
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)は、1863年に発表した出世作『気球に乗って五週間』で冒険小説作家としての地位を築き、非常に多くの作品を生み出しました。その作品群には、当時の科学技術と進歩の期待が綿密に織り込まれており、この点からサイエンス・フィクションの祖としても知られています。彼は五人兄弟の長男で、厳格な弁護士の父親に育てられました。教育はカトリック信仰に沿った学校で受け、彼の作品にもその教えは随所に現れています。普遍的で教示的でさえもある彼の作品は、フランス国内にとどまらず多くの言語へ翻訳され、諸外国へと広められました。外国語に翻訳された作家としてはアガサ・クリスティに次ぐ二番目の翻訳数で、その数はウィリアム・シェイクスピアを凌いでいます。
ヴェルヌがパリへと移り住んだ1848年は、二月革命(三度目のフランス革命)の最中でした。国王ルイ・フィリップは追放されて第二共和政が樹立、その後も激しいデモが継続的に行われたため、暫定政府は軍による武力を行使しました。銃弾や砲弾で穴だらけとなった家屋、粉々になったバルコニーや看板、至る所に見られる砲弾の跡など、ヴェルヌは恐ろしい光景を目の当たりにします。そして追い打つように1849年のパリを襲ったコレラの流行は、ヴェルヌの心に更なる恐怖を植え付けました。この頃、学業を優秀な成績で収めていた彼は、外の激しい社会から離れ、熱心に文学作品を読み耽りました。シェイクスピアやモリエールといった古典からアレクサンドル・デュマまで、多くの作品を幅広く読みましたが、最も彼に強い影響を与えたのはヴィクトル・ユーゴーでした。
ヴェルヌは自らも戯曲の執筆を学業の傍らで行っていましたが、その姿を見た叔父が文学サロンに誘いました。サロンでは暴動や争いといった喧騒から遠く離れた空気が漂い、彼に安らかな憩いを与えました。サロン参加者の繋がりで、ヴェルヌはデュマと知り合うことになります。作品から影響を受けていた彼は熱意を持って言葉を交わすと、デュマの息子と引き合わされました。この息子は『椿姫』を書いたデュマ・フィスで、ヴェルヌは意気投合し、合作で喜劇を上演するなど、彼の活動は少しずつ作家の道へと進められていきました。父親が求める弁護士の道も進んではいましたが、やはりヴェルヌは執筆したいという欲が勝ち、少年のころに抱いた「空想での冒険」を継続させるため、文学の道へと歩み続けていきます。
ヴェルヌは十一歳のとき、従姉妹のカロリーヌ・トロンソンという女性に恋心を抱いていました。なんとか男性として見られたい、喜ばせたいという気持ちで珊瑚のネックレスを贈ることに決めました。しかし、小遣いを貯めて店で買うわけではなく、自らで珊瑚を集め、これを加工して贈ろうと考えました。家の近くに珊瑚を取れる場所がないため、彼は一人、インドへ向かう商船に密かに潜り込んで旅立とうとします。その頃、ヴェルヌの不在を不審に思った父親は方々を探し、出発間際にようやく彼を発見して、大目玉を喰らわせました。そして、ヴェルヌは「冒険は頭の中だけ」と約束します。突拍子もない発想と冒険心ですが、この熱意こそがヴェルヌの作家人生の創作源でした。そして、前述の『気球に乗って五週間』が大いに受け入れられ、年に一作を超える速度で作品を発表し続け、フランス文学に欠かせない大作家へと大成しました。
1871年の普仏戦争の敗北に伴ってフランス第二帝政が崩壊すると、民衆はボナパルティズムを嫌悪し、共和主義を否定しました。新たな選挙で民衆は改めて君主政治を望み、議会では王党派が再び権力を得ます。これは、1789年に起きた革命の原動力となった「権利と自由を保障する立憲君主主義」を呼び起こすもので、オルレアニスム(この政治思想を率いたオルレアン家に賛同する人々)が息を吹き返す形になりました。ここにヴェルヌも賛同し、生涯を君主主義者として過ごしました。
しかしながら、彼の根源的な思想には共和主義も強く息づいており、オルレアニスムとの共存は成し得ないものかと苦悩して生きることになります。そして、1894年のドレフュス事件(ユダヤ系の陸軍大尉がドイツへの密告者であるという容疑で軍政が起こした冤罪事件)により、民衆は軍政に対する疑念を大きく強めることになりました。エミール・ゾラが『私は告発する』という公開状を突きつけたことで、事態は一挙に大統領糾弾への流れとなり、ヴェルヌもゾラの行為に賞賛の意を示しました。この事件により、ヴェルヌが晩年にかけて反軍国主義の姿勢を貫くことになりました。
ヴェルヌが本作『十五少年漂流記』を書き始めたのは、世に広まる少年冒険小説という形式を完成させるためだとしています。本作はヴェルヌが発表した作品のなかでも、豊かな冒険心と科学知識が活かされ、さらにはヴェルヌ自身の追い求める思想が情熱的に描かれています。そして、未知の世界へ向かう少年たちを通して、ヴェルヌは人生の本質的な価値とは何かを、強い意志を持って訴えています。
「残されたのは、島に置き去りにされた八歳から十四歳の子供たちが、国籍の違いによって引き起こされる情熱の中で生き残るために奮闘する姿を描くことだった。」
本作原版『ロビンソン寄宿学校』序文
ニュージーランドのオークランドにある同じイギリス系寄宿学校に通う八歳から十四歳までの生徒十四人と十二歳の黒人少年船員一人が、休暇中に島巡りクルーズに出かける予定でした。気の早い少年たちは前夜から船に取り込んで楽しんでいましたが、彼らの気付かない間に或るアクシデントがあり、少年たちだけで広大な太平洋を漂流する事態になりました。数週間の船上での悪夢の後、彼らは見知らぬ無人島と思しき海岸に漂着しました。彼らは頼る大人もなく、自分たちで生き延びなければならない運命と悟り、いずれオークランドへ帰るため、知識と能力を持ち寄って島内生活を始めます。島では、自分たちを取り巻く探検をし、定住できる住処をつくり、襲いくる嵐や獣との試練を受け、偏見や意見の違いから仲間の分裂が起こり、そして外部からの脅威が到来します。果たして、彼らは団結して家族の待つ我が家へと帰ることができるのか、という物語です。
年長のアメリカ人であるゴードンは、率先して年少の子供を守ろうと尽力します。ときに優しく、時に厳しく、自身が思い描く理想的なリーダーを務めようとした彼は、少年たちの信頼を得て島内での大統領に選ばれます。次に年長のブリアンはフランス人で、争いや競い合いを嫌う共和的な生活を望む少年です。起点と勇敢さが特徴で、正義を心に持つ優しい人物です。また、ブリアンと同年のドノバンは誇り高い地主の息子で、狩りと銃の扱いに大きな自信を持っています。しかし、傲慢さと嫉妬深さが強く、特に同級のブリアンには事あるごとに敵対します。ゴードンとブリアン、そしてブリアンの弟のジャック以外は、全てイギリス人です。小さな諍いや困難はありましたが、クルーズのために積み込んでいた大量の食材と調理器具、さらには書物や大工道具が揃っていたおかげで、彼らは原始的な環境に放り込まれながらも、さほど不自由なく長期間を過ごすことができました。
ヴェルヌは、彼ら少年たちに象徴的な性質を備えさせました。ゴードンには君主主義を、ブリアンには共和主義を、ドノバンには軍国主義を、それぞれの性格に反映させて行動を描いています。また、ドノバンの性格には当時のフランスにおけるイギリス人への嫌悪感も含めています。ナポレオン一世の死後、フランスではイギリス人を魅惑的と感じる気持ちを持つ反面、憎悪の感情も同様に持ち合わせていました。貴族的な傲慢さ、嫉妬深さ、支配欲の深さなど、これらがドノバンの性格に色濃く反映されています。また、ブリアンにも同様にフランス人が理想的と考える平等で共和的な思考が、彼の性格に反映されています。
物語では、ドノバンの支配欲とブリアンの共和的行動が対立の軸となっていますが、生死をかけた冒険のなかで彼らは気持ちを通わせ、互いに尊重し合う関係へと発展します。この和解から、二人は今まで以上の力と魅力を発揮し、外部からの襲撃では大きな活躍を見せます。この展開には、ヴェルヌが望む「思想の調和」が込められています。君主主義、共和主義、軍国主義、これらが手を取り合って共生することができれば、いかに素晴らしい力を発揮し、いかに大きな幸福が得られるのか、そのような思いを或る意味で教示的に描き、当時の若い読者へ啓発していたのだと考えられます。
そんな小さなことで──と思うかもしれない。だが、少年たちの生活は社会の縮図である。人間は、子供の時から、一人前の大人のように扱ってもらいたいものなのだ。
この教示的で幸福な物語の展開は、ウィリアム・ゴールディングを始めとして多くの批判を受けました。しかし、彼らの長い島内生活からは、溢れる探求心を、冒険への意欲を、そして今を精一杯生きるという勇気を与えてくれています。人生の本質的な価値を、少年たちの冒険譚で伝えようとしたジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』、未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。