RIYO BOOKS

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主に本の感想文を書きます。海外文学が多めです。

『恐るべき子供たち』ジャン・コクトー 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

フランスの多彩な芸術家ジャン・コクトーの代表小説『恐るべき子供たち』です。詩人であり劇作家であり、美術にも秀でている「芸術のデパート」。本書には彼の数十点もの挿絵が挟まれています。

14歳のポールは、憧れの生徒ダルジュロスの投げた雪玉で負傷し、友人のジェラールの部屋まで送られる。そこはポールと姉エリザベートの「ふたりだけの部屋」だった。そしてダルジュロスにそっくりの少女、アガートの登場。愛するがゆえに傷つけ合う4人の交友が始まった。

 

ジャン・コクトー(1889-1963)はパリ郊外の大変裕福な家庭で生まれ育ちます。幼少期より舞台に感銘を受け、感性を磨きます。早くから社交会に出入りし、数々の著名な芸術家と出会い親交を深めます。その中にはプルーストニジンスキーなどがあり、フランス文壇で開花し始めた彼は徐々に名を広げていきます。『薔薇の精』を踊るニジンスキーのポスターを描いた事もあります。

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そして1919年に運命的な出会いが訪れます。まだ幼い、弱冠16歳のレーモン・ラディゲと意気投合し、硬い友情を結びます。しかし、ラディゲはチフスにより享年20歳でこの世を去り、コクトーは恐ろしい悲しみに襲われます。この悲しみから逃れる為、彼は阿片を常用します。ここから彼の人生は阿片服用と阿片解毒治療を繰り返します。彼は生涯、4度の入退院を繰り返しました。

 

この『恐るべき子供たち』は2度目の解毒治療の入院中に、三週間で書き上げました。1929年に出版されましたが、反道徳的で慣習を無視した主人公達の言動は賛否両論を巻き起こします。自由奔放な彼らの行動に憧れる若者達、不道徳であると断ずる教育者達、悪書であるとする先人達など。いずれにしても大きな流行となり、コクトーに成功をもたらします。

 

子供にとっての子供部屋には異次元的な空間イメージがあり、その中での精神は一種の「夢見心地」になる事があります。これは私も経験がありますが、扉を閉めると現実世界から切り離された独自の精神世界のような心地に陥ります。

親を亡くした姉弟はこの世界から抜けられず、呪縛とも言える感覚世界に浸り続け成長します。しかし彼らはその世界に依存している自覚は無く、この空間を捨てて社会に出ようと試みます。その折に出会った少女を巻き込み、物語は加速していきます。

 

彼らの考えはペシミズム的で、反抗期に見られる「恐れを知らない無知」で描かれています。裕福である彼らの怠惰で、不毛で、傲慢で、そして臆病な言動が、異質な精神世界で繰り広げられます。

ラストのシーンで恐ろしい悲劇が巻き起こりますが、『ポールとヴィルジニー』の引用が出てきます。

急に、自分の夢の「丸い山」が『ポールとヴィルジニー』に出てくることを思い出した。あの小説では「丸い山」は丘のことを意味していた。

『ポールとヴィルジニー』はジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエールの作品ですが、この作品のオペラ・コミック台本をコクトーとラディゲは共作しています。

「死は取るに足らないことよ。あなたは死んでいる。私も死んでいる。私たち満足よ。死んだ後には、もう死ぬことはできない。みんなが好きな場所で、いつも一緒に暮らすことができるわ。」

コクトーの死生観は「生死は裏表に存在し、同じ世界で起こる事象」であると表現されています。この死生観はラディゲも持ち合わせていたと考えられます。

 

そして『恐るべき子供たち』という作品は、自分が居ない「死側」に居るラディゲへ向けた餞の、或いは自分自身が「生側」で生きていく為の決意の解釈の意味で作り上げた、と考えられるのではないでしょうか。バイセクシャルであったコクトーは友情以上の感情をラディゲに抱いていたのかもしれません。

 

執筆した背景と同様に激しい悲劇は、読む者の意識を凄まじく引き摺り込みます。
大変読みやすく、しかし魅力を存分に維持して仕上げられた訳ですので、未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

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『バベットの晩餐会』イサク・ディーネセン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

 

デンマークの作家、カレン・ブリクセンの『バベットの晩餐会』です。
イサク・ディーネセンという名前は英語版ペンネームです。

女中バベットは富くじで当てた1万フランをはたいて、祝宴に海亀のスープやブリニのデミドフ風など本格的なフランス料理を準備する。その料理はまさに芸術だった……。
寓話的な語り口で、“美”こそ最高とする芸術観・人生観を表現し、不思議な雰囲気の「バベットの晩餐会」(1987年度アカデミー賞外国語映画賞受賞の原作)。
中年の画家が美しい娘を指一本ふれないで誘惑する、遺作の「エーレンガード」を併録。

 

女流作家カレン・ブリクセン(1885-1962)はデンマーク語と英語、両方で出版しています。英語で出版する時のペンネームがイサク・ディーネセンです。英語で書き上げた作品を自身でデンマーク語に訳す特異な作家です。しかし単純に、忠実に訳すわけではなく、内容に相違がある作品が多数あり、この『バベットの晩餐会』は大きく内容が異なる作品です。
異なる内容としては、第九章「レーヴェンイェルム将軍」からラストにかけて多くの記述が追加されています。そして本書の訳者である枡田啓介さんは「デンマーク語版」で訳しています。

 

カレン・ブリクセンは映画化された『アフリカの日々』でも有名です。これは伝記のようなエッセイですが、彼女が体験した元夫とのコーヒー農園で過ごした経験が含まれた作品です。この後、第二次世界大戦争を終え、世界が落ち着き始めた頃『バベットの晩餐会』は世に発表されました。舞台はノルウェーの北の北、田舎の質素で信仰を重んじる小さな村での話です。

併録の『エーレンガード』にも言えることですが、とにかく多くの「神話の表現」が登場します。

彼女の作品には、旧・新約聖書の世界、ギリシャローマ神話北欧神話、中世ヨーロッパの伝説が自在にとり上げられ、さらに『アフリカの日々』に見られるようなイスラム文化、アフリカ文化への関心と洞察が加わって、渾然として多義的な物語の世界が展開されている。

枡田啓介さんの「あとがき」の一文です。

また、音楽、美術の表現が見事で「芸術を神々しさで紡いだような筆致」がノルウェーの雪景色に灯る光のイメージに溶け込んで、贅沢とも言える芸術性を感じさせてくれます。

 

1870年、プロイセン(ドイツ)とフランスの戦争、「普仏戦争」が起こりました。スペインが九月革命にて王位継承予定者がいなくなり、そこへプロイセンビスマルクが取り入り継承予定者となりました。これを脅威と見てフランスのナポレオン三世が反対したことが発端となり戦争に至りました。結果、フランスは大敗し当時の帝政は崩壊しました。

敗北したフランスは50億フランと土地を渡し、講和。勝利の入城としてプロイセン軍はフランスに入ります。この講和とプロイセンの「パリ入城」に対する抗議を皮切りに、フランスの誇りを黒旗として掲げ労働者政権「パリ=コミューン」を結成しました。このコミューンはプロイセン軍だけでなく、自国の臨時政府軍にも包囲弾圧され、多くの命が失われました。

 

美しくも年をとった二人姉妹に仕える女中バベットは、コミューン支持派でした。

晩餐会には臨時政府軍の将軍も参加します。神の申し子のような二人姉妹、信仰心の深い監督牧師を取り巻いていた老信者たちと一緒に。大金でもてなした芸術的な晩餐は将軍のスピーチを招きます。

「正義と幸福はおたがいに口づけをすることになるのです。」

バベットは晩餐会を終え、二人姉妹との会話でこう話します。

「彼らは自分を守ることのできない貧しい人びとに、不正義を働いたのです。」

バベットが将軍に与えた感動は、「料理芸術家」としてのバベットが与えた感動であり、その感動を自らの手で引き起こすことがバベットにとっての復讐であったのだと考えられます。つまり、将軍の重んじていた芸術性や信仰のたどり着く先が「バベットの作る晩餐」であり、「バベットの芸術性」に跪いていたのだと、そう読み取ることが出来るのではないでしょうか。

 

背景が重く、神話の神々しさで覆いながらも、驚くほど読みやすく流麗な文体は、まさに芸術です。大変美しい作品ですので、ぜひ読んでみてください。

では。

 

 

『星界の報告』ガリレオ・ガリレイ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

「近代科学の父」或いは「天文学の父」と呼ばれる天才、イタリアの物理学者で哲学者のガリレオ・ガリレイ。その人生に大きな影響を及ぼした『星界の報告』です。

1610年冬、ガリレオ(1564-1642)はみずからの手で完成した望遠鏡を通して、30倍に拡大された星界に初めて対面する。まず月面・銀河・星雲、そしてそれまで未知であった木星の周囲を回転する4つの衛星。精緻な観察が卓抜な想像力と結びつき、世界をゆるがせた推論は仮借なく押し進められる。「太陽黒点にかんする第二書簡」を併収。

 

ガリレオが活躍したこの時代は「三十年戦争」(カトリックプロテスタントの戦い)の最中で、宗教的な思想は非常に神経質になっていた時代と言えます。イタリアも国内で分裂し、中世の終わりを迎えようとしていました。

当時はアリストテレスプトレマイオスが構築した「天動説」が、キリスト教において世界の真理であり、不変とされていました。

主がアモリ人をイスラエルの人々に渡された日、ヨシュアイスラエルの人々の見ている前で主をたたえて言った。
「日よとどまれギブオンの上に、月よとどまれアヤロンの谷に。」
日はとどまり、月は動きをやめた。民が敵を打ち破るまで。
『ヤシャルの書』にこう記されているように、日はまる一日、中天にとどまり、急いで傾こうとしなかった。

旧約聖書ヨシュア記(第10章12-13節)

旧約聖書』のヨシュア記にあるように、ヨシュアの祈りが「動いていた太陽と月の動きをとどめた」ことが記されています。これが根拠となり太陽と月は動いていた、つまり「天動説」が絶対であったのです。

 

ガリレオは、オランダの眼鏡技師が発明した望遠鏡を元に「天体観測が可能」なまでに改良し、星界を観察し始めます。そこで数々の重大な事実を発見します。「月にクレーターが存在する」「星は太陽光に照らされて満ち欠けする」「木星には4つの衛星が存在する」「太陽の黒点は太陽表面に存在し自転を表している」など。これらの発見を観測結果を元に報告したのが、本書『星界の報告』です。

 

報告先は当時のトスカナ大公、メディチ家です。このコジモ二世殿下に上記の「木星の4つの衛星」を捧げ、「メディチ星」と命名します。この功労が影響し、ガリレオフィレンツェにて「大公付きの学者」として厚遇されます。

これを僻み、快く思わない学者たちは、教会の聖職者たちをそそのかし、「天動説を否定する異端者」として宗教裁判にかけることにしたのです。これによりガリレオが説いた推論を取り下げること、そして今後説かないこと、を約束させられました。しかしガリレオは自身の研究を続け『天文対話』という天動説学者と地動説学者の対話式の論証を出版します。
イエズス会はこの行動に対し、裁判で下された決定を破っているとして、再度の宗教裁判をかけます。そして有罪による軟禁刑のまま、この世を去りました。

 

1979年、ローマ教皇ヨハネパウロ2世が、アインシュタイン生誕100年祭において「ガリレオの偉大さはすべての人の知るところ」という講演を行いました。これをきっかけに、ガリレオ裁判の判決が見直され、1983年に無罪を表明し、ガリレオに謝罪しました。

 

本書の内容に関しては、現在となっては科学者でなくとも常識とされている「当たり前の内容」ですが、科学と推論で真実を構築しようとする熱意が、文章の熱量に込められています。そしてガリレオの攻撃的で、根拠を持った論説は清々しくもあり、危なげでもあり、「報告」でありながら文学としても楽しく読むことができる作品です。

 

偉大な科学者の人生と、世界の真理に大きく影響を与えた『星界の報告』は、ぜひ手にとって読んでいただきたいです。

では。

 

『グレート・ギャツビー』F・スコット・フィッツジェラルド 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

F・スコット・フィッツジェラルドグレート・ギャツビー』です。

ロストジェネレーションの盛衰を、公私共に歩んだ作家の代表作です。

豪奢な邸宅に住み、絢爛たる栄華に生きる謎の男ギャツビーの胸の中には、一途に愛情を捧げ、そして失った恋人デイズィを取りもどそうとする異常な執念が育まれていた……。第一次大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、狂おしいまでにひたむきな情熱に駆られた男の悲劇的な生涯を描いて、滅びゆくものの美しさと、青春の光と影がただよう憂愁の世界をはなやかに謳いあげる。

1920年代に活躍したアメリカの作家たちは「ロストジェネレーション」(邦称:失われた世代)と呼ばれます。ヘミングウェイ、フォークナー、そしてフィッツジェラルドが有名です。

彼らは青年期からの生涯を「第一次世界大戦争」「世界大恐慌」「第二次世界大戦争」を経験するという、過酷な運命の中で執筆を続けます。彼らの作品に表れる喪失感、絶望感などは、構築しては破壊される世界が与えた「虚無の価値観」に基づいています。フィッツジェラルドをはじめ、軍に入り、戦争に参加した経験は、人間による破壊や絶望が、希望を見失わせることになりました。この事から「失われた世代」は「迷える世代」と訳されますが、こちらの方が本来の意味に近しいと感じます。

 

第一次世界大戦争」を戦勝国として終えたアメリカは、その後の悲運を予期せぬ時期、世界最大国家となり国内は浮かれていました。
ジャズ・エイジの物語」というフィッツジェラルドの作品があります。この作品で「ジャズ・エイジ」という言葉は定着しました。「ジャズ」はアメリカで生まれた純粋な文化であり、この頃から芸術の絢爛さへ憧れ、メッカであるフランスのパリへ訪れる人が急増しました。映画『ミッドナイト・イン・パリ』は、まさにその時代の話です。


また、1920年に女性が参政権を得たことにより「自由」が与えられ、世に出始めます。ちょうど時を同じくして、アルコールが犯罪を助長させているという理由から「禁酒法」が施行されます。
しかし、サルーン(酒場)は急増します。いわゆる「非合法な酒場」が世に溢れ、これを運営するギャングが栄え、女性たちは髪を短く切ってタバコを片手にサルーンへ飛び込みます。カクテルを飲み、男と話やダンスをする女性を「フラッパー」(おてんば娘)と呼びました。
結局、ギャングの成長を止めることは「禁酒法の廃止」しか考えられず、結果的に犯罪抑止のための禁酒法は失敗に終わりました。しかし、世界大恐慌に嵌っていた国は酒税により恩恵を受けるという皮肉な結果に陥りました。

 

このような時代に生まれた文学をアプレゲール文学(戦後派)と呼びますが、前述のような「虚無」「喪失」「脆さ」「崩壊」などを特徴としています。
今回の『グレート・ギャツビー』はこの特徴が顕著な作品です。
先代より上流階級として苦労なく育った人間の醜悪な価値観や、成り上がり者の抱く脆い夢、貧しい人間の事なかれ主義であり絶望を受け入れている生活、などが一つの物語で無駄がなく、自然に紡がれています。

 

語り手である「ニック」と中心人物の「ギャツビー」は、「俯瞰」と「主観」のそれぞれのフィッツジェラルド自身だと言えます。ギャツビーの執着と情熱を、理解しながらも不毛であると考えていた、彼自身の二つの精神が描かれています。

私はただ、「ジャズの時代の桂冠詩人」と謳われ「燃え上がる青春の王者」「狂騒の二〇年台の旗手」と祭り上げられたフィッツジェラルドが、そうしたレッテルを貼られるだけの絢爛奔放な生活を派手に展開したことは事実だけれども、そうした外観の底にそれを批判的に見るもう一人のフィッツジェラルドがひそんでいたことを強調するにとどめたい。

訳者の野崎孝さんの解説文です。
フィッツジェラルドもまた、成り上がり、「ロストジェネレーション」の中心人物として一時の成功を収めるものの、望まない不摂生や暴飲により、公私ともに急降下していきます。満を持したこの『グレート・ギャツビー』もハッピーエンドを求めていた「浮かれた若者の支持者」には受け入れられず、不発に終わりました。世界的文学として認められたのは、ずっと後になってからでした。

 

この受け入れられなかった重厚なストーリーは、彼が感じた上流社会の不毛さであったり、それを正当化する詭弁に腐敗を感じ、むき出しに描いたところが特徴的です。育った環境により育まれる価値観は歪み、醜悪である自覚を持たない豪奢な絢爛豪華さは、まさに不毛であると断定しています。

ぼくは彼をゆるすことも、好きになることもできなかったが、彼としては自分のやったことをすこしもやましく思っていないこともわかった。何もかもが実に不注意で混乱している。彼らは不注意な人間なのだーー

ニック(俯瞰)から見たこの「彼ら」にはフィッツジェラルド自身も含まれていたのかも知れません。

 

華やかさだけではないニューヨーク郊外の、上流社会の、男女の、歪んだ価値観がぶつかり合う様を、上品で激しい筆致で読ませてくれます。
映画化もされている作品ですが、未読の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

 

『巨匠とマルガリータ』ミハイル・ブルガーコフ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

 

ミハイル・ブルガーコフ巨匠とマルガリータ』です。
近代ロシア文学の「奇書」とされる作品です。

春のモスクワに降り立つ悪魔、灼熱のゴルゴダと名無しの巨匠。首は転がり、黒猫はしゃべり、ルーブル札が雨と降る。ブルガーコフ(1891-1940)が遺した二十世紀ロシア最大の奇想小説、物語のるつぼの底で待つのは何か?ーー「私につづけ、読者よ。」

 

ブルガーコフウクライナ出身の劇作家であり小説家です。同じウクライナ出身のゴーゴリと比べられる事もある、近代ロシア文学に欠かすことの出来ない作家です。

 

彼の作家人生はスターリン体制の隆盛と重なった時期でした。国政非難を含む作品群は特別検閲を受け、悉く出版を禁止されます。劇作家として戯曲を披露しますが、こちらも公演の中止が相次ぎ、思想を表現する手段を国に取り上げられてしまいます。立ち行かなくなったブルガーコフスターリンに直接書面にて「亡命を許可するか、モスクワ芸術座で採用するか」いずれかを選択するよう訴えます。スターリン自身が彼の戯曲の愛好家であった為、国は後者を支援し、モスクワ芸術座で勤めることになります。

しかし、モスクワ芸術座で行われる演目はもちろん管理され、ブルガーコフの思想を孕んだ演目を催すことは出来ませんでした。彼は作家でありながら自由な表現を失ったのです。しかし、抑えることの出来ない世への訴えを、新たな作品に乗せて家に引きこもり書き続けていきます。そしていつかロシアにやってくる、「文学」を受け入れる「表現の自由な時代」へ託し、息を引き取ります。

 

巨匠とマルガリータ』は正に遺稿にあたり、彼の生前に世に出ることはありませんでした。スターリンの時代を終え、雪解けの時代に入り、同時代に生きた作家のヴェニアミン・カヴェーリンの尽力を発端に、長い年月を経てようやくロシアの民衆へ渡ることが出来ました。

 

この作品は紹介文からも推察できるとおり、非常に複雑な世界観で幻想小説として描かれています。しかしコミカルな表現も多く、文体も直接的で疾走感もあるので、間延びせずスムーズに読み進めることが出来ます。
悪魔のヴォランド、詩人の〈宿無し〉イワン、名無しの巨匠、魅惑的なマルガリータ、変幻自在のコロヴィエフ、磔刑に処されるヨシュア(イエス)、ユダヤ総督ポンティウス・ピラトゥス、陽気な黒猫ベゲモート。多彩な登場人物が時代を変え、場面を変えて語られていき、想像も出来ない収束を見せるラストは鮮やかそのもの。

 

物語としての読後感は爽快であるものの、これを思想の側面で読むと、なんとも痛ましくなります。現世を離れることで「自由」を得た「表現者」は、スターリン政権下を離れることでしか「自由な表現」を手にすることは出来ないという訴えであり、現世での巨匠の苦しみは、ブルガーコフの内面の苦悩であったと感じられます。そして得たこの「自由」は巨匠による創造の賜物であり、つまり「文学の力」が世を切り開くものであると啓蒙しています。

 

1940年にブルガーコフは腎硬化症で亡くなっています。容態の悪化を感じながら、家に引きこもり、いつか〈文学の力〉を受け入れられる世に向けて書き続けた熱量は、現代ロシア作家ウラジーミル・ソローキンと重なり、作家の偉大さに強い感銘を受けます。

「お前は自由だ!自由だ!彼がお前を待っているのだ!」

作中で叫ぶ巨匠のこの台詞を、誰よりも欲していたのはブルガーコフだったのだと、そう思います。

 

岩波文庫で800頁程ですので、じっくり読むのにうってつけのこの作品、幻想小説としても純粋に面白く読むことが出来ます。
未読の方はぜひ。

では。

 

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『車輪の下』ヘルマン・ヘッセ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

ヘルマン・ヘッセ車輪の下』です。
手元にある「旺文社 岩淵達治訳」が、名訳です。とても実直で原文の美しさが感じられます。現在は、旺文社自体が「旺文社文庫」を廃刊してしまい古書での入手しかできない状況。古典文学が中心で、さすが学習参考書が主力な出版社というラインナップですので、もし入手可能な機会があれば、ぜひ手にとってみてください。

大変優れた頭脳を持つ少年ハンスは、小さな町の誇りであり、未来を嘱望される。思春期に揺れ動く心は、周囲の期待による圧力で苦悩していく。当時の教育制度を風刺し、思春期の心を現実的に描いた、初期のヘッセ代表作。

 

ヘルマン・ヘッセは平和主義者です。
1914年に勃発した世界大戦争では、各国の愛国主義をうたった作家の美辞麗句を受け、ヘッセははっきりと反戦的な表明として新聞に文章を掲載しました。

「おお友よ、そんな調子はよそう!」

ここからドイツ愛国主義者から裏切り者のレッテルを張られます。平和主義者であるヘッセの思想は「個性を大切にする人間愛」からきています。戦争における惨状は人間を想うヘッセには辛いことであり、苦しみを与えます。しかし、彼に共感し、支える文学者もいました。トーマス・マンロマン・ロランなど。彼らの言葉に励まされ、戦争において自分にできることをする為、捕虜の援護機関の仕事に従事します。

戦争が一時収束し、1933年にヒトラーが政権を握ると、「人類の粗暴な血まみれの愚行」に対する抗議を、芸術をもって行っていきます。ヘッセの作品はしばらく「好ましからぬ」作品とされ、出版も不可能な状態でした。

その後、戦争は収束し、1946年に『ガラス玉演戯』を中心に評価され、「古典的な博愛家の理想と上質な文章を例示する、大胆さと洞察の中で育まれた豊かな筆業に対して」、ノーベル文学賞を受賞しています。

 

1877年、南ドイツにある「ブレーメンからナポリ、ウィーンからシンガポールのあいだで最も美しい町」とヘッセが称した「カルフ」で生まれました。この生まれ故郷での少年時代が基礎となって書かれたのが『車輪の下』です。

この作品は所謂「回想録」であり、神学校への試験、寮生活の閉塞感、職人たちの仕事場、思春期の心の動きなど、とても現実的で情景や雰囲気が鮮明に伝わってきます。ヘッセが体感したことや、当時の感情などが、主人公ハンスおよび友人ハイルナーに置き換えられ、語られていきます。

 

祖父、父親ともに宣教師で、幼い頃から神学を修めることを暗黙で決められていました。ヘッセもその道へ進むことが当たり前であり、使命であると理解し努力します。非常に難関な神学校試験を突破し、寮生活が開始されます。この「家族と離れた環境」により、心が大きく成長し、考えに変化を及ぼします。

毎年あらわれる人一倍深みと器量をそなえた数人の人物を根絶しようと、国家や学校が年がら年じゅう大汗をかいて努力していることをわれわれは知っている。ところがあとになって、だれよりもわれわれ国民の文化財を豊かにしてくれるのは、ふつうはこういった教師たちに憎まれ、罰せられ、脱走したり、放校されたりした人たちなのである。

 

当時の教育制度の欠陥を振り返り、実体験で感じた束縛感、強制感、そしてその無意味さを明確に説いています。「個性」を大切にしたいという力が強いほど、周囲の強制力に反発するエネルギーが強く、それが「頑固」と映り、教師側は「反抗的」と受け取り対応する。そして「個性」を重んじる友人と繋がり、価値を共有していく。

 

この作品は文芸面でも多彩で、「美しい町カルフ」を元にした季節を感じさせる風景描写は見事です。りんごの収穫祭のシーンは音や匂いまで想像できます。

また、思春期に誰もが体験する感情や、成功と挫折、恋と友情、喧嘩と秘密、性と生、など幼さの残る思考や言動が、読み手の人生を回想させ甘酸っぱい記憶を呼び覚まします。

 

車輪の下』は、そういう先生をふくめて、「世間」というものに傷つき、たおれていく少年(青年)への挽歌である。うらがえせば、自分をほんとうに教育してくれるのは自分じしんしかない、ということを語っている。

村上兵衛さんが巻末で実体験を含め、このように述べています。ヘッセがこの作品で最も言いたかったことがこれであり、「自分で自分を育てる大切さ」を教育制度の欠陥を下に訴えています。

つまりヘッセは「教育制度の欠陥」を主に訴えたいわけではなく、「各個人が持つ個性の保護」が大切であり、それを圧殺する社会に対する抗議が軸となっているのです。
そして彼の実体験による説得力が、この作品を後世にまで伝える原動力として生きています。

 

主になるテーマは重いですが、思春期小説ですので、誰もが共鳴できる懐かしい感情や憂いを感じることができます。

岩淵達治さんの訳が入手困難であれば、高橋健二さん訳を読んでください。ヘッセを日本に持ち込んだ方です。

一応以下にいくつか並べておきます。
未読の方はぜひ。

では。

 

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『ロリータ』ウラジーミル・ナボコフ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボコフの『ロリータ』です。アメリカへ亡命したロシアの作家であるナボコフの代表作。大変有名な古典作品ですが、出版までは苦難の道でした。

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。……」
世界文学の最高傑作と呼ばれながら、ここまで誤解多き作品も数少ない。中年男の少女への倒錯した恋を描く恋愛小説であると同時に、ミステリでありロード・ノヴェルであり、今も論争が続く文学的謎を孕む至高の存在でもある。多様な読みを可能とする「真の古典」の、ときに爆笑を、ときに涙を誘う決定版新訳。注釈付。

 

ナボコフの父親は旧ロシア帝国の政治家である、ウラジーミル・ドミトリエヴィチ・ナボコフです。ロシアの自由主義者であり立憲民主党幹部として活躍していましたが、ロシア革命において立場を追われ、ベルリンへ亡命します。亡命先で友人の政治家をかばい暗殺者に殺されます。
ナボコフは父親より少し先に西欧へ(父親が元来西欧派であったため)亡命しました。父親がベルリンへ逃れたタイミングで合流しましたが、すぐその年に上記の悲劇が起こります。
もともと裕福な生活で恵まれた環境下にありましたが、パリへ移り、さらにアメリカに帰化する頃には質素な暮らしへと変わっていきます。

 

ロシアに住んでいた時から文壇に立つことを目指していました。そしてベルリン、パリでは「シーリン」という筆名で小説を発表し、ロシア亡命作家として高い評価を得ることになります。この時代、つまり1918年~1945年(亡命前からアメリ帰化まで)はロシア内に留まらず二度の大戦争が起こるほど、世界が揺れ動いた時代です。
先を見据えたナボコフは「英語での執筆」を試みます。そこで書き上げたのが『ロリータ』です。

 

この苦労を重ねて執筆した作品はスムーズな出版とはなりませんでした。内容を享受できるアメリカの出版社が無く、ヨーロッパでの出版を模索し始めます。そこでパリの出版社「オリンピア・プレス」と出会い、ようやく出版に至ります。ここからナボコフの手を離れて、大きく作品が世に顔を出し始めます。
この「オリンピア・プレス」の看板作品は「ポルノ小説」です。世の人々は『ロリータ』という作品をポルノと認識し、読み始めます。しかし紹介文にもあるように、これは真の古典文学。すばらしい筆致と完成度に、イギリスの小説家グレアム・グリーンが大絶賛します。ここから賛否合戦になり、一気に話題書へ仲間入りし、ついにはアメリカでの出版に辿り着くことができました。

 

元々ロシア語で書かれた『海辺の公園』という作品が、『ロリータ』の原型となっています。しかし、元の物語はもっと簡素で、結末も違い、ナボコフ自身も納得のいかない出来栄えでした。その後、妻ヴェーラとのアメリカ国内旅行の刺激や閃きが積み重なり、『海辺の公園』に、どんどん文学的厚みを帯びさせて、『ロリータ』を完成させました。
この「文学的厚み」を英語で帯びさせることに、苦労し、興味を覚えた結果が、ナボコフの魔術的な言語使いを生まれさせたのです。

私の個人的な悲劇は、むろん誰の関心事であるはずもなく、またそうであってはならないが、私が生得の日常表現や、何の制約もない、豊かで際限なく従順なロシア語を捨てて、二流の英語に乗り換えねばならなかったことで、そこには一切ないあの小道具たちさえ魔法のように使えれば、燕尾服の裾を翻しながら、生まれついての奇術師は独特の流儀で遺産を超越することもできるはずなのだ。

これは、あとがきに近しいものにナボコフが最後の締めとして口述している文面です。内容は「ロシア語に翻訳すると、もっと良い作品になるぞ」という意味合いですが、注目すべきは「二流の英語」という表現です。
単純に使い慣れていない、という意味合いだけでは出てこないこの単語ですが、背景にある思いは何でしょうか。これは祖国ロシアに対する誇りであり、本質的に望んで使用している言語ではないという荒みからきています。
ナボコフは「亡命作家」でありながら「祖国を想う」稀有な人間でした。これは父親の生き様、死に様、そのどちらも誇らしく想い、そして「ロシア革命以前のロシア」を印象として持ち、叶わぬ夢として祖国に想いを馳せる中、アメリカで英語文学を執筆する苦悶の顕れであると言えます。

 

この想いが筆致に滲み出たのか、純粋に作品の内容がそう思わせたのか分かりませんが、『ロリータ』は「反米的」であると非難する意見が噴出します。しかし、ナボコフは普遍性を説いています。アメリカ的というのは道徳的という意味であり、アメリカを背景に、アメリカを描いて反米的というのは、ずれている、という論です。
もちろん、主人公であるハンバート・ハンバートアナーキズムに生きる人であり、サイコパス的で、自尊心が高く、紳士と自負する異邦人です。ですが、こういった人間性アメリカでは存在しないという論理はおかしく、英雄然とした道徳漢が活躍するのがアメリカ的だとする意見を盛大に揶揄しています。

 

さて、テーマとなっている「少女性愛」についてですが、世間ではかなり厄介なことになっています。認識において。

ロリコンという言葉だけが全世界をたちまち走ったのは、この物語にはハンバートに代表される男性に巣くう忌まわしい少女好みというものが、いかに普遍的なものだったかを告げる秘密が如実に暴かれていたということなのである。

ある有名な著述家の『ロリータ』書評における一文です。そしてこのような事は全世界で起こっていません、間違いです。もちろん「ロリコン-Lolicom」という言葉が、という意味ではなく。一部だけ正しいとするなら、「普遍的なものだった」という一点のみです。
この少女性愛は、医学疾患における小児性愛ペドフィリア」に含まれます。ハンバート・ハンバートは少女のみでしたが、少年のみ、或いは両方という症状もあります。これは1880年代から既に提唱され、研究されている内容です。


では、この作品を由来とする「ロリータ・コンプレックス」、「ロリコン」とは何か。これは誤解から生まれた和製英語であり、性癖の一つとして使用されています。
ラッセル・レイモンド・トレーナーという心理学者の「The Lolita Complex」と言う作品の邦訳が起因とされています。実はこの作品では「中年の男性に少女が憧れる」という、現在使用されている意味と間逆の言葉でした。それが、読者や作家などが間違った解釈を広げ、現在の意味でいわゆる「誤用」されるに至っています。
「誤用」というのは、二重の意味であり、もう一つは「コンプレックス」という言葉です。心理学では「complex=感情複合体」とされており、決して「劣等感」ではありません。この誤用にも原因があり、アドラーが提言した「劣等コンプレックス」という観念を日本に持ち込まれ、これをマスメディアが誤って「コンプレックス=劣等感」と解釈し、広めてしまった為、「マザーコンプレックス」「学歴コンプレックス」の誤用が多発する現在に繋がっています。

 

本書は、紹介文にもあるように数多くの要素を持っています。官能的、純文学的、モダン的、遊戯的、喜劇的、パノラマ的、悲劇的、ミステリ的、風俗的、風刺的……。これらの要素をすべて詰め込み、一つの作品として成り立たせているのは「ナボコフの魔術的な言葉使い」なのです。

 

この小説に学びうる第一は、いまもいったとおり、小説のなかの一部分から次の部分に移る際の劃然たる書き分けと、そこからのスピードである。

解説での大江健三郎さんの言葉です。
この作品は約550ページ程ですが、ものすごいスピードで進みます。それぞれの瞬間で強烈な印象や、描写が濃厚でありながら、段落がかわると一足飛びに話が進みます。そして「魔術的」なナボコフの筆致で、喜怒哀楽を混ぜこぜにされながら、ハンバート・ハンバートとロリータの行く末を強制的に追い掛けさせられます。

 

この作品には「序」という序文があります。最後まで読んだ方は、必ず再読してください。「序」だけでも。(5ページだけでも。)
「序」に限らず、再読で気づく重要なことが、あちこちに敷き詰められています。

 

私は教訓的小説の読者でもなければ作家でもないし、ジョン・レイがなんと言おうと、『ロリータ』は教訓を一切引きずっていない。

このようにあとがきに近しいもので述べるナボコフは、あまりに率直で、あまりに魔術的であると感じます。

 

今回はアメリカ文学とカテゴライズしますが、亡命作家であり、ロシア作家であるナボコフの代表作であり問題作。
未読の方はぜひ一読ください。

では。

 

『かもめ・ワーニャ伯父さん』アントン・チェーホフ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

アントン・チェーホフ『かもめ』『ワーニャ伯父さん』です。チェーホフ四大劇に数えられるニ作品。戯曲です。

恋と名声にあこがれる女優志望の娘ニーナに、芸術の革新を夢見る若手劇作家と、中年の流行作家を配し、純粋なものが世の凡俗なものの前に滅んでゆく姿を描いた『かもめ』。失意と絶望に陥りながら、自殺もならず、悲劇は死ぬことにではなく、生きることにあるという作者独自のテーマを示す『ワーニャ伯父さん』。チェーホフ晩年の二大名作を、故神西清の名訳で収録する。

 

19世紀を代表するロシア劇作家のチェーホフ。しかし、短編小説家としても優れた作品を数多く発表しています。その面で名を聞きづらいのは同時代の二大巨頭「トルストイ」と「ドストエフスキー」が存在していたことが理由として挙げられます。

 

チェーホフは生涯医師として働き、多くの人間に接してきました。そして彼の観察眼は多くの人間から「人間の本質」を捉え、時には繊細に、或いは皮肉りながら短編を生み出していきます。しかし、彼が捉える苦悶や下卑、卑屈さなどに彼自身も影響され、やがて「人生の意義」を見失い始めます。この頃、いわゆるチェーホフ中期小説にはこの思想が溢れており、主に小さな社会の醜さや滑稽さを描いています。この滑稽さの表現もチェーホフの特徴であり、どの作品にも「ユーモア」が散りばめられています。

 

当時すでに、彼の身体は結核に侵されていました。いよいよ「人生の意義」を考え、それを見出すために長い旅に出ます。目的地はサハリン島。囚人が流されるシベリアよりも条件の悪い地。その地に住む人々の生活を知る、そこで何かを得られる、その思いで行動します。(ルポルタージュ:『サハリン島』1895年)
その土地の印象は「地獄のようだ」と述べており、彼自身の見解は多方面に広がります。そして、この旅がチェーホフの目を社会的に向けさせ、四大劇を作り上げていきます。

 

チェーホフの戯曲は特徴として「静劇」であると言えます。特に大きな事件や、感動的なストーリーをなぞるのではなく、ごくありふれた「小さな社会」で起こる会話や感情の動きを描きます。だからこそ、物静かでありながら、人間の持つ陰鬱さが滲み出る言動が多く見られます。この芸術性を高めるのが「間」です。台詞後の行動までの間、何かを問われて答えるまでの間、話をそらす際の間。この「間」が抒情的な対話や行動を印象強く、そして現実的に表現しています。

 

彼が社会的に訴えようとしたものは何か。この収録作2篇で対比的に描かれています。

 

かもめ

若手劇作家のトレープレフは、役者であった父を亡くしています。そこから受け継いだのは健在の有名女優である母親より低い「町人という身分」。また、女優志望のニーナは、資産家であった母親を亡くしており、健在の父の策謀で遺産を譲り受けることができません。この主軸である二人はそれぞれ「亡くした親から不利益を受け継いでいる」という共通点があります。彼らはこの不利益を覆す、或いは不満を覆すための「人生の意義」を探します。
トレープレフの大切な存在は「母」です。そして「作家」であり、「男性」です。

あの人は僕を愛していない、僕はもう書く気がしない……希望がみんな消えちまったんだ……

この台詞は「作家」「男性」として絶望し、残された「人生の意義」である「息子」として母に縋るシーンです。しかしこの後、母に受け入れられず、「息子」として生きる意義も見失ってしまいます。
女優のニーナも同様に「母親」「女優」「女性」として「人生の意義」を見出します。そして「母親」「女性」の意義を無くし、三流女優としてしがみついている中、二人は再会します。

 

ワーニャ伯父さん

このワーニャ伯父さんも同様に生きる意義を見失っています。妹を亡くし、その夫である学者に資産を握られ、その娘である姪と苦労を共にしながらも報われない現実。これを受け入れることができず、日々悪態つくのみ。
「人生の意義」であった「兄」「伯父」「男性」のそれぞれが崩れていく中で、彼と姪がたどり着いた答えは「忍耐」でした。

でも、仕方がないわ、生きていかなければ!

姪のソーニャの台詞が心の奥にズンと響きます。

 

この2篇で「人生の意義」の必要性、そしてそれを崩された者に残された「生きる糧」を、対比的に描いています。

 

チェーホフ四大劇の残り2作『三人姉妹』『桜の園』もいずれ紹介したいと思います。
戯曲の良さを鮮明に感じられる「チェーホフの静劇」、まだ未体験の方はぜひ読んでみてください。

では。

 

 

『ガラスの動物園』テネシー・ウィリアムズ 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回はこちらの作品です。

 

テネシー・ウィリアムズガラスの動物園』。戯曲です。1945年3月、第二次世界大戦の終焉間近にブロードウェイで上演されました。

不況時代のセント・ルイスの裏街を舞台に、生活に疲れ果てて、昔の夢を追い、はかない幸せを夢見る母親、脚が悪く、極度に内気な、婚期の遅れた姉、青年らしい夢とみじめな現実に追われて家出する文学青年の弟の三人が展開する抒情的な追憶の劇。作者の激しいヒューマニズムが全編に脈うつ名編で、この戯曲によって、ウィリアムズは、戦後アメリカ劇壇第一の有望な新人と認められた。

 

テネシー・ウィリアムズアメリカの劇作家です。元々は南部の上流階級でありながら、父親の仕事が影響し工業都市へ移り、突如として激しい貧困の生活に陥ります。世界大恐慌時代の真っ只中ということもあり、小さなアパートで満足のいかない日々を過ごします。父親は大変粗暴で、母親はヒステリー持ち。暖かい家庭の環境はありませんでしたが、姉のローズとは仲がよく、互いに心を支えあっていました。

姉のローズ、テネシーともに、父親の強行で学校を中退させられ社会に出されます。病弱で内気だったテネシーを思うローズは、彼の文学を追う姿勢を見守り、支えます。しかし、テネシーが過労で倒れるとローズは「父のために家族みんなが殺される」と怯え、ノイローゼになります。姉の高まった被害妄想は悪化し、精神病院へ入ることになり、ついにロボトミー手術(脳葉切除手術)を受けさせられます。そしてローズはこの手術の副作用である、「感情を無くし、意志を無くす」ことになり、廃人同様となってしまいました。

 

ガラスの動物園』は自叙伝的作品として知られています。テネシーの本名はトマス・ラニア・ウィリアムズ、この主人公同様で通称トムです。そしてヒステリックでいながらも家族思いの母親に、誰よりも繊細な心を持つ姉のローラで構成され、実際のテネシーの家族のように描かれています。このローラが社会人としての独り立ちが困難な状況になってきた為、家庭の中に入る道を進めていこうという、母とトムの行動がストーリーです。

手品師は真実と見せかけた幻想を作り出しますが、ぼくは楽しい幻想に装われた真実をお見せします。

冒頭、主人公トムの語りから始まります。この物語はトムの過去。思い出語りです。しかし、彼の詩的表現で演出された劇は普遍性を持っていて、誰もがもつ郷愁や憂いに接触してきます。家族を想う、家族への感情は普遍的なものだからです。

 

父親の存在

この作品で見られる大きなテネシーの心理として、父親の不在が言えます。大きな写真が貼られているだけで、劇中に登場しません。物語の中心にあるローラの人生、これに必要なものは母親アマンダとトムのみである、と表現しています。あるいは父親さえいなければという、どうにもならない現実の不可能なことを、この作品でなし得ています。

 

ローズへの想い

「ガラスの動物たち」を大切に扱う優しさや神経質さを、姉の印象に重ねて性格として描いています。また、弱さや脆さも同時に表現し、現実の姉の病状も訴えているようです。しかし、ガラスの動物を表現する時の輝きや美しさは細かく装飾され、姉の存在を美しいままに留めているテネシーの心情がうかがえます。
ローラが過去に呼ばれていた「ブルー・ローズ」のあだ名は、実存の姉ローズの意味でもあり、可憐で不可能なことという比喩の表現でもあります。

 

これらから、この物語は「過去」であり、「不可能」で装飾されたものと考えられます。彼は過去に数々の後悔を持っていました。家族を捨て家を出たこと、姉を廃人にしてしまったこと。この作品は姉ローズが廃人同様となってから、7年後に発表された作品です。彼は作品の中で「楽しい幻想」で過去を装飾したかったのだと思います。

 

1983年、テネシー・ウィリアムズはホテルの一室で亡くなります。事故とも殺害とも判明できていません。

現在、青い薔薇は日本の研究者たちにより生み出されました。そして花言葉は「不可能」から「夢 かなう」と変化しました。
彼の生前にこのニュースが届いたなら、「希望」が生まれていたのかも知れません。

 

現在でも盛んに演じられる『ガラスの動物園』、家族との関係を見直すきっかけをくれる、とても良い作品です。
未読の方はぜひ。

では。

 

『人形の家』ヘンリック・イプセン 感想

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こんにちは。RIYOです。

今回の作品はこちらです。

 

ヘンリック・イプセン『人形の家』。戯曲です。

「あたしは、何よりもまず人間よ」ノルウェーの戯曲家イプセン(1828-1906)は、この愛と結婚についての物語のなかで、自分自身が何者なのかをまず確かめるのが人間の務めなのだ、と言う。清新な台詞と緻密な舞台構成が原点からの新訳でいきいきと再現される。

 

1879年に世に発表され、今なお全世界で、もちろん日本においても盛んに演じられる『人形の家』。いわゆる「女性蔑視からの解放」をテーマに描かれています。
19世紀末、ヨーロッパでは世紀転換期とされる激しい時代の動きがありました。その中でも「思想の転換」が現代にも響いており、過去の社会が刷り込んだ風習や思想を、「人間」を根源とした見直しが世界的に行われました。これらを先導したのが芸術家たちです。戯曲家イプセンも、その一人でした。

 

彼が生きた時代のノルウェーデンマーク支配下にあり、言語もデンマーク語の社会でした。裕福な商家に生まれながらも、7歳のときに家が没落し、16歳で貧しい自活の生活を送ります。彼は元来詩人であり、苦しい生活の中でも書き上げ、世に少しづつ発表していきます。
時が経ち、1851年に「ノルウェー劇場」創設に併せて劇作家の仲間入りを果たします。この創設までのノルウェー演劇は、すべてデンマーク語で行われていたため、本質的なノルウェー演劇は初めてとなります。演劇における真のノルウェー奪還は、自由主義国民主義の熱が止まぬ社会に向け、ロマン主義で訴えようと試みました。しかしその思いはうまく実らず、経済的にも立ち行かなくなり、わずか6年で閉鎖されました。

 

その経験は無駄ではなく、シェイクスピアをはじめ偉大な作家たちを研究し、彼の持つ詩的散文能力を併せた作品が徐々に書き上げられていきます。そして彼の演劇に「詩」と共に「リアリズム」が混ざりあい、エネルギーを更に帯び始めます。そして「女性解放」の思想に至り、『人形の家』を書き上げます。しかし発表当初は当時の「不道徳」であり「非常識」であるという批判も多数あり、大きな論争を呼びました。

 

この作品の主人公ノーラは当時中流貴族の云わば一般的な妻としての扱われ方をされています。夫は優しく紳士的で朗らかで大らか。「ヒバリちゃん」と呼び、大層かわいがります。しかし、彼女が過去に犯した「文書偽造」の罪を握るクロクスタが、夫であるヘルメルの新たな職場の部下にあたり、且つ解雇を予定していると恐れ、ノーラに救いという形で脅しにかかります。また、ノーラの友人であるリンデ夫人も、同じタイミングで現れ、職の斡旋を依頼しに訪れます。

 

ノーラは、彼女なりの正義に生き、幸福を得ていました。しかし、いざ明るみになり状況を理解すると、夫の「本質的な人間性」が現れます。それは彼に自覚はなく、何に幻滅されたのかさえ理解できません。

人間が自分の人間性を理解していない、つまり「自分自身が何者なのか」を理解していない事の典型であり、ノーラ自身はそうでありたくはなく、「自分自身が何者なのか」を理解するためにラストの行動をとります。

 

「愛と結婚」がテーマのこの作品は、典型的な二組の男女で描かれます。労苦を耐え、そして苦痛を自身で乗り越えたものが幸福になる。自身の正義を貫き、愛するものを真に愛す、だからこそ幸福を得る。そのような教訓で描かれています。
最後のノーラの行動は賛否ありますが、当時の「妻としてのシンボル」で描かれており、この戯曲全体が社会へ皮肉っぽく表現した芸術であったのだと思います。

 

イプセンの作品はしばしば「あいまい」で、読者や観客を迷わせる。だが、その「あいまい」さが即ち彼のリアリズムで、主題的にも、文体的にも、イプセン劇が特徴とする重層性は、人間存在のアイロニカルな条件と彼の人間観察の深さに由来するのを知れば、なぜその作品が面白く、彼が偉大なる「演劇の詩人」たり得たかがよくわかるはずである。

訳者の原千代海さんの言葉です。

 

『人形の家』という作品名も秀逸で、その戯曲演出も見事です。最後の家庭の象徴である「鍵」の存在や演出が、読後に深い余韻を与えます。

戯曲に不慣れな方でも大変読みやすい作品ですので、ぜひ読んでみてください。

では。

 

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