RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『われら』エヴゲーニイ・ザミャーチン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

エヴゲーニイ・ザミャーチンの代表作にして問題作『われら』です。当時のロシア情勢や政治の変革を風刺し、近年まで世に姿を見せなかった作品です。

20世紀ソヴィエト文学の「異端者」ザミャーチン(1884-1937)の代表作。ロシアの政治体制がこのまま進行し、西欧の科学技術がこれに加わったらどうなるか、という未来図絵を描いてみせたアンチ・ユートピア小説。1920年代初期の作だが、最も悪質な反ソ宣伝の書として長く文学史から抹殺され、ペレストロイカ後に初めて本国でも刊行された。

 

ソビエト国家に対する悪意に満ちたパンフレット」「社会主義に対する敵対」など厳しい記述でソ連の百科事典に載せられていた本作。ザミャーチンはこの作品を執筆したことが理由となりソ連から亡命しました。

 

1902年よりペテルブルグ理工科学校で学ぶ彼は、1905年にオデッサ港での戦艦ポチョムキンの反乱を目撃。血の日曜日事件日露戦争など、ツァーリ専制政治に対する不満を持った「社会主義者」が先導した反乱です。ザミャーチンはここからレーニンが率いる革命派「ボリシェヴィキ党」に関心を示します。革命運動に加入し活動する彼は、逮捕と流刑を繰り返します。1913年、ロマノフ王朝三百年記念の恩赦を受け、1916年に、イギリスに派遣され砕氷船レーニン号)の建造にあたります。これらの経験が『われら』で描かれるサイエンス・フィクションの世界に活かされています。

 

1916-17年のロシア革命期にイギリスに滞在していたザミャーチンは国内に戻ると、執筆活動に専念し、ロシア文壇の中心に立つまでに至ります。1918年、文学活動家同盟や世界文学出版所活動にマクシム・ゴーリキーとともに参加。その後、ザミャーチンのゼミが発端となった「セラピオン兄弟」という文学者組織が形成され、マニフェストを掲げます。

われわれの要求はただ一つ、すなわち芸術作品が有機的、現実的であり、その固有の生を生きることである。問題は自然をコピーすることではなくて、自然と同等の固有の生を生きることなのだ。われわれは文学的空想が一つの固有の現実をかたちづくることを信じ、実用主義を望まない。われわれは宣伝を行うために書くのではない。芸術は生と同等に現実的である。そして生と同じく芸術には目的も理由もない。芸術は存在せずにはいられないから存在するのである。

 

優れた批評家、文学理論家であったザミャーチンは、自身の作風をサンテティズム(綜合主義)と称し、リアリズム(現実主義)或いはプロレタリア作品群を批判します。第一次世界大戦争を背景として成されたロシア革命期において、文学は古典主義や現実主義による奴隷的民衆描写ではなく、自由で主体的な表現であるべきとの「ロシア・アヴァンギャルド初期」(プロパガンダ・アート化以前)と同様の主張を行います。「革命の芸術」は「芸術の革命」でなければならない。これが根源となり、「言語による自由な実験」を試みた作品を書き上げます。

 

本作『われら』は1920ー21年に書かれました。共産主義の勢いが高まる中、ザミャーチンはその中に「個を犠牲とした国家」という印象が見え、悩み憂います。これは後のスターリニズムを予兆していたと言え、事実、他の同時代の作家たちも同じような意見の作品を世に出しています。特にカレル・チャペック『ロボット』は、本作とサイエンス・フィクションという点でも近しい属性を持っており、目線は違いつつも、同様の社会に対する危惧がうかがえます。

 

1922年、レーニン社会主義文化大革命による聖職者大量銃殺をはじめ、共産党政権に非協力的な知識人たちに向けて「反ソヴィエト」とレッテルを貼り付け、国外追放や収容所送りなど激しい粛清を行います。そして、プロレタリア派の革命的リアリズムの主張が強制され、非共産党員作家への中傷が始まります。自殺に追い込まれるなど、文学者に対する粛清を周囲に感じながらも、ザミャーチンは戦い続けました。しかし、ついには出版活動を禁じられたため、スターリンの許可を得て国外に出ます。パリに住み着きますが、その後心労もあり、その地で没します。

 

『われら』は、当時のロシア政治体制が「未来科学の恩恵を受けた」世界を描いています。極限的な国家奴隷制として、守護者(秘密警察)が監視しやすいように壁や床、天井のすべてが透明なガラスで作られており、分刻みで行動が決められ、食事の咀嚼回数も規定されています。国民に名は無く、アルファベットと数字で管理されています。そして婚姻関係はもちろん無く、性行為は「セックス・デー」を申請し「ピンクの切符」を発行し、行為相手は国より設定されており、その相手と行為に及ぶ一時間のみ、部屋のブラインドを閉める許可を得ることができます。

これらの、奴隷のような国民をコンフォーミズム(聖性の順応主義)の象徴として描かれており、当時推し進めていた社会主義の危険性を提示しています。

 

この奴隷のような国民の中に「異端者」が存在します。はるか昔に禁止されている喫煙や飲酒を行い、時間律法表の行動スケジュールを違法に掻い潜り、そして主人公D-五〇三号を惑わす女性。このI-三三〇号が今までの「律された正しい生活」を乱し始めます。彼女が原因となり彼に「感情」「衝動」「俯瞰」といった持ち合わせていなかった本能を呼び覚まします。

「まずいことになりましたね!おそらく、あなたには魂が形成されたのです。」
魂だと?それは奇妙な、古代の、長いこと忘れられていた言葉だ。

魂とは「個」であり、人間の核となるもの。これを排された生活を「律された正しい生活」と信じ込ませていく社会主義プロパガンダの危険性を大いに表現しています。

そして魂を取り戻したD-五〇三号に対抗するかのように、国家は「想像力という悪質な能力を除去」することが可能な手術を発明します。これを国の指示で強制します。
I-三三〇号は革命家でした。そしてこの国家の魔の手を逃れるために、D-五〇三号を革命派に招こうと試みます。

『われら』は日記のような「覚え書」で綴られていきます。現実を一日一日辿るように、D-五〇三号の感情起伏が徐々に芽生えて揺れ動いていく様は、典型的なロマン主義で描かれており、感情の無から有へ変化していく描写が「魂」を鮮明にさせていきます。

 

ザミャーチンは『われら』を警告の書であると話しています。

「この小説は人類をおびやかしている二重の危険ーーつまり機械の異常に発達した力と国家の異常に発達した力ーーに対する警告である」

テクノロジーと国家が国民へ求める力は、想像力でも独創力でも個性でもなく、「生産性」である、と物語でも定義されているように感じます。これらの行く末を正すのが「国家の指導者」であり、偏った独裁者であってはならないという教訓の書にも思えます。

 

この『われら』はペレストロイカ以後、1988年にようやくソ連において出版され、翌年に多くの単行本が刊行されました。約七十年もの間、国は民衆を欺き続けたのです。

 

利便性が高まる中、個性が希薄になっているこの社会に、今一度読んでみてほしい作品です。未読の方はぜひ。

では。

 

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『作者を探す六人の登場人物』ルイージ・ピランデッロ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

イタリアの劇作家ルイージピランデッロの名を世界的に轟かせた戯曲『作者を探す六人の登場人物』です。初公演での大事件は大変印象的です。

ある劇団が芝居の稽古をしている最中、喪服姿の六人が舞台に乗り込む。父親、母親、継娘、息子、男児、女児。この家族は「自分たちは創造されたにもかかわらず未完のまま放り出された劇の登場人物」であるという。乗り込んだ劇団の座長へ自分たちの作家となり、未完で終えたままの演目を完結させたいと願い出る。現代演劇の先駆け的作品。

 

ルイージピランデッロ(1867-1936)は過去の演劇における常識を覆し、現代演劇の幅広い可能性を切り開いた偉大な劇作家です。若い頃より詩作に励み、短編小説を中心に執筆していました。1915年頃、「シチリア方言劇」を書き、好評であったことに後押しされ本格的に戯曲を手がけます。本作の『作者を探す六人の登場人物』が世界的大成功を収め、劇作家として不動の座を確立しました。

しかし、1921年ローマのヴァッレ劇場で行われた『作者を探す六人の登場人物』の初演の一夜は町を大混乱に陥れます。

観客のうち、若い連中は拍手喝采したが、ボックス席や値段の高い席の観客は口笛を吹いたり、笑ったり、声を合わせて「ブッ/フォー/ネ」(阿呆)と音節を区切って、三拍子で囃したてたりした。また、「マニ/コ/ミオ」(気違い)とも怒鳴っていた。俳優たちは辛抱強く芝居を続けたが、せりふはほとんど聞こえなかった。

伝記作者のフェデリーコ・ナルデッリは観客席の様子をこのように伝えています。その後、観客席では殴り合いの乱闘となり、ピランデッロ派の作家や友人は擁護のために拳を振るい、大混乱となります。初演挨拶の後、楽屋に居たピランデッロは責任を取るため舞台に上がりますが収拾はつきません。劇場の裏手から帰ろうとしますが、真夜中にもかかわらず六百~七百人もの人々が彼を待ち構えていました。大喝采と怒号が入り混じる中、ようやく劇場を離れます。

ところが、四ヵ月後の同劇団によるミラノ公演では、上演中は静粛で、演じ終わると同時に大喝采が投げられました。脚本が出版され、世に広まっていた事実もありますが、ローマとミラノの地域性も見過ごせない点です。

 

『作者を探す六人の登場人物』は舞台の上だけでなく、舞台下や観客席までもが演劇場となり、観客を未知の刺激が襲い掛かります。また、内容も「演劇そのもの」を問題視するテーマであり、その描写も随所に現れます。「六人をめぐる劇」を、乱入された劇団員がそれぞれ「六人に扮し」演じようと試みますが、役者の演技自体を否定します。

そこなのです、俳優でいらっしゃる!お二人とも私どもの役を誠に上手に演技して下さいます。でも、私どもから見ると全然違うのでございます。同じとお考えですが、そうではないのです。

その後、父親は俳優の演技を「遊び」と表現します。この演劇論にも通ずるやり取りは伝統ある演劇の格式を傷つけたと感じる観客も少なくありません。しかし、新しい芸術性として受け取ることができる若い世代は感動し、喝采を浴びせます。このピランデッロの芸術に対する疑問符が、ローマ初演時の大混乱を引き起こしたのです。

 

ピランデッロの芸術観はさまざまな作品に散りばめられています。

詩人が自分の芸術作品を永遠に不変の形に定着させることで、魂の開放を得て、静謐に到達したと信じた時はそれは幻想にすぎません。その作品は単に生きるのを止めただけです。魂の開放も静謐も生きるのを止めて初めて得られるのです。

『今宵は即興で演じます』という作品での一節です。ピランデッロは「芸術に内包される生命」という観念を強く打ち出します。人が人生を創造するように、芸術家は芸術を創造する。生命の宿りを芸術性に訴える作品は「メタ的な視点」で描かれています。『作者を探す六人の登場人物』『(あなたがそう思うならば)そのとおり』『今宵は即興で演じます』は劇中劇三部作と呼ばれ、演劇における「演出の必要性」或いは「演出の不要性」を、角度を変えて問いかけてきます。そして、俳優は「演じる」のか「生きる」のか、演劇は「俳優」によるものか「演出」によるものか。演出家に投げかける劇作家の強い信念の問いかけです。

 

彼の芸術観は、元々哲学教授であった背景から構築されていると言えます。一見「奇を衒っている」ように感じかねない戯曲ですが、そこには逆とも言える強い現実主義が見られます。

世には多くのピランデルロ嫌いがある。あたかもピランデルロを無責任な手品師か、ダダイストの酔漢の如く心得てる人がないこともない。少くとも自分の見るところはその反対である。ピランデルロを詳しく論ずる機会は他日あると思うが、自分の分類からはこの作家はドストエフスキイに属すべきことだけを言っておく。

イタリア文学訳者の能美武功さんの言葉です。ドストエフスキーの作品に内包される哲学同様、ピランデッロの作品にも哲学が滲み出ています。そして最も大きな共通点としては、作品の結末が「明確な顛末」として、演劇を裁きます。この顛末を迎えた時、それまでの演劇を踏まえて伝わる衝撃が「作者の哲学」として押し寄せます。そしてこの哲学を表現する手法は、古典文学における魂ともいえる重要な内包物であったのです。

 

ピランデッロは1934年に、劇的且つ美しい芸術を、大胆且つ独創的に復活させたこと、でノーベル文学賞を受賞しています。その2年後、あの混乱を起こしたローマの地にて、亡くなります。

 

伝統的な市民劇の常識を打ち壊し、現代演劇に見られる斬新な演出と形式を生んだ記念碑的作品『作者を探す六人の登場人物』。
未読の方はぜひ読んでみてください。

 

では。

 

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『沈黙の春/センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回は二作品をまとめてご紹介します。

 

環境運動の先駆けとなり全世界へ影響を与えたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』、その自然を見つめる感性の必要性や重要性を次代へ託す『センス・オブ・ワンダー』です。

沈黙の春

自然を破壊し人体を蝕む化学薬品。その乱用の恐ろしさを最初に告発し、かけがえのない地球のために、生涯をかけて闘ったR・カーソン。海洋生物学者としての広い知識と洞察力に裏づけられた警告は、初版刊行から四十数年を経た今も、衝撃的である。人類は、この問題を解決する有効な手立てを、いまだに見つけ出してはいないーー。歴史を変えた20世紀のベストセラー。待望の新装版。

海洋生物学者であったレイチェル・カーソンは四十五歳でアメリ内務省の官職を離れ、エッセイストとして執筆に専念します。彼女の知識と経験によって書かれるエッセイは瞬く間に合衆国中を魅了し、ベストセラー作家として名を馳せます。
ある日、友人から彼女へ手紙が送られてきます。

役所が殺虫剤のDDTを空中散布した後に、庭にやってきたコマツグミが次々と死んでしまった。

コマツグミは胸がオレンジ色のスズメの仲間です。カーソンはこの手紙をきっかけに四年もの期間をかけて『沈黙の春』を執筆します。

 

過去のエッセイでは自身の知識や経験を元に執筆できましたが、今回は膨大な資料と各方面の研究者たちへ協力を仰ぎながら書き上げることになりました。まえがきの謝辞には20名以上ものさまざまな研究者たちの名が連ねられます。

第一の章では「明日のための寓話」が展開されます。アメリカのある山奥で生命にあふれた町がありました。自然の中に人間が家を建て、井戸を掘り、家畜小屋を建て、住み着いた町です。ある時突然、平和であった町に恐ろしい異変が起こります。若鶏は病気になり震え、家畜の牛も羊も病気になり、あげく全ての動物が死に絶えます。そしてこの病気は人間にも襲い掛かり、年齢問わず死にゆきます。草や木は枯れ、花も全て散っています。そして自然は沈黙します。

本当にこのとおりの町があるわけではない。だが、多かれ少なかれこれに似たことは、合衆国でも、ほかの国でも起こっている。

 

執筆のきっかけになった手紙のとおり、殺虫剤が原因でコマツグミが死んだことは事実でした。DDT(dichloro-diphenyl-trichloroethane)とはドイツで合成された化学薬品です。これには強力な殺虫効果があると、スイスの科学者パウルミュラーが発見しノーベル賞を受賞しました。しかし、このDDTという薬品は大変危険で少しの認識不足で人々を死に至らしめます。

DDTだけでなく、クロールデン、ヘプタクロール、ディルドリン、アルドリン、エンドリン、パラチオン、マラソンなど、次から次へと強力な劇薬は生み出されていきます。これらは人間を含む生物にとって「毒薬」であるのです。
川の水に撒布されればたちまち「死の川」となり、魚たちは死滅します。土壌に撒布されれば「死の土壌」となり、虫や植物、小動物が息絶えます。また汚染された生物を大型動物が食べた場合、死に至ります。しかも毒素の濃度は凝縮され、より多くの致死量を摂取することになります。

 

沈黙の春』が出版された1962年は、アメリカでは産業が急成長し、「上空からの農薬撒布」を合衆国主導で行われていました。前述の「毒薬」は防虫剤、殺虫剤、除草剤などに使用されていました。そして実際に「死の川」「死の土壌」が量産され、植物や虫、大小の動物たちが毒に侵され死に絶えます。そして人間にも病気を及ぼし、死者も多数出ました。この危険性を研究者たちは合衆国の農務省へ訴えますが、産業による恩恵を重視し意に介さず、結局意見を聞き入れませんでした。

 

合衆国政府が事前に危険性を実証せずに、危険極まりない薬品を「人の住む上空から」、多くの同意していない、或いは知らされていない人の上に撒布した事実が何より恐ろしく感じます。同時に、土壌への、植物への、水への、動物への、多くの被害を認めず、知らぬ顔を通す「非人道性」にも怒りを覚えます。営利主義、忖度、統べるに値しない者の無責任な所業が、地獄と見紛う景色を作り出すのです。

農務省の役人たちは私の本を痛烈に非難しました。読んでもいないくせにね。

しかし、この「告発の書」の声は、ケネディ大統領の元に届きます。それを受け、「農薬成分の追跡調査」「危険性の調査」「食物連鎖の農薬残留性」など、多くの研究が行われます。そして「ストックホルム会議」と呼ばれる国際連合人間環境会議の開催にまで至ります。

 

問題の解決案として最後の章に「べつの道」としてカーソンは述べています。化学薬品による殺虫剤撒布は効果としても散々でした。対象とした「害虫」を駆除しようとしたところ、それを退治する「益虫」を駆除してしまい、逆に被害が大きくなってしまったのです。これに対し、対象とする「害虫」を研究し、効果的な「益虫」(或いはそれに変わる植物など)を放ち、「自然の力」で解決しようと言うのです。

こうした暴力のために、森の社会は、完全に均衡を失っている。害虫がひき起す災害は、周期的に起り、その頻度はますますひどくなってくる……化学薬品スプレーという反自然的な破壊行為はもうやめなければならない。いまなお自然と呼べるものがわれわれの周囲にいくらかでも残っているとすれば、森林はわれわれに残された最後の、かけがえのないものなのだ。

ドイツの森林官であるハインツ・ルッペルツホーフェン博士の言葉です。

センス・オブ・ワンダー

子どもたちへの一番大切な贈りもの。美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性〔センス・オブ・ワンダー〕を育むために、子どもと一緒に自然を探検し、発見の喜びに胸をときめかせるーー

雨、雪、虫、星、風、月、苔。自然の持つ奇跡的な力は、われわれの生活に近すぎて気づかない。好奇心が絶え間なく生まれる幼い頃には、これらの奇跡が「感動」として残り、生命観を豊かにします。この「ごく身近にある奇跡」を改めて気づかせてくれるエッセイです。

 

彼女は手紙を受け取ります。太古から存在する常に新しい海辺に訪れたい、という好奇心の情熱に溢れた手紙です。差出人は八十九歳の女性。好奇心の情熱は「生命の活力」として注がれ、生命そのものを輝かせることに、改めて気づかされます。

 

カーソンは『沈黙の春』執筆中にがんに侵されます。書き上げ、出版した後もその社会的な反響で身も心も疲労します。そのような中で、彼女にとって非常に大切な存在である甥のロジャー(姪の息子・姪孫)との時間を大切にします。そして大自然に囲まれた別荘でロジャーと共に自然に触れ、二人で「センス・オブ・ワンダー」を育み、自然からエネルギーと幸せを感じ、受けとっていたのです。

 

彼女は自分の命はもう長くないと心得、最後の仕事として『センス・オブ・ワンダー』に着手します。元々1956年に雑誌へ掲載していたエッセイで、これを単行本に昇華しようとしたのですが、天命尽き、1964年に永眠します。

もし、私が、私を知らない多くの人々の心のなかに生きつづけることができ、美しく愛すべきものを見たときに思いだしてもらえるとしたら、それはとてもうれしいことです

死を目前にしたレイチェル・カーソンの友人へ向けた手紙の一文です。

 

彼女から受け取ったメッセージは、「センス・オブ・ワンダー」を感じるたびに思い起こし、生命の活力としてわれわれの命を生かせてくれるのだと、そう思います。

 

出版から時が経っていますが、今でも多くのことを省み、考えさせられる作品です。未読の方はぜひ、読んでみてください。

では。

 

『神曲』ダンテ・アリギエーリ 感想

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こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

 

ダンテ・アリギエーリ『神曲』です。
1320年ごろに書き上げられた壮大な叙事詩です。

神曲の構成

各篇の章を歌として区切り、地獄篇(序歌を含む)三十四歌、煉獄篇三十三歌、天国篇三十三歌の全百歌で構成されています。この詩は三一神(父・子・聖霊の三位一体)の玄義を踏まえています。この「3」と、完全・十全をあらわす「10」を基盤として、三韻句法(三一神を象徴)で全篇を歌い上げていきます。

これらの緻密に計算された構成は、詩における「神性」を大きな存在に昇華させています。また全篇に展開される「寓意性」は当時の俗悪者たちを糾弾する厳しい言葉として連なって描かれます。そして全篇を覆う「愛」が人間の性を善にも悪にも導きます。

神曲の神性

ダンテの曽祖父カッチャグイーダは「第二次十字軍」に従軍し、殉死しました。当時十字軍国家であったエデッサ伯領がムスリムの太守ザンギーにより陥落したとの知らせで、ローマ教皇エウゲニウス三世が呼びかけて駆けつけた軍です。しかし、ザンギーを打ち破るのか、エデッサ伯領を取り返すのか、明確な教皇による指示がなかった為、思わしい結果を生みませんでした。

ダンテは貧しくはない貴族の子として生まれ、敬虔なカトリック信者として育ちます。下級貴族を中心とした教皇派「グエルフィ党」に属し、封建貴族を中心に支持を集める皇帝派「ギベリーニ党」と対立します。1289年のカンパルディーノの戦いにおいては自身も従軍し活躍します。そしてその経験を「地獄篇」にて記しています。

やがて勝利し実権を握る教皇派「グエルフィ党」ですが、教皇ボニファティウス八世の持つ「野心」で党内に派閥が生まれます。トスカーナ全域を教会傘下(実質的支配)に置こうとする企みの政策に賛成する「黒派」、それに反対する「白派」に別れ、ダンテは白派に属します。ダンテの求心力により「白派の統領」のひとりとなり、激化する黒派との戦いに身をやつします。しかし、教皇ボニファティウスは自分の野心を脅かす危険分子とみなし、ありとあらゆる謂れのない冤罪を「教皇の力」を存分に利用しフィレンツェからダンテを追放します。ここからダンテの流浪の旅が始まり、『神曲』を書き上げる道を歩みます。ダンテもまた曽祖父カッチャグイーダ同様に教皇により災禍をもたらされたのでした。

 

イタリア=ダンテ学会の主催者ミケーレ・バルビは、ダンテが『神曲』を書くに至った心境を次のようにまとめています。

教会は、キリスト者を永遠の救いへと導くという、付託されたその神聖な義務をはたさないで、俗事にかかずらった。帝国の上にのしあがろうとの野望に燃える教会は、聖界にも俗界にも、永久に賦与された力を揮う本来の権利ありと主張した。このような状況は、神の定めた二つの指導者、帝国と教皇職の間に、嘆かわしい闘争を結果し、恥知らずの犯人どもがうようよ出てきて、その闘争からうまい汁を吸いあげる。そして、おのれの使徒的役割や魂の救いによりも、現世の権力や地上の財の獲得に血道を上げるかに見える、ローマ教皇司教座が示した悪例にならい、忽ち貪欲が天下の風となった。

ダンテは、神性に包まれていなければならない筈の「教皇」が己の欲に支配され暴政を働く現実を民衆に、国に、世界に知らしめることに使命を抱いたと言えます。そして『神曲』の内包する「神性」をもって激しく糾弾していきます。

法律はある、しかしいま誰がそれを正しく運用する?誰もいない。導く牧者はめても、分かれた蹄をもたぬぞくやしき。集英社 煉獄篇 第十六歌

神曲の寓意性

地獄篇

詩人ダンテが、現身のまま、彼岸の旅を成就する物語『神曲』。「地獄篇」は、1300年の聖木曜日(4月7日)に35歳のダンテが、罪を寓意する暗い森のなかに迷い込むところから始まる。ラテンの大詩人ウェルギリウスに導かれて、およそ一昼夜、洗礼を受けていない者が罰せられる第一圏(辺獄)にはじまり、肉欲、異端、裏切りなど、さまざまな罪により罰せられる地獄の亡者たちのあいだを巡っていく。

救いの無い地獄には、多くの権力者が堕とされ苦しんでいます。その中でやはり聖職者の多さに驚くとともに、当時の教会権力の強さや絶対性の裏打ちが垣間見えます。愛欲、貪食、吝嗇、浪費、憤怒などが上層にあり、暴力、欺瞞、悪意が下層に連なります。最後に堕天使ルチフェルを据えさせた意図は、ダンテの心をひどく傷つけた「裏切り」の象徴であるに他なりません。教皇による、同族への裏切り、祖国への裏切り、そして神への裏切りを糾弾しています。

煉獄篇

煉獄山は、エルサレムと対蹠点の南半球の海上にある。日曜日(4月10日)、愛の根元である金星が東の空を輝かせる頃、煉獄山絶壁の水際にたどり着いたウェルギリウスとダンテは、高慢の罪が浄められる第一冠から、邪淫の罪が浄められる第七冠までを登り詰めるが、最後の地上楽園でウェルギリウスの姿が消え、ベアトリーチェが現れる。人間の理性を以てしては天国へ昇れないからである。

煉獄篇は、山川丙三郎さん訳ですと「浄火」とされています。現世において侵してしまった罪を悔やみ償い、罪を洗おうとさまざまな「業火」に焼かれています。地獄との違いは「天国へ登る」という目的が存在し、希望を抱きながら耐えているということです。苦しむ描写は「地獄」に近しいものがありますが、霊たちが話す言葉には希望が含まれています。

地獄から煉獄山の麓へ抜ける時に「重力転換」が起きます。これは地獄をイエルサレムから底へ底へと潜って行き、ルチフェルにたどり着き、その真裏が煉獄山の麓であると位置相関がおかしくなるため修正するための効果です。縦に繋げた時、観念的な底がルチフェルである必要があるのです。

 

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天国篇

第一天から第十天まで、ベアトリーチェが案内する天国の旅。途中、先祖の霊カッチャグイーダから、地獄・煉獄・天国の三界での見聞を、大胆に書きあらわせと命じられたダンテは、天国の霊たちと語らいつつ、真理の光に対し徐々に啓発されてゆく。やがて至高天に至ったダンテのために、ベアトリーチェに代わって聖ベルナルドがマリアへ祈りを捧げてくれる、見神の恵みを与えたもうようにと。

天国には光と慈愛に溢れています。まばゆい光が常に放たれ、どの層に存在している霊たちも「至福」を感じています。ここに登る霊は神々だけでなく、心清らかに現世で神に尽くしたものたちが立場を問わず登場します。そして煉獄山登頂から導いてくれたベアトリーチェも天国の住人なのです。偉大な教皇や神々は現世の「欲にまみれた俗人」たちを嘆きます。

神曲で描かれる愛

誰よりも影響を受け、尊敬を続けた大詩人ウェルギリウスへの愛。自身が愛し、短命で天に召されたベアトリーチェへの愛。ダンテはこの「喜曲」を愛で包みます。これら二つの強く清らかな愛はダンテを「正しく」導きます。彼の信念を形成した元素のように、ダンテが悩み、迷うときに必ず振り返ると、微笑んで道を示します。

しかし、地獄・煉獄山で責め苦を受けている霊たちも「愛」を知っています。彼らが持った、或いは受けた愛は「邪性」に傾くものであり、振り回された結果か欲望に流された結果として思い返します。

いずれも「愛」であることには変わりありません。ただ「愛」は誘惑と隣り合わせであり、自身の欲望を刺激し悪を引き寄せます。ここで無くしてはいけないものこそが「信念」であり、それを育むものこそが「神聖信仰」であると全篇にわたり説いています。

寓意に潜む人々への教え

神曲でダンテが辿る世界は「来世」です。現世を終えて辿り着く場所。ダンテは現世での行いや心の在り方で、死後に運ばれる世界を歌っています。

地獄の亡霊たちは「悔悟の思い」もなく、「救済の希望」もない、永劫続く耐え難い責め苦をただただ受け続けています。濁った空気に光のない世界を永遠に味わう絶望を見事に歌い上げています。

煉獄山は対照的に「過去の行いに悔い」、それを改めるべく、罪業を清めるための苦しみを「希望を抱いて」耐えています。天国へ登る希望を捨てずに罪を償うことの幸せを垣間見せます。

そして天国では祈りと聖歌に溢れ、光に包まれ「常に至福」を感じる霊魂が輝いています。

喜曲ははじめ悲惨な状態ではじまりますが幸福な終局で終ります。私の作品も地獄ではじまり天堂で終る(大意)

ダンテの支援者であったカングランデ・デッラ・スカラへの手紙で『神曲』を説明しています。『神曲』はもともと『喜曲(La Commedia)』という題でした。『神曲(La Divina Commedia)』としたのはジョバンニ・ボッカッチョです。

神曲』の主人公ダンテは天国まで登る幸福で幕を閉じます。書き手のダンテ自身、「神性」「寓意性」「愛」を抱き、来世の幸福を目指す心で生きました。『神曲』はダンテの「神的正義」の象徴であったと、そう感じます。

ベルナルド・カナッチオによるダンテの墓碑銘は次の句で終わっています。

生まれはフィレンツェなれど、その母に愛されざりし われダンテ 故国を追われてここによこたわる

 

世界中の偉大な作家たちが影響を受けた壮大な叙事詩神曲』。集英社文庫ヘリテージシリーズである寿岳文章訳は、各歌のガイドが添えられており大変読みやすいです。まだ触れていない方はぜひ、お手にとって見てください。

では。

 

『悪魔の恋』ジャック・カゾット 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

フランス初の幻想小説作家として名高いジャック・カゾットの『悪魔の恋』です。本書はホルヘ・ルイス・ボルヘス編纂の「バベルの図書館 19」で、序文を添えています。

悪魔が変身した美女ビヨンデッタと、ナポリ王親衛隊大尉ドン・アルヴァーレの間にかわされる不思議な恋の物語。オカルティズムと東方趣味のうえに織りあげた、フランス幻想小説の嚆矢と目される傑作長篇。

 

カゾットは1720年頃にフランスのディジョンで生まれました。彼は神と教皇へ従うジェズイット教団イエズス会)で教育を受けます。彼は自身を「黙想の愛好家」と称し、空想や幻想を愛します。27歳のときに海務局監察官の資格を得て、マルティニック島へ派遣されます。イギリス人による侵攻を退けた後、地元の地主の娘と婚姻し、その財産である農場の仕事に精を出します。10年後、体調を崩したことを理由にフランスへの帰国を決意し、その土地を売却した財産を一時ジェズイット教団へ預けます。帰国後、預託金を引き出そうとするも、一切引き出すことができなくなります。(理不尽にも教団は「寄付」という名目へすり替えて懐に入れます。)これにより、カゾットは教団と決別しますが、敬虔なカトリック信仰はそのままに、神への崇拝を続けます。

 

こうした教団の悪魔的な所業は、カゾットの心を「オカルティズム」へ傾倒し始めます。彼が本来持ち合わせている「幻想癖」と相まって1772年に本書「悪魔の恋」が出版されました。これが非常に多くの出来部数となり、作家として大きな成功を収めるに至ります。フランス文学に幻想小説を広め、大いに受け入れられました。しかし、この成功を妬んだ者たちは「教団における秘密を暴露した」「幻視的な彼の惑乱の書に他ならない」など、誹謗中傷を浴びせます。
「神秘的思想家」としての立場と、「ロマン主義的」な作品とが、後に訪れる彼への悲劇が、今の世に幻想的な印象を与えます。

 

1789年に起こったフランス革命は「資本主義革命」とも呼ばれ、当時の身分階級差の緩和が目的とされていました。第一身分の聖職者、第二身分の貴族(騎士含む)、第三身分の平民(下級貴族含む)による貧富の差を是正するものでした。第一、第二身分には「年金の支給」と「免税の特別権」が存在していましたが、これが原因となり、国庫が破綻し革命へと至りました。
カゾットは当初、国と第三身分が和解(身分制度・領主制度の廃止)することを望み、革命へ賛同していました。しかし、革命は抗争によって行われ、民が死に絶えていく姿を見て悲しみと疑問に捕らわれます。そして革命の手段が「国あるいは聖職者の財産奪取」へと変化していくことに嘆き、「反革命的な意思」を持ち始めます。

 

革命抗争のさなか、1791年にヴァレンヌ事件が起こります。(国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットが、オーストリアへ庇護と協力を求めるために隠密で行動した際、革命派に見つかり送還された事件。)この事件を革命家たちの策謀であると見て、息子を送還中の王の元へ派遣し護衛させます。その後、王家との関係性が徐々に公になっていきカゾット自身も革命家から要注意人物として目をつけられます。そして1792年、カゾットは陰謀を企んでいるとする文書が見つかり、この疑いで逮捕され処刑されます。
彼が絞首台に上がった時に放った最後の言葉です。

私はこれまでと同じように、神とわが国王に対して忠実に死んでいく

 

本書「悪魔の恋」は幻想的な恋愛悲劇です。

ナポリ王親衛隊付大尉アルヴァーレが降霊術により悪魔ベエルゼビュート(ベルゼブブ)を呼び出します。おぞましい姿を現して「Che vuoi?(何ぞ、御用?)」と訊ねると、アルヴァーレは驚きながらも、下僕らしい姿かたちに変わり下僕らしく振舞え、と命令します。すると悪魔は可愛らしい小姓の姿に変わり、熱心に努めはじめます。そして行動を共にするうち、アルヴァーレが献身的な姿に惹かれ、恋に落ちていく物語です。

 

ベエルゼビュートは可愛らしい女性の小姓ビヨンデッタとなり、アルヴァーレに尽くします。彼女は肉体を持ち、有限の生命となってアルヴァーレを慕います。はじめは気味悪がっていたアルヴァーレも徐々に考えが変わり、接し方を和らげていきます。そして健気でしとやかな彼女にアルヴァーレは心底惚れ込んで、彼もまた心より愛し大切に想います。

アルヴァーレの心を大きく変えたのは、恋敵が現れて打ちひしがれていたビヨンデッタを、鍵穴からのぞいた時です。彼女は歌います。

わが仇敵は勝ち誇れり。わが身の上をば定めなして、われにきたるを待つは、流難の身、或は死なり。なれが鎖を断つことなかれ、ねたましき心の乱れよ。なれは、憎しみを呼び醒さん……われは心を抑う。黙せよ、と。

その後、彼女は恋敵に刺され、死の淵をさまよいます。ビヨンデッタを失いたくないと強く思い、そして彼女への愛に気づいたアルヴァーレ。ビヨンデッタが回復した後、婚姻を結ぶべく、母親の承諾を得ようと持ちかけます。ここで彼女は抵抗します。世間的な、政治的な、体面的な婚姻は真実の愛ではない、と。二人の契りが真実の愛に基づくのならばそれで全てであると。しかし、アルヴァーレは彼女に理解を求め、そう遠くない距離に居る母親を訪ねようと押し切ります。母親が危篤であるとの情報を得て、駆けつけている道中なのでした。

彼女は求めます、愛してほしいと。彼はそれに応えますが、彼女は満足しません。

ねえ、あなた、もしできたら、こういってくださいな、でも、あたしがあなたのことを染々と思えるように、やさしく言ってくださるのよ、「僕の可愛いベエルゼビュート(悪魔)、僕は、君を愛する」って

一人の可愛い小姓を愛していた筈の心が、「悪魔」という言葉で恐怖を呼びさましたアルヴァーレは、頭を隠し寝具の下で縮こまります。気づくと昼近くになり、住まいの主人に起こされ「奥様はもうすでにお母様のところへ向かわれました」と告げられます。朦朧とした脳内のまま、アルヴァーレは母親の元に向かいます。
辿り着くと、危篤どころか元気な母親を見て安堵した彼は、泣き縋りながらベエルゼビュートを召還した最初から、ことの次第をすべて打ち明けます。母親は優しく耳を傾け、「悪い夢を見ていたのだ」と慰めます。そして懇意にしているというサラマンカの学者をアルヴァーレに紹介し、助言を乞うため、今一度話すように促されます。学者は真剣に耳を傾け、もう危険は去られた事を改めて諭します。そして心を安定させ、身を守るためにも早く婚姻するように訴えます。

私の言うことを信じてください。しかるべき御婦人と正しい関係をお結びになってください。あなたがお選びなさるに当っては、御母上様の御指図をお受けなさい。そして、たとえ御母上様のお手からお授かりなさった方が、いかに神々しい美しさや才能をお持ちになることになりましても、その方を、悪魔だなどとお考えになるような気には決してならないでくださいましよ。

この台詞は一見よくある「訓示」の印象を受けますが、最後の一文で大きな違和感に変わります。読み進めると必ず抱く疑問である「アルヴァーレは悪魔に取り憑かれたのか、或いは逃れられたのか」を解く鍵がこの違和感に隠されています。

超常的な力を持つ「悪魔の企み」を、母親が避ける事が出来るかのように学者は述べています。天候や幻視や物理を支配する悪魔が、母親を誑かす事は容易ではないでしょうか。つい先刻までその恐怖に震え、その体験を涙ながらに語り体感したアルヴァーレに説くような内容には思えません。この疑念が新たな疑念も呼び起こします。母親はなぜ危篤ではなかったのか。

もちろん推論になりますが、寝具の下で縮こまっていたあいだにビヨンデッタは姿を消します。この間に母親、学者へ悪魔の力をかけていたのではないでしょうか。すでに催眠状態にある彼らの元へ馳せ参じたアルヴァーレ。彼はすでに「悪魔の企み」の中にあり、次に母親に紹介される「神々しい美しさや才能を持つ女性」こそビヨンデッタであると考えることができます。

 

本書は、死の間際まで敬虔な神への信仰者であったカゾットによる「悪魔信仰を否定する訓戒」であると考えられます。

このビヨンデッタは非常に魅力的な女性として描かれています。真摯で健気で一途で、読むものをも虜にする悪魔的な力を、ぜひ読んで体感してみてください。

では。

 

『穴のあいた桶』プレム・ラワット 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

8歳のころから「父の教え」を継ぎ、全世界の今を生きる人々へ「心の平和」を説き続けてきた活動家プレム・ラワット初の著作『穴のあいた桶 Pot with the Hole』です。

親愛なる世界中の穴のあいた桶たちへ、あなたのその穴は、才能かもしれない。
世界250都市で開催された講演会で1500万人の心を打ち、ネルソン・マンデラ氏、ヒラリー・クリントン氏と並んで、アジア・パシフィック・ブランド財団より特別功労賞を受賞した著者の、世界初の言葉集。さりげない言葉が、いつしか大きな気づきになる。

 

ラワットは、1957年にインド北部にあるヒンドゥー教聖地のひとつ、ウッタラーカンド州で生まれます。彼の父シュリ・ハンス・ジ・マハラジは作家であり、「心の平和」を諭す演説家でした。マハラジが亡くなったのはラワットが八歳の時でしたが、「父の教え」を継ぐと心に決め、十三歳ですでにイギリス、アメリカへ支持者の協力を得て講演を行います。ここから「平和の大使」の道のりが始まります。

 

彼のメッセージは「普遍的」なものです。すべての人の心の中にある「生まれながらにある平和」について語ります。生活環境、宗教、国、人種などを超え、世界中の人々ひとりひとりに向けたメッセージとして発信し、受け取る人々の人生を豊かにする教えを心に刻みます。

あなたは何のために生きていますか?もう戻ってこない昨日のためですか?それとも、行くことのできない明日のためですか?

あなたが唯一いることができる場所、それは“今”という瞬間です。

 

そしてこの「心の平和」は、ひとりひとりの心の中の諍いが無くなれば、個人と個人の諍いが無くなり、個人と個人の諍いが無くなれば、組織と組織の諍いが無くなる。それを続けると国と国の諍いが無くなるという、世の中の平和に繋がる大切な考えなのです。

私はこれまで「自分自身のなかに本当の平和を見つけてください」というメッセージを伝えることに、一生をかけてきました。なぜなら、私たちは、それ以外のことはすべて上手にできているからです。ロケットを作って月に行き、小さな携帯電話をつくり、お金の代わりとなるプラスチックのカードで買物することを可能にしました。しかし、世の中のテクノロジーをここまで進化させたにもかかわらず、人の心のなかの平和や、人間らしさを進化させることはできずにいます。

 

普遍的な教えであり、「心の平和」というメッセージは、より必要とされる場所や人の元へ向かいます。紛争地域や国際サミット、そして刑務所などです。
アジア・パシフィック・ブランド財団より特別功労賞を受賞した活動として、「プレム・ラワット財団」の運営が挙げられます。貧しい地域へ食糧や水を供給するプロジェクト「フード・フォア・ピープル」や、世界各地の災害救助活動に携わっています。
そして「ピース・エデュケーション・プログラム」という取り組みがあります。これは「心の平和」についてのプレム・ラワットの演説動画を参加者が観てディスカッションを行うというものです。この内容は多言語に翻訳され、世界中で活用されており、大学や介護施設などで利用されております。そして最も重用されているのが刑務所です。目的は服役中の「心の安定」や、出所後の「再犯率低減」です。

 

講演会では質疑応答の時間を設けられ、傍聴者からの様々な質問をラワットは受け答えていきます。こちらはアメリカのドミンゴ刑務所にて行われた際の、ある受刑者からの質問です。

受刑者:私は罪を犯してしまい、こうして刑務所に入ることになりました。それまでいっしょにいた妻は、私が改心し、変わることはないと考え、私から離れていきました。でもここにきて、あなたのプログラムを受けて、変わることができました。どうしたら妻と家族に私が変わったことをわかってもらえるでしょうか?

ラワット:家族のために自分を変えようとしてもうまくいきません。自分自身のために変わることができたら、ミツバチが花に引き寄せられるように、家族はあなたのところに戻ってくれます。あなたは自分自身をあきらめなかった。その自分を信じる力で、人生に素晴らしい変化をもたらせるはずです。

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南アフリカ共和国 ゾンデウォーター刑務所にて

 

本書は6つのテーマで語られています。

Yourself
自分自身の心の声に耳を傾けること

Choice
自ら選択し、研鑽し、自分を育てること

Peace
ひとりひとりの心の諍いをなくすこと

Life
時間に追われず、今に感謝すること

Thankfulness
自分に生まれたことに感謝すること

Seeds
自分が蒔いた種で何事でもはじまること

 

完璧な人間はいません。誰もが「穴のあいた桶」です。

 

自分を見つめ、自分と対話し、自分を愛し、自分の心を平和に保つ。自分にとって「本当に欲する幸せ」とは何か、じっくり考えることができる作品です。そして、この書は大切な人へプレゼントするのにも良いと思います。

読むだけでも心が落ち着く、平穏になる、そんな作品です。未読の方はぜひ。

では。

 

『クローヴィス物語』サキ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

20世紀初頭のイギリス文学界において、英国の教科書にも活用されるほど大変有名な短篇作家です。アメリカのオー・ヘンリーと比較され、優れた作品群は現代でも楽しく読むことができます。

皮肉屋で悪戯好き、舌先三寸で周囲を振りまわす青年クローヴィスの行くところ、つねに騒動あり。「トバモリー」「名画の背景」「スレドニ・ヴァシュタール」「運命の猟犬」他、全28篇を収録。辛辣な風刺と残酷なユーモアに満ちた“短篇の名手”サキの代表的作品集を初の完訳。序文A・A・ミルンエドワード・ゴーリーの挿絵16点を収録。

 

サキは旧イギリス領ビルマ(現ミャンマー)で生まれます。父親と同様にインド帝国警察に勤めますが、マラリアに罹り退職。祖母の住むイギリスでジャーナリストとして歴史書を手がけ、特派員記者として海外を巡ります。そこから帰国後、執筆活動に専念し、次々と作品を生み出していきます。

 

彼の作品には「痛烈な皮肉」と「貴族的な冷笑」とが入り混じります。この特徴はオー・ヘンリーの大衆的で情緒溢れた作風と対照的であると言えます。代表作のひとつ『トバモリー』は、これらの特徴を存分に含んだ「サキらしさ」を感じさせてくれる作品で、「貴族の醜さ」をまざまざと風刺しています。

 

『クローヴィス物語』の各作品の中で、人々へ悩みの種を振りまく狂言回し役「クローヴィス・サングレール」。彼の行動は関わる人々へ災難だけを届けます。彼の名前の由来は、残虐淫乱なフランス・メロヴィンガ朝創始者「クローヴィス」と、フランス語で血まみれを意味する「サングレール」で、まさにうってつけとなっています。

 

サキの作風において「軽んじられる死」の描写が多々あります。これは被害者の身分に関係なく、登場人物たちは比較的関心が薄く描かれています。もちろん、風刺表現に重きを置いているため、死の描写を丁寧に書くわけにもいかないという理由もあります。ですが、自分の死に対する恐怖は詳細に描かれるのに(『運命の猟犬』など)、他社の死には悼む心すら感じづらいシーンが散見されます。これは当時の貴族社会に蔓延していた「腐敗した精神」を表現しています。サキは当時の社会、或いは国政に対してある種の憎悪の心が存在していました。

 

彼は同性愛者でした。当時イギリスでは「ソドミー」(不自然な性行動)は重罪とされており、生まれつきの致し方ない精神性であるにもかかわらず、肩身の狭い暮らしを余儀なくさせられます。そのような国の在り方に対して、心の底では「鈍い憎しみ」が慢性的に澱となって沈んでいました。彼が新聞や雑誌に掲載する意図は、「国民への訴え」であり、その内容は「国への批判、社会への批判」が根底にあるがため、辛辣な作風の風刺作品が多く生まれたと考えられます。

収録されている『閣僚の品格』はかなり直截的に政治風刺を行っており、現代にも通用する鋭い作品となっています。

いくら国家の指導者をまったく私心のない天使でケーぺニックしたところで、一般大衆のレベルが元のままなら片手落ちに終わるというのを見落としていたらしい。

「ケーぺニックする」とは、1906年、ドイツのケーぺニック市で靴職人が陸軍大尉になりすまして市庁舎を占拠した事件に由来した動詞です。不思議なチカラを持った公爵が国の要人を次々に「天使」にすり替えていき、政治を良くしようとする話です。

 

サキは第一次世界大戦争が勃発すると、志願兵として出征します。年齢から仕官の地位を勧められますが、一兵卒を望みます。この選択からも国に還ることに固執していなかったことがうかがえます。彼はほどなく軍曹となり、部下を持ちます。その部下の一人がドイツ軍の潜む地域で煙草に火をつけました。火や煙がターゲットになると考え、「その煙草を消せ!」と叫んだ瞬間に、彼の喉をドイツ軍の銃弾が貫きました。

この皮肉な結末は、彼自身が聞き及んだ話であったなら、作品に取り入れたことでしょう。

 

皮肉に溢れ、シニカルな台詞が溢れている戯曲のような味わいの短篇集。思わず口元が緩んでしまうような作品も多数あります。
ぜひ、読んでみてください。

では。

 

『時のざわめき』オシップ・E・マンデリシュターム 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

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ソビエトの闇に深く閉じ込められ、不当で非業の死を遂げたオシップ・E・マンデリシュターム。彼の残した、残すことができた僅かな作品の一つである『時のざわめき』です。

『時のざわめき』は、過去についての物語である。過去はもはや存在しない。しかし記憶のなかに絶えず甦ることによって、それは具体性にみち、なんらかの形で時代を象徴した人びとや物たちの痛いほど鮮やかな幻想に充ちている。演奏会の熱狂、革命の個人教授、皮の臭いと《急がば廻れ》の題銘を刻みこんだ肘掛椅子のあるユダヤ人のアパルトマン、練兵場の軍隊パレード、エス・エルのシナーニ一家……。『時のざわめき』においてマンデリシュタームは、彼を苦しめていた問題への答えを探し求めた。ことに最大の問い、それは、目の前にある現実との隔絶が果たしてどこからきたのかという問いだった……。

 

マンデリシュタームは1891年、ワルシャワユダヤ中流貴族の元に生まれ、パブロフスクで青春期を過ごしました。彼は「家庭を取巻くユダヤ世界」とすぐ間近に存在する「ペテルブルクの燦然と輝く世界」の狭間で生き、培われた精神は破壊的な詩人として成長していきます。帝政ロシアの敷くプロパガンダに最も影響された華やかなペテルブルクは、「五〇パーセントの文盲にある大衆」の集まりとして象徴化され、奇妙に靄のかかった美しいヴェールのように存在していました。その混沌に向けた攻撃的な詩は、いずれ彼自身の身を危険に晒すことに繋がっていきます。

 

彼が生きた時代はロシア文学史において最も偉大な詩人たちを輩出した時代です。「銀の時代」(1905頃-1920頃)と呼ばれ、詩だけでなくロシアにおける芸術(絵画、彫刻、演劇、活写など)全般における大きな運動による影響を指します。これらの大きな流れを「ロシア・アヴァンギャルド」と括りますが、共通して言えることは「国家による検閲の廃止」です。

1905年の「血の日曜日」(日露戦争中止を訴えた国民が軍に射殺された事件)を発端にロシアの革命が進みます。教会を担いだ労働者と国家の諍いは、社会革命党(エス・エル)をはじめとする社会主義者たちを追いやり、ニコライ二世の「十月宣言」で、国家はソビエトへ形成されていきます。

 

日露戦争の敗戦によるネガティブな風潮に、大衆は疲れきっていました。それまでの文学は「リアリズム」に傾倒しており、描けば描くほど重く苦しい表現となり、民衆から賞賛の声は受けられない時代でした。ここに検閲廃止が相まって文芸風潮は「リアリズムへの反抗」が共通するテーマとなり、文芸評論が活性化し、「ロシア・フォルマリズム」という文学批評一派を作り出しました。この文学運動が「銀の時代」の前の世代、所謂「黄金期」と呼ばれる、アレクサンドル・プーシキンミハイル・レールモントフレフ・トルストイフョードル・ドストエフスキーイワン・ツルゲーネフなどの作品から読み取る詩的表現や文芸構造を研究するに至ります。


しかし検閲廃止による文芸の自由は「文芸の商業化」を促進し、印税や原稿料を高騰させ、作家を「儲かる商売」へと変貌させていきました。そして読者層は貴族階級から大衆へと変化していきます。宗教哲学者のセルゲイ・ブルガーコフは、「ロシア文学は、ポルノグラフィーとセンセーショナルな出版物の濁流によって洗われている」と嘆きます。これを良しと捉え利用したのが「国家」でした。作家たちを待遇良く囲い込み、国の求める思想の植え付けを大衆に向けて行うため、文学をプロパガンダとして使用します。

 

それに対する反抗的な態度を示したのが「詩人たち」でした。彼らは命がけで活動します。活動には組織が形成され、それぞれの芸術性に合わせた「流派」が存在しました。詩人たちは自己の思想に変化が起こった場合、流派を超えて交流し、または流派を移り活動します。

最も代表的な流派は「銀の時代」を切り開いた代表作『十二』を書いたアレクサンドル・ブローク率いる「シンボリズム」(象徴派)です。国家によって「失墜させられたロシア文学の復興」を理念に、作家の主観的な創造性や文芸美的精神の回復を目指しました。
また、「イマジニズム」(映像主義)という新しい自由を目指す流派がありました。モラルが欠如し、皮肉や嘲笑を誘う「シニシズム」(冷笑主義)の集団です。これはロシア文学における言語が退廃した、と捉えて世に出ている主義の無意味性、無論理性を問い続けた流派です。
そして、マンデリシュタームの所属していた「アクメイズム」という流派です。これは上記のシンボリズムに対抗する主義で、「銀の時代後期」に突出した少数流派です。当時のシンボリズム運動はピークに至り、象徴主義本来の「作家と読者」の関係性が無視されているといった主張です。「つねに未知のものに目を注ぐとはいえ、推測による、あの堕落したイメージを用いずに注目すること、これがアクメイズムの教義である」と所属するセルゲイ・ゴロデツキーは訴えています。つまり、シンボリズムの象徴性は無根拠で推測、もしくは願望を吐き出しているだけで、民衆や情勢を「メタフィジカル」に見ることができていない、と攻撃しています。

 

これらの文芸運動が大衆の求める「リアリズムへの反抗」に適し、大いに受け入れられます。民衆は「詩的表現」或いは「隠喩表現」を求め、それらを喝采します。ただし、これらはスターリン批判に繋がり、次々に粛清の対象となっていきます。本書の作者であるマンデリシュタームもその一人でした。スターリン体制が堅固になるにつれ、「詩人たちの声」は消滅させられていきます。こうして「銀の時代」は終焉します。

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マンデリシュターム マグショット

マンデリシュタームは、ロシア雪解けの時代が始まった1960年代にも粛清されたまま、ロシア国内でも出版物を見受けられることがありませんでした。(欧米では雪解け直後に知れ渡ります。)スターリン批判の内容が当時の主政策であった「農奴解放」に関わる揶揄であったことと推測はされますが、かなり厳しい扱いでした。しかし、全世界的に名誉回復を図るきっかけが起こります。1970年と1972年に、未亡人ナジェージダ・マンデリシュタームによる二冊の「回想記」が出版されたことです。彼女は夫の作品を守り通すことを唯ひとつの念願として、スターリン時代を生き抜きました。マンデリシュターム逮捕の日から獄中における死までを、全ロシア人はようやく理解し、追悼しました。

 

本書『時のざわめき』は、マンデリシュタームが体感した多くの「時代の動き」の動き出した兆候、大衆への影響を「詩的散文」で描き連ねています。

わたしの願いは、自分のことを語るのではなく、時代のあとを辿り、時のざわめきとその芽ぶきを辿ることだ。

 

たまたま私の手元にある書は、1976年に来日した夫人の署名が入ったものです。

「希み」とはロシア語で Nadezjda であり、ほかならぬ夫人自身の名前である。この二冊の回想記の出現によって、マンデリシュタームの生涯と作品がわたしたちに問いかける意味は、いっそう深く、重たいものになったのだった。

訳者の安井侑子さんの言葉です。

 

ロシア文学冬の時代を、マンデリシュタームはこう説いています。

そしてこのロシア史の冬の時代にあって、文学全体は、どこか尊大で、わたしを惑わせるものに思われる。胸をおののかせながら、わたしは、作家の毛皮帽の上にかぶさる蝋引き紙の薄いヴェールをそっと持ち上げる。誰の罪でもなければ、何ひとつ恥じることはないのだ。獣は、おのれのふっくらしたした毛皮を恥じてはならない。夜が獣を、毛皮でくるんだのだ。冬が獣を、装わせたのだ。文学はーー獣。毛皮匠はーー夜と冬だ。

 

今回紹介した『時のざわめき』は入手が困難かもしれません。ですが、マンデリシュタームの作品にはぜひ触れていただき、彼の熱意や苦悩を感じ取ってほしいと思っています。

ご機会があれば、ぜひ。

では。

 

 

『ドリアン・グレイの肖像』オスカー・ワイルド 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

19世紀末に発表され、幾度も映画化された名作、オスカー・ワイルド(1856-1900)の『ドリアン・グレイの肖像』です。代表作『サロメ』も大変有名です。

 

舞台はロンドンのサロンと阿片窟。美貌の青年モデル、ドリアンは快楽主義者ヘンリー卿の感化で背徳の生活を享楽するが、彼の重ねる罪悪はすべてその肖像に現われ、いつしか醜い姿に変り果て、慚愧と焦燥に耐えかねた彼は自分の肖像にナイフを突き刺す……。快楽主義を実践し、堕落と悪行の末に破滅する美青年とその画像との二重生活が奏でる耽美と異端の一大交響楽。

 

ワイルドは現在のアイルランド出身で、生まれた家庭は厳格なプロテスタントの家柄でした。そして母親のジェーンは詩人であり、その文才が継がれたと考えられます。この母親は「女子」の子供を望んでいたことでワイルドの幼少期には「女子の衣服」を纏わせていました。これが後の彼の人生に大きく影響を及ぼすきっかけとなります。

 

19世紀のイギリス文学を代表するデカダン派、あるいは唯美主義の牽引者として大衆を魅了します。特に退廃的な思想は若者たちに大きく支持され、当時の文学社会における大きなうねりとなりました。ロマン派からモダニズムへの変遷にあたる時期で「逆説的思考」が漂っていました。

『ドリアン・グレイの肖像』において「頽廃(decadence)」という言葉が多用されていることからも、思想の啓蒙に努めていたことが窺えます。また典型的で印象的な「頽廃主義」の描写も散りばめられています。

ときには美の芸術的要素をもつ悲劇と出遭うこともないわけではない。その場合、もし美の要素がほんものならば、その悲劇全体は人間の戯曲感覚に訴えかけてくる。すると、われわれはもはや自分が出演者ではなく、観客となっていることに不意に気づく。

これはシビル・ヴェインというドリアンの婚約者が亡くなった際、ドリアンの友人であるヘンリー・ウォットン卿が発する台詞です。

 

ドリアン、ヘンリー卿、そして肖像を描いた画家であるバジル・ホールウォードの三名は友人です。ですが、ヘンリー卿、バジルの両名は「同性愛的な感情」をドリアン・グレイに注ぎます。友情と愛情の狭間のような心情描写は、徐々に三角関係を大きくしていきます。ドリアンは「無垢な放蕩者」、ヘンリー卿は「快楽主義者の逆説王」、バジルは「自制心と自尊心の塊」といった特徴を持つ三名の言動が、「三つの魂」を表現していきます。

この本には私の多くが含まれている。バジル・ホールウォードは私が自分だと思う人物だ。ヘンリー卿は世間が私だと思っている人物である。そしてドリアンは私がなりたいと思う人物だーーおそらく別の時代においてであろうが。

これはワイルドが友人に宛てた手紙の一文です。

 

「不変の身体と魂」を描いたこの作品はヴィリエ・ド・リラダン未來のイヴ』を連想します。どちらの作品も「人間の持つ芸術性」を訴えています。こうありたい、こうあってほしいという願望が芸術性を高め、その芸術性を追いかけ求めることこそが人生の目的である。或いは、その芸術性を自己の人生に反映させることこそ生きる目的である、という特化的な哲学が両方の作品の根底に流れています。

しかし、この二作品が対照的に描かれている点は「魂の芸術性」です。『未來のイヴ』の「ハダリー」の魂は「理想どおりに創造されたもの」に対し、ドリアンがシビル・ヴェインに求めたものは「内から沸き起こる魂の芸術性」でした。
その片鱗を彼女が舞台で演じる役に見出したと思い、恋し、愛しましたが、舞台上における芸術性は俗っぽい情動で破綻し、無惨なジュリエットを演じてしまったのです。

 

「人生は芸術の模倣である」というワイルドの言葉には崇高さとエゴイズムが入り混じり、その思想が彼の作品に滲み出ているように感じます。

「かわいいつばめ君、君はすばらしい話をしてくれたけど、この世で最もすばらしいのは、人々の悲しみなんだよ。みじめさにまさる神秘はないんだ。つばめ君、私の町を飛び回って、君が見たことを話してくれないか」

幸福の王子』の王子の台詞です。

 

オスカー・ワイルドは37歳の時、16歳年下の男性文筆家と深く親しくなります。彼はバイセクシャルでした。しかし相手の若い青年は名門貴族の息子であった為、その親である侯爵に猥褻罪で訴えられ、敗訴し投獄されます。詩人として、作家として活躍し、名を上げたにも関わらず、ワイルドは投獄され、破産し、名を変え世間から見放され、1900年に梅毒で寂しく息を引き取りました。

すばらしい神秘に囲まれて動きを止めた彼の「割れた鉛の心臓」を、天使が見つけられたならと願うばかりです。

 

巻煙草をふかしながら、逆説でひたすらにドリアンを誘惑するヘンリー・ウォットン卿の語りが、中毒的に小気味よくなっていきます。読み物としても緻密にプロットが練られており、先へ先へと読み進めさせられます。

存分に楽しむことが出来るこちらの作品。未読の方はぜひ。

では。

 

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『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』U・エーコ & J=C・カリエール 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回は対談本です。

 

フランスの劇作家・脚本家であるジャン=クロード・カリエールと、イタリアの記号論大学教授でありベストセラー作家であるウンベルト・エーコが、「紙の書物」に関して存分に語り合います。時に熱く、時に物悲しく、趣味嗜好を曝け出します。

紙の本は、電子書籍に駆逐されてしまうのか?書物の歴史が直面している大きな転機について、博覧強記の老練愛書家が縦横無尽に語り合う。
この対談は、「グーテンベルクの銀河系」と呼ばれる書物の宇宙への温かい賛辞であり、本を読み、愛玩するすべての人を魅了するでしょう。すでに電子書籍を愛用している人だって、本書を読んで紙の本が恋しくならないともかぎりません。 帯より

四万冊の蔵書を持つカリエール、五万冊の蔵書を持つエーコ。二人の偏執的とも言える「紙の書物」へ向けた愛情を互いに披露し、語り合います。この二人をフランスのジャーナリストであるジャン=フィリップ・ド・トナックがコーディネートします。対談はカリエール、エーコの互いの自宅にて行われました。

 

ジャン=クロード・カリエールは、シュルレアリスム映画監督のルイス・ブニュエルの脚本家として活躍し、また偉大な演劇家ピーター・ブルックと30年以上を共にし、台本を書き上げてきたフランスを代表する著作家です。
ウンベルト・エーコは、ボローニャ大学の教授で「記号論」の教鞭をとる傍ら、作家としても活躍し、初の小説『薔薇の名前』が世界的ベストセラーとなり、その後文芸評論などでも名を知られるようになります。

 

事前に述べておくべきこと

本書に関するレビューの中で、かなり否定的な内容が散見されます。「書名」と「帯の煽り」が、本書の内容と相違があるというものです。
実は、本書が世に出た2010年は、Apple社のiPad発表を皮切りに各社が電子書籍サービスを発表し、「電子書籍元年」と世を賑わせて関心を高めていた時代です。この関心を煽るため「阪急コミュニケーションズ」(現CCCメディアハウス)が「書名までも大胆に意訳して」本書を出版しました。その為、「紙の書籍vs電子書籍」のような討論を期待した方々の落胆は激しく、厳しいレビューが書評サイトに乱立してしまっているのが現状です。また上記の「帯文」による煽りからも大きな誤解を招いたのも事実です。

 

原題(仏語)
N'espérez pas vous debarrasser des livres
『書物が無くなるなんて思わないでほしい』

訳題(英語)
This is Not the End of the Book
『書物が無くなるなんてことはない』

 

どちらもかなり邦題とはかけ離れていますね。商業要素が含まれていると考えられても致し方ありません。しかし、本書は「紙の書物への愛」が溢れており、カリエール、エーコ、トナックの語りに「紙の書物が好きな方」ほど、のめり込んでしまいます。

 

「媒体」と「言語」という捉え方

「書物」は完成された「媒体」である、とエーコは唱えます。

物としての本のバリエーションは、機能の点でも、構造の点でも、五百年前となんら変わっていません。本は、スプーンやハンマー、鋏と同じようなものです。一度発明したら、それ以上うまく作りようがない。

スイスのダボスにて、2008年に行われた世界経済フォーラムで未来学者が述べた「向こう15年で起こる現象」の一つが「書物の消滅」だという発表を、カリエールが話題にしました。それにエーコが答えたものですが、完成された媒体が「なにかしらで代用されることはない」と言い放っています。それはもちろん無根拠ではなく、「媒体としての優位性」が備わっているからだと言います。インターネットであればインターネット環境とコンピュータと電源、全てが揃ってはじめて使用できますが、本は開くだけで読むことができます。

また、経年劣化に関しても触れています。

トルストイはもちろん、それ以外の本も、パルプに印刷された本はすべて、じきに読めなくなります。理由は単純で、今書架にあるパルプの本はすでに変質しはじめているからです。

この経年劣化においてエーコは「愛着」という感情で、引き続き紙の書物を肯定し続けます。

 

1911年にフランスのリッチョット・カニュードという執筆家は、『第7芸術宣言』という作品を発表しました。これは映画の特徴である「映像効果」「光学効果」がそれまで存在していた芸術(時間芸術「音楽」「詩」「舞踊」、空間芸術「建築」「彫刻」「絵画」)を総合するものであり、7番目の芸術であると宣言しました。

カリエールは、書物も映画も言語であると言います。

あなたと私が生まれた二十世紀は、新しい「言語」を数々発明した史上最初の世紀です。もしこの対談が、百二十年早く行われていたら、対談の材料になったのは、せいぜい演劇と書物でしょう。

映画は芸術性も高く、小説家にとって魅力的で、小説を書いていれば映画脚本の仕事も自然に入ってくるという考えを否定しています。実際にはまったく別の「言語」であり、必要とする技術は違うものであると。

 

断片的な情報過多による無知

文化や芸術は「過去」に影響を受け、反発あるいは同調し、新しい作品が生み出されてきました。「書物」も同じであると彼らは言います。

最近のアンケートで、映画史上最も優れた映画監督はクエンティン・タランティーノ、という結果が出ていたことがあります。アンケートに回答した人々は、エイゼンシュテインも、フォードも、ウェルズも、カブラも観たことがないに違いありません。

先日、感想を書いた『エウロペアナ』の時にも触れましたが、インターネットに散らばっている情報は「断片的な過去」で、それらが繋がっていない、つまり歴史が存在していないという表現をしました。カリエールの持論は未来まで包含します。

人間が忘れっぽいとすれば、それはまぎれもなく、直近の過去が現在を圧迫し、押しやり、突き飛ばし、そしてその先には、未来が大きな疑問符の姿をして立ちはだかっているからです。

エーコもこれに応えます。

自転車に乗れるようになるために、人生の貴重な幾月かを割きましたね。そうして身につけたものは永遠に有効でした。

コンピュータ、インターネット、そして電子書籍、増え続ける文化的発明は流動的で変わりやすく、そして常に次にやってくる発明を学び、過去の身に着けた技法を使い捨てていると感じさせられます。

 

書物が大衆へ与える影響

手書き写本から小型本印刷への技術進歩は、大衆の文化を大きく変えます。そしてこの進歩が大きく手助けをしたのが「宗教改革」でした。大型の手書き経典を布教に用いようとも非効率であり、大衆の誰もが携帯できるようなものではありませんでした。そして費用も莫大にかかります。これが小型になり、携帯できる経典が出回ると忽ち改革に繋がります。

しかし信仰が進むと書物を燃やす「焚書」が行われます。これを「フィルタリング」と彼らは表現しています。国や統率者、または宗派や教祖の思いのままに「都合の悪い書物」を焼き払ってしまいます。これは絵画でも数多く行われてきました。大衆へ与えるプロパガンダとしてイデオロギーの徹底に「書物」を使用されたのです。

 

我々が受け取る「紙の書物」

幸い、未来学者の予言した「書物の消滅」はやってきていません。書店に行けば書物を購入することができます。焚書、禁書を免れたさまざまな作品群から手に取った一冊をどのような思いで読むことができるでしょうか。カリエールの熱弁が繰り広げられます。

大事なのは、何が何でも映画を観るとか読むとか、そういうことではなく、観て読んでどうするか、そして観たもの読んだものからいかに滋養があって腹持ちのよい糧を引き出すかということなんです。速読の愛好家たちが書物を本当に味わって読んでいると思いますか。バルザックの長い長い描写をはしょってしまったら、バルザックらしい深みの本質はそれこそ失われてしまうんじゃないでしょうか。

すべての書物には時代によって、あるいは触れた文化によって、多くの読者から「解釈」がつけられていきます。この「解釈」が古典的な厚み、作品自体の豊かさを膨らませ、後世の読者に与える感動は、執筆当事に作者が描いた以上の何倍もの大きさで訪れます。書かれた時代背景や政治背景、宗教や文化が、多くの解釈を生み、現在の読者の価値観と合わさり、一人一人の大きな感動がその一冊に印象として、新たな解釈として残っていきます。

 

書物の「魂」と「肉体」

訳者の工藤妙子さんはカリエールとエーコの話から、「書物の魂」という表現をしています。パルプ紙に書かれた書物は朽ちていく「書物の肉体」であり、寿命がある。新版を買えば事足りる作品もあるが、自分がその書物と出会い、手に触れ、または線を入れ、部屋の匂いが染み付いた「唯一の肉体に宿った魂」は買い換えて満足できるものでもありません。

電子書籍のリーダー端末は「何千という書物の魂の共同住宅」である。この言葉には背筋がぞくぞくしました。書物を読むという行為は、確かに「視覚」を主に用います。しかし、「魂」と「肉体」、これらを感じながら読むという行為には他の感覚神経も使用し、だからこそ「魂が記憶として残り」続けるのだと感じます。端末で読むとき、どの魂も同じ触覚、同じ嗅覚であれば、記憶として残る肉体を持たない魂は、紙の書物が与える記憶と異なる印象が残るように思います。

 

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エーコは2016年2月19日にイタリアのミラノで、カリエールは2021年2月8日にフランスのパリで、それぞれ亡くなりました。本書の最終章で「死んだあと蔵書をどうするか」というテーマの語らいがあります。今読むと当時と違った印象を抱かされます。

 

個人的には、カリエールがサドの『閨房哲学』の初版本を盗まれた話で、語り口調が怒りながらも盗ってしまう気持ちがわからなくもないというニュアンスで話すシーンが、人柄がよく出ていて面白かったです。

今読んでも充分に楽しむことができる本書、未読の方はぜひ。

では。

 

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