こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
ミヒャエル・エンデ(1929-1995)はバイエルン州のガルミッシュで画家の父の元に生まれます。父のエドガー・エンデは「暗闇の画家」と呼ばれています。彼は部屋を暗くして視界を閉じ、心の奥の奥から浮かび上がる幻想を描きました。「ロマンティック・シュルレアリスム」と称され、現代でも戦後のドイツ美術復興に尽力した一人として認められています。彼は思想家ルドルフ・シュタイナーに傾倒して、ロマン派自然主義を中心に人智学運動に賛同します。この頃から戦間期ドイツで台頭するナチスによる文化政策の締め付けが厳しくなります。これに反抗したエドガーは政府より「退廃芸術家」の烙印を受けて創作支援を断ち切られ、苦しい生活を余儀なくされます。
第二次世界大戦争は、ドイツ東方ドレスデンへの甚大な空爆被害が戦争終結を決定的にしましたが、南方ミュンヘンでも同様に大型空襲が行われて復興困難な被害を与えました。この時、エドガーのアトリエも破壊され、実に七割もの作品が世から消えました。
ミヒャエルも徴兵の招集を受けましたが、これを拒否して反ナチス抵抗組織「バイエルン自由行動」に加担します。戦後は父の傾倒したシュタイナー教育(ヴァルドルフシューレ)を受けますが、ベルトルト・ブレヒトの戯曲をきっかけに演劇へ心を惹かれて、友人たちと「屋根裏劇場」を立ち上げます。その後、演劇学校に入った彼は俳優として、作家として戯曲の世界に没入していきます。しかし彼の創作においてリアリズム表現には限界が感じられたため、ブレヒトから離れた自由な幻想表現に希望を見出し始めます。
戦争終結直後のドイツは、敗戦国ならではの貧困、インフレ、貨幣価値崩壊による経済破綻が起きていました。ナチス統治時に流通したライヒスマルクは信用を失い、民衆はタバコを尺として物々交換を行っていました。連合軍はドイツに通貨改革を起こす必要があるとして、アメリカが造幣してドイツへばら撒くなどの強引な手法を用いて改革を起こします。しかし、ミヒャエルは国際基軸としての通貨価値に疑問を抱きます。謂わば通貨価値とは社会主義、資本主義の争いの種となっており、通貨そのものを売買するに至る現状に不審を抱きます。彼の考えの根幹にはシュタイナーが説いた「社会有機体三層論」(フランス革命思想「自由、平等、友愛」の発展理論)に基づいています。「精神生活における自由」「法律上の平等」「経済生活における友愛」、これらが相互に自律して支え合い「生の領域」を構築しているというものです。特に、経済生活の共同作業が友愛に基づかざるをえないという点を、「労働に対する報酬」という資本主義的概念が乱していると感じ始めます。資本とは、貨幣とは、労働とは、消費とは、という疑問は、戦後の高度経済成長に半ば無意識的に労働へ没頭している民衆が抱くことはありません。ミヒャエルはこの世の現状に対して、警鐘を鳴らす必要があると感じ始めます。
友人の誘いにより執筆した絵本『ジムボタンの機関車大冒険』は出版まで時間は掛かりましたが、ドイツ児童文学賞を受賞したことにより作家として歩み始めます。ミヒャエルの作風は、幻想的童話形式であるクンスト・メルヘンを礎とした上で、ドイツ初期ロマン派を源流とした「メルヘン・ロマン」と自身で名付け、その後も一貫します。詩的幻想世界を舞台に現代の社会問題を風刺し、児童文学でありながら大人にも感銘を受けさせる作品を生み出していきます。
1973年に出版された『モモ』は発売当初、ドイツ文化人にノンポリティカル文学であると批判されました。この批判は、戦後の復興が落ち着き、世界に追いつけ追い越せと高度経済成長を支えた実直な労働者的思想から出たものです。彼らは、真摯に働き、対価を得て、社会が潤うことに問題は見出せません。科学と合理化による生産活動は無駄な作業や時間を無くし、より効率的な成長が得られると考えたのです。
灰色の男たちは作業を滞らせる行動の全てを排除するように主張します。社会の歯車となり、ゆとりの時間を持つことを許しません。一秒でも無駄を無くして、日々を働くことに専念させようとします。灰色の男たちが記号で呼ばれて管理されているところも踏まえると、ナチス時代の共同体主義管理社会を連想させられます。また、エヴゲーニイ・ザミャーチン『われら』の世界も思い起こさせられます。
ミヒャエルは当時の高度経済成長による産業社会を徹底して批判します。それは、主体を「仕事」ではなく「生活」に置くべきだという「人生」の見直しを訴えています。時間を貨幣に換算し、資本主義と貨幣価値の危険性を説きながら効率至上主義を否定します。産業効果による身の回りの潤いは「心の潤い」に繋がっているのか、本当に自分が望んでいるものか、心の幸福を問いかけます。そして、どのような社会であっても最も重視すべき大切なことは「幸福な生活」を守ることであるという理念が伝わってきます。また、心を守るために必要なものは「時間」であると言えます。
時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。ちょうど虹の七色が目の見えない人にはないもおなじで、鳥の声が耳の聞こえない人にはないもおなじようにね。でもかなしいことに、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、なにも感じとれない心を持った人がいるのだ。
1981年にポーランドのヤヌシュ・コルチャック賞を受賞します。子どもの権利や福祉のための活動を認められた作家に贈られるものです。これによる褒賞は全て児童施設へ寄附しました。コルチャックはナチスによるユダヤ人迫害を強く受けた一人で、孤児の救済に尽力した人物です。未来を支える子どもと、彼らが生きる社会を思う気持ちは重なるところが多かったのだと思います。
児童文学の為に敬遠されている方もいらっしゃるかと思いますが、現代社会に生きる大人にこそ響くことが多い内容です。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。