の顔を被った快楽に身を委ねて成長しないようにと、未来のある者へメーテルリンクが優しく諭しているように感じます。本作『青い鳥』は、生きることに勇気と自信を与えてくれる作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

riyoriyo.hatenablog.com

riyoriyo.hatenablog.com

 

『寝取られ宗介』つかこうへい 感想

f:id:riyo0806:20231202224818j:image

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

旅回り一座の座長・宗介は、ずっと籍を入れないままの女房レイ子と一座の若い男とをくっつける。そして、駆け落ちに破れて戻って来るレイ子をやさしく受け入れることで夫婦愛を確認していた。寝取られ亭主のマゾヒズムに快感を感じていた宗介だったが、死期を迎えた父親のため、家族、親戚、友人一同の前で、ついにレイ子と式を挙げることを決意する。しかし、その直前またしてもレイ子は駆け落ちを宣言。「もう帰って来ないよ」と言い捨て出て行ってしまう……という一座の舞台裏と呼応した劇中劇(若き日の徳川家宣と青砥芸者お志摩の許されぬ恋)が進行する。つかこうへいが、24歳当時に書き上げた人情喜劇の傑作。

 


第二次世界大戦争後、日本の演劇はアメリカの商業主義に煽られて、本来持ち得ていた反体制の思想が薄められていきました。興行収入を中心とした配役や演出が重視され、一つの大衆娯楽への様相を強めていきます。その風潮を食い止めようと、1960年台の安保闘争、或いは学生運動の畝りと重なり合い、反体制の色を強めたアングラ演劇が隆盛します。御三家と呼ばれる、唐十郎佐藤信寺山修司たちの演劇運動は、演劇の構造そのものを変革させました。物語を追う戯曲というだけでなく、劇場そのもの、上演される形態や役者たちの演技というものにも注目し、根幹から「演劇」に変化を与えます。こうした上演における反体制の思想は、その表現方法の変化から各々の作家の個性分析へと移り、独自の表現方法の追求へと向かっていきます。そのようなアングラ演劇ブームが思想から個性へと観客の目線が変わり始めたとき、つかこうへい(1948-2010)が現れます。


彼の演劇は、役者と必要最低限の大道具のみで繰り広げられます。何よりも「役者自身」で表現しました。それは、リアリティの追求によるものでした。作品は、作り上げた戯曲台本の登場人物だけでなく、舞台に立つ役者の中にこそあり、その役者の体調、心情、機嫌、不満、不安、歓喜などさえも考慮して演劇を作り上げます。役者がフィクショナルに表現しようとする、その根源のノンフィクショナルな部分にこそ、人間としての核があり、それらの交りが「一回きり」の演劇を完成させるという考え方です。こうして舞台に立つ一人ひとりの役者たちが「一つの演劇を形にしようとする意識」を持つことで、戯曲に込められた反体制的な思想が初めて訴える力を持つとしています。だからこそ、大仰な舞台装置や大物俳優を使うことなく、力強い演劇が成立します。

 

劇場空間というのは、現実の鏡であるけれど、現実そのものではない。ある意味、現実から一番遠いところである。そういう劇場で、現実を越えることの解明や、希望、道徳をみつけていかなくてはいけないんだよ。けれど今の若い演劇人たちはそこんとこをいとも簡単に芝居にしてしまっているという感がある。

『つかこうへいの新世界』


反体制的、或いは反商業主義的な考えは、どの演劇でも貫かれています。美しい物語性や一辺倒の恐怖や驚嘆を延々と与え続ける作品ではなく、いま現実社会が直面している問題とは何か、またはその原因は何か、ということを真剣に現実的に捉え、その解決策を「考えようとしなければならない」という大切なことを訴えます。耳障りの良い言葉、目に心地よい美しさを逃避的に与えるのではなく、直面しているリアリティを突き付ける強い信念を観客は感じさせられます。「芝居がお天道様の下、大手を振って歩きはじめたらダメなんだ」という、つかこうへいの言葉からも伝わるように、演劇だからこそできる訴えを放棄して、商業主義的に走ることを強く嫌悪していることが、彼のどの作品からも感じることができます。


当時の日本は、国策による高度経済成長の時期でした。「思想や道徳よりも資本である」という社会のもと、省みるべき家庭環境を見失い、暴徒化する学生運動で思想を見失うという時代に、何が問題であるか、という数分でも考えればわかることを当時の社会は理解できませんでした。利益が上がった、収入が増えた、そのような感情が先走り、真に人間に必要なものを見失っていました。そして、その必要なもの「愛情」に欠落を感じ、満たされない心は「絶対的な愛情を求めて犯罪を犯す」という、道徳を完全に失った事件が多発する時代へと移行していきます。こうして動機が「情」によって引き起こされる犯罪が増えていきました。つかこうへいの演劇には、「情の濃さ」が至る所で見られます。それは人間が最も大切にし、最も大切にしなければならないものであり、資本などに目が眩んではならないもので、人間性の構築に不可欠なものであることを教えています。そして、現実社会のような風潮にさせている国策に対して、反体制的に演劇で訴えています。

 

履き違えた民主主義の中で、いま、その尊厳を守り抜く可能性があるのは、なににも権力を介入されずに叫べる演劇だけなのかもしれない。だから、商業に走ったり、安易なあり方に逃げたりしちゃいけないんだよな。

『つかこうへいの新世界』


劇作家の堀内謙介は、つかこうへいの演劇を「人生の応援歌」だと語っています。人間は誰しも、頑張ることができない時がある、また、頑張らなければいけない時にも頑張ることができない。そんな人間像を生々しく登場人物として舞台に立たせ、そのなかで「少しでもがんばろう」という、背中を押すような言葉が含まれています。本作『寝取られ宗介』では、この人間としての生々しさにフィクショナルな「情の濃さ」を兼ね備えた登場人物が主人公に据えられています。舞台裏ごと見せる大衆演劇の世界は、劇中と舞台裏が行き来して、目紛しくも登場人物と役者(舞台上の)の心情が重なり合い、濃厚な物語となって突き進んでいきます。失われつつある旅回りの大衆演劇の世界を題材にしていながら、現実社会で失われつつある人情論を、荒唐無稽ながらもどこか共感せざるを得ない強制性をもって演じられます。これは、つかこうへい作品に込めらている「前向きのマゾヒズム」と称されるもので、前向き以上の攻撃性を持って、舞台を席巻します。道徳や思想を失った世間に在りながら、どのようにして人々は「人間としての希望」を持って生きていくことができるのかを問い掛けます。

 

バカのお前になんの役作りだ。役作りなんて出来る頭があったら東大行って大蔵省行ってるよ。おまえらは黙ってオレの言う通りにやってりゃいいんだよ。
気持ちなし!!いいか。人間てのは男と女とサルがいるんだ。そのサルが役者だ。復唱!!


一見突き放すような言葉は、全てを守ってやろうという意気込みが含まれ、その苦労を自らが喜んで背負い込もうとしている姿勢が見えてきます。このような台詞が、劇団を題材としていることもあって、つかこうへい自身の生の言葉のように感じる場面もあり、彼が抱いていた思想が心に流れ込んできます。表現には、差別的で品性の無い台詞が多く使用されていますが、だからこそリアリティを感じる点もあり、一概に否定できません。不快に感じる方も居られるとは思いますが、非常に深く考え抜かれた作品ですので、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『ロウソクの科学』マイケル・ファラデー 感想

f:id:riyo0806:20231127200453j:image

こんにちは。RIYOです。
今回の作品はこちらです。

 

 

たった一本のロウソクをめぐりながら、ファラデーはその種類、製法、燃焼、生成物質を語ることによって、自然との深い交りを伝えようとする。ファラデーは貧しい鍛冶屋の子供に生まれたが、苦労して一大科学者になった。少年少女を愛する彼が、慈父の愛をもって語ったこの講演記録は、その故に読者の胸を打つものである。


十九世紀の科学者マイケル・ファラデー(1791-1867)は、化学・物理学において重要な貢献をした人物のひとりとして知られています。彼はイギリスのロンドン近郊で錠前などを扱う鍛冶屋の息子として生まれました。貧しい家庭であったため、幼い時から勤めに出る必要があり、十四歳で製本屋(当時は出版も兼ねていた)で製本見習いとして雇われます。主人の寛大な心によって、製本中の作品を読む楽しみを得たファラデーは、やがてそこで取り扱われていた科学書に関心を持ち始めます。科学や電気についての論述は、彼に興奮と感動を与え、読むだけでは満たされなくなり、僅かな賃金から薬品や道具を揃えて自ら実験を行うようになります。さらには製本所の片隅で科学好きの仲間達と語り合うなど、ファラデーの情熱は、脳内を科学で満たすほどになりました。そして見習い期間を終えようとした頃、友人から王立研究所(Royal Institution of Great Britain)で行われる電気化学の講演へのチケットを受け取ります。それは、貧しい環境のファラデーがとても参加できるものではありませんでした。何故なら、ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム、ホウ素、バリウムという六つの元素を発見した偉大な科学者ハンフリー・デービーによる講演であったからです。ファラデーは喜びに満たされて講演に参加すると、当然の如く魅了され、更なる科学の追求に思いを馳せることになりました。感動冷めやらぬうちに講演の記録と所感をまとめ、それに添えてデービーの元で助手として働きたいという手紙を無謀にも認め、すぐに彼へと届けました。デービーはその所感を大変喜びましたが、今は助手に空きが無いと優しく諭しました。しかし数日後に、助手が研究所と揉め事を起こしたために退職し、デービーがファラデーへ声を掛けると、飛ぶように駆け付けて王立研究所の助手として働くことになりました。


憧れていた環境に勤めることができた嬉しさで、彼は熱心に助手の仕事に取り組みます。実験の準備や手伝い、試験管やビーカーの手入れなどの職務をこなし、寝泊まりをして自分なりに知識を増やす勉強も怠りません。努力が認められたファラデーは、入所後数年経つと手伝いではなく自分の研究室を持つことができました。ここから本格的に科学者の才能が現れていきます。気体の液化である復水、ベンゼン(ベンゾール)の発見、熱源装置であるブンゼンバーナーの発明など、次々と功績をあげていきます。そして1833年に、電気分解の法則「ファラデーの法則」を見つけます。ここから電磁気の歴史が動き始めます。研究にのめり込むあまり、若しくは社会的な常識が無かったため、電磁誘導の研究結果を独断で発表しデービーとの関係が悪化することがありましたが、その後の研究によって電磁誘導の研究を進めて、実用化の基盤を築きました。この電力という新しいエネルギーの発見は、第二次産業革命の動力源となりました。


ヴィクトリア朝初期のこの時代、科学の発見や進歩はイギリスの人々の関心を集め魅了していました。しかし、それと同時に、心霊現象や霊能力といったオカルトも同様に人気を集めます。大科学者となったファラデーは、世間のこのような認識、つまり、熱心な研究によって明かされた科学の実績と、大衆娯楽のように語られる心霊現象を同じように捉えられるという事実に心を痛めます。そして、そのような知識に塗れながら若い世代が育つことを危惧して、それを是正できないかと考え、一つの行動を起こします。それが、1860年に子供を対象とした科学のクリスマス講演でした。この年で王立研究所を退くことが決まっていたファラデーは、未来の科学者の芽を少しでも育もうと決意したのでした。本書『ロウソクの科学』は、この講演をまとめたものです。

 

何か一つの結果を見たとき、ことにそれがこれまでとちがうものであったとき、皆さんは、「何が原因だろうか。何でそんなことがおこるのだろうか」と、疑問をもつことを、いつでもお忘れないことを希望いたします。こんなふうにして、皆さんは長いあいだに真理を発見していくことになります。


ファラデーの講演では、火の付いているろうそくを注意深く観察することによって理解できる、質量、密度、熱伝導、毛細管現象(作中では毛管引力)、対流などについて、実験を交えて語ります。これにより、溶融、蒸発、白熱、あらゆる種類の燃焼でさまざまに形態が変化する物体を楽しませます。また、水素、酸素、窒素、二酸化炭素の相対質量や大気の構成などの特性を詳細に伝え、身の回りに存在する空気への関心が高められます。壇上での実験は、ファラデーが過去に感じた感動をその場で再現するように、そして理解しやすいように、熱心に行われます。そして講演は、ロウソクの燃焼と人間の呼吸の親和性について語られ、人間が科学に向き合う意義や、その結果の重要性について、優しく丁寧に語り掛け、終わりへと向かいます。

 

私たちのひとりびとりの体のなかには、ロウソクの燃焼にとてもよく似た生きた燃焼がおこっております。私は皆さんに、それをはっきりさせることを試みなければなりません。人の命とロウソクとの関係は、詩的感覚の中だけで真実なのではありません。

すべてのものは、おそかれ早かれ、まちがいなく終わりにくるものではありますが、この講演の終わりにあたりまして、私が皆さんに申しあげることのできるすべては、皆さんが皆さんの時代がきたとき、一本のロウソクにたとえられるのにふさわしい人となっていただきたいということ、そしてまた、皆さんが、ロウソクのように皆さんのまわりの人びとに対して光となって輝いていただきたいということ、皆さんのあらゆる活動の中で皆さんが、皆さんとともに生きる人類に対する義務を果たすことにおいて、皆さんの行為を光栄あり、かつ効果あらしめることによって、ロウソクの美を正当化していただきたいということの希望であります。


ファラデーが少年少女たちの将来を憂い、また、彼らの持つ未来への可能性を育みたいという思いから、真なる愛情を持って語りかけていることが非常に強く伝わります。そして、その愛情を持った目線が、彼らを惑わすものから遠ざけ、彼らが接して抱く人生における発見を、あらゆる障壁から守ろうとしています。だからこそ、この講演(文章)を読む者にも深く訴える熱い思いが伝わってきます。現在までも続けられている科学のクリスマス講演は、ファラデーの意志が強く伝わり、後世でも火が消えないように取り組まれています。心に響く暖かな言葉、楽しさを感じる実験の数々を、未読の方はぜひ、体感してみてください。

では。

 

privacy policy