RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『氷』アンナ・カヴァン 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

 

異常な寒波のなか、私は少女の家へと車を走らせた。地球規模の気候変動により、氷が全世界を覆いつくそうとしていた。やがて姿を消した少女を追って某国に潜入した私は、要塞のような〈高い館〉で絶対的な力を振るう長官と対峙するが……。迫り来る氷の壁、地上に蔓延する略奪と殺戮。恐ろしくも美しい終末のヴィジョンで、世界中に冷たい熱狂を引き起した伝説的名作。


芸術としての文学は、思想や哲学を主題に置いて詩や散文が書かれますが、サイエンス・フィクション(SF)などの大衆小説を基盤としてこれらの主題が織り込まれるものを、アメリカでは「スリップ・ストリーム」と呼ばれています。最近では「スペキュレイティブ・フィクション」と言われる想像性豊かな非現実世界を描く分野にも影響を与えており、1960年代のSFにおける「ニュー・ウェーブ」の流れの延長線上に位置します。本作『氷』は、この「スリップ・ストリーム」に分類されることがあり、実際に「英国ニュー・ウェーブ」の代表作家であるブライアン・オールディスやJ・G・バラードによって賞賛されています。しかしながら、本作はそういった「ニュー・ウェーブ」の延長線上にはどうしても収まらない作風と印象があり、そこには作者アンナ・カヴァン(1901-1968)の壮絶な人生と思考が関わっています。


英国で醸造業を営む裕福な家庭の一人娘であったカヴァンは、幼少期から西欧諸国を渡り歩いて過ごしていました。この両親は娘にあまり関心を払わず、カヴァンは充分な愛情を受けることができませんでした。一家がアメリカへ移り住み、カヴァンが十一歳のとき、経済的な困難が無かったなかで、父親は船首から身を投げて自殺してしまいます。精神的な不調が原因とは目されますが、カヴァンの生活はここから一層に厳しいものとなっていきます。母親は父親以上にカヴァンを蔑ろにし、育児放棄とも言える環境に置いて、自らは自由に活動をしていました。成長したカヴァンが進学を希望すると、彼女の意思を無視した母親は、強引に十歳差の男性と結婚させてしまいます。そして、この男性は母親の元恋人でした。暴力的で支配的な結婚生活はカヴァンを社会から隔離させ、彼女は執筆活動と生まれた息子に神経を注ぎました。当然の如く結婚生活は破綻し、カヴァンと息子は英国へと戻ります。


カヴァンはロンドンで暮らしていましたが、そこで執筆を行う傍ら、芸術工芸学校へ通って絵画を学びました。生涯を通して、彼女は執筆と絵画を継続しました。このころ、カヴァンはフランスのリビエラへ定期的に出掛けていました。高級な保養都市として知られるこの地で、彼女は精神を落ち着かせるために通っていたのだと考えられます。しかし、この地で癒しだけでなく、生涯を苦しめるヘロインとも出会います。いわゆる現代の鬱病の治療としてモルヒネを処方されていましたが、出会った男性の誘いもあり、彼女はヘロインの常用者となっていきます。当時は、ヘロインを危険視はしていましたが、違法ではありませんでした。1929年になると、彼女はヘレン・ファーガソン名義で『魅惑の輪』を発表し、以後も数作を出版しました。変わった作風ではありましたが、どちらかと言えば基本的なビルドゥングス・ロマン(教養小説)で描かれていました。


作家として歩み出していた彼女でしたが、再婚相手の不倫が明らかになり、精神を追い詰められたカヴァンは自殺未遂を起こしました。療養のためにスイスの病院へと移りましたが、鬱病は酷くなる一方で、自殺未遂を何度も繰り返し、ヘロインからも抜け出せない状態になりました。1940年にアンナ・カヴァン名義で出版した『アサイラム・ピース』はこの激しく乱れた精神状態で生み出されたもので、奇妙な精神世界と崩壊、監禁拘束と虐待や疎外感などが散りばめられた短篇集です。これはペンネームだけでなく、作家としての姿勢、作品を覆う作風などが劇的に変化しており、アンナ・カヴァンという作家が新たに生まれたとも言える作品でした。こうした実験的とも考えられる作風を、女性の性愛小説を描いたフランス作家アナイス・ニンは「夜の言語」と呼び、本作は文壇で大きく話題となりました。


作家生活も安定し始める一方、各国では第二次世界大戦争が激化していき、カヴァンの息子も徴兵されてしまいます。そして、1944に息子の戦死が告げられると、カヴァンの安定しかけた精神は崩壊し、鬱病とヘロイン中毒が激しくなっていきました。さらに、これまで暗黙の了解で認められていた処方箋としてのヘロインも1950年代に入ると徐々に規制されていきます。カヴァンは正式に違法となる前に必死になってヘロインをかき集めました。これより彼女は、執筆と絵画、鬱病とヘロイン中毒という、不安定な精神での創作活動の日々を送ります。当然ながら、そのような生活は身を蝕むものとなり、1968年にカヴァンは自宅で死を迎えました。本作『氷』は死の前年に発表された作品です。執筆中の作品名は『冷たい世界』でした。


カヴァンは、美しい文体で頽廃的な作品を生み出したデューナ・バーンズや、曖昧性や不確実性を肯定するモダニズム文学の代表作家ヴァージニア・ウルフなどと比較されることが多くあります。とくに、バーンズとは悲劇的な生い立ちが齎す世界に向けた「頽廃的な価値観」と「歪められた性愛感情」が共通しており、それぞれの作中の文体に漂う不穏さには重なるものが感じられます。双方の作品に通底する主題は「普遍的な頽廃と呪縛」であると考えられ、登場人物には現実性よりも象徴性(iconic)が優先されていると見受けられます。こうした厭世観とも言える厳しい社会への眼差しは、苦痛を伴った人生を歩んだからこその価値観形成であったと言えます。

本作『氷』に関して、カヴァンは「繰り返し襲われる悪夢の一つ」と捉え、写実性を拒否した現代の寓話であると告白しています。傷ついた彼女の精神は不眠症を引き起こし、症状を抑えるためのヘロインは悪夢を呼び起こしました。進行する鬱病は心の傷を大きく広げ、精神へと与える打撃は現実と夢の両方で彼女を苦しめ続けます。鬱病とヘロインによる意識混濁は現実と夢の境界を曖昧なものとし、彼女が見る景色は起きていても寝ていても悪夢に染まっていきました。恐るべき感覚として、彼女は作家として、この状況に僅かながらも楽しさを覚えていました。


『氷』は、核を用いた戦争によって地球に異変が起こり、巨大な岩の氷棚が地の果てから覆い尽くそうと迫る終末的な世界が舞台となっています。語り手の男性は某国の諜報機関に所属していると思われる言動で、銀髪のアルビノ少女を追い求めて救い出そうとします。少女は長官と呼ばれる彼女の夫に束縛され、監禁状態に置かれていることがわかります。語り手は少女との恋人同士であった記憶を頼りに、彼女を長官の支配から逃れさせるため、迫り来る極寒の氷棚をも恐れずに追跡します。


物語はこのように進みますが、本作の文章構成は非常に複雑で、読者の理解を避けるように綴られていきます。情景描写が続いたかと思えば、何の前触れもなく語り手の回想が繰り広げられ、突如として幻覚的な妄想が描かれると、語り手が知ることのできないはずの場面を語り始めます。また、固有の人名や地名が出されないため、物語の筋書きは一層に捉えづらく、読者は不安な感情を煽られ続けます。しかし、繰り返される語り手と長官の追走、語り手と少女の追走、氷と人類の追走によって、やがて抽象的な印象の塊が読者のなかで構成されていき、形のある悪夢としての存在が目の前に見えてきます。予兆なく起こる場面の転換は悪夢の性質を、語り手が知り得ない場面の描写は精神の分裂を感じさせ、読者はカヴァンが見せる「頽廃的な悪夢の片鱗」を読み取ることになります。カヴァンは、『アサイラム・ピース』で表出させた幻覚と現実の曖昧な境界線を、本作『氷』によって自らが向かい合い、意思を持って芸術作品として完成させたのだと言えます。


カヴァンが描く頽廃的な終末世界は、確かに核や自然の異常を描いていますが、彼女は決して科学について書いているわけではありません。彼女の作品は、SFにおける「ニュー・ウェーブ」が描く主題とは大きくかけ離れています。同様に、スリップ・ストリームのような母体を大衆小説に置く分野とも一線を画しています。世界を覆い尽くそうと迫る氷には、科学的な異常気象の根拠は求められず、そうではなく終末が迫る精神世界が反映されています。カヴァン自身に迫る精神世界の終末を、本作の「襲いくる氷」で表現し、前触れの無い場面転換で「襲いくる悪夢」を表現しています。そして、彼女は恐怖や悪夢を受け止め、偏執的な不信感(paranoia)や鬱屈した精神世界さえも一つの要素として織り込み、本作を彼女の心のメタファーとして構築してしまいました。完全に個人的な精神から生み出されたものだからこそ、描かれる頽廃性と恐怖は他の作品よりも不穏に感じられるのだと思われます。


そう考えると、少女の置かれた状況や受ける屈辱など、読者の捉え方が変わってきます。彼女は常に所有物のように描写され、度を超えた性的な暴行や拷問、さらには人間としての自由や尊厳は全て剥奪されています。被支配者である少女は、語り手からも長官からも逃げ出そうとしています。救いの手を差し伸べる語り手から逃げる点、そして支離滅裂な語り手の思考と回想、これらを踏まえると語り手の記憶に疑いを向けざるを得なくなります。少女との恋人時代は事実なのか否か、少女と語り手が優しく語り合った記憶は事実か否か、これらを否と見た場合、少女が見せる恐怖の表情と逃避行動は仮説を裏付けるものへと変化します。語り手と長官が同一の存在ではないかという疑問も、象徴的な意味では同じだと言わざるを得なく、第三者視点のような語り手の知り得ない描写も、語り手と長官の同一性を暗に示しているとも言えます。こうした支配的で攻撃的な男性の描写は、カヴァンの「歪められた性愛感情」が生み出した印象的な男性像であり、少女が見せる嫌悪感と導かれる終末には、然るべく彼女の厭世観が込められています。


本作の断片的な表現技法は悪夢の展開だけでなく、読者へ視点の転換をも強制しています。突如として切り替わる場面では、物語の整合性は無くとも、そこには目を向けるべき視点が提示されています。執着心、支配欲、破壊衝動、攻撃性、恐怖、精神分裂、逃避行動、それぞれの場面で描かれる感情表現は、人間の持つ倫理を超えた本能的なものであり、その被害者(少女)が抱く厭世的で頽廃的な感情は、カヴァン自身の精神と交わっています。本作は、彼女の精神の根源を曝け出した作品であると言えます。

 

少女は強烈な寒さに耐えられず、ずっと震えつづけて、ヴェネツィアンガラスのように砕けていった。その崩壊の過程は実際に見て取ることができた。少女は次第にやせ細り、さらに白く、さらに透明に、亡霊のようになっていった。この変容は何とも興味深いものだった。少女は完全にエッセンスだけの存在となり、動くことすらなくなった。


物語を追いかけて楽しむような作品ではありませんが、そこに込められた苦悩と頽廃性は、読者に強烈な印象を与えてくれます。カヴァンの精神を垣間見るような作品だと思います。文学の在り方に新たな分野を開拓したアンナ・カヴァンの『氷』、未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

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